京都からごめん〜ッ

★第3話 三月書房という本屋さんを知ってますか

「三月書房」

本題に入る前にまずおわびと訂正です。 
 前回の「姉・三・六角・・・」で、「市内には××町×丁目というのが
ありません」と書きましたが、じつはありました。
天使突抜一丁目?と、五条大橋東×丁目などがありました。
地方の京都ファンの方が「天使突抜一丁目」というエッセイについて
問い合わせてこられ、思い出した次第です。ごめんなさい。
 天使突抜とは意表をつく町名ですね。他にも「不明門通」というのも
あります。私は勝手に「ふめいもんどおり」と読んでおりましたが、
これ「あけず(のもん)どおり」と読むのだそうです。
それぞれいわくのありそうな名前ですね。

 では本題です。今回ご紹介したいのは、知る人ぞ知るという形容が
ぴったりの京都のちいさな本屋さんです。
昨今は大型化、チェーン化が当たり前になり、町中の本屋さんが
どんどん廃業に追い込まれています。そんななかで50年以上、
この「三月書房」はファンをとらえて離していません。
 私が知ったのは'63年以降、多分先輩に教えられてだと思います。
学生運動が60年安保に敗北した数年後で、'70年安保を視座にとらえて
過激化していく前兆期のころですね。私のなかでは既成左翼も新左翼も
まだ区別できていない頃でした。
 初めて訪れた時のことはよく憶えていませんが、並んでいる本が
他の店とは全く違っており、当時のボク達を引き付けるに充分な
題名の本ばかりだったのに新鮮な驚きを持ったことはいまも
忘れていません。新左翼系の機関誌も豊富でした。
「黒色戦線」という機関誌はいまも並んでいます。一部大学の
「学生新聞」なんかも置いてましたね。
「深夜叢書」や「試行」「試行叢書」もこの店で知りました。

 多分12帖にも満たないような店ですが、揃えられているのは人文科学系、
社会科学系のものばかり。一般の本屋さんは、児童書や学習書、
婦人向け図書、ビジネス書もパソコン本も一通りを少しずつ置いて
いますから、ボクらには見る棚が限られます。が、ここは違う。
狭いながらもすべての本棚が「本探し」の対象になります。これは楽しい! 
隅から角まで眺めていて飽きません。岩波文庫もガロ系作家の本も
豊富です。植草甚一さんのものも20冊ほど並んでいました。
雑誌のバックナンバーも「太陽」やジャズ系の雑誌など物に
よってはそろっています。
 新刊書の店頭に占めるスペースはそれほどなく、数年前に発行された
ものも多数置いています。
店主の選眼で、これはという本は返品されず隙間なく並べられ、
同じテーマ同じ著者のものなら、文庫本も新書判も本棚の隙間に
上手に詰め込まれています。勁草書房の「吉本隆明全著作集」だって
数冊ながら在庫があります。
平積みは一切なく、スペースがもったいないのでしょう、背を見せて
本が詰まっています。
 こんなことから、店の雰囲気は古本屋さんと見間違います。同店の
ホームページの冒頭にも「 京都・寺町二条の地べたの書店です。 
古本屋ではありません、新本屋です。」と断りをいれているのが面白い。
「 当店は家族のみのささやかな個人商店です。今年度も来年度以降も、
新規採用の予定はまったくありませんから「リクルート資料」の請求は
ご無用に願います」とも断っていますから、けっこうそんな問い合わせも
あるのでしょう。

 さて、店主です。帳場に座りパイプをくゆらせながら、よく本を読んでおられます。
いまはご子息が店を仕切っておられて、交替で座っておられます。数年前の
吉本隆明さんの本によれば「京都で初めて「試行」を置いてくれた店」だ
そうで、同誌に寄稿もされていました。「現代史の史店」「三好十郎との対話」
といった著書もお持ちです。本について問いかけるといろいろ教えてくれます。
二年ほど前に「三浦つとむさんの本は今後もでるでしょうか?」と訊いたことが
あります。色々教えてくださいました。

 ま、ホームページをお持ちですから、品揃えはそれを覗かれた方が私の
駄文より分かりやすいはず。
 http://web.kyoto-inet.or.jp/people/sangatu/ 
 「三月書房」でも検索できます。

これといって読みたい本があるわけではないが、なぜか読書したくなった
ときは迷わずここを訪れます。ほんと、何冊も買って帰りたくなります。


 では他府県から「三月書房」を訪ねられる方を想定して、
周辺も含めてご案内しましょう。

 京都への入り口は「JR京都駅」としましょう。地下へ潜って
「宝が池国際会議場」行きの地下鉄にお乗りください。といっても、
東京や大阪と違ってここからは一路線しかありません。五条、四条ときて
次の「御池」で下車します。地上に出れば大きな交差点・烏丸御池を
確認します。この辺りはビジネス街の一等地です。四方をぐるっと
見渡しましょう。遠くにどっしりとした山並がうかがえるのが北です。
東西にもそれぞれ山並がみえますが、どちらかといえば山は案外近くです。
いちばん分かりやすいのは「山並がない」南、京都駅方向です。
場所が良ければ京都タワーが望めます。
 
これで一応東西南北がご理解いただけたとして、目指す三月書房は
ここからは東の方向になります。分かりやすく大通りの御池を東に
行きましょう。
祇園祭の山鉾巡行をはじめ、いろんな祭、催しが開催されるところです。
最近きれいに整備されましたが、その際に堀川から鴨川の東の通りの
川端通まで、23の辻に交差点名が英語、中国語、韓国語(そしてもちろん
日本語も)で示された二米強の柱風のものが立てられ、簡単に通りの説明が
書かれています。読んでいるとちょっとした京歴史が学べます。
 寺町通は「平安京が設計された時は、東京極(ひがしきょうごく)通りという
大路とされましたが、豊臣秀吉が京都大改造をもくろんだ時に、強制的に
寺を移動させたことから寺町通と称される」といった説明が付されています。
烏丸からここまでは徒歩10分ほどでしょうか。古風な京都市役所が目印に
なります。その東には京都ホテルオークラが<そびえて>います。
10年ほど前に改築されましたが、条例に定める高さ制限を無視したビルと
して、京都仏教会などが大反対運動を展開しました。これ以上の高いビル、
市内には建てさせまへんぇ、というサンプルとしてご覧ください。
この寺町を今度は上がります。北へ行くんどす。
押小路、二条を越えたら10m?ほどで西側に三月書房はあります。

 さて、店内を十分堪能されたら後は東西南北いずれへでもご自由に。
どっちへ行っても京の観光地、生活現場が楽しめます。たとえば北。
この辺りは商店街ですが、どちらかといえば文化的な雰囲気が濃いですね。
和紙屋、硯屋、古美術屋、茶舗などが並びます。あっちこっち覗きながら
進むと、おっ丸太町通に出ましたね。
 西北に広がる緑一杯の一角は京都御苑(京都御所・大宮御所・仙洞御所)。
京都御所(通称はこうです)ならではの昆虫の宝庫、また維新の騒動の
舞台でもあります。東は岡崎、南禅寺に通じます。減りはしたものの
古本屋も点在しています。
(北に)上がれば、左は御苑の緑、東は同志社の発祥の地でもあって、
古い建物が続きます。さらに北に行くと今出川。西に同志社キャンパス、
東には百万遍、広大な京都大学の敷地が広がります。
同志社には重文を含むレンガ造りの校舎が幾棟もあります。
ご説明はどこまで行ってもつきません。
西に東に北、南。いろんな顔の<京都>が続きます。
ここらあたりが本日の潮時。

 ご紹介した辺りは、古都京都というよりも学生と学者、文化人の街京都と
いった趣のあるところです。なにかのご参考になりましたでしょうか? 

 

この小さな書店のなかに未知(未だ触れたことのない知識、
知恵への扉)が幾つもいくつも用意されています。
店に行く時にはいつもそんなワクワク感があ ります
《05年5月更新》


★第2話 姉・三・六角・・・

 前回、京都市の中心部は「町が細かく分かれている」と述べました。
で、それを"実証"すべく市街地図で調べてみましたんゃ(ヒマどっしゃろ)。
四条烏 丸交差点を中心に、東西南北それぞれに500mの地点で正方形を
地図に書いてみて、この1,000m四方に町がいくつあるか・・・ですわ。
 少しでもこの四方形にひっかかるものも含めると、なんと129町、町の
大半がこの線内に含まれる町までしぼって数えても100町でした。
1,000m 四方ですから、南北に100m、東西にも100mの碁盤目を書けば、
100のマスができますわナ。つまり一町の広さは、ほぼ100m四方におんなじ
とい うことどすわ。「お江戸八百八町」も顔負けでんな。
 東西にも南北にも七本前後の道が走ってますから、100m、または通りを
1、2本も歩いたらもう別の町どすな。この界隈、商業ビル、テナントビルが
多おすから、これでは一町あたりの人口が百人切るとこもあるんでっしゃろなぁ。
 もうひとつ、よその市と違うだろうこと、何丁目ちゅうやつが市内にはおまへん
ねん。
大阪市やと中央区には本町一丁目から×丁目まで、他区でも天神橋筋 も
一丁目から、確か八丁目くらいまでありますもん。京都には長刀鉾町×丁目と
いうのがおへん。
 地図帳の町名索引、ざくっと調べましたが…。
 ここで少し大阪へ寄り道。天六(てんろく)、上六(うえろく)、谷九(たにきゅう)、
谷四(たによん)・・・。これは天神橋筋六丁目、上本町六丁目、 
谷町九丁目、谷町四丁目のこと。どこでもこんな風に縮めるんでっしゃろか?

 
 さて、ここからが今回の本筋です。

 ♪あねさん、ろっかく、たこ、にしきぃ〜、♪しあやぶったか、まつまん・・・ ♪

 京都を象徴するようなこの"わらべ歌"、多分知名度は全国区でしょう。
ここで唄えないないのが残念ですが、おそらくみなさん何度か耳にしておら
れると思います。
 テレビドラマやグルメ番組などで、画面が京都に移るとき…。みなさんなら
どんな画と音で演出しはります?  
 いままでで多いのは、新幹線と東寺の五重塔。清水寺かいわい、そして祇園、
西陣などの古い町家などでしょうか。季節を表すには嵐山、祇園祭の鉾などなど。
そして古い町家が映されると、きまってコレ、といっても過言ではないでしょう。
 ♪あねさん、ろっかく、たこ、にしきぃ〜♪ が流れます。聴いたことあるでしょ?  
思い出してくださいなぁ。
 わたくしめ、十数年前、各地のデパートで開催する京都物産展の売り子の手伝い
をしたことがあります。豆腐を売っていたのですが、広島から青森まで何度か
やりました。そのとき会場に流すBGMがほとんどこれ。あなたぜぇっっったい、
どこかで聴いたはる・・・・はず。

 最近、京都のわらべ歌を紹介する本を入手しましたので、そのお力も借りて・・・。
 まず、この歌詞、なんだと思います?  
 そう、通り名を唄ってるんです、東西のね。先刻ご存じですよネ。いまはどうか
わかりませんが、かつては子供が九九を憶えるように、この歌を憶えさした 
そうです。「これ、知っときぃや、せゃないと町歩かれへんでぇ。迷子になるでぇ」
 長い間、頭は ♪まるたけ〜♪から、後ろは♪〜ごじょう♪ までしか、私めは
知りませんでした。が、この本ではじめて〈全貌〉を知ることができまし た。
もったいぶらずに早速ご紹介しまひょ。
仮名の部分が歌詞、漢字はその解説です。
ほな、いきまっせぇ。北からどっせぇ。

 ♪まる       丸太町通
  たけ       竹屋町通
  えびす      夷川通
  に        二条通
  おし       押小路通
  おいけ      御池通

   (ここで一息おいて…)

 ♪あね       姉小路通
  さん       三条通
  ろっかく     六角通
  たこ       蛸薬師通
  にしき      錦小路通
  
   (また一息おいて…)

 ♪し        四条通
  あや       綾小路通
  ぶっ       仏光寺通
  たか       高辻通
  まつ       松原通
  まん       万寿寺通
  ごじょう     五条通
  
   (また一息…)

 ♪せきだ      雪駄屋町、現楊梅通
  ちゃらちゃら   鍵屋町通
  うおのたな    魚棚通、六条通の別名とか…。
  
   (ここでも一息…)

 ♪ろくじょう    六条通
  さんてつ     三哲通
  とおりすぎ    これは語呂合わせ。通り過ぎ…、

   (小さく一息…)

  ひっちょう    七条通
  こえれば     ここも語呂合わせ。
  はっ       八条通
  くじょう     九条通
  
  (最後の一息…)

 ♪じゅうじょう   十条通
  とうじで     東寺は九条通の北に面してねんけど。・・?・・
  とどめさす    ハイ、おしまい !

 ところで、私にとって不思議なのはなぜ丸太町通からはじまるのか・・・
なんですワ。
その北にもまだまだ古くからの通りがあるんですもん。で、ある施設に掲げられ
ている平安京の頃の地図を観る機会がおましたんや。すると北端は一条大路、
南端は九条大路となっておりました。現一条通から丸太町通にもいく つもの
通りがあるんどっせ。
でもわらべ歌は丸太町通から始まってます。
 南端も不思議どすなぁ、歌は十条まで唄ってますが平安時代は九条まで
どしたんやてッ。
九条通には黒沢映画「羅生門」のモデルの羅城門があったとのことですワ。
 しかも歌は ♪九条、十条、東寺でとどめさす♪ と終わってまっしゃろ?
 東寺は九条通にあり「順番おかしいやんか!!」と突っ込みたい。
「誰に・・・」、
「・・・・? 」。
 今回は東西の通りの話ばっかしでしたが、もち南北の通りの歌もありま。
あんまし有名ではおへんが・・・。いまの京都は平安京の頃からは、ずっと
ずっ と、東西南北に広がっています。この続きはまたにしまひょ。

 他にも京都には中心を「田の字地区」と表現しましてなぁ。
次回はその話さしてもらいますワ。勉強しときマ。


▲中山油店という昔からの油屋さんです。ここには見えませんが、
店先で苔むした水車が回っています。多分観光用でしょうが。
場所は上京区、下立売通浄福 寺東入ル。前の通りは東西を走る
下立売通で、写真左手には南北の浄福寺通がありますので
「下立売通浄福寺東入ル」となります。
ところでこの下立売 通、「丸竹夷…」の歌には含まれていません。
丸太町通のまだ北なもんで…。すんまへん。
《04年10月記》

★第一話 上ル、下ル

 前回は「京都のサイズは、ほどほどでよろしい」というという
話させてもらいました。今回は「上ル、下ル」です。
ご存知のとおり、京都の中心部はいわゆる碁盤の目状に
道が走ってます。斜めの道はないこともないけど、少ない。
 そこで北へ行くのを「上ル」、南へは「下ル」、西は「西入ル」、
東は「東入ル」といいます。
これは北上、南下、西進、東進に通じますナ。
郵便物や名刺、街角の住所表示板などでは、「下ル」のように、
末尾を「ル」とカタカナ表示するのが一般的です。
 道をたずねられたら、交差点の名をあたまにつけて
「ああ、そこやったら烏丸三条上って西側三軒目どすワ」とご案内。
これですみます。くどいかも知れまへんが、解説しますと…
「烏丸三条」とは南北の烏丸通りと、東西の三条通りの交差点ですワ。
「三条烏丸」ともいいます。せやからその交差点を北に上って
西側の三軒目が「あんさんの探したはるとこどす」ということです。
京都の人はこんな表現を「どや、判りやすおすやろ」と思〜てるん
ですが、ど〜も、よその人にはそうでもないらしい。
上ル、下ルが耳障りみたいです。

 私の勤務先は南北の室町通りに面していて、東西の通りでは、
北から綾小路通り、仏光寺通りとあり、その間に位置します。
 頭ん中でカタカナの「キ」の字を描いてください。縦線が室町通り、
上の横線が綾小路通り、下の横線か仏光寺通りですワ。上が北でっせ。
 「判ります? 大丈夫? ついて来てくれてます?」
 従って勤務先は「室町通綾小路下ル」と「室町通仏光寺上ル」の
二通りの表示ができます。中心部では、
住所表記は「京都市××区××通××下ル(上ル・東入ル・西入ル)
××町××番地」とします。べつに××区××町でもいいのですが、
どちらさんも通り名は入れはります。中京、下京、上京区などの中心部
は町が非常に細かく分かれていますので、郵便屋さんならともかく、
一般の人は町名だけで場所を特定できる人は、地の人以外では如何に
京都人であっても少ないようです。わが勤務先の隣の町名は「釘抜町」
というんですが、はてどこからどこまでか、わたしも?…
 
 そんなこともあって、通り名で言うほうがよっぽどわかりいいのです。
 だからよそから来はった人が「××町はどの辺ですか」と聞いてこられても、
たいてい「…?、どこの通りか判ります?」と聞き返してしまいます。
住所書きを持ったはったら覗き込んで「通り」を確認しますんや。
それからご説明ですワ。「あの角を越えて次の通りが西洞院やから、
それを下がりはったら…」とここまでくると、聞いてるほうは、キョトン。
「あ、左へいってください」と訂正します。

 さて話を戻しまして、わが勤務先は「室町通綾小路下ル」なのか
「室町通仏光寺上ル」なのかどっち?
 やはり「室町通仏光寺上ル」を採ります。やっぱし、お商売してる人や
ビジネスマンは「下ル」を嫌うようです。「業績下降」みたいやから。
ま、綾小路通りも仏光寺通りも、道路の「格」としては同等ですから
どっちでもいいんですが。困るのは東西も、南北も京都を代表するような
有名な通り同士の交差点。
たとえば四条烏丸。四つ角をすべてかつての有名都銀が占めています。
 四条烏丸「下ル」は言いたくないが、この「四条烏丸」は住所表示から
はずせない。なんせ、京都有数の交差点ですもん。
「上ル」を使うなら「烏丸通綾小路上ル」になって、京都以外の人には
ピンときませんし、「四条烏丸」を使わないのはもったいない。
 そこで苦肉の策、「四条烏丸南入ル」と…。最近こんな表示をした名刺も
結構あるようです。

 いままで紹介してきた東西の通りを北から並べると「し・あや・ぶっ・たか
(たかは出てませんな)」となります。これ、わらべ歌の一節です。
四条・綾小路・仏光寺・高辻通りのことです。これはご存知の
方は多いと思います。ちょっとこの手の本を読みましたので、次回は
わらべ歌で、通り名をご紹介します。

 おじゃまはんどした。

《04年9月記》 

★はじめましての《口上》

縁あって当サイトに駄文を書かせていただくことになりました。
とっかかりとなった、その《縁》とは私めが昨年12月にオンライン
古書店「壬生書房」を開店、そしてお客さま第一号が当サイトの管理人・
マスダさんであったことに発します。以後メールマガジンをいただく
ようになり、いよいよ今回、このページに参加させていただきました。 

小中高大、そして就職と30代半ばまでは大阪在住、その後は三度目の
転職で京都に移り住み、大学が京都であったのことも含めば、京都での
暮しのほうが長くなりました。で、その京都での暮しは結構気にいってます。

まず街のサイズがよろしい。とはいえ、京都市は広い。中心部からものの
20分も北へ走れば北山連邦という壁にぶち当たりますが、その奥には
貴船やら鞍馬なんかがあって、分け行っても行ってもまだ京都市ですわ。 
せやけど日常の生活圏、仕事上の行動範囲といえば、市内の中心にいるため、
クルマで30分もあれば、十分こと足りてしまいます。もちろん山科区が東へ、
西京区、右京区が西へ、伏見区、南区が南へ、北区、左京区が北へ拡がっては
いますし、市外にもお得意先はありますが、1時間かけて目的地へ、という
ことはまず少ない。このサイズが気に入ってるんですわ。渋滞もほとんど
おへんしなぁ。 

さてそんな京都から、「なにか書きまへんか」とお誘いを受けまして・・・、
まずマスダさんから関西弁についてご質問がありました。
難しいことよう解説でけしませんが、私の実感だけで言わしてもらいます。 

純粋の大阪弁(浪速ことば)、京都弁(京ことば)を聴ける機会は今や
ほとんどありません。どこの都市でも同じでしょう、根っからの「地の人」が
少ないですもん。大阪、京都で活躍する関西代表のようなタレントや芸能人でさえ、
伝統芸能の人も含めて大半が地方出身者ですから(東京でもこれは同じでしょう?)。
舞妓はんだって地元ではなりてが居らんようなって、地方からきた娘さんが
京都弁の特訓うけたはるんどっせ。関西では神戸、大阪、京都、奈良、和歌山が、
イケイケ、つまり交流が十分なので、そんな素地で育った私たちは、関西弁は
しゃべれても生っ粋の大阪弁、京ことばはしゃべれません。これが実情。
奈良にも奈良弁、和歌山には紀州のことばがあります・・・。
ところで私は九州鹿児島産の父と、四国香川出の父をもつ母が大阪で縁を得て、
その間に産まれ落ちて、大阪、京都と移り住んでいます。 

多分京ことばの元は、お公家さんの公家ことば、祇園や先斗町(ぽんとちょう)、
上七軒(かみひちけん)など花街の芸妓ことば(というんかな?)、室町、西陣と
いった町衆のことば、それに仏教、神社といった古来の伝統的世界で
はぐくまれたことばなんかが、いまやないまぜになってるんでしょうなぁ。
 それでもさすが京都、平安、室町の時代から連綿と家系がつづいている
お宅も珍しゅうおへん。けど、住む世界が違うんでっしゃろか、
日頃気ぃつかへんのか、誰とは思いつきません。

「三代続かなきゃ、江戸っ子じゃねいやぃ」ということばを受けて「平安から続いた
はったら京都のおひとどすなぁ」と言い返すプライド(閉鎖性)もあるようで・・・。
先の戦争いうたら、京都では「応仁の乱」やそうどっせ・・・。 

初登場にしては長くなりました。本日はここいらで、お邪魔さんどした。
次回からは、京都の日常あれこれを「京都から、ごめん〜ッ」と題してお届け
さしてもらいますぅ。


★ここは、新町通りといって、京都の、いや日本を代表する祇園祭の
「山鉾巡行」の際の帰り道であり、山鉾町でもあるのです。
鉾や引き山の全高がビルの四、五階にも匹敵するため、通り道で
あるこの小道は、電線が路上をまたぐことができません。
そのためスッキリとした通りとなっています。小さな通りで、こんなの、
ここだけですョ。
 地元の人はこの道を「鉾の道」と命名して、道路左右の電柱をも排除
しようと、これから運動を展開するそうです。
《04年6月15日公開》
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