小さな祈り

 

長い真剣な祈りの後、固く組まれていた指がようやくほどかれました。
祈りの主は、小さな…けれど重い…ため息をつきます。
閉じていた瞳は、開いた後も伏せられたまま。
それは、この『神殿の聖堂』という空間にとても似つかわしく、しかしとても悲しい光景。
だからシェリクは、声をかけずにはいられませんでした。
「アリーゼさん」
振り向いたその人は、まるで今まで泣いていたようです。

「お祈りの最中にすみません」
「あ、いいえ…」
「ずいぶん長いこと、熱心に祈ってらっしゃいましたね。」
「そう、ですか?」
自分では気付いていなかったのか、アリーゼは少し首を傾げます。
「…何か、悩んでいらっしゃるのですか?」
シェリクは思い切って、単刀直入に尋ねてみました。…先ほどまでのアリーゼは、あまりに深刻そうに思えたのです。
アリーゼはちょっと驚いたような顔をした後、ふっと困ったように苦笑いしました。
「申し訳ありません、ご心配おかけしてしまって。…私、駄目ですわね」
駄目ですわね、と言った彼女は、だいぶ落ち込んでいるようでした。
「そんなことはありません。…でも、本当にどうなさったんです?」
再び尋ねると…アリーゼはちょっと目を伏せて、それからまた指を組んで、言いました。
「シェリク様。『励ます』って、難しいことですのね。」
口調はとても淡々と。けれどとても重い言葉。
「いつもしていただいていることですのに、私、お返しもできませんわ…」
誰、という単語はありませんでした。でもシェリクはわかってしまいました。
「アルターさんに何かあったんですね?」
アリーゼはびくりとしましたが、素直に頷きました。
「はい…。アルター様、近頃ひどく…落ち込んでいらっしゃるようなんです。」
その名前を口にすると、声が少し震えていました。
「いつもはとっても明るい方ですのに、最近は…心がどこか遠くにいってしまっているような…難しいお顔で考え込んでいらっしゃるときが多いんです。」
深いため息。
「…本人に直接尋ねることはできないのですか?」
シェリクの質問に、アリーゼは首を振ります。
「必要なら、ご自分から話して下さる方ですから」
何も言わないのは、まだその時ではないか、それとも…。
「ですから私、言って下さるまで待つ気です」
『でも』、とアリーゼは間を空けました。
「…でも、今苦しんでいらっしゃるお気持ちを、少しでも和らげて差し上げられたらと思うんですの」
祈りの時と同じように、固く組まれる指。
「いつもアルター様が、私にそうして下さるように」

心配するのは難しい。
人を励ますのは難しい。
気に掛けるだけなら誰でもできるけれど、アリーゼが望んでいるのは、それより一歩進んだこと。
問題の解決に手を貸せなくても、苦しみの一部でも和らげられたら。
相手が大事なら大事であるほど、誰もがそう思うこと。
…シェリクも、痛いほど知っている気持ちです。

「アリーゼさん」
「はい」
アリーゼは顔を上げました。…ここのところあまり寝ていないのではないでしょうか。いつもは澄んだ瞳の水色が、今はくすんでしまっています。
「それならまず、あなたが元気でいなくては」
「…私が?」
「そうです。アルターさんは、いつもアリーゼさんのことを気に掛けているんですから」
シェリクがあの人を思うように。
「今アリーゼさんまで元気をなくしてしまったら、アルターさんは心配事を二つ抱えなければならない。私はそう思います。ですから、アルターさんの苦しみを和らげたいなら、あなたが元気でいることが一番だと思いますよ」
「私が…。」
アリーゼは目を伏せ、しばらく何か考えていました。
「そう言えば…私が落ち込んでいる時、アルター様はいつも笑いかけて下さいますわ」
「そうでしょう」
「ええ、それで私、なんだかとてもホッとしますの。…そう、そうなんですわ!」
ぱっと顔が輝きます。
「シェリク様、ありがとうございます。私、なんだか気が楽になりましたわ」
「どういたしまして。お役に立てて嬉しいです」
笑い返しながら、シェリクは、やっぱりアリーゼには笑顔の方が似合うのだと思いました。
悲しげに祈る姿も美しいけれど、それは神様の望まれる美ではありません。
「私、宿に戻りますわ」
「お気をつけて。アルターさんや、皆さんによろしくお伝え下さい」
「ええ!それでは、失礼いたします」
マントの裾を摘んで、優雅に会釈するアリーゼ。
軽やかなその後ろ姿を見送った後、シェリクは後ろ…神に捧げる聖なる火を仰ぎ見ました。
(アリーゼさんもアルターさんも、元気になられますように)
そしてこの街、この世界に住む全ての人に、笑顔と平穏を。
シェリクの祈りを受け、聖なる炎は、音を立てて燃え続けていました。

<FIN>



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