かえるの絵本 青竜編

その名はリコル



「・・・わぁーっ・・・!」

最小限の明かりのもと。
石造りの室内に、その声は突然響いた。
部屋の奥隅、一番端の本棚の前で文献をめくっていた手がぴたりと止まり、彼女――レラは振り返る。

「・・・・・・」

大机に積まれた書類へ目を通していた所長のオーウェンも、眼鏡に触れつつ、顔を上げる。
レラが先に口をひらいた。

「あら、あなたは・・・?」

青色の髪。自分はもとより・・・弟よりも、さらに年若くありそうな少年。
軽装だが、簡素な鎧を身につけているその姿は、この街を訪れた冒険者だろうか。
とにかく、初めて見る顔。

「・・・すごいなあ! こんなところがかくれてたなんて!!」

やや高めの少年の声が、きょろきょろと興味津々に辺りを見回す瞳とともに、四方の壁へと響きわたる。

「暗ーい階段が見えたから、何かなぁって、ちょっとどきどきしながらおりてきたんだ。そしたら、こんな部屋が・・・!」

(・・・・・・・・・)

どうやら『質問』が通じていない様子。

レラは、両手に開いていた本をパタンと閉じると、少年のほうへ足を進めた。

「・・・あなたは、ときいてるの。名前くらい名乗るのは礼儀ね」

「!」

あくまでも淡々とした、それでいて、レラ特有の鋭さのあるまなざしを自分の目線よりもやや高い位置から受けた少年は、一瞬思わず声を失ったようであったが――。

「ああ・・・名前!? うん。・・・リコル。ぼくの名前は『リコル』だよ!」

「・・・。リコルね・・・」

「うん! そう。ぼく、それだけはわすれてなかったんだ」

「・・・え?」

思わぬ発言。
レラは小さく驚きを返した。

「今、何て・・・」

・・・ごく普通に名前を聞いたにしては、普通は耳にはしない答え。

「リコル君・・・といったかね。名前だけは忘れていなかった・・・と・・・?」

来訪者とレラのやりとりを黙ってうかがっていたオーウェンが、同じく小さな驚きをこめた表情でこちらへと歩んできた。
リコルと名乗った少年が、澄んだ瞳をゆっくりと向ける。

「失礼。私はこの研究所の所長を務めるオーウェンだ。どうやら君は、このコロナの街は初めてのようだが・・・」

「・・・けん・・・きゅうじょ・・・? ここ、『けんきゅうじょ』っていうんだ!」

所長の言葉の言い終わらぬうちに、いっとき静まりかけた少年の好奇心の光が、再びきらきらと輝き始めてしまった。
少年は「ありがとう、オーウェンさん!」なんて言いながら、また室内じゅうを見回している。

「・・・・・・。ねえ、リコル・・・」

一息ついて、レラはたずねた。

「あなた、どこから来たの?」

ちょっと誘導尋問にも似た手段だとも思ったが、たったいまオーウェンの聞き損ねたことを聞くには、それはうってつけの質問だった。

* * *

「・・・どこから・・・」

透明な赤い宝石のように澄みきったその瞳があらわすのごとく、少年・リコルの返答は、純粋すぎるほど正直だった。

「わからないん・・・だ。ぼく、きのうまでかえるで、それで、ラドゥっておじいさんに魔法をかけられて・・・・・・」

自分に呪いがかけられている。それでかえるの姿だったのだと言われて――。
人間の姿になって――。
この一年で呪いを解かねばならないため、この街にやってきた――と。

「・・・・・・・・・」

一気に、それもまるで他人のことを伝え聞いたように空間を眺めて話す、当人のこの大きすぎる身の上話を、それでも冷静に理解してみせた研究者ふたりはある意味さすがといったところだが・・・。
かえす言葉がなかなか見つからないまま、少しの間があいて、リコルが続きの口をひらいた。

「今日はこのコロナの街を探検してたんだ。はじめて見るものがいっぱいで・・・」

「・・・そうね。記憶をなくしてしまっているのなら、何を見ても珍しく思うのかもしれないわね・・・」

「・・・・・・うん・・・。そうなのかな・・・」

そのとき。

(・・・?)

無邪気な印象のあった少年のまなざしが、一瞬、とても深い何かを秘めているように見えて、レラは自分でも気付かぬうちにその表情を見つめていた。
そして、まもなく目が合う。

だが、はっとした時には、少年の瞳はやはり純真なあどけなさそのものであって、レラは何事も思わなかったかのように、まだ伝えていなかった自らの名を名乗った。

「言い遅れたけど、私はレラ。ここでいろいろな研究をしているわ」

すると、名乗りに付け加えられた一言に、リコルはまたも興味を惹かれたようで。

「レラ・・・。けんきゅう・・・。・・・『けんきゅう』って、どんなことをしてるのっ?」

助手であるレラの後ろで話をきいていた所長オーウェンが、わずかに微笑みながら答えをはさむ。

「研究とは、ある物事をよく調べ、考えて、その真理をきわめることだよ。ここで行う研究は様々だが・・・」

「神竜の研究よ」

「っ! レラッ!」

「私の研究は目下ただひとつです」

「・・・・・・」

この研究所内にて、最近ひそかに散らされるようになっていたちょっとした火花。
もちろん、新たな来訪者リコルは気づくはずもなく。

「けんきゅう、か・・・。ぼくもけんきゅうすれば・・・自分のことがわかるかな」

レラは、対決の視線を外して答えた。

「ええ。まずは自分のこと、かけられたという呪いについて調べることよ。大変かもしれないけど、あきらめずに進めていけば、必ず真実にたどりつけるのだから」

・・・それはまるで、自分自身の境遇のように・・・。

「うん・・・ありがとう!! ぼく、がんばってみるよ。レラも・・・、しんりゅう・・・? のけんきゅう、がんばってね!」

(――!!)

じゃ、ぼく、帰るね!
そう言ってくるりと背を向け階段をかけのぼろうとした少年を、レラはとっさに呼び止めていた。

「リコルッ!!」

薄暗い階段の途中で、リコルは立ち止まる。

「・・・もし私と話がしたいなら、ここに来なさい。ヒマだったら相手をしてあげるわ」

そして、確かな微笑み。

少年はうれしそうに、大きくうなずいていた。

* * *

「神竜の研究、頑張って、とはな・・・」

静けさを取り戻した室内で、オーウェンが呟いた。

「まあ、本人はそれが何のことだか、理解してはいないのだろうが」

所長の発言は、おそらく皮肉が主を占めているのだろう・・・。

けれども、机に置いた本を手にとるレラの口元には、やわらかく、小さな笑みが生まれていた。

(・・・わかってるわ・・・。でも、それでも・・・)

頁をめくる音が、それから、わずかに響く。

出会った少年、リコル。
――やがて異なる『竜』にかかわっていく運命を、さすがの彼女もまだ、知らない。


〜 つづく 〜


「つづく」は例によってシャイン編とかと同じで・・・。でもストーリー的には書きやすそうかも、こっちのが。
そしてレラファンの皆様お待たせしました。キャラがうまく出てるかはともかく、うちの小説にやっとメインで登場でーす!

リコルのイメージ(性格)は、ディズニー映画「リトル・マーメイド」のアリエルだったりします。年齢も同じ位で(人間年齢16歳)
映画前半の、海上世界の物事に興味津々のアリエル。正体が同じく水の中で暮らす身ということもあり・・・(笑)
レラとの年齢差がありますが、青竜編は「友情」なのでそんなにラブは意識しなくてもよさそうかな〜と。でも年の差カップルも良いですね。


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