美女と夜食
日はとっぷりと暮れていた。雪の積もった森の中を、僕は1人、コロナを目指してひたすら道を急いでいた。 けど、片手に灯りをぶら下げ、膝まである雪をかき分けながらではいっこうに道ははかどらない。 腹も、ぐうぐうと鳴りっぱなしだ。 (こんなことなら、ユーンと分かれた後、真っ直ぐ帰ってりゃよかったな…) 何度目かの後悔の念がわく。 今日はユーンに誘われて、雪の森をハイキングしていたのだ。 一日楽しんだ後、そのまま帰っていれば日暮れまでには宿に帰り着けたはずだった。 …それが、ちょっとした落とし物に気付いて、探しに戻ったりしたばかりにこのザマだ。 (…やれやれ、いつになったら、晩飯にありつけるやら…) 顔を上げて汗を拭き、どこまで戻ってきたかと暗い森を見渡したときだった。 「おや…?」 闇の中を、蛍のような小さな灯火が、軽やかに飛んでくるのに気が付いた。 見ているうちに、灯はみるみる近づいてきて、やがて現れたのは… 「ユーン!」 美しき森の管理人が、けげんそうにこちらを見ている姿。 「コリューン? まだこんな所にいたの?」 「ユーンは、どうして、ここに?」 「森の木達がなんだか落ち着かないから、気になって様子を見に来たのよ。…コリューンこそ、いったい、どうしたの?」 理由が理由なのできまりが悪い。真っ直ぐ見つめられて、思わず目を伏せて頭を掻いた。 「いや、その…ま、ちょっとね…」 「理由はとにかく」 と、そんな僕の様子に、ユーンは深くは追求しないで、すぱりとした口調で話題を変えた。 「今夜は、うちに泊まっていきなさいね。すぐ、そこなんだから」 「え? いや、それはいくら何でも…」 僕は慌てて、手を横に振った。けれど、 「遠慮なんかしてる場合じゃないでしょ。夜の森を甘く見ちゃダメよ。それにコリューン、ちょっと右足を庇って歩いてない?」 さすがユーン、鋭い。 「う…いや、これは、かるーく捻っただけで…」 「そうね、うちに来て休めば、朝には治りそうね。でも、このままコロナまで歩いてたら、治るまでもっとかかるわよ」 ……確かに。 「で、でも…やっぱり悪いよ…」 「うちには、部屋にも寝具にも余分があるんだから、余計なことは気にしないで」 …読まれてるなぁ。 「…うーん…それでも…」 「お腹も空いてるんでしょ。たいした物はないけど、ちょっとしたお夜食くらいなら出せるわよ」 夜食…と聞いた瞬間、僕は、自分が生唾をのみ込む音が響き渡るのを聞いた。続いて、腹がキュルキュルと騒ぎ出す。 「そ、それじゃ、やっぱり…悪いけど、今夜はやっかいになるよ…」 顔に血が上るのを感じて、慌てて灯りを足下に降ろす。 知ってか知らずか、ユーンはにっこり笑って 「では、いらっしゃい」 と、颯爽と雪の上を歩き出した。 さすがエルフ族、深い雪の上でも、足跡が軽く残るだけの身軽さだ。 僕は改めて感心しながら、どしどし雪をかき分けてその後を追った。 巨木に抱かれたユーンの家。その居間兼食堂は、夜に来てもやっぱり気持ちのいい場所だった。 優雅で洗練され、それでいてアットホームで自然体…ユーン本人の雰囲気や、立ち居振る舞いとよく似ている。 …けれど、と言うべきか、だから、と言おうか…実は、僕にとっては、ここでものを食べるのはけっこう緊張することだった。 ここでは、やむなく憶えた、人間社会の礼儀作法なぞ、無意味な付け焼き刃にすらならないように感じてしまうからだ。 まぁ、ユーンの方は夢にもそうとは気付いていないだろうけど。 僕は、多少の緊張で減るような、ヤワな食欲は持っていない…ことに、こんなうまいごちそうが相手のときは。 「ごちそうさま! 悪いけど、お茶をもう一杯もらえるかな?」 と、僕は食い尽くされ、空になった大皿をそっと押しやった。 「ちょっと待っててね、今淹れてくるわ」 ユーンはちょっとあきれたように、でも嬉しそうに皿を下げて台所に消えた。 その間にと、僕は急いで、さっき見つけた「落とし物」を引っ張り出した。 程なく、きれいなティーポットを持って帰ってきたユーンは、テーブルの上に、陶器の小さな瓶を見つけて声を上げた。 「あら、きれい。どうしたの、これ?」 僕は素早く、その瓶のデザインが、ティーポットのそれとセットと言っていいくらい似ているのを確認してから、言った。 「いやね、今まで何度もごちそうになってるからさ。お礼に、こんなのどうかなって…。中身はブランデーだから、お茶にたらしてもいいし、木の実を漬けてもいいし。使い切ったら、ミルクさしにもなるだろ?」 「あら、そんなに気を遣わなくてもいいのに…。でも、嬉しいわ、有り難う、コリューン」 そう言いながらユーンは、瓶を手にそっと載せてその柄を眺めた。 ユーンがやると、こういう何気ない仕草がいちいち絵になる。 (これも渡せたし、うまい夜食にもありつけたし、真っ直ぐコロナに帰らなくて良かったな…) そう思いながら、僕は注がれたばかりのお茶のカップを、そっと差し出した。 後日、僕は、この話を知ったルーに、「プレゼントを…それも割れ物を、むき出しのまま持って行くな」とか、「人にあげたブランデーを、自分が先に飲むんじゃない」などと説教され、大いに冷や汗をかくことになる…。 |