青のはじまり

〜エレナと水竜〜



『悲しまないでください。また、必ず会えますから』

妻は言った。穏やかな笑顔で。
天へと昇りゆく、あたたかな光に、ひそかな呪縛が解かれるのを感じる。
自分も、妻も、そして二人の間に生まれた子も・・・苛酷な、数奇な運命を辿ることとなった。
けれど・・・それでも今は、こう思う。

すべてのはじまり――出会いは、不幸ではなかったのだと。

* * *

アトランティーナ。
美しき湖をたたえた村は、そう呼ばれる。
「水竜」とも崇められるその青き竜は、透きとおる水底の神殿に住み、村人の幸せを日々、見守っていた。
心地のよい、憩いの場である湖には、村人たちもよく足を運んでくる。
娘も・・・そんな村人の一人だった。

数人の若い声が、湖のほとりにあがる。楽しげに笑い合う、村の若者たち。
やがて空が茜色に染まりはじめると、彼らは家路へと帰っていく。
いつもの風景。
ただ、その日はひとつだけ、違うところがあった。
湖へと続く森の小道に、再び人影が戻ってきたのだ。
息を切らして走ってきたその娘は、夕日を映す水面を見ると、いったん足を止めた。
だが、次には焦ったように辺りを見回す。
何かを探しているのは、一目瞭然だった。
そして、何かを思いついたように湖岸の草むらへと歩みを進めようとした、そのとき。
・・・娘はそのまま、ばたりと倒れてしまったのである。

水竜はすぐに神殿を出た。
湖から上がり、娘の身体を抱き起こす。
走ってきたことにもよるのか、その呼吸は不安定で、表情は白さを増していた。
「大丈夫か?」
声をかけると、娘はうっすらと瞳をひらいた。
意識はあったようだが、どうやら目をあけるまでは、気付いていなかったらしい。
自分がいま、竜の腕のなかにあるということに。
「・・・・・・」
澄んだ瞳は、そのまましばし大きいままを保っていたが、やがて娘は口をひらいた。
「・・・水竜・・・様・・・?」
それから、小さな微笑みがこぼれる。
・・・自分は、普段はあまり地上に姿を現さない。だからきっと、この娘も驚かせてしまうのだろう。
そう思っていた水竜には、意外な反応でもあった。

娘の探し物は、髪飾りだった。
湖から戻る途中でなくしたことに気がつき、急いで引き返してきたのだという。
「わかった。では、私がかわりに探しておこう」
「えっ!?」
ようやく元気を取り戻してきた娘が、今度は驚いて言葉を返す。
「そんな・・・水竜様に探させるなんて・・・!」
「何を言っている。そんなことは気にしなくていい。それに私は、この湖の住人だ。探し物なら、すぐに見つけられる」
「水竜様・・・」
そうして水竜は、娘を家へと帰した。
ひとつ、ふたつと星が瞬き、それが空一面に広がるころ、草のなかにその「落とし物」を見つける。
深く澄んだ娘の青い髪によく似合いそうな、銀色の髪飾りだった。

娘・エレナは、それから今まで以上に、湖へと足を運ぶようになった。
それも、村の若者たちと一緒ではなく、一人で。
あの日、水竜に助けられたときと同じような、夕暮れの時間に・・・。
ふらっとやってきては、湖のほとりに立つエレナを、水竜もなぜか放っておくことはできなかった。
神殿から出ては、湖上に姿を現し、娘と言葉を交わす。
何気ない会話だったが、娘の話に耳を傾けていると、自分の守るべき村人たちの様子が直に伝わってくるようで、水竜にとっては貴重な時間でもあった。
・・・けれど。
水竜には、わかっていた。
いつまでも、こうしてはいられないことを。
このままでは――彼女を不幸にしてしまうから。

「エレナ・・・もう、ここにはあまり来ないほうがいい」
楽しい会話を終えたあと、水竜はついに言い放った。
「おまえは身体が弱い。それに・・・」
以前まで一緒に来ていた若者たちのなかに、エレナに想いを寄せている者がいるのを水竜は知っていたから、それを遠回しに伝えるつもりで続ける。
「来るなら、誰か他の村人と一緒に・・・」
「いやです」
エレナは首を振った。静かな反論・・・。
「あのとき・・・最初に助けた恩義を感じているのなら、気にしなくてもいいのだぞ。私は、当たり前のことをしたまでなのだから」
水竜のその言葉にも、娘の首は横に振られるばかりだった。何度も、何度も。
やがて・・・。
「・・・最初は・・・・・・」
ゆっくりと、娘は想いを語り始めた。
「水竜様に、憧れて・・・会ってお話できることがうれしくて・・・だからこうして湖に通うんだって、そう思っていました」
「・・・思っていた?」
それ以外の答えを、水竜は予測してはいなかった。
「ええ。でも・・・それだけじゃなかった」
娘の瞳が、ふいに輝く。
「水竜様のおそばにいるだけで、瞳を見つめるだけで、心がとても安らいで・・・。水竜様と私は、竜と人間だけれど・・・それでも私にとっては、あなたはこの世で一番心の通じ合える存在なのです。だから・・・だからこれからも、こうしておそばにいたいのです・・・!」
・・・思えば。
水竜にとって、娘はすでに特別だった。
見守るべき村人のひとりとしてではなく・・・。
もっと別の・・・ひとりの存在として・・・。
その心がいま、通じたのなら――。

「・・・ジェイヴァ」
水竜の言葉に、娘は首をかしげた。
愛らしくひらいたその瞳を包み込むように、水竜は穏やかに気持ちをつげる。
「私の名だ。・・・呼んでくれるか?」
・・・娘の瞳に、涙があふれた。
そして涙は笑顔にかわる。

星々が、湖を照らして瞬いた。
ひとつの愛のはじまりを、ここに祝福するように・・・。

やがて娘は奇跡を起こし、水竜の神殿へと呼ばれることとなる。

* * *

水竜は、天を見上げた。
透きとおる水の向こうには、復興著しいアトランティーナの村と、それを包む満点の星空。
「そうだな。・・・また会える」
水竜の想いが、遠いエレナのもとへと届く。

星がきらりと輝いた。




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