王宮の魔導師



いつものように、賑わう酒場。

竪琴を手に、階段を降りてきたアンジェは、赤い鎧と青いローブの――見慣れた姿をカウンターに見つけて、駆け寄った。

「よう、アンジェ!」

「こんばんは。今日はふたりで来てたんだ」

「・・・ああ、こいつがな」

「ムリヤリ」・・・そう言いながら、マーロは隣のアルターを指さす。

「マーロのヤツが、今日のテストで一番取ったっていうからよ! オレのおごりでパーッと祝いをなっ!」

「だから、あの程度の実技試験なら、一位を取れて当然なんだよ。・・・ったく、自分が飲みたかっただけだろ?」

相変わらずのやりとりに、アンジェは思わず笑ってしまう。
できれば、いつまででもこうして話をしていたい・・・のだが、今日はそうもいかない。

「おう、アンジェ。いつでも始めてくれ!」

マスターの了承を得たアンジェは、二人に「それじゃ」と声をかけると、壁際の椅子に座った。そして、ポロン・・・ポロンと、軽く弦を弾く。

(・・・そういえば、最近はここで歌うことがあるって・・・言ってたよな)

竪琴に手をかけ、小さく深呼吸をするアンジェ。
それは、普段の彼女とはまた違う・・・「ひとりの奏者」としての姿。

真紅の瞳を少女のほうへ向けたまま、マーロはふっと無言になった。


酒場客たちの歓談の邪魔にならないよう、アンジェは静かで穏やかな曲から奏で始める。

「ああやってるときのアンジェってよ、すっげえユウガって感じがするよなぁー。・・・ん? どうした、マーロ。手が止まっちまってるぞ? 食え食えっ」

「うるさい!!」

手が止まっているどころか、体がそっくりテーブルと垂直になってしまっているマーロは、もはや食事どころではなかった。
毎日のように酒場へ出入りしているアルターにとっては、アンジェの演奏も見聞き慣れ心地のよいものであったが、マーロは初めてのせいか・・・なぜか心中穏やかでない。

アンジェは一曲弾き終わると、今度は歌をつけた演奏を始めた。
優しげだが、すっとよく通る歌声。酒場の客たちも、いつのまにか自然と口を休めて、耳を傾けている。これがいつもの光景だ。

そして、アンジェがその歌を歌い終わり、ひとしきりの拍手が止んだ、そのとき。

「・・・アンジェ! 今日はオレ様のオハコを頼むぜ!!」

突然、声を上げたアルターに呼応するように、客たちが次々と歌のタイトルを言い始めたのである――。

「おい、アルター! おめぇこないだ、さんざん歌っただろうがっ」

「アンジェちゃ〜ん、『北街旅情』頼むよ〜。俺の故郷の歌なんだよ〜」

(・・・な・・・なんだ・・・!?)

思いもかけない盛り上がりように、マーロは一瞬目を丸くし、それから、以前アンジェが話していたことを思い出した。

――それとね、お客さんたちの歌に、伴奏つけたりもしているの――。

(客の、歌に・・・・・・)

再び、アンジェの竪琴が音を奏で始めた。
たったいま口々に飛び交っていた、歌の一つなのだろう。数人の客たちが立ち上がり、それは気持ちよさそうに、各々の喉を披露している。

マーロは・・・自分でも気づかないうちに、みるみると不機嫌な眼差しになっていた。

そして、隣で(これまた違った意味での)不機嫌ぶりを見せるアルターに、低い声でたずねたのである。

「なぁ・・・、いつも、こう・・・なのか・・・?」

自分の歌は今日は諦めることにしたアルターは、食に移ろうとジョッキを口に運んだところで、

「あ? こう、って・・・、ああ、アンジェか!? そうだぜー、あいつ、オレらの歌に音つけてくれんだっ! それがいろんな歌知っててよー」

「今までいなかったからなぁ、ああいうタイプの”歌うたい”は。客たちにも大評判さ!」

新たな料理を並べながら、マスターも会話に加わる。
「最近じゃ、アンジェ目当てで来る客も・・・」

「帰る!」

カウンターを突きはねるように、マーロは突然、椅子を下りた。

「・・・なっ!? か、帰るって・・・? いま料理がきた・・・」

「あんたひとりで食えよ。・・・おれはもういい」

これでもかというくらい、険悪な声色。
その雰囲気に呆然とするアルターを置いたまま、端正なローブの少年は、くるりと背を向け、すたすたと去っていく。

・・・扉を出るとき、マーロは再び、ちらりと「奏者」を振り返った。

そこにあるのは、上機嫌の「歌い手」たちに囲まれて、皮肉なくらい美しいメロディを奏でている――アンジェの姿。

(これ以上・・・見ていられるかよ!!)


・・・足早な歩みが、だんだんとゆっくりになっていた。
カッと熱くなっていた頭が、夜風にあたって、冷静さを取り戻していく。

途中の橋の上で、マーロはふと、その足を止めた。

(仕方・・・ないよな。あれだって、あいつの”仕事”なんだ)

そう考えれば、この騒ぐ心も、少しは静まってもくる・・・のだが。
さらさらと流れる小川の音に重なって、先ほどの光景が耳によみがえってくると、やはり、そう簡単には片付けられない自分がいる。

「・・・ったく、なんなんだよ!!」

「マーロっ!?」

(――!?)

吐き捨てるような自問自答に、その声が重なったものだから、マーロは思わずびくりと振り向いてしまった。

「ア・・・アンジェ・・・」

竪琴を抱えたまま、走ってきたのであろう少女は、息を切らせながらも安堵の表情を浮かべている。

「はぁ、はぁ・・・よかった、追いついて・・・」

「・・・どうしたんだよ。おれを・・・追いかけてきたのか? ・・・仕事は・・・?」

「マーロこそ! どうしていきなり帰っちゃったの!?」

酒場を出ていくマーロの姿は、演奏中のアンジェの瞳にも映っていたのである。
彼女は一曲を弾き終わると、客たちに断って、急いでその場を出てきたのだ。

「そ、それは・・・」

――答えられるわけがない――。
マーロが気まずそうに瞳をそらそうとした、そのとき。

少女が、すっと街灯の下に入った。

「・・・聞いて。マーロ」

細い指が、そしてなめらかに弦を泳ぎ始める。
唐突な演奏に首を傾げながらも、マーロはまっすぐと、奏者のアンジェに向き合った。

最初は、静かな旋律。すると、次に場面が変わったような、速い曲調。

そして最後は、穏やかさを残しながらも、勇ましく、清々しい印象のメロディ――。

まるで物語のようだな、とマーロは思った。

「そう、そうなの!」

曲が終わって、マーロの感想を聞いたアンジェは、すると瞳を輝かせてこう答えたのである。

「今のはね、『王宮の魔導師』っていう曲なんだ」

「・・・・・・魔導師?」

「うん。あのね・・・」

――とある王宮に、ひとりの魔導師がいたの。いつも静かに魔法の研究をしていた彼の住む王宮に、ある日、恐ろしい怪物が襲ってきた。
見た目も屈強な猛者たちが、次々と戦いを挑んでいったけれど、誰もその怪物を倒すことができない・・・。

「そのとき、現れたのが王宮の魔導師。彼は、持ち前の知恵と魔法を上手に使って、ついに怪物を倒し、王宮を救ったの!」

音楽を奏でているときの優雅さとは似つかないくらいの、それは熱い説明ぶり。

「ふ〜ん・・・。そういう話の曲だったんだ」

マーロは、そんなアンジェの意図がつかめなくて、思わず気の抜けた返事をしてしまった。・・・だが。

「そうだよ。・・・ねぇ、この曲って・・・マーロに似てると思わない?」

「・・・えっ・・・?」

「私ね、この曲を最初に弾いたとき、すごくマーロのことを思い出したの。・・・マーロは、いつも一緒に戦ってくれて、私にとっては本当に頼れる存在で・・・、あ、ほら、今日だって、テストで一番取ったって言ってたし! だから・・・」

アンジェは、それから竪琴をぎゅっと抱きしめた。

「今日は、マーロがちょうど来てくれてたから・・・あの場でこの曲を聞いてもらおうかと思ってたんだよ・・・?」

うかがうように、軽く見上げるみずいろの瞳。

・・・街灯から、少し外れた場所にいたことが、彼にとっては幸いか・・・。

今までの葛藤を思い起こして、赤くなっている自分の顔を、少女に悟られないように、少し斜めを向きながら、マーロは一言。

「・・・ごめん」

それから、心の中が落ち着いたのを確認して、その「頼れる魔術士」は、今度は街灯の下で、やわらかに微笑んだ。

「ありがとう、アンジェ」

――正直いえば、酒場じゃなくて。

むしろ、ここでこうしてアンジェが演奏してくれたことが、自分としては嬉しかったりするのだけれど。

・・・とりあえず、それは秘密にしておこう・・・。

ひとりじめの奏者を前にしたマーロの耳には、心地よいメロディが、再び流れ始めていた。


〜Fin〜


written by yumi 2001. 5. 27

貢ぎ物ページ    トップページ