WB00882_.GIF (263 バイト) 不死なる細胞

1999年、日本の通産省工業技術院生命工学工業技術研究所でヒトの細胞を不死化させる実験が成功した。
これは同研究所の三井洋司首席研究員と広島大学医学部の井出利憲教授の共同研究グループの成果によるもので、ヒトの正常血管内皮細胞を不死化させた。今後の研究の進展次第では、血管系疾患の治療のみならず、さまざまな医療分野への応用が可能であるとされている。
血管内皮細胞は文字通り、血管の内壁を構成する細胞であり、絶えず血流にさらされているために損傷しやい。特に動脈の分流地点(枝分かれしているところ)では血流が乱れやすく、複雑な力が血管へかかっている。そのためこれらの部分では、損傷を修復するため血管内皮細胞が頻繁に分裂を繰り返している。しかし頻繁な細胞分裂は細胞の老化現象を早め、老化した細胞は動脈硬化などの血管系疾患を引き起こすと考えられている。また老化した血管内皮細胞はエンドセリンという物質を大量に分泌する。このエンドセリンという物質は血圧を上昇させる作用がある。
この血管内皮細胞の寿命を延ばし、血管系疾患を予防出来ないだろうかと考えた共同研究グループは、その研究対象に臍帯(さいたい・へその緒)の血管から採取した血管内皮細胞を選んだ。これは通常65回程度の分裂を寿命としている細胞で、寿命に達するとそれ以上分裂をすることはない。これを培養し、約30回ほど分裂させたところで、細胞の寿命に関係すると見られている二つの遺伝子を細胞内に注入した。
ひとつはテロメラーゼ(テロメレースともいう)という酵素を作る遺伝子である。テロメラーゼは血管内皮細胞などの身体を構成する普通の細胞にはないが、生殖細胞や癌細胞など、無限に分裂を繰り返す細胞内に存在する。テロメラーゼは染色体の両端にあり細胞が分裂するたびに短くなる「テロメア」と呼ばれる部分を伸長させる働きがある。テロメアは短くなることで細胞の分裂回数をカウントし、テロメラーゼはそのカウントをリセットする役割がある。
もうひとつはT抗原という蛋白質を作る遺伝子である。これはウィルスにのみ存在するもので、ヒトはもちろん他の複雑系生物には存在しない。細胞の寿命をコントロールする遺伝子が作る蛋白質と結合して細胞の寿命を延長することができる。
二つの遺伝子を注入した血管内皮細胞はこれまで限界とされていた細胞分裂回数・65回を遥かに越え、200回をすぎてなお分裂を繰り返している。しかも通常細胞分裂を繰り返し老化した細胞はその形状が変化するが、この実験では分裂回数が200回を越えてなお若い状態を保っているという。
これ以前にもテロメラーゼ遺伝子とT抗原遺伝子をそれぞれ単独でヒトの身体を構成する細胞に注入した例はあるが、いずれも細胞の寿命が若干伸びる程度であった。
「これまでの分裂の様子から事実上不死化した血管内皮細胞をつくりだすことができたと考えている。今回の共同研究によって、細胞の不死化は一つの要因だけで起こるのではないことがはっきりした」と三井首席研究員は説明している。
不死化した血管内皮細胞は動脈硬化などの深刻な血管系疾患を引き起こしている箇所の治療に利用できる可能性が考えられている。例えば人工血管などを作る時に患者本人の血管内皮細胞を不死化させたものを組み合わせれば、疾患の再発防止など、より高い治療効果を期待することができる。また、今回の研究で用いられた方法は、ヒトのその他の体細胞、例えば皮膚や胃、肝臓、膵臓などを構成する細胞にも転用が可能ではないかと考えられている。これらの臓器を構成する細胞の不死化が実現すれば、不死化した細胞で構成される臓器を人工的に作り出して移植することも可能になるであろう。そうすれば移植患者は自分に適応する臓器の提供を待つ必要もなく、しかも移植後の身体の移植臓器への拒否反応も軽減されるだろう。

この年、人類は遂に不死なる細胞の獲得へ、その一歩を踏み出した。老いと死 ― いかなる生物も免れ得ない、誰もに平等に訪れるとされてきたこれらの現象を人類は今、克服しようとしているのだろうか。
そしてその後に訪れるものは一体何であるのか。それは老いも死もない至福の千年王国か、はたまた全てに死をもたらすカンケルなのか・・・。
二十世紀の末、東洋の小さな島の片隅で人類の種に対するささやかな、しかし大きな抵抗と変革・ダイブインスペクションが始まろうとしている・・・。
 

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