ラエティティアについて
加藤治郎、穂村弘とともに運営している文芸のメーリングリスト「ラエティティア」の開設二周年を記念して、東京でオフ会を開催した。126名のメンバーから40名強が参加した。ネット系のオフ会というのはさして珍しいものでもないけれど、歌人を中心とした書き手たちが、オフ会のためにただ集まってわいわいと話している姿には、業界のパーティとも結社の集いとも違った、説明しがたい不思議な空気がただよっていた。どう言ったらいいのかわからない。そこには、書いても書いてもなお渇きつづけている、コミュニケーションへの欲望が渦巻いている気がした。頼もしいと感じる反面、人の孤独感のようなものが集まって過剰なエネルギーを発しているある種の異常さも感じないではいられなかった。ラエティティアは、ぼく自身にも内在するこの異常さに支えられているのだと思う。

開設からすでに二年と数か月が経過しているが、ラエティティアのメール配信数は一日に約20通を維持したまま、通算で15,000通を超えている。比較の対象がないのでこうした数字の示すものをうまく掴めないけれど、たとえばアットニフティの短歌フォーラムのコメント数は、概算でラエティティアの2倍弱、会員数は20倍くらいだと仄聞している。雑談的なコメントも多いため一概には言えないが、それでもやはり、ラエティティアのコミュニケーションのボリュームは過剰だと考えてもいいだろう。

はたしてここから何かが生まれるのか。何も生みださずにただ存在しているだけなのか。運営しているぼく自身、さっぱり将来像というものが見えて来ない。どこかで元気を失い、規模も縮小し、消失してしまうのか、あるいはさらに増殖し、個人の意識のおよばない、予想もできないような方向へ成長するのか。オフ会の席上で、加藤治郎は、メンバーが2000人くらいになれば、自給自足できるメディアとしての機能も果たすことになるではないかとさらっと語っていたが、メーリングリストというシステムが、はたして2000人の発するエネルギーを統御できるものなのか。また穂村弘は、明日にでもあとかたもなく消えてしまうかも知れないと悲観する風でもなく爽やかに語っていたが、もはや運営者の意図を超え、消し去ることのできない生命体のようなものになっている気もする。

ラエティティアは、そして電子ネットワーク上の書き手たちは、いったいどこに向かっているのだろう?