シーダート

   アメリカ・コンベア社(現ジェネラル・ダイナミイクス)が1948年開発に着手した試作ジェット水上戦闘機。形式番号はXF2Y−1。この模型がEI−25の素体となった。
   当時、ジェット機の開発により航空機は巨大化し、滑走距離が増大している傾向にあった。そこで、それまでの空母ではこの距離の確保に不安が生じた為、アメリカ海軍は新たな発想の基に、空母を必要としない航空戦闘機の開発をコンベア社に依頼した。
   その回答の一つとして提示されたのがジェット水上戦闘機、即ちこのシーダートである。それまでの水上航空機は車輪の代わりにフロート(浮き)を使用して水上に浮かべられていたが、これではあまり高速で滑走することが出来ず、またフロート自体が重い機体を浮かべる為に巨大なものとなってしまう為、機体に収容することも出来ない。これでは超高速のジェット機に対抗することなど出来ない。そこでコンベア社はシーダートの滑走にハイドロフォイル(水中翼)を採用した。ハイドロフォイルとは要するに水上スキーのことで、離水後は支柱をたたむことにより容易に機体に収納が可能である。またシーダートの主翼にはデルタ翼が使用された。このデルタ翼は高速飛行に適しており、音速突破時に問題となる衝撃波への体制にも優れている。
   これらによりジェット水上戦闘機「シーダート」は超音速をも実現するかと思われた。しかし1953年試作1号機が完成し、いざ実験となった所で、「シーダート」はその根本から挫折してしまう。幾度かの実験の結果、ハイドロフォイル方式は予想外に大きな振動が発生することがわかった。実際にハイドロフォイルを有効に活用できるのは時速100kmに満たない速度の場合であると判明したのである。これはジェット機の離水速度を満たすものではない。
   1954年公開飛行中に「シーダート」試作1号機が墜落し、空母が評価を回復させた為、ジェット水上戦闘機はお蔵入りとなってしまった。