「……リモーネでいい。『さま』はいらないから」
前を向いたまま、ぼつりとつぶやいた。
アイリン王女の呪いが解け、ともに旅を続ける仲間となってからはや数日。王子リモーネは、この王女とはなんとなく、互いになかなか言葉を交わさないまま、今日までを過ごしてきていた。
それは、今この時も変わらずに……。ほとんど無言の空気のまま、リモーネは、モンスターの気配と、傍らのやや後ろにつく王女の歩みに気をつけながら、ややゆっくりめに木々の間を進んでいく。ほどなく小川のそばまで辿り着くと、王女を川べりに待たせて斜面を下り、手元の器に水を溜めて戻る。
「……大丈夫か?」
アイリン王女は、小岩に腰を下ろしていた。
「少し休んでから戻るか。……本当は疲れてるんだろ。きみも」
「……ええ……、ごめんなさい」
手伝いにならなくて……という苦笑を浮かべるアイリンに対して、リモーネは「いや……」と気にしていない意を見せた。実際、このか弱き王女に水を持たせて帰るつもりは、リモーネには皆無だった。
「何かをしていないと……」
膝に置いた両手を見つめて、アイリンが細く声をのせる。
「悲しみに、押しつぶされそうになるのです」
リモーネは思わず振り向いた。……気付いていたようで……気付いていなかった事実。
「なので、お役に立てないと思っても、こうしてご一緒してきてしまいました」
アイリンは、はにかみながら瞳を合わせた。
(…………)
言葉を探る。今、抱いた想いだけは、正直に伝えたい。……伝えなければいけない。
「…………俺には、きみのつらさを、すべて理解することはできないかもしれないけど」
自分はとても平和な身を生きている。彼女を襲った悲しみは、結局、彼女自身にしかわからないのかもしれないとも悟る。それでも――。
「俺たちは……俺も、フィナも、ランドも、いつでもきみの力になる。なりたいと思ってる。うまく言えないけど……それだけは本当だから」
……何を言ってるんだ俺は、と思った。今のは会話になっていない、と感じて、リモーネは気まずそうに空を仰ぐ。
「…………。ありがとう、リモーネ」
やわらかな声が返った。……王子の言葉に一瞬大きく見開いたルビーの瞳は、いつしか、安堵の笑顔に変わっていた。
アイリンは立ち上がった。夜の静寂に包まれようとしている森を、そして、ふたりは引き返していった。
そろそろ緑続きの景色に飽きてきたころ、道はぱっと明るい海沿いへと移り始めて、右手に高い岩山を臨みながら、細い砂浜をあたしたちはさらに南下した。
すぐまた森に入ることになり、小高い丘と、また木々。かすかに潮の香りを感じながら、いくつかの川を越えて、ついに見晴らしのよい草原へと辿り着いたときには、あたしも思わず声をあげていたってものよ!
「あれじゃんっ!? 塔って!」
指をさす。前方、山肌を背に、びっくりするくらい目立ってそびえたつ白い塔。
なるほど……。ここまで来て、目をやれば、こんなにも存在のわかりやすい建物であるとはいえ……逆にここまで来ないと、存在さえも疑われてしまうような、まさに『言い伝えの塔』ってわけなのねー。
「フィナー。ふたりとも行っちゃうよー?」
「あぁ〜っ。もう、待って〜〜!」
一緒に立ち止まっていたはずのランドに呼ばれて、あたしは焦って走る。そのさらに前、すでにさっさと塔の入口をくぐろうとしているリモーネと、ついていくアイリン。ちょっとー! もう少し到着の余韻にひたらせてよーっ。
天井高く、優しい色の石造りの塔内は、窓から光も射しこみ明るくて、なんとなく落ち着きを感じちゃうような印象でもあった。
(――!)
とはいえ、ここもやっぱりモンスターの住処になっていて……。
「わ、あのネズミッ、また仲間呼んだ!!」
「……いけない! 私、行ってきます!」
隠れていた壁際から、アイリンが飛び出していった。そして、両手を頭上にかかげて、次の瞬間。
「バギ!!」
振り下ろした両手にまとった魔法の風。その魔力が手のひらから放たれたとき、風は高速回転で竜巻を生じ、ターゲットを薙ぎ払う! 助っ人に駆けてきたばかりのお化けネズミたちは、あわれ、まとめて真空の餌食になる。
『バギ』の魔法……。ムーンブルクの王さまも使ってた……、あのとき……。あたしは、いまだに少し、痛い気持ちを思い出してしまう。でも当のアイリンは、すっかり冒険の日々になじんじゃってる…………?
「サンキュ、アイリン。助かった」
敵が増えてやっかいになる前に、魔法のあとのとどめの打撃でこの場は終了。リモーネが礼を言う。…………。……なに? あのサワヤカな笑顔!?
上階につながる階段は、広い内部に複数あったので、何度か同じところを行って戻ったり。柵のない外回廊を歩いて、吹きつける突風にびびったり。初めてづくしの貴重な探検を経験して。
……塔の6階。最上階からふたつ下のこのフロアは、四方のところどころに壁のない部分がある。これも例の魔法使いの、遊び心のひとつなのかな……。そう考えると、うん。きっとここから…………。
「んじゃ、リモーネ。コレつけて、行ってらっしゃ〜い」
「――俺!?」
何を驚いてる? このサワヤカ君が。あたしは空色の、たたまれた布地を開いてリモーネに渡した。翼に似せた形の裾と、首元で留めるための丸いクリスタル。結局、塔の2階の小部屋(そこがおそらく魔法使いの発明部屋であった場所)で見つけた、ムーンブルクに伝わる一品、『風のマント』!
「ほ、ホントに平気なのかよ……これ、ほんとに飛べるのか……?」
「〜〜、も〜っ!? そこでカッコよくキメないでどうする!! …………いい!! だったらあたしがやる!!」
「……な、なに言ってんだおまえ……。いいよ、俺行くって」
マントの青いクリスタルから、強い風の魔力を感じます、というアイリンの言葉を信じて、リモーネはいざダイブ! 落下の速度がふわりと落ちて、草原へと無事着地。おおー!!
思わず拍手を送ったあたしとアイリン、ランドは、その後リモーネ抜きで塔を降りるという、結構スリルな体験をすることになるのであった。ふたりが魔法を駆使してくれて、なんとか魔物をやりすごして合流できたからよかったけれど。
あたしも、あのマントつけて上から飛んでみたいけど、ひとりで塔に入るわけにもいかず。いつかモンスターのいないところで試してみようっと……。ま、面白いもの手に入れたよね!
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