99年12月

今月後半は入院生活日記になってしまいました。
日曜距離時間pace
前半/後半
強度調子練習内容
1水16785'06/4'52弱 × ロード 家〜立山ユニー 62.4kg
2木[61]+460+15270W/3'45 強 普通エアロバイク61.4km + ランニング4.0km 63.6→62.1kg
3金0飲み
4土1780 4'59/4'30弱 ×総合運動公園 クロカンコース8周ジョグ  米沢
5日1570 強 普通辰口クラブ駅伝 物見山 3.62kmB11'47 E12'01
6月[5]30200W弱 普通 朝 家のエアロバイク  夜は飲み
7火[61]63250/280W中 普通 エアロバイク 余裕 63.6→62.6kg
8水16694'35/3'57 強 ○ロード 家〜総合運動公園
9木[59]60250/280W強 普通 エアロバイク 63.9→62.8kg
10金16825'18/5'04弱 × ロード 家〜立山ユニー 62.4kg
11土1673 4'49/4'21中 普通ロード 家〜総合運動公園
12日1672 4'41/4'13中 ○ロード 家〜立山ユニー 62.4kg
13月[5]30200W弱 普通 朝 家のエアロバイク  夜は忘年会
14火0体温37.2〜37.0交通事故
15水36.6 36.3 入院生活
16木36.1 36.5 シャワー
17金35.8 36.940 アイシング解除 年賀状印刷
18土 35.8 36.743腹筋
19日 35.2 36.340入院生活
20月35.8 36.5 右脇の下
21火35.8 36.840 歩く、左足付け根 腹筋70+50 腕立て25+15
22水36.1 36.341 出社
23木 36.2 36.940PHS
24金36.1 36.639 46 リハビリ
25土 35.9 36.742 52痛み
26日 36.0 36.939 52パソコン
27月35.7 36.840 52 痛み
28火36.1 37.040 46
29水36.0 36.540 52 湿布
30木35.9 36.445 48 退院 グラフ
31金  睡眠、自転車、反省
合計173707
12.1(水)
 久しぶりにロード走。体重を減らすため長めのジョグ。後半足に豆ができた。右足、外側。ちょうど靴下の穴のあいたところにできた。穴あき靴下はだめ。
12.2(木)
 かなりハイレベルの270Wでエアロバイク。1時間持つか心配だったが、それなりの余裕で持った。最後の5分を300Wまで上げたら、ももの動きが鈍くなった。乳酸がたまってきたのだろうか。心肺機能はまあまあの余裕。
 その後、明日の分も練習してしまおうとベルトコンベアの上を3'45ペースで走る。このトレーニングはわりと楽。実際に走る程には負荷がかからないのではないだろうか。ただ、角度をつけると急激に厳しくなる。今日はウォームダウンを兼ねて余裕のランニング
12.4(土)
 米沢がこつこつと練習して11/27に日本一周を成し遂げた。1年11か月かけて10672kmを走りぬいた。この間練習の虫となって他の選手を引っ張ってきた.......
12.5(日)
 体は重いまま。村西に久しぶりに負けた。去年よりタイムが悪いからしょうがない。
1回目
1周目 3'53 一周目からひどい。余裕がない。
2周目 3'57 7'50 引っ張る
3周目 3'57 11'47 村西に出られる。つけない。村西は11'45

2回目 38分後
1周目 4'00
2周目 4'02 8'02
3周目 3'59 12'01 瀬戸一に抜かれた。これはやむをえない。

 競技終了後すぐに結果を印刷しようとパソコンを持っていった。去年よりチームが少なく、区間が多い。チームを減らすのは簡単だが、区間を増やすのはちょっと面倒。1区と5区の間の時間に名前の入力とエクセルシートの修正をしたが、ノートパソコンのAC電源を抜いてバッテリーに頼ったら、なぜかフリーズ。電源ボタンを押し、スタンバイモードから起動してみると直らないかな、と期待して見たら、いきなりメモリーカウントから始まる。しかも、なぜか横長の意味のない英数字が出る。BIOSがおかしくなったのだろうか。NECの98ノートだからあまりBIOSは関係ないはずだが。一応win98は起動OK。こんなことをしていると走れない。ダウンもアップもできないまま2回目の走りがくる。
 競技が終わったら印刷。区間順位がうまくいかない。少し直してやっと印刷。ダウンができない。パソコンいじってると練習がおろそかになる。
12.7(火)
 TVで志村けんを見て笑いながらエアロバイク。いつのまにか250Wで30分が過ぎる。余裕があるので後半280Wにあげるがまだ余裕。なんかおかしい。負荷がおかしいのか。体調がよすぎるのか。60分過ぎて隣のエアロバイクをこいでみる。280Wは厳しい。元にエアロバイクを再びこぐ。やはり280Wは厳しい。なにがおかしいのかよくわからない。一応、汗だけはいつものとおり1lは出ているようだ。
12.8(水)
 行きは向かい風、帰りは南風に乗ってスピードアップ。わりと軽く走れた。
12.9(木)
 エアロバイクの負荷は二日前と同じ。隣のエアロバイクを使ってみた。二日前ほどではないが、余裕を感じる。好調なのか。心肺能力はあるようだ。ただ、筋力不足を感じる。
12.11(土)
 今週は年賀状作り。今日は今年撮ったデジカメ画像をはがきの中にいっぱい並べてみた。
 メモリーは48Mあるが、画像をたくさん扱うと限界を感じる。
 ・Paint Shop Proはわりと軽いソフトだと思っていたが、途中でフリーズしたり、5分ほど止まったり。
 ・Photo Drawはpentium133MHZ以上を要求しているのに、my pasoconは120MHZ。動きが遅い。使い慣れていない。
 ・去年まで利用していたWordは画像処理に弱い。でも字を書くときはこれの出番。
 というわけで、画像処理には遅いパソコンでいらいらしながら一日を過ごす。

 夕方、走りに出かけたとたんに大雨。その後、あられ。顔が痛かった。すぐ晴れて乾いたが、家に近づいたところでまた氷雨。十分冷えて帰った。風呂にざぶんと入ろうとしたら熱くて入れない。いや、足が冷えて熱く感じて入れない。
12.12(日)
 今日も一日中年賀状作り。画像ソフトを使い慣れていないから、うまく動かなくてあれこれやっているうちにドンドン時間が過ぎていく。試行錯誤しているうちにやっとできる。ひまはかかるが、ドラクエゲームみたいなもの。やっと、形ができたが、かみさんの添削が入る。
 3000円持って、プリンタインクを買おうと思って、練習の帰りに、コジマとヤマダ電器を回った。コジマは20%引き、ヤマダは15%引き。今日はコジマまで戻る気がしない。100満Vは?。今度、調査を兼ねて、100満Vコースに練習コースを取ろう。
12.14(火)
 朝、交通事故に遭った。
 歩道に道路舗装工事用の車が止めてあり、自転車でその横をすり抜けようとしたら、突然車のドアが開いた。「ワッ」あとはなりゆきまかせ。激突はしなかったが、右手を車のドアにぶつけ、左によろめく。受身などとてもできない。自転車のバランスを崩し、落ちたところに、車進入止めの鉄製ポールがあり、左足太ももを強打。バウンドして一回転してアスファルトに落ちた。打撲の痛み。骨の痛みではない。じっとしていたらおさまらないかと、痛みをこらえ、じっと我慢。
 工事の現場責任者が声をかけてくる。(後で聞いたが動かないので意識がないと思ったらしい)
「大丈夫ですか」
「うん」
「病院へ行きましょう」
痛みはそのうち和らぐだろうと思って、
「いや、何か有ったら連絡しますから連絡先を教えてください。」と立ち上がる。
「すぐ病院へ行きましょう」
ズボンを下ろして、太ももを見たら、内出血で黒ずみ、パンパンに腫れている。こりゃひどい。
 車で病院に向かった。ああ、情けない。ワゴン車の中で住所を書くが手が震える。
 病院で待っている間震えはひどくなる。少し寒いのと、余りに痛いのと。これはただごとではないぞ。骨にひび?。しばらく練習できないな。こんなに痛いと今日は仕事にならないな。諦めて今日は会社を休もうか。車椅子に乗る。レントゲンをとるとき、止めるように言われるが震えは止まらない。骨はOK、ほっ。しかし、診察室で足を見て「肉離れだな。数日安静」と聞いた。これは1〜2週間、練習はアウトか。CTスキャンをすることになった。CTスキャンをする前にお尻に注射した。CTスキャンをするための薬をいれたのだろうか。CTスキャンは40分もかかった。痛みが和らぎ楽になった。注射は痛み止めだった。CTスキャンの後、診察室に行くと。
「入院です」
「えっ」
「2週間」
「ああっ」
「出血を止めるのに二日はかかる。血を抜く必要があるかもしれない。」
生まれて初めての入院。しばらく休養だ。
「動くと血が出る。内出血する。最悪、足を切り開いて血を抜くことになる」
医者の言うとおり安静にすることにした。
 会社に電話
「二週間入院することになった」
「...」

体温
37.2 11:30
37.0 14:30
37.1 16:00
37.1 20:00 風邪をひいてひどいと感じるときは37℃。じっとしてると痛みはないので体はひどくはないが体温が高い。意識しないところで戦っている。安静しかない。

 夕方、会社との連絡用にモバイルパソコンを持ってきてくれた。
12.15(水)
前夜は21:00消灯。目がさえて眠れなかった。ラジオを聞くなどしてやっと寝たと思ったら、5:00に「おはようございます。体温を測ります。」と電気をつける。生活パターンがずれる。これでは昼はうとうとするばかり。
体温
36.6 5:00
36.3 14:00 かなり下がってきた。足のふとももの周囲を測ってみた。右足は両手でちょうど持てるくらい。左足は、5cmは太い。5cmも腫れている。血がこんなに溜まっているのか。腫れてるだけか。じっとしてると痛くないのだが、腫れは全く引いていない。
 車にぶつかったときと、アスフアルトに落ちたときの傷が、少ない。右手中指が腫れているので、自転車のハンドルを持つ手がドアにあたったのだろう。腕、肩、顔どこも痛くない。
 左足の太ももはとにかく、すねは傷だらけ。足も擦り傷。
 アスファルトに落ちたとき、打ちそうな、腰、胸は無傷。
 濡れた、アスファルトに横たわったため、ズボンは少し汚れたが、傷がない。上に着ていたカッパは無傷でほとんど汚れていない。不思議。
12. 16(木)
 昨日はまあまあ眠れた。寝る前にHomepageのアップロード。MDを聞きながら寝た。今日は5:30に「おはようございます。体温測定です」
36.1℃かなり下がった。これで平熱ぐらいか。
14:30の体温は36.5℃。
 朝の診断。「出血しないよう、一週間の安静。二週間入院しましょうか」のこと。
 看護婦の計らいで、シャワーを浴びることになった。最上階の9階に上がる。見晴らしがよい。立山山麓スキー場が白くなっている。富山城がすぐ近くに見える。病院の住所の富山市丸の内は知っていた。駅の近くかと思っていたら、城の近くだった。これじゃ、会社からの見舞いは遠い。歩く距離ではない。仲間に迷惑をかけている。「シャワー許可」ということだったが、左足患部が温まらないよう、右半身だけ湯に使った。3日ぶりのお風呂は気持ちよかった。

 太ももの太さ
      左(負傷) 右(正常)
中心部   46     44
腫れ部   51     48
昨日は両手でおよその値。今日はメジャーで測った。

 じっとしてると痛みはもうない。
 出血は止まったのだろうか。出血止めの注射は一日2回あったが、今日で最後だ。左足を動かすと、再出血する恐れがあるので、今後も安静が必要。
12. 17(金)
 朝は5:45。今日は遅い。おまけに電気をつけないでくれる。ありがたい。でも、こういうときに限ってあまり眠くない。
 体温35.8℃。  血圧118/74   脈40(寝起きの安静時に測るのは初めて)
14:00の体温は36.9℃。体温の変化が大きい。今日は2回とも、間違ってるのでは、と測りなおしたが0.1〜0.2℃しか変わらなかった。
平熱に戻ったと思ったが、上がった。まだ、だめか。

 朝の診察はいつものとおり8:30。先生から
「若いねえ,直るのは早いねえ」 (もう年と思ってるのに。この病院の平均年齢からすると若いか)
「これからアイシング不要」 (湿布は薬が入っているのでまだ必要)

 今は,じっとしているとどこも痛くないが、左足患部を押さえると痛い。歩くと痛い。
 足以外は元気。暇かと思ってモバイルパソコンを持ってきてもらったら,メールがどんどん来て,画面は小さい,キーボードが小さい,メールは電話をつないでいるときしか見られない,と悪戦苦闘して忙しい。半日は仕事をしているような気がする。元気で忙しいから,見舞いにはくるなと会社の仲間にメールを出す。

 午前中に、家族が、医者に直接容態を聞きたいというので、やってきた。
「血は止まった。今後は溜まった液体を吸収する必要がある。安静にしているから痛くないが、液体が溜まって、筋肉が動くのを邪魔するので動くと痛いはず。入院は2〜3週間。1週間目から暖めて回復を早める。来週は、半日くらいなら会社に行っていいが松葉杖が必要になる。」
 いつになったら走れる?と聞いたら当面だめということで具体的な期間は教えてもらえなかった。

 今日は、年賀状の印刷。退院まで待つと書けなくなる。うるさいのではと心配しながら病院にプリンタを持ち込んで印刷。少しでも音を消そうと布団の中で印刷した。おかげさまで同室のおじいさんは音が聞こえないようだ(もちろん事前了解はとってある)。周りの迷惑にはならなかったようだ。でも布団の中で印刷したため、布団が邪魔になって詰まったりした。印刷に6時間もかかった。
12. 18(土)
 昨夜寝たのは23:00。アイシングがとれて寝やすくなった。
 5:04の体温35.8℃。脈 40
14:00の体温36.7℃。一日のうちでかなり変わる。こんなに変わっていいのかと看護婦に聞くと、0.7〜1℃は変わるという。

 朝の回診後、入院して2回目の風呂。患部を温めなければいい、濡れてもいいということで、左足を上げて風呂につかる。景色はいい。せめて腹を鍛えよう。腹筋50回×2,腕立て20回×2これがやっと。
 びっこを引きながら歩けるようになった。まだ、まともに、普通には、歩けない。無理して車椅子に乗っている。一週間後の松葉杖はいるのか疑問。ひざを曲げても痛くない。押さえると少し痛い。まあ、無理はよそう。

 雪の予報。明日は法事で家族が石川の家へ帰る予定。電話してガソリンスタンドでスタッドレスに替えてもらうことにした。
 午前中、部屋の外のテレビの前の机で会社から持ってきた雑誌を読んだ。寒かった。

 メールは便利だが、話せば済むことが、メールにすると時間が10倍はかかる。会社の仕事をメールだけでするのは非効率的だ。さすがに今日は会社からメールがこない。昨日溜まっていたメールの返事を書いて仕事は終わり。
 その後3時間かけて、年賀状の宛名書き。懸案事項が一つ解決した。
12. 19(日)
(睡眠)
 毎日23:00〜5:00。運動しなければ6時間で十分みたい。走っているときは7時間寝てもやっとだった。8時間は欲しかった。
 5:30の体温は 35.2℃。低い。まちがってないのだろうか。脈は40。
(食生活)
 入院する前から、体重は気になっていた。入院後、完全休養だから、食えば太るのではないか、と間食は0。目の前になければ、食う気がしない。ポットは持ってきたが、お茶を飲まないので不使用。
(ノートパソコン)
 ベッドに背もたれながら、ひざの上でするのにちょうどよいが、重い、熱い。間に布団をかませれば熱さはしのげるが重さはしのげない。軽いのがほしい。会社から持ってきたMobilは軽いが画面が小さい、キーボードが小さいので実用的でない。
(太もも)
 太さは、この数日変わらない。見た感じ、腫れは無いようにも見えるし、ちょっと膨れているようにも見える。押すと痛い。内出血のどす黒さは消えた。さわっても両足の差はわからない。
 ちょっと痛いが、普通に歩けるような気がする。でも、念のため、移動は車椅子を使っている。
12. 20(月)
 右わきの下が昨日から痛い。すりむけたような痛さ。事故とは関係ないだろう。座って、寝てばかりいて、わきの下を常に閉めていたからすりむけたのだろう。看護婦に見てもらったら皮が剥けているという。
 風呂でみたら、もう一箇所赤くなっている。さらに、右わきの下からあばらにかけても、うっすらと赤くなっている。右あばら骨を押すと痛い
「ええっ?、ドアがここにあたったのか。」
 自転車で車のドアにぶつかりながら、右手中指だけが当たり、上半身無傷は不自然だった。ドアが開いて、思わずのけぞって、右手と右脇の下がドアに当たったんだ。あばらは押さえると痛いが、いままで気が付かなかったくらいだから、なんともないのだろう。初日にとったレントゲンで確かめてもらったが骨はなんともないとのことだった。

 この病院は高齢者が多い。半分ぼけている患者もいる。看護婦の言葉はまるで子供扱い。年をとると子供に帰るというが、そんな気がする。

 元気なまま、入院生活。年功慰労休暇をもう一回もらったような感じ。パソコンいじって、MDを聞いて。いつもはできないことをできる。子供達も時々来る。病院はそれなりに居心地がいい。
 でも、外に出られない。走れない。これは困ったものだ。
12. 21(火)
 寝返りを打つと足の痛みを感じる。左を向くと、心臓の鼓動を感じる。漫然と一週間分の薬を飲んでいたが、痛み止めは不要と思い、看護婦と相談して昨日の昼で飲むのをやめた。痛みは薬を止めたせいだろうか。

 婦長に「もう歩いてもいいのでは」、と聞くと、「先生に言って見る」とのこと。先生は、「杖をついて歩いてもいい」と許可してくれた。
 杖は、痛いほうの足につくのかと思ったら、反対側の足につくのだそうだ。なるほど、この方が歩きやすい。これで車椅子から開放された。
 ごろごろしていて気づいたのだが、左足付け根の骨がいたい。アスファルトにおちたとき、ここを打ったんだ。ポールにぶつけたとこの痛みが和らぐにつれて、小さい痛みがわかるようになった。痛み止めの薬を止めたからわかったのかもしれない。
 歩くと、筋がごつごつしているような気がする。
 今日は、腹筋70+50 腕立て25+15。ほぼこれぐらい、土曜日から継続している。
 
 昨日牛乳を飲んだら、トイレに行く回数が倍増した。倍増するほど飲んでないのに。利尿剤の効き目があるのだろうか。

 今日は、パソコンが不調。やたらに遅くなった。起動も遅い。10倍はかかっている。レジストリを戻す、Defragをかける、Scandiskをかけるなど復旧に半日はかかった。
 
 昨日病院のエアコンの掃除をしていた。今日の暖房はよく効いた。こんなに違うものか。

12. 22(水)
 夜中、「誰か来て」。声が聞こえる。声はだんだん大きくなる。看護婦は何してるのだろう。ずっと続く。看護婦は別の階へ行ってるようだ。起きて見たら、隣のへやのおばあさんが、ベッドから落ちて、動けなくなっていた。別の部屋の人も出てきて、「今、看護婦の呼び出しボタンを押しましたよ」。ちょうどそこへ看護婦が飛んできた。それから1時間ほどしてまた「誰か助けて」。また大騒ぎ
 看護婦は大変だった。朝聞いたが、5階の人3回、隣2回の計5回も呼び出しを食らったそうだ。当たりが悪かった。
 3階の部屋の数は、8室。個室から4人部屋まである。8室に17人。女15,男2。自分以外は70才を超えているのではないだろうか。

 朝の診断で、
「左足の付け根外側を押さえると痛い。昨日わかった。歩くとごつごつしている」と話したら、
「筋が裂けているからだ。まれだが、最悪、縫う必要がある」とのこと。足の付け根にも湿布することになった。
 昨日の夜、足の小指を触っていたら爪が剥けた。2日前にわきの下の傷が増え、今日は小指。全部で4個所になった。病院で傷の数が増えていると看護婦にからかわれる。

 今日は会社へ顔を出した。会社の中では意外と動く。資料を渡す、プリンタまでとりに行く。コピーする。どれも座っていてはできない。動きすぎると、足の付け根が張ってくる感じがする。杖は、まあまあ、楽だが、面倒だ。杖無しのほうが動き回れる。
 久しぶりに家へ寄る。二階へ行く。痛みはない。歩くより楽。

会社から診断書がほしいというので、婦長にお願いする。入院はどうなるかとも聞く。
「診断書を書いたらそのとおりの入院になるか」
「そう。長くなることはあっても、短くなることはない。長くなるときは、もう一回診断書を書く。短くなると誤診になるからまずない」
看護婦は「まだ歩くと痛いのだからもっとかかるかもしれない。先生に任せようか」と先生のところへ行った。
「日付を間違えたからもう一回書くが一応見て」。できた診断書を見て驚いた。
参週間。びっくり。当初は2〜3週間と言われていたので少しは覚悟していたが、回復が早いとのことだったので2週間と思い込んでいた。元旦駅伝に出るどころか病院暮らしになるかもしれない。
「正月をまたぎますね。二週間のほうがいい。今日あちこち歩いたけど、そんなに痛みはないし」
とわがままを言う。さっき「先生に任せます」と言いながらあっさりひっくり返す。
看護婦「明日休みだから一日考えて」
自分 「はい」
ということになった。
12. 23(木) 天皇誕生日
PHS
会社から無理やり買わされて3年。かけるのは月0〜2回程度。かかるのは、この3年で3回ぐらいしかなかった。買い物に行くときの連絡用、子供達の遊び道具としてののトランシーバー機能として使う方がはるかに多かった。
 病院にきて、初めて、威力を発揮した。病院側はあまり「おおっぴらに使わないように」とのことなのでそっと使っている。特に威力を発揮するのは、通信機能。会社との連絡メール、インターネットはすべてPHS通信だ。

痛み
 夜寝返りをうつとジーンと来る痛みを感じた。最も痛い場所が変わった。昨日出歩いた筋肉痛?。それとも、筋膜がやられた?鉄のポールに当たった場所と違うところが痛い。足の付け根の外側の骨のところが最も痛い。ひざ上左外側の筋肉も痛みを感じる。まだ、動くのは早いのだろうか。やはり三週間だろうか。
 歩くとやや痛みを感じびっこ気味になるが、まあ歩ける。杖をつくと、それなりに痛みは和らぐ。

午後、家族が遊びに来た。騒ぎすぎて、看護婦から静かにと注意される。写真
12. 24(金)
・今日からリハビリ
・来月から内勤なら勤務可能
・退院は月末。その後しばらく通院必要
とのいうことになった。
 リハビリでは超短波で患部を温める。電子レンジと同じ原理で、内部から暖める。
 そのあと、痛み止め?の軟膏を塗りながら、もむ。わりと痛い。我慢できるが、痛い。これに10分。
 リハビリ室から出るとき杖をついたら、「前後が逆」と言われた。杖にも前後がある。なるほど、こちらが楽。
 階段を3階まで上がってみる。歩くより、痛みは感じない。上がったところに看護婦がいて、怒られた。

 今日はクリスマスイブで、家族がケーキを持ってきてくれて、皆で食べた。
 夕食は、入院後最豪華版、寿司だった。さらに、ケーキ付き。ケーキは家族に持って帰ってもらった。
12. 25(土)
 病院が30日午後から正月休みになるため、30日は午前中に診察とリハビリをし、午後退院となる予定。
 両親と妹家族がはるばる石川県から見舞いにやってきた。見舞いに来る人は一様に「意外と元気だね」と言って行く。
 歩くときの痛みはだんだん少なくなっているが、寝返りを打つときなど足全体に力を入れると、数秒後に、負傷した筋肉全体にじわっとしびれるような痛さを感じる。この3日間同じ。後遺症が残るようでいやな感じ。
 先生曰く、「肉離れの場合、3週間の安静、普通に運動できるまで1か月半かかる。これが標準」
12. 26(日)
 高校駅伝を見て、パソコンいじって。今日はOFFICE2000の新機能のおさらい。さすがに、パソコンいじるのも飽きてきた。でもこれがないと暇だろうな。
12. 27(月)
 痛み 夜中は相変わらず、寝返りして動くと痛い。動かなくても、筋肉を緊張させるだけで痛い。
 ところが、朝、トイレに行くとき、歩いても痛くない。力をかけても痛くない。緊張させても痛くない。寝て、同じことをしても痛くない。再現性がない?
 なぜ?。ぐっと寝て筋肉がたるんでいるときに緊張させると痛いのだろうか。
 先生に「夜中足が痛い」と言ったが、「そのうち直りますよ」とあしらわれた。直らない心配より、なぜ夜中だけ痛いくて、日中動いているとき痛くないのか、興味がある。教えて欲しかった。
 歩くときの痛みは徐々に減り、ほとんど感じなくなった。杖はただ持っているだけ。痛いのは、寝てるときと、さする・もむときだけ。
 傷の手当てが不要となった。22日には4箇所手当てしていた。傷跡は残っているが、ばんそうこうは不要となった。

 不整脈 脈は朝が40。日中50ぐらい。不整脈は全くない。トレーニングしていたときは安静時に不整脈がよくあったが病院に来てからはない。

 1/4から出社することを会社に伝えたら、「仕事をしてもいいことを医師に書いてもらえ」とのこと。休む時の診断書は必要性を感じるが、出社するときの診断書は果たして必要か。
 診断書をもらったら、「今後4週間の通院が必要」と書いてある。1月いっぱい通院なんて面倒だな。

 寝る前に看護婦が見回りにやってきて一言「一番元気だね」。こんなに元気なのに入院していていいのだろうか。
12. 28(火)
痛み ぐっと寝た後、体を動かすと左足が痛い。少し動かすとまた痛い。それならと、大きく動かすと、次の痛みはなくなる。こんな実験を夜中に繰り返していたらあまり眠れなかった。昼は体を動かしているから、あまり痛くないんだな。
 先生から「杖を徐々に取って行きましょう」と言われた。少し違和感があるが、普通の人と同じように歩ける。
 先生は、つけ根の骨を触って「まだ張りがある」。一方「肉離れの怪我は順調に治っている」と満足げ。

 太ももは、右と比べてみると、見た目には、やや盛り上がって腫れているように見える。色は全く同じ。ゆすってみると、左足はゆれる、右足はしまっている。まだ腫れているということか。だから、夜、痛いのか。
12. 29(水)
 今日から湿布が不要、塗り薬だけでよくなった。相変わらず先生は「若いから、直りが早いねえ」と繰り返す。
 治療は毎日同じ。超短波で患部を温めて血の巡りをよくする。そして痛み止めの塗り薬。先週金曜日は塗るとき痛かったが、今日は痛くなくなった。回復しているんだな。
 でも、今日は、日中も動いた後、じわっと痛みを感じる。
 毎日2回看護婦が体温と脈を測りに来る。以前、脈のグラフを見たら60〜70。余りに違うので自己申告にした。今日「脈は40です」と自己申告したら、「少ないわね。除脈?」。改めて看護婦が測っている。「健康診断で引っかからない?」「マラソンしてるものですから」「そんならいい」。でも、この看護婦は過去に5回も測っている。何ではじめて測ったような言葉が出るのだろう。いいかげんに測って、60ぐらいにしてるのだろう。まあ、脈は、何にも使わない。変化を見るだけ。重要でないからいい加減になるのだろう。
12. 30(木)
今日午後、退院した。

入院生活
1.パソコン
 入院してパソコンばかりしてた。飽きもせず。日ごろできなかったことをできた。
 1.フリーソフトをいろいろと確かめる
 2.WIN98,OFFICE2000の新機能を確かめた。
 3.手間のかかるホームページを作成
2.会社の仕事
 最初は半日ぐらいしてたが、後半はせいぜい1時間ぐらい。だんだん会社のほうから忘れられて行く。
3.見舞い
 双方に面倒なので「元気だからくるな」と気を利かせたつもりで関係者にメールを送った。そのせいか、見舞いは少なかった。でも誰もこない日があると少しだけ寂しいものがある。

治療の疑問 退院を前に日ごろの疑問を先生と婦長に聞いた。
Q1:日中痛くないのに、なぜ寝てるときだけ痛いのか。安静にして後動くとなぜ痛いのか。
 A:肉離れは常時痛いから少し違う。筋肉が萎縮しているようだ、夕方痛くならないか
 AA.筋肉がたるんでいる感じがする。夕方痛いということはない。
 ふむ。先生もよくわからないんだな。
Q2:無理して動かすとどうなる。?
 A:肉離れの安静期間は、3〜4週間、事故みたいですが滑って急な力を入れたら再出血した例がある
 ふむ。3〜4週間走るのは無理だな。
 谷からきた二日前のメールを見た。肉離れのときの経験が書いてある。これは参考になる。1か月は無理だな。
 でも、傷めたところは、走るのと関係ないかもしれない。そうならいいんだが。
Q:塗り薬は何
 A.消炎鎮痛剤。
 ふむ、湿布と同じか。消炎があるから継続する必要があるな。鎮痛剤だけなら、直る速さは変わらないから、手抜きするんたが。

退院生活
 家の中で、全くじっとしていることはない。これでは安静にならない。病院の荷物の整理に何度も1階と2階を動き回る。ケーキを買いに、マイペットを買いに、自転車で買い物に行く。自転車は使う筋肉が違うのか、全く痛くない。ためしに160Wで5分エアロバイクをこいでみたが、これも全く痛くない。
 夕食は、退院祝いを兼ねて、豚カツ屋さんで食事。歩いて行った。子供達とちょっと走ってみた。これも使う筋肉が違うため、直接の痛さはないが、筋肉がゆれると痛い。走るのはまだおあづけ。
12. 31(金)
睡眠 久しぶりの家ではよく眠れた。動くと足の痛いのは同じ。でもよく眠れた。
病院では、5:00に起こされたが、起こされなくても起きていた。病院はそれなりにざわざわしてた。
自転車 昨日の買い物、エアロバイクは痛くなかった。今日は床屋さんへ行くのに自転車で行ったら、上りのせいか、少し痛かった。帰りは下りで楽チン。

この一年を振り返って
春は好調。
6月は健康診断で引っかかって気力ダウン。
その後、気を取り戻して1000mで好タイム、8月の県体で1500m初優勝。
9月に不整脈が気になって、練習量を半分に落とす。11月に練習量を戻す。
12月は交通事故で完全休養。
練習を落とさざるを得ないことが何度かあった。体が休養を要求していたのだろう。