ことばの外、ことばの中
いまここにいる自分を、あるいは自分をそこに投影できるような誰かを描こうとするとき、ことばというものは、理解や感動とひきかえに、自分が持っている「かけがえのなさ」を奪おうとする。あくまでもかけがえのなさをつらぬこうとすれば、ことばは歪み、とたんにてのひらをかえしたように理解や感動をそこから奪ってしまう。文芸作品、とりわけ「一人称詩」と呼ばれる短歌を書こうとするとき、こうした困難から自由になれる人はいないと思う。実際、ぼく自身、この困難な迷宮の中をずっと彷徨している感覚がある。だが、読む作品すべてをこの迷宮の地図の中で裁断してみるとき、そこには、何か違うぞ、という声がいつもひびいている。いかに鋭利な批評の言葉に切り裂かれようとも、不思議に可能性のすべてが失われるという感触がない。この迷宮には、どこからか光のさしこむ窓のようなものがあって、書き手に何かを囁きかけているのを感じるのだ。希望などというのは陳腐だが、それはまさに希望という以外にいいようのない明るさと儚さを同時にぼくにもたらしている。

適切なことばが見つからないが、自分をそこに描くのではなく、つまり、ことばの外に自分を置くのではなく、ことばの中から自分が姿をあらわすようにすること。書き手に求められているのはそういうことではないだろうか。現代短歌のほとんどは、前者と後者が未分離の状態のままで書かれていると思う。だからこそ、二十世紀の後半に、文芸が直面している困難の迷宮の中で、瀕死の様相を呈しながらも、ときに希望と呼びたくなるような光を感じさせるのではないだろうか。

パティシエールから上記後段の記述がわかりにくいと指摘された。補足によってわかりやすくなるとは思わないが、若干補足してみることにした。序論のようなものだと考えて、具体例を欠いたままの思考をまとめてみる。

自分をそこに描くというのは、自分を像(イメージとかリズムとか情報と言ってもいい)としてそこに提示するということである。つまり、作品・ことばの外にある自分がそこに再現されるようなかたちで描くということなのである。事実を描こうと虚構を描こうと、丁寧に描こうと歪曲させようと、「一人称詩」である短歌がこの再現のスタイルから完全に無縁であることはできない。どのように実験的な文体を用いても、そこには必然的に何らかの像が提示されてしまうからだ。そして、像の価値を短歌の価値と考えるぼくたちの視線は、像の価値の追求の果てに、一見したところ豊饒だが、実は何の刺激もなくなった状況を見せている。1995年以後は特に顕著だと感じる。

なぜ刺激がなくなったかと言えば、像の提示は、再現される以前の自分を一切問わないからだろう。自分を超えて書かれた自分というものをあっさり許容してしまうのが像なのである。正確な再現が必要だと言っているのではない。しかし、自分を一切問わないということは、作者が誰であってもいいということを意味する。誰であってもいいというのは自分が存在しないと言っているのと同じことだ。「よみ人知らず」という言い方があるが、ぼくたちひとりひとりは、この世界にいる誰かとして短歌を書いているわけで、どこにもいないなどという事態はあり得ない。あなたは誰か、どこにいるのか、という問いかけから作者は絶対に自由にはなれない。像を求める短歌というものはこうした迷宮の中にあると言っていい。

ことばの中から自分が姿をあらわすようにするというのは、避けがたくあらわれる像の問題とは別に、自分に位置を与えるようにするということを想定して書いた。位置というのもまた掴みにくいことばだが、この世界のどこにいるのか、もしくは、どのあたりにいるのか、という自覚である。控えめに言えば、少なくともどこかにいるのだ、という自覚である。像を問う視線と位置を問う視線は、現代短歌にあっては未分離の状態にある。像を問うことが位置を問うことと混同されている。位置を問うことが像を問うことの中で求められている。すでに記した通り、これらは別のものである。

位置を問う視線が像を問う視線から分離してたしかな自覚をはじめるとき、ほんとの意味で、作品を書くことが生きることだ、という言い方も可能になると思う。こうした思考を実現するのはどのような作品か。ぼくたちの新しい短歌は、そうした問いからはじまる/はじまっているように思われてならない。作品論と実作の基底にこうした思考をすえたところから、またあらためて考えを進めてみたい。