Mr.クレイジー・ダイヤモンドに花束を
Den2のサイケデリック「ロックの細道」

連載再開のご挨拶 古川博一

本サイトの主宰者マスダくんからテキストの更新を強く言われる
ようになってからを考えても、かなりの時間が経ちます。
ほぼ丸一年も放っていた自分の無責任さはもちろん感じており、
何とかしなくちゃなぁと思っていたのですが、さらにさらに
ずるずると時間が経ってしまいました。言い訳がましく書くと、
その間メルマガのほうの近況報告など短文は何とか書き続けて
いたのですが、ついつい日々の忙しさにかまけサイトの更新まで
手が回らなかったというのが本音です。

ところで、(最初の「口上」でも少し書いていますが)
振り返ってみるとマスダくんは十数年前に「日本芸能新聞」という
ミニコミを主宰しており、彼が(それまで文章を書いたことのなかった)
私に原稿を依頼してきたことがきっかけとなり、音楽やその頃
熱中していた旅行のことなどを書き始めたわけですが、
書く場所を提供してもらったことは、音楽誌で記事を書いたり、
発掘音源CDのテキストを組んだり、フライヤーの原稿を書たりという
現在の私の活動へと展開する地盤となり、そしてなにより“修行の場”
になった気がします。そう考えると、マスダくんはいわば恩師の
ような存在でもあるわけですね。そこで心機一転、大分時間が
あいてしまいましたが、新たに書き継いでいこうと思っています。
このサイトを見てらっしゃる方々、どうぞよろしくお願いします。  
 近況なぞも……それでは、あまりに時間が開いてしまったこともあり、
前回に書いた時点からの私の活動を報告も兼ねて幾つか書いておき
ますね。メルマガ読者の方は重複する部分が多いかと思いますが、
ご容赦のほどを。まず、
昨年10月には 音楽DVDマガジン「UーRAN」Vol.2でキャプテントリップ・
レコーズが特集されました。私はマーブル・シープと○△□(まる
さんかくしかく)の映像が収録され、併せてキャプテントリップ代表・
松谷と私で解説をしています。また同月マーブル・シープの新譜
『FOR DEMOLITION OF A SPIRITUAL FRAMEWORK』
(FURF UND VIERZIG141)がドイツのレーベルFURF UND VIERZIGより
リリースされました。
年が明け、5月にはプロデュースを手掛けた発掘ライブ音源SPEED
『KISS ON』(CTCD-445)がキャプテントリップ・レコーズよりリリース。
主だった動きはこんな感じでしょうか。並行してライブ活動も行いながら、
相変わらず音楽を続けています。そうそう、第1回目の文章で触れている
“林くん”とのバンドはその後自然消滅してしまったんですけどね。ま、
なんとなくそうなったわけで、今後また一緒に音を出すこともあるかも
しれません。近況はこのへんで、
そろそろ連載のほうに行きましょうか。


★ドイツの雑誌の表紙になりました。
 
ロックを支えるフィールド=磁力の巻 
その弐

3年前にマーブル・シープで韓国のソウルでライブを行った際に
対バンだったCOCOREが、今年4月末に来日しました。
過去にも何度か来日しており彼らの来日はそう珍しくないのですが、
今回は東京近辺で数回ライブを行ったため、私も2度ほどそのステ
ージを見る機会がありました。
さて、今回足を運んだなかで、ライブ最終日の出来事が個人的に
は興味深かったので記しておきます。
当日会場にたどり着くと、ライブ自体は横浜の地元のバンドとの
ブッキングで、それぞれのバンドの音楽性やスタンスにはっきりと
した共通項を見いだせない、何となくそうなってしまった、という
ような組み合わせでした。そんななか司会進行の人間がライブ後
ステージの袖でメンバーにインタビューを行い、彼らのコメントが
ライブと併せて聞けるということで、これは都内のライブハウスでは
ほとんど見かけなく、まぁ何ってことはないですけど、予備知識の
まったくないバンドを見るときにはいいかもしれないなと思ったりも
しました。
さて、COCOREのステージは、すでに日本でのライブをここ数日間
こなしていることもあり、スタートから非常に安定した演奏を見せて
くれました。
音的にはかつてのグランジ色が影を潜め、代わりに曲によってゲスト
のシタール・プレイヤーを入れたり、縦笛やグロッケン・シュピールを
使ったりと、ポップ路線かつ60年後期から70年代初頭のロックの
エッセンスを取り入れた方向に変化しており、演奏能力やアレンジなど
そこここに著しい進歩を発見できました。ただ日本や英米のメジャー系
ロックからの影響を少し直裁的に受け過ぎているなという印象を
持ったのも事実です。
しかし後半ハードめの曲を立て続けに演奏しているその日のライブの
ヤマ…、あたかも演奏者の自意識が真っ白になっているだろうその
瞬間、ステージ上に明らかに私たちとは完全に異なるシャーマニ
スティックな何かが立ち現れたのを目の当たりにしました。
日本や英米の音楽の影響下にない、素の生まれ育った場所の磁力を
垣間見たと言い換えてもいいかもしれません。
ともあれエレクトリック・ギターのファズ・サウンドの彼方に揺らぐ
大陸的な律動(?)を前にしたのです。
…つい数日前、都内でのライブ後に朝方まで飲み明かし、英語での
会話ながら自分たちと変わらない姿や飾らない彼らの態度ゆえ親密な
時間を共有し、そのバックボーンの違いを意識してなかったため、
この瞬間には図らずも驚かされました。
けれども、こうした未知なるものに触れることができたことは、雨の
なかわざわざ横浜まで足を運んだ甲斐があった気がしますし、やはり
ライブの醍醐味とはこういうものでしょう。
そして(私たちがステージに立つことを想定すると)違う文化圏から
やって来た人間たちと同じ場に立ったときこそ、初めて自らのナショ
ナリティやローカリティを強く認識する瞬間であるのかもしれません。
振り返ると3年前に韓国ソウルでいくつかのバンドと共演した際は、
滞在期間がライブを行った3日間のみと非常に短かったため、日本と
韓国の文化的差異こそ認識すれども、バンドとしてのアイデンティティ
の違いは、ほとんど感じないままに時間が過ぎてしまいました。また
当時の韓国は開放政策が執られるようになって日が浅かったため、
一般的には音楽などの流入文化に無条件で飛びついている状況で、
(あくまで表面的なことですが)当然追従的な印象を持ったことも確かです。
《ここで当時の状況を少し付け加えると、マーブル・シープの韓国公演は、
チャゲ&飛鳥やメジャー系ロック・バンドが前年2000年に韓国公演を
行い、その後「教科書問題」によって(釜山ロックフェスなども含め)
日本のバンドのライブが中止になったちょうど端境期に当たります》

さて、話をCOCOREに戻すと、真摯な姿勢のみならず清々しいキャラクター
も彼らの魅力ですが、これは(先にも少し触れましたが)韓国は長らく
輸入文化の規制をしてきたため、彼の地においては30代前半である彼らが
インディーズの第一世代に当たり、彼らひいてはシーン自体が非常に若く、
閉塞感のない風通しのよい環境で活動していることも作用しているのかも
しれません(注)
彼らが韓国のなかでどういったポジションで現在活動しているのか、
現在門外漢である私にはわかりませんが、今回改めてライブを見るにつけ、
今の素直な感覚を失わずに活動していってほしいなぁと老婆心ながら思い
ました。
また、(別に民族楽器を使うということではなく)こうした彼らの民族的
バックボーンからの影響を前面に押し出したほうが、グローバルな活動では
オリジナリティを確立できるでしょうし、固有な存在としてオーディエンスに
アプローチするのではないかという気がします。
ともあれ、私たちもやはりオープンな感性を失わずに、これからも表現
活動を続けていきたいと、(彼らとの再会の後に)自戒を込めつつ思ったりも
しています。

★COCORE

:当然、アンダーグラウンドという地場も概念も存在しない状況でした。
ある一定期間を経ると、自然発生してゆくのではないでしょうか? この
へんのことには興味があります。
追記:この原稿を書いている間に知りましたが、7月にも来日しており渋谷
オンエア・ネストとフジロックにも出ていたそうです。また近年韓国版グラミ
ー賞(たぶん音楽部門でしょう)を受賞したそうです。
2001年に韓国で行われたライブを収録された作品がキャプテントリップ・
レコーズよりリリースになっています。興味を持たれた方は聴いてみて
くださいね。
VA『KICK OFF THE JAMS』CTCD-396KOREA/JAPAN INDEPENDENT
 LABEL FESTIVAL 2001 
収録バンド 韓国 KopchangjeongolOh! BrothersEunhee's NoulMy 
Aunt Mary Cocore 日本 Mama Guitar Marble Sheep 
最後になりましたが、COCOREのホームページはこちらです。
          Cocore Official Home Page:http://www.cocore.com               
       
《2004年10月12日記》


ロックを支えるフィールド=磁力の巻
その壱

昨年マーブル・シープにシンセサイザーで再加入してから、東海・中京・
関西方面へのツアーに出かける機会が、以前書いた後にも2度ほど
ありました。
また東京でライブをする場合もこのところ関西のバンドとの対バン(注)
が多かったようです。ちなみにマーブル・シープは(知名度の割には)
長い活動歴を持つバンドですが、'90年に大阪のインディーズ・レーベル、
アルケミー・レコードからデビュー・アルバムがリリースされたこともあり、
その活動当初より大阪でのライブを含め関西のバンドとの縁が深かった
そうです。さて、マーブル・シープが対バンをする関西のバンド、
他人と同じことはしないという土地柄かもしれませんが、東京に存在する
メジャー・デビューを今かと狙う柳の下〜のようなバンドはほとんどなく、
むしろそうした価値観の対局に位置する…ある種居直ったというふうに
すら見えるグループが多い気がします。

まぁ、考えようによっては、(轟音、ツインドラム、長尺の曲が続く)
マーブル・シープが東京の音楽シーンのなかではかなり特異な存在であり、
お店のブッキング担当や企画の方もそれに見合った形ということで、極端な
方向に振れたバンドとの対バンで話を進めてらっしゃるのかもしれませんが…。
しかし、こうしたバンド群は70年代末に日本にもパンク・ムーブメントが起き
関西NO WAVEとしてINUやSSなどが出てきた時期から変わらずにある関西の
ひとつの底流ともいえる存在で、以後現れたボアダムズ、少年ナイフといった
バンドたちも東京にはない発想や感覚を併せ持っています。また遡れば、
村八分もストーンズ・タイプのロックンロールやブルーズを基本としながらも、
どこか前述の彼らと共通する“天然アバンギャルド気質”ともいえる感性が
見え隠れします。けれど、歴史的に見れば村八分はかなり特殊な存在で、
関西NO WAVE以前のバンドは、一般的には良くも悪くも関西的情感の上に
ブルーズに根ざした音楽が被さったものが多かったかと思います。
個人的には、なぜ関西においてのみこうした音楽的断絶が生まれたのか
気になるところですが、毎回ライブのためだけに短かい時間滞在している
視点からは、コトの本質は容易には見えてきません。
けれどもその土地の磁力というものは、そのバンドのステージましてや
音源からも立ち現れてくる空気のような存在で、(私が千葉県出身なので、
東京近郊の土地に喩えると)横浜のバンドを聴くと、それがハヤリの
打ち込み系の音楽であってもハマの冷たい風が吹いている情景がふっと
浮かんできますし、三多摩のバンドですとゆる〜い中央線的なノリを
どこかに感じたりします。

こうして考えてみると、日本でロックをやるということは、戦後輸入文化として
入ってきた洋楽を咀嚼し自らのものとして表現しているという土俵にどこまで
行ってもいるわけですし、またその咀嚼の結果である和洋折衷の美学は
流入当時より脈々と存在しています。
そこで再び遡ってロックの発祥に目を向けてみると、ロックンロールは
50年代にアメリカで生まれた音楽ですが、これがイギリスに輸出され
ビートルズを生み改めて逆輸入を果たすわけで、同じく世界各地に飛んだ滴が
その土地に染みこみ、ローカルなアイデンティティに上書きされている…
というふうにも考えられるわけです。
もちろん土地以前にその表現者たる人間の存在=個人史があるわけですが、
分かちがたくその音楽を支えている磁力としてのローカリティにこそ、その
バンドがバンド足りえる力や魅力を解くカギがまだまだ潜んでいる気がしますし、
グローバリティに繋がっていく回路もむしろ私たちの足元にこそあるのでは
ないでしょうか?

はてさて、こうしたローカリティのハナシはバンドのメンバーと飲むと、
折りにつけ話す件の話題でもありますが、全員東京、東京近郊出身で
固められた東京ローカルなマーブル・シープのメンバーが束になって頭を
ひねっても、所詮同じ穴の羊、おいそれとは答えの出ない奥の深い
“お題”のようでもあります。 

対バン:ライブ会場に出演する際、いくつかのバンドで出演することが
ほぼ定例化しており、そうしたときに一緒に出るバンドを指します。
まぁ、単純にいえば共演者ですね。
ところで対バンとは対抗バンドの略でしょうか? 
私がバンドを始めた80年代前半にはすでにあった言葉なので、
もしかするともっと古くからある言葉なのかもしれませんね。  


★『FOR DEMOLITION OF A SPIRITUAL 
FRAMEWORK』
 《2004年8月27日記》

ロック・バンドに広がる年齢格差の巻  古川博一

 前回の予告編に続き、今回から正式な連載です。
 ところで私は8月の21日から24日まで浜松、名古屋、京都、富士と久し振りに
マーブル・シープのツアーにシンセサイザー奏者として行ってきました。
 昨年夏に単発で仙台で○△□(まるさんかくしかく)のライブがあり、東京以外で
のライブはその時以来になりますが、以前マーブル・シープに在籍していた1999末
〜2001年末の間は、半年に1度はツアーに出ていて、その間韓国でのライブもあり、
ツアーというものがごく当たり前な出来事だったわけです。
 その後、マーブル・シープは、私が抜けていた期間もツアーを繰り返しており、ほと
んど自己負担で行った私が参加して最初のツアーから比べると(これは呼んでいた
だいたバンドやライブハウスのブッキングの方々の尽力、そしてマーブル・シープ
自体の努力も大きいのですが)、集客、ギャランティ・バック等、いろいろと条件も
非常によくなっており、これなら今後もツアーを続けることができるなぁと、復帰
そうそうですが、しみじみ思いました。

 さて、そろそろ本題に入りますが、最近別のバンドで使っている練習スタジオの
オーナーと世間話をしていた折り、そのスタジオを使っている若いバンドではメンバー
間の年齢の格差が、以前より広がっているという話を聞きました。例えば20歳前後の
メンバーのなかにひとりだけ30代後半の人間が参加しているというような編成が増え
てきているそうなのです。
 私もそうした彼らと同じ20歳の頃にライブハウスに出たりしながらバンドの活動を
初めたのですが、20歳ぐらいの時というのはだいたい同い年のメンバーで固められ、
そのうち徐々に就職だ、家業だ、子供が出来た、でメンバーが減っていくと、若い
メンバーを補填してバンドは存続してゆくものだと漠然と考えていたので、スタート
地点から(自分より)年季の入ったメンバーを加えてバンドを結成するという話を
聞いた時、ずいぶん不思議な印象を受けたのです。
 で、私が演っているその別のバンド(バンド名がまだないので、こういう風に書い
ていますが)でドラムを叩いている林くんという人がいるのですが、彼は20代半ば
ながら、テクニック的にも秀でているため、ほかにも2つほどバンドを演っており、
そのひとつラフィン・ウォーター(注)というバンドのほかのメンバーは、彼の一回り
以上上の40代です。また林くんのもうひとつのバンドのほかのメンバーは20歳前後
だったりするそうです。実際私のバンドも、20代、30代、40代と混在し、最年長の私と
最年少の林くんの間には、15歳の開きがあるわけです。まぁ、私の場合、永年演って
きているうちに、音楽を演っている同い年の人間が数えるほどしか居なくなって
しまったというありがちな事情なわけで、その意味はまったく異なるのですが…。
 さて、練習スタジオのオーナーの説では、年齢格差の広がりの理由に、親がバンドを
演っていた世代の子供達がバンドを始める時代になったことを挙げています。
親の演ってきた音楽性をそのまま引き継ぐには抵抗があるものの、メンバー間の
年齢差が広がってきている下地や要因になっているというわけです。そういえば、
以前RIZEという2世ユニット(注)のインタビューを読む機会があった時にも、ふたりとも
親の影響を大いに語っていたので、やはり大きいのではないでしょうか。
 しかし、こうした状況も新しい変化への前触れ=過渡期と呼べるものなのかもしれ
ません。
 ロックの歴史的遺産とも呼べる、元来ロックが持っていた様々なエッセンスが年長
のメンバーから若手のメンバーに受け継がれてゆくことも、当然ダイレクトに行われ
るわけですし、同世代だけで演奏することによる閉鎖感からも抜け出せる可能性を
持っている気がします。
 年齢格差を超えたところで出てくるオープンで気持ちのいいサウンドが、(新しい
バンドが次々に登場しながらも)依然旧態然とした構造を持つ音楽の世界にどん
どん新しい風を送るようになれば、ほんとうに素晴らしいことですよね。
 ロック・バンドに広がる年齢格差、皆さんはどう思われますか?

ラフィン・ウォーター 即興的な要素をふんだんに取り入れたグレートフル・デッド
的なジャム・ロック・バンド。実はまだ1度しか見てませんが、OHP(オーバー・ヘッド
・プロジェクト)を取り入れ、バック・ステージにウニウニとサイケデリックな模様を
浮かび上がらせながら、演奏していました。こうしたある種王道的、かつ求道的な
バンドの場合、年齢差は問題にならないと思いますが、思春期の惚れた腫れた的な
心情を吐露する下北ギター・ポップみたいな音楽だと、やはりその適齢期以外の人間
の参加はムリでしょうね。
RIZE チャーの息子、ジョニー吉永と金子マリの息子が組んでいるユニット。音聴い
たことないです。そういえば、ここに最初いた女性ベーシストもふたりより全然年上
でしたね。
  《03年9月記》
 

★京都河原町 陰陽(ネガポジ)で演奏するマーブル・シープとマスコット・
キャラクター(着ぐるみ)のマービー。 撮影:西村明 

ロックの細道第一回目 口上 

どうもフルカワです。初めまして。
以前、マスダくんが主宰していた『日本藝能新聞』を読んでらした方には、お久し振
りです。私は『日本藝能新聞』が存在していた数年間に渡り、「でんでんの屈折した
星屑を拾い集めて」というタイトルでコラムを連載していました。「でんでんの屈折
した星屑〜」は、旅行や自分の音楽制作にまつわる、……ちょっとサブカル的な題材
が多かったと記憶しますが、今回もまぁ、そんなに変わらないと思います。なにしろ
同じ人間ですし、当時と生活スタイルや趣味趣向もあんまり変化していませんから。
とはいうものの、ここ数年私の活動もいくつかの新しい展開が開け、現在は自分の演
奏やCDリリースのみならず、過去の発掘音源CDのプロデュース、音楽誌『DOLL』や
『ロック画報』誌上での執筆などと多角的な活動へと変化してきています。そして今
後の予定としては、ドイツのFUNFUNDVIERZIG(注)というレーベルから私がプロデュー
ス等制作に関わった3作がリリースされます。まず、かつてメンバーであり、つい最
近再加入したMarble Sheepというサイケデリック・ロックバンドの新作スタジオ盤
『FOR DEMOLITION OF SPIRITUAL FLAMEWORKS』、ならびに彼らの今年1月に行われ
たNHKでの公開録音を収録したライブ盤『タイトル未定』、また私がベースを弾き、
さらにプロデュースにも参加した『Marble Sheep meets ○△□』の3作です(注)。そ
して発売に併せて10月にMarble Sheepのシンセサイザー奏者として渡独する予定もあ
ります。もし実現すれば、そのツアー・レポートなんかも皆さんにご報告できると思
います。
さて今後の連載に関しては、以前も増してスピリチュアルな姿勢、ありきたりでない
ロック論なども織り交ぜて展開できたらと思う次第です。
それではよろしくお願いします。 
                          2003年8月10日 古川博一

(注)いわゆる古株のジャーマン・ロックのミュージシャン、Holger CzukayなどのCD
をリリースしているレーベルです。あと、ドイツのダブ・バンドとか、なんかいい感
じです。
http://www.fuenfundvierzig.com/









(注)『Marble Sheep meets ○△□』に関しては、私は○△□(まるさんかくしかく)
というバンド・サイドでレコーディングに参加しています。ちょっとややこしいです
けど、私がMarble Sheepを脱退した後に参加しているバンドが○△□なわけです。レ
コーディング時は14人編成ですが、演奏の度にメンバーが変わるノン・ミュージシャ
ン主体の即興バンドです。たぶんこの作品が一番早く8月20日リリースです。
日本での取り扱いはキャプテントリップ・レコーズになります。

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