四月某日(2)
四月某日

大阪へ。『岩波現代短歌辞典』がらみのイベントに顔を出して、それから穂村弘や大阪の「かばん」のメンバーと一緒にお茶をした。短歌の場で「後輩」たちと話をすると、ともすれば歌壇の話題に終始して、現代短歌はこれからどうなるのかという展開になるものだけど、どこか空気が違っていた。穂村と二人で何かを言いあっていると、時折みんながけたたましく笑う。現代短歌の話をしているわけで、決してコントをやっているわけじゃない。でも、なんだかとてもおかしいらしい。死にたくなるほど明るい空気が流れていた。すごくいい気分でもあり、不安でもあった。

新幹線の時間待ちをしながら、穂村弘と夕食。「荻原さんは食事は特に必要なかったよね?」となかば真剣な顔で訊かれた。アンドロイドじゃないんだからさ……。食事をしながら、若者のように互いの夢を語った。欲望といった方がいいのかな。あいかわらずほとんど何もかさならない。地球人同士でこんなに夢や欲望の対象が違ってもいいものかと思うくらいかさならない。唯一「歌人たちの世界は変わるよね、変えなきゃね」という点だけが同じだった。でも彼はどう変えたいのだろう? 改札口で彼を見おくりながら、永くともだちでいられますように、と彼の背中に向かって呟いてみた。

四月某日

樋口由紀子さんとなかはられいこさんに新大阪で会った。ふだんあちこちで顔あわせているのに、少人数で会うとなぜかどきどきする。どきどきしたまま川柳の企画について延々と話しこむ。樋口さんは慎重居士で、なかはらさんは猪突猛進、という違いはあれど、二人とも眼をきらきらとさせながら川柳の明日を組みたてようとしている。1980年代の歌人たちはみんなこういう眼をしていたなあと奇妙な懐かしさを感じていた。読んでもらう機会さえあれば、川柳はもっと広い場所に出ることができるのに、その機会がほとんどない、というのが彼女たちのいまの悩み。いい本をつくらなくちゃね。

四月某日

仙波龍英さんが急逝されたと藤原龍一郎さんからメールが届いた。どうにもことばが出ない。悲しいとか淋しいというはっきりした感情ではなく、喪われた何かがじわじわと広がってゆくのがわかる。気持ちが抑えられなくなって、彼の歌集をひらいて、声に出して読んでみた。

 転生の終はりを尋(と)めて天王星あたりさまよふわたくしの死後

 ふりしきる雨にハチ公まへやがて死霊の集ふ濁流となれ

 日の本に雨けぶる朝「花とゆめ」数冊を読む躁きはまれば

 COMIC JUNE 繰りゆく夕べああわれのエクトプラズム腐爛するのみ

 父と子と聖霊なるらし桜狩おでんのたまごばかりを食らふ

仙波龍英『わたしは可愛い三月兎』からの抜粋。1980年代の短歌を熱くしたみなもとに、まちがいなく彼の作品があった。

四月某日

東桜歌会に出席した。今月から正式に幹事を担当することになった。岡井隆さんをはじめ出席者15名と盛会で少しほっとする。今回の出席者は、まひる野4人、未来3人、塔2人、かばん2人、短歌人1人、中部短歌1人、かりん1人、無所属1人(これがぼく)、という構成である。超結社歌会には賛否両論あるが、統一的な力が機能しない場所というのは大切なのではないかと考えている。岡井さんが若いメンバーに向かっていやそれは違うでしょうと熱く語る場所というのは悪くないと思う。ぼくとしても、自説を主張するのにもっともつらい場所なのである。そこが楽しい。