『ちちうえ、わたしにも”けん”をください』
幼き王子は言いました。
(・・・クッ・・・・・・)
渾身の力をこめたはずの、殴打も蹴りも通じない。
なのに相手の、たった一撃の体当たりで、自分はこの有り様とは――。
依頼されたキノコのかわりにそこにいた”いるはずのない”強敵は、地面へ仰向けに叩きつけられ、なんとか上体を起こしたこちらへ向けて間髪入れず迫りくる。
とっさに振り上げ、交差した腕で、頭を守るのが精一杯だった。
記憶は、そこで途切れた。
* * *
・・・まただ。
アルターは眉をひそめた。
自分をじっと見つめる視線。
それが可愛い女の子からのものであるなら、それこそ大歓迎だが、残念ながらそれにはいくぶん鋭すぎる。
「よう、シャイン」
酒場の二階、宿からの階段。
その段の途中でこちらを向く”その視線”の持ち主へ、アルターはちらと見やり声をかけた。
「ケガは治ったのか?」
ああ・・・とうなずいたその返答に軽く笑ったアルターは、そのまま言葉を続ける。
「・・・これから裏山で剣の稽古をするんだが、おまえも来ないか?」
瞬間、昼間から良い心地に酔いの回った店内がどっと沸きだした。
「おっ!? アルター、ついにやんのか」
「新米クンにしっかり引導渡してやんな!」
「けど、ちったぁ手加減してやれよ!」
ジョッキをかかげて大騒ぎする常連客たちとは対照的に、当の人物――青い髪の新米冒険者は、黙って階下の様子をうかがっていたが、やがて同行の意思がみえるとアルターはさっと片手をあげて周囲をしずめた。
「んじゃ、行こうぜ」
木扉を出ていく戦士と青年。
一度はおさまった歓声が、ふたたび広がり二人の後ろ姿を見送った。
* * *
日課の稽古。
青年・シャインは木陰に座り、剣を振る自分のほうへ熱心な視線を傾けている。
この4月にやってきたばかりの冒険者。先日も、魔物に襲われ寸でのところを救ったばかり。どう見ても熟練とは思えず、まさに『新参』というにぴったりな印象だ。
・・・が。それにしても、この視線。
「・・・さて、と」
ひとしきり素振りをし終えたアルターは、剣を鞘に納めて、木陰を向いた。
「で・・・、ホントのとこはどうなんだ?」
戦士は表情から笑顔を消した。そんな空気の変化を感じとり、シャインもすっと腰を上げる。
「・・・・・・何のことだ」
「おまえ、レーシィ山のあのあとから、オレのこといつも見てやがっただろ。・・・まぁ、オレはそれほど気にしてなかったんだが、酒場のおっさんたちも気づいてるみたいでな」
――おいアルター、新人が睨んでるぜ。
ちょっと生意気だよなぁ。アルター、おまえが助けてやったんだろ?
ここ数日、青年が酒場を通りすぎるたびに、常連たちが耳打ちしてくる。
とはいえ、あの日診療所から戻ってきたシャインにはちゃんと礼の言葉ももらったし、先輩冒険者として(少々、刺すような視線だとしても)羨望のまなざしを受けることは、それはそれとして仕方のないことだとも思うのだが。
「おまえと、一度一戦交えてやれって言うんだよ。実力見せてやれってな」
というわけで、先ほど酒場は沸いたのである。
シャインは、澄んだ紅の瞳をわずかに大きく見開いた。
それから、ゆっくりと視線を斜めにずらすと、また元の位置、戦士の姿をまっすぐに映して口をひらいた。
「・・・不快な思いをさせてしまったのならすまない。だが・・・・・・あんたを見ていたわけじゃない」
「・・・・・・は?」
思いがけない回答に、赤き戦士は思わず素っ頓狂な声をあげた。
「俺が見ていたのは、それだ」
そう言って、シャインはアルターの左の腰を指さした。 「・・・、これか?」
腰にさげた、愛用剣。
柄を軽く握って確認すると、シャインは静かにうなずいた。
* * *
「おまえ、なかなかいい目してるな!」
硬い空気はどこへやら。
街一番の熱血戦士は、いつのまにか普段の気さくな顔に戻っていた。
「こいつの良さがわかるなんてよ! この剣はなぁ、オレが・・・」
「いや、剣には詳しくない」
即座に返った反応に、アルターはまたもずっこけそうになってしまった。
「しかし、興味はある。・・・アルター、先ほど一戦交えようと言っていたな。俺はかまわない」
そして、言ったのである――。「『剣』を使ってみたい」
(・・・・・・・・・)
青年の、無言と語りのバランスに少々調子をくずされながらも、アルターはもっともな疑問を思い起こした。
「剣って・・・おまえモンクだろ?」
そう。
シャインはどうやら、自らの拳(こぶし)を武器に戦うモンクらしいのだ。
・・・なので、どっちとしても練習試合で、お互いの実力を完璧に知るのは難しかったのである・・・。
「・・・そう、らしいな・・・。だが、一度『剣』というものを使ってみたいのだ。・・・頼む、アルター!」
「・・・・・・」
ある意味完全に圧倒された感じだが、そこまで願われたなら断ることもない。
「わかったよ。けど、勝負は木剣でだぜ。素人に真剣は危ねぇからな」
あいつ、なんでそんなに剣にこだわるんだ――?
小首をかしげて考えながら、いつも子どもたちの練習で使っている木剣を持って戻ってくる。
詳しくないとは言っていたが、少しは剣術の心得もあるのかもしれないな、なども思ったその想像は、しかし、見事に外れた。
「・・・・・・シャイン・・・」
投げ渡された木剣を何度か片手で振って、いざ勝負! と構えたその持ち手は・・・・・・。
「おまえ・・・剣持ったことねぇだろ」
まるで棒を握るかのように、グーの両手でがっちり柄を捉えたその手構えは、どうにもずぶの素人くさい。
本来ならば、利き手で握り、もう片方の手はその握りに軽くそえる程度というのが、構えの際には基本である。
そんな恰好なものだから、試合の行方は当たり前のようにアルターの圧勝で――。
「・・・・・・・・・」
信じられないという様子で、シャインはその手の武器を見つめた。
「これを持てばもっと強くなる・・・、そうじゃないのか・・・? いや、しかし・・・・・・」
――カラダが、うまく動かない。
空中を見つめつぶやいた青年の疑念を受けて、アルターは呆れたように声を返した。
「・・・あたりまえだろ。おまえ、やっぱモンクなんだから」
からだつき、攻め方、守り方。
実際に対して、動きを感じて、確実にわかる。目の前の青年は、やはり己の肉体が一番の武器となる『格闘』に長けた冒険者だ――。
「し、しかし・・・・・・」
「どうする? これ以上やっても結果は同じだと思うが・・・。なぁ、今度は組み手でやってみるか!」
「・・・いや・・・・・・」
シャインはどうしても納得いかないようだった。
まあ、ふだんやっている子ども相手の剣の教室もこんな調子なので、アルターには続けるのはたやすいことだが。
”元来”のモンクは、ふたたび木剣をかまえた。
* * *
「――やあッ」
「――はっ!」
そろそろ日も傾こうとしている。打ち合いはまだ終わらない。
もっとも、この短時間でお互いの木剣がぶつかり合うまでになったのは、他でもない、青年シャインの呑み込みの早さが功を奏した証拠でもある。
「おい、シャイン、そろそろ打ち止めにしねえか? 何度やってもオレには勝てねぇって!」
「・・・わかっているッ」
ガンッ――。カッ――。キンッ――。
シャインだって馬鹿ではない。今日初めて剣を学んだ初心者中の初心者が、実力と経験ともに兼ね備えた、それこそ元来の戦士にかなうわけがないのはわかっているはずだ。
・・・しかし、シャインの剣は重い。
もともとの振りの重さに加えて、大きな心の疼き。迷いの渦。
ほしいのは目前の勝利だけではない。あの魔物に敗れたこと、自分たちに命を助けられたことで――自らの道を見失いかけている不安。
(シャイン・・・)
アルターには、そんないらだちにも似た感覚がよくわかった。
強くあろうとする気持ちは、同じ・・・。
「――がはぁッ!!?」
と。
戦士のあごに、強烈なアッパーが入った。
よろめきながら下あごをおさえる。
油断した・・・!?
いや、そんなことはない。すくい弾いたシャインの木剣が、そのまま彼の手を離れ飛んだのを見ている。
「・・・・・・って〜・・・。おまえ、そうくるかよ・・・」
眼下の青年は両こぶしを前に構え、しっかりとしたファイティングポーズをとっている。
まさかわざと剣を離したのではないだろうが、その手が軽くなった一瞬にこぶしを握り、腰を落として打撃にきた。まさに生まれもった格闘センスのなせる技――。
不意打ちをくらったくやしさはあるが・・・・・・アルターには自然と笑みが浮かんでいた。
「ちくしょー・・・・・効くなぁ、おい」
「・・・すまない。痛かっただろう」
きっとわずかに赤くなりはじめているであろう自分のあごに同じく、殴る側にも多少の痛みはあるだろう。グローブも何もしていない、今日の素手のシャインならなおさら。
たがいにヒリヒリ、ジンジン熱い、あごやこぶしに手をあてながら、やがてアルターとシャインはどちらからともなく自分の『武器』を突きだした。
カシッ――。
ぴたりと合った剣と拳。
「もうニラむなよ」
「・・・ああ。やはり俺にはこれしかないようだ」
まなざしはいつしか穏やかに。
・・・まずは、自分の力を信じること。
『仲間』には、そうであってほしいものだから。
「よぉーし、それじゃ最後にもう一戦だ! オレの素手での力も見せてやんねーとな!!」
「いや、そろそろ夕食の時間だ。帰るぞ」
「なにーっ!? 勝ち逃げかよ!」
コロナの裏山を照らす夕日が、そして一日のつとめを終えようとしていた。
「ちちうえ、わたしにも『けん』をください」
幼き王子は言いました。
小さな手には、魔物退治の冒険の絵本。
勇ましくたたかう主人公は、きらりと輝く刀剣で、ばったばったと悪者たちをうちまかします。
「息子よ、なにゆえ剣がほしい」
「ちちうえやははうえ、くにのみなをわるものからまもるためです」
広き心と強靭な肉体をもつこの国の王さまは、そんなわが子のけなげな想いを頼もしく、いとおしく思いながらもこうさとしました。
「しかし、悪者とて生きている。その者をこらしめるというのなら、我々はこの、自らの拳をもってうたねばならぬ」
・・・ぐっと握られた、大きな大きな右手のこぶし。
王子は、そんな父王のたくましいこぶしを、きれいな紅色の瞳で見つめていました。
「戦いが避けられぬときもあるだろう・・・。しかし、我ら国を治め、人の上に立つ者は、同時に相手の痛みを少しでも知るべきなのだ」
――だからこそ、我が王家は代々、自らの肉体を一番の武器とする。
父王さまのお話は、幼い王子にはまだまだむずかしいものでしたが、ぱっとひらかれた温かな手に頭をやさしく包まれて、いつのまにか、無邪気な笑顔を見せていたのでした。
あるところに、ランダールという名の国がありました。
『格闘王』とも称されるその国の君主の、次代を継ぐはずであった王子は・・・しかし。
数年後、異国の城にて、謎の失踪を遂げるのです。 |