永井陽子さんのこと
べくべからべくべかりべしべきべけれすずかけ並木来る鼓笛隊 『樟の木のうた』

あはれしづかな東洋の春ガリレオの望遠鏡にはなびらながれ  『ふしぎな楽器』

人口に膾炙した永井陽子の代表作である。明るく軽やかだが、文体の底には力強いことばのきらめきを感じる。透きとおったリズムの中で、ことばが嬉々としてふるえている。ことばのふるえに共鳴して世界も一緒にふるえはじめる。ぼくの眼にうつる世界は、たとえどんな角度から眺めてもこうはならない。世界観の間違いを指摘されたような不安が襲って来る。世界を支えている柱が微妙に傾いたような気分になった。イメージ上の優しさとはうらはらに、脅えに近い感情を抱かせる作品だ。

永井陽子さんが逝ってからすでに二か月が過ぎている。まだ涙がかわかない。研究会の案内を送ってあったのに、出席とも欠席とも返事がないなあと気にしていたところへ、突然訃報がとびこんで来た。まだどうしてもほんとのことだとは思えない。今夜にでも「ごめん、忙しかったの」という電話がかかって来たりするんじゃないかという祈りのような妄想がふりはらえない。誰でもいつかは死ぬのだからというあきらめがどこからも出てこない。1951年生まれの彼女の死は、長寿の現代ではあきらかに夭折だろう。

研究会で同席すると、同時代の表層に触れたがるぼくたちの作品を、彼女は手厳しく批判した。わからず屋だなあと感じながら思いきり反論をしていた。会が終るととたんに印象がかわって、何くれとなくぼくたちの未来を考えてくれたりもした。熱くて優しい人だった。死後、鮮烈によみがえったのは、ある日ちょっとはにかんだ表情で彼女が語った、次のようなことばだった。
「同人誌の名前、フォルテって、わたしの歌から採ったんでしょ?」
「ああいう記号をつかった歌、わたしが元祖なのよ、忘れないでね」
いずれもはたして本気で言っていたかどうかはわからない。ただ「わたしのことばのひかりがあなたたちに届いているのよ」というやわらかな主張に、どこか弟的な抵抗感をずっと持ちつづけてはいた。しかしもう実際の経緯なんかどうだっていいという気分になっている。先蹤だろうが元祖だろうが何でも譲りたい。それがぼくたちと彼女の時間をもう一度つないでくれるのならば。

丈たかき斥候(ものみ)のやうな貌(かほ)をしてf(フォルテ)が杉に凭れてゐるぞ

ここはアヴィニョンの橋にあらねど♪♪♪曇り日のした百合もて通る
※JISの一般記号で代替したが、原作の「♪」の部分は四分音符。

くだんのやわらかな主張のみなもとになったと思われる作品である。歌集『ふしぎな楽器』に収められている。また、歌集『てまり唄』の既発表の書評を以下に再掲載しておく。刊行の直後に書いた朝日新聞(中部版)の時評(1995.8)からの抜粋である。

永井陽子が第五歌集『てまり唄』(砂子屋書房)を出版した。言葉や方法論に強いこだわりのある作者と記憶していたが、本書に限っては、個人的な生活の機微に、執拗なまでのこだわりを見せている。仕事中心の生活の中で生れる倦怠感。人間関係に対するうんざりしたような表情。日常の些事にも過敏になりがちな様子。それに、どこへでもいいから日常を逃れてしまいたいという願望。本書全体にそんなモチーフが充満している。

のぎへんの林に入りてねむりたり人偏も行人偏もわすれて

洋服の裏側はどんな宇宙かと脱ぎ捨てられた背広に触れる

仕事にも飽きて閉ぢたるまなうらにれんげが咲いてゐるではないか

あさがほがしづかにほどく藍を見き身の丈ほどの範囲を生きて

雨戸のむかうは海であつたといふやうな朝は一度もなくて古き家

あとがきにも記されているような私事にそって読み解けば、作者の日常が見事に再現されていると感じられるだろう。ただ、注目したいのは、そうした私事の再現ではない。むしろ、掲出作品にみられるような、私事にこだわりながらも滲み出る、この作者本来の言葉や方法論へのこだわりの方だ。現実に密着したモチーフと独特のふわふわした文体が融合してかたちづくられる世界には、重くて軽い一九九〇年代の人間像が見え隠れし、不思議な印象を醸し出している。