〜京都〜
●新選組● 関連場所めぐり!

2004. 11. 4〜11. 6

大河ドラマ『新選組!』に触発されて・・・
幕末、新選組の生きた京都をレッツゴー!!(^0^)/


kyoto03.jpg
隊士たちが訓練したり、沖田総司が近所の子どもと遊んだりした壬生寺境内


■ 11月4日(一日目) ■

<ルート>
京都到着(14:30頃)→壬生周辺

おかげさまで、当日は(そして旅行中はすべて!)ありがたい晴天!
新幹線から見えるのは、雲ひとつない青空に映える美しい富士山。
「富士山見たい。うち、見たことないの」
思い出すのはドラマのシーン。明里・・・山南さん・・・(;;)←いや、心で

京都駅到着。
まずはそのまま地下鉄に乗って、四条駅のすぐそばにあるホテルへチェックインして荷物を置き、そこから徒歩で壬生へ向かう。歩いて20分くらいでしょうかね。
ここ、壬生周辺には、明日ももう一度寄る予定なので、とりあえず今日のメインは八木邸(新選組の最初の屯所)見学。実際に隊士たち(芹沢鴨一派)の使った部屋で、ガイドのおじさんの説明を聞きます。や、それにしてもね・・・・・・天井が低い! さすが当時のまま(笑)
見られるのは邸内のほんの一部ですけどね。説明が終わったあとも、すぐには出ずにしつこく庭を眺めたり、階段の下から暗い二階を見上げたり、一生懸命空気を感じる(笑) 土間とかも当時のままで雰囲気あります。ドラマのセットも上手く作ってあったんだなぁ〜と思ったり。

kyoto01.jpg
八木邸の入口、長屋門。なにげに人がいっぱい!

 kyoto02.jpg
隊士腰掛の石

見学料に込みの屯所餅と抹茶をいただいて、八木邸をあとに。
新徳禅寺(清川八郎が「浪士組の目的は、将軍の警護ではなく尊王攘夷だ!」と真意を明かした場所)の前を通り、壬生寺へ。
まだ参拝時間に間に合ったので、近藤勇の胸像や隊士たちの墓のある「壬生塚」に入る。皆の墓に手を合わせる。特に、河合耆三郎のお墓・・・
「飛脚は、まだ来ませんか・・・?」
ウワァァァンッッ!!!(><)

ちなみに、八木邸や、向かいの旧前川邸(山南さんが切腹した場所です。内部は非公開ですが)、新徳禅寺、壬生寺など、この辺はすべて同じ道(坊城通)に面する徒歩数歩の距離。
そして、その山南さんのお墓のある「光縁寺」は、そこからちょっと(ホントにちょっと)だけ外れた場所に。
参拝時間が終わってしまっていたので、お墓参りは明日です。

この日の夜は「権太呂」という店でうどんすきを食べて、その足で青蓮院のライトアップ庭園を見にいきました。その道中、八坂神社前のローソン(=祇園会所跡 =池田屋事件時に新選組面々が集合した場所)を目にしてちょっとにやける(危) やぁ、しかも”夜”ってのが、事件時と同じでイイんですよねー。


■ 11月5日(二日目) ■

<ルート>
壬生周辺→島原→西本願寺→油小路通→不動堂屯所跡
→戒光寺(泉涌寺)→蹴上→高台寺月真院→霊山歴史館
→建仁寺→池田屋跡→京都御所

どうです、このルート。
各所の場所がわかる方、現地に土地勘のある方には、「ずいぶんとぐるりと回ったなー」とお感じになるのでは・・・?
そう、この日は、新選組の京都到着から御陵衛士の最期(涙)までを、一日めいっぱい使って巡り倒す企画なり!(企画?)
昨日と同じく、四条のホテルから歩いて壬生に向かい、まずは光縁寺の参拝からスタート!!

(・・・そういえばココまったく写真とってなかった。なんだろう、そういう気持ちにならなかったよ・・・)

墓地の中の、山南さんのお墓に手を合わせる。
数人のツアーのおじさんたちが周りにいたが、私は、長い、長い間、お墓に手を合わせていた・・・。
山南さん・・・・・・。

その後、本堂に置いてあるノートにも、一筆残してまいりました。
朝からしんみり。なんだかね・・・ここではドラマの印象だけじゃない、”本当の”山南敬助という人を感じるから──。

さて、今回わたしが持参した旅のガイドブックは、『「新選組」土方歳三を歩く』という、各所の地図も詳しく載ってる歴史紀行本です。
この本には、『「池田屋騒動」を歩く』だとか『「油小路の変」を歩く』など、それぞれの出来事ごとに巡る地図つきのページがあって、この日は極力これに沿って巡っていったわけです。・・・というわけで、『壬生界隈を歩く』の項にあるコースに従い、壬生から南に歩き、新選組の面々もお世話になった(笑)花街・島原へ。

浅田次郎作『輪違屋糸里』で登場、置屋の輪違屋。島原への入口・島原大門。
いい感じで迷わず辿りついたものの・・・ただ!
新選組との関わりで一番有名な「角屋」に行くのを忘れてしまった!!! なにやってんだ私ッ、すぐ近くだったのに!!
くっそぉぉぅ・・・もう一度行かねばならんな・・・京都、もう一度・・・。(そしてこの後、もっとスゴイ場所を見逃して帰る(大号泣))

ここ島原は、ドラマでは、伊東甲子太郎が永倉新八と斎藤一を仲間に引き入れようと、新年の宴会を催した場所としても登場しています。そして角屋は芹沢鴨を暗殺するために、土方たちが彼を泥酔させた場所です。

島原大門を出て、次は西本願寺へGO。
新選組の二番目の屯所となった、西本願寺の北集会所(現参拝会館あたり)と、太鼓楼。
ここの境内で大砲の訓練したりしたんだよね・・・。そりゃあ、寺の坊さんたちにとっちゃイヤだっただろうね〜(苦笑)

kyoto04.jpg
西本願寺太鼓楼。ここで拷問なども行われたらしい・・・。

今回は時間がなかったので、ドラマでも伊東甲子太郎先生が興味津々だった『飛雲閣』など、国宝・重文関連は見学できず。

kyoto05.jpg
きらびやかな唐門。
飛雲閣は見られなかったけど、これだって伊東先生が興味を持って見たはずだ!(きっと)

さてさて。なんだか、先生、先生いってますが・・・・・・
そうです! ここからは、新選組の参謀・伊東甲子太郎と、彼が率いた御陵衛士の足跡をしばらく辿ります!!

西本願寺から油小路通へ。
油小路・・・。あぶらのこうじ・・・。
なんかもうこの響き聞いただけで切ないです。
油小路の戦い。伊東さんの最期・・・平助の最期・・・・・・。

kyoto06.jpg
七条油小路の辻。ここで戦いが行われたのだ。

その油小路通にある「本光寺」門前には、『伊東甲子太郎外数名殉難之跡』の碑があり、閉まっている門の向こうには、刺された伊東甲子太郎がここまで辿りつき、最期に座って亡くなった石塔がある。・・・門に小さな張り紙がしてあって「石をご覧になる方はインターホンを押して下さい」と。
押しました、押しましたよ、ええ。緊張したけど。押してしばらくすると、おばあさん(尼さん?)が出てきて、門の中に入れてくださり、説明をして下さいました。そして、6月に来たという、ドラマでの伊東役・谷原章介サンの話も! 「モデル出身ということで、さすがに美形でした」というようなことをおっしゃってましたな。笑。

kyoto07.jpg
本光寺

 kyoto08.jpg
伊東甲子太郎絶命の跡。心から、合掌。

油小路通。
なんだか、なかなかここを離れられませんでした。現在は静かな一般の路地なので、ここでぼぅーっと立っているのは怪しい人全開なのですが・・・(^^;  もっと空気を感じていたい気持ちを押し切って、次の場所へ向かいます。次は新選組の最後の屯所・不動堂屯所跡。ここは現在、リーガロイヤルホテルのある所で、ホテル前に石碑がたっているのです。

kyoto09.jpg
不動堂屯所跡の石碑

ここまでくれば、京都駅はすぐそば。
次は電車に乗って移動です。時間は確か、このへんで正午頃。

京都駅からJRに乗って一駅、東福寺駅で降りたら、次の目的地は、泉涌寺・・・の塔頭・戒光寺!
この戒光寺は、伊東先生や藤堂平助ら、油小路の変で亡くなった御陵衛士たちが葬られているお寺なのです。というか、この泉涌寺自体が天皇家と縁深い寺で、”御陵衛士”の名の由来となった孝明天皇の御陵があったりして、伊東さんたちがきっと何度も足を運んだはずの場所。ん〜、感慨深いなぁ。

kyoto10.jpg kyoto11.jpg
孝明天皇後月輪東山陵。御陵衛士になったつもりで(謎)、参拝。

しかぁぁぁし!!
私はまたもやってしまった!
いやこれはもう、旅行から帰宅してから気付いたことなんですけれども・・・

肝心の、御陵衛士の墓所に行ってなかった!!!(大馬鹿者)

お墓があるのは知ってたんです、ドラマの最後の「新選組を行く」でもやってましたしね。でも、でもね、見あたらなかったの(号泣) 少なくとも戒光寺のすぐ周囲にはなかったような気がするの・・・(;;) それで、いつのまにか「一般者は立ち入り不可なのかな」なんて勝手に判断してしまったの。(プラス、時間的にも少し焦っていた;)
・・・っていうか、お寺に人が見あたらなかったのですよ。いたらもちろん聞いたんですが。・・・だって、本堂の中にある売店?受付?にも誰もいなくて、思わず置いてあった(これも6月に来た時のであろう)中村勘太郎&谷原章介(&お寺の人)の写真を手にとってまじまじと見させていただいちゃったくらいなんですから!(爆)

そりゃあね、同じく売店に飾ってあった、二人のサイン入りダンダラ羽織に心を奪われていた自分も悪いさ。
谷原さんのサインは”Shosuke Tanihara”とアルファベットで、さらに伊東センセイを彷彿とさせたさ(笑)
っつーか、写真の谷原さん、なんでカメラ目線じゃなくてひとり横向いて笑ってたんだろう? 誰もいないのをいいことに、あからさまにニヤニヤしちゃったじゃないですか。(よく見すぎ)

とにかく、いずれここにはもう一度来ます。絶対に。必ず。
今回は時間がなくて、泉涌寺の参拝や広い敷地の散策もぜんぜんできませんでしたからね(^-^)

泉涌寺をあとにし、昼食をとってから再び東福寺駅へ。今度は京阪と地下鉄東西線を使って「蹴上駅」までGO!
次の目的地は高台寺月真院なのに、なぜにそんな遠回りをしたのかといいますと・・・
蹴上は、京の東玄関というところで、新選組の前身・浪士組も中山道からここを通過し、京へ到着したのです。というわけで、せっかくなので「試衛館メンバーの入京気分プチ味わい♪」(笑)って感じで、蹴上の坂を下っていく。
そのまま三条大橋まで行けば、本当の入京ルートになりますが、今回はその手前で道を変え円山公園→高台寺の方面へ。いかにも京都!な石畳の『ねねの道』を歩けば、その途中にさりげな〜〜く現れた、御陵衛士の屯所・高台寺塔頭月真院!!

kyoto12.jpg kyoto13.jpg
月真院の入口と、そこから見える中の様子。

ここも現在は拝観不可なんですねー。門の柵からできるだけ身を乗り出し、建物の感じなどを観察・・・。怪しい、あやしいです(爆)
でもそのうちに、ココの存在に気づき、立ち止まる人もちらほら。そうですよ、伊東先生と御陵衛士が、ここに出入りしていたのです!(^^)
にしても、月真院はホント、観光地の途中にさりげなくありました。京都ならではのお店が並ぶねねの道の道中に。そして数歩進めば、高台寺です。やっぱり高台寺も見たいので、明日また来ようとその場で決意。

時刻も午後三時をすぎました。なかなかに計画通り。そして、次はいよいよ本日の最大目的地、霊山歴史館へ入館です!

『大新選組展』を催し中・・・、とはいっても、思ったより展示資料少なかったような・・・? まあ、それでも来たかいあり、見ごたえはありましたけどね。
印象深かったのが、島田魁の字の上手さ! とても丁寧な字を書かれたんですねー、この方。本当に読みやすい字です。・・・逆に、土方副長のは(他所でもよく評されるように)女性的な、流れるような文字。島田の楷書体に比べると、こちらはやや読みにくかったり?(笑)

当初の予想よりも、霊山歴史館ではそれほど時間をとられず・・・それでも午後四時は過ぎていたかな。行くところはまだまだ。お次は『「池田屋騒動」を歩く』。

本を参考に、八坂神社前の四条通から、鴨川手前の縄手通を北上。池田屋事件当日の、土方隊の進んだルートを追います。
三条大橋を渡って、料亭四国屋跡へ。ここも土方隊が御用改めをしていった料亭のひとつ。 ・・・と、そして「またせたな!」(ヤマコー土方v)池田屋へ!! 池田屋跡はパチンコ店。(笑) (いやもう、ここは有名だから写真とってないです(^^;)

時刻は四時半すぎ。まだ時間はある!と自分では判断した。なのでもう一箇所、行ってしまえーっ
ここまでくると、もはや執念以外のなにものでもなし。急いで三条駅から地下鉄に乗って、向かうは丸太町駅・・・京都御所! 幕府vs長州の戦い、『「蛤御門の変」を歩く』!

・・・しかしさすがに。地下鉄降りて外でたら、日が落ちていて少々焦り;;;
見えるかなぁ、大丈夫かなぁとちょいと不安になりながら、暗くなってしまった御所の公園を歩く。犬の散歩の人とか結構いましたけど。
新選組の警護した建礼門まで公園内をまっすぐ歩いて、そこを左折。そうすると見えてくる門・・・蛤御門。
門を出て振り返る。すると・・・・・・あった!!! はっきりくっきりと残ってる〜、門に残る当時の弾痕! この時の、もっとも激しかった戦いの痕跡なんですよね。
向かいのホテルの明るさが幸いしました。よく見えて良かった。弾痕のくぼみに何度も触れてしまいました(^-^; これもさぞアヤシイ姿だっただろうが、ちょうど人がいなかったから、まあいいや。

ということで! これで心おきなくホテルへ帰還です。
道がまっすぐだからという理由で、御所から四条まで歩きで帰る。さすがに足疲れた〜。 でもとても充実した一日でした!!


■ 11月6日(三日目) ■

京都旅行も、あっという間に最終日。
最終日は、新選組関連以外にも、昨日入らなかった高台寺やら、清水寺やら、有名どころも拝観したりしてきました。

この日は、人通りの少ない午前中のうちに、坂本龍馬・中岡慎太郎が暗殺された近江屋の跡地(現・京阪交通社)を通ったり、佐久間象山や維新志士たちの遭難や、土佐や彦根などの藩邸も多かった木屋町を散策。高瀬川沿いの木屋町通、ここはホント、史跡が多い!っつーか、暗殺とかも多かった通りなんですよね。新選組もここを何度も行き来して・・・たくさん人を斬ったのでしょうな〜・・・。

ルート的には、昨日とかぶるところもある東山方面散策。霊山歴史館の向かいにある、霊山護国神社には、龍馬と中岡さん(←さん付けしたい・笑)のお墓ほか、池田屋事件で命を落とした志士などの墓所もあり、そこをお参り。

・・・で。
最後の最後に、祇園近くにある「建仁寺」の中を見学してまいりました。
建仁寺は昨日、とりあえず境内を通るだけ通ってきたのですが・・・。ちなみに、ここには何があるのかというと、
ドラマで、中村獅童演じる捨助が祇園で火事を起こしてしまった際(笑)、新選組の伊東参謀が部下の加納さんに「君たちには、この建仁寺を守ってもらいたい」と命じたのでした。ここには大公秀吉以来の名跡が数々残っていて、そこを燃やすわけにはいかない──と。
伊東甲子太郎の博識ぶりが顕著に出ていて、とても好きなシーンだったので、印象に残っていたのでした。実際、内部には秀吉の茶室なども残っていたりして、伊東先生さすが〜vとあらためて敬愛。 いや、火事のシーンはドラマだけど。(^0^;

京都はいわずとしれた、歴史の町。
歴史や文化に明るかった伊東さんにとって、京の町を歩くことは、他のどの隊士よりも、興味深く、きっと楽しいものだったのではないだろうか。そう思います。 そして、それはたぶん・・・山南さんも。

それでは最後に!
コレを紹介して、今回の旅行記を終わりにしたいと思います。

☆今回の旅行、最大の脳内大ヒット商品☆
kyoto14.jpg
壬生寺名物(??) 新選組隊士飴
局長筆頭・芹沢鴨(黒大豆飴) / 局長・近藤勇(壬生菜飴)
副長・土方歳三(柚子飴) / 一番隊組長・沖田総司(れんげはちみつ飴)
総長・山南敬助(エチケット飴(柿)) / 参謀・伊東甲子太郎(ハーブのど飴)
二番隊組長・永倉新八(宇治茶飴) / 三番隊組長・斎藤一(みるく飴)


以上、京都・駆け足『新選組!』紀行でした〜♪



written by yumi 2004. 11. 27

ディズニーラボTOP  史跡旅行記TOP