スガヌマという男
阿佐ヶ谷一番街、ここがアタクシの30歳代、仕事場があった場所である。「ヘッドライト」という店で7年、この店が潰れて「デコ」という店に移った。この店はママと一人のバーテンダーで深夜遅くまで営業を続けている特異な店であったが、何の理由か、長く勤めていたバーテンダーが辞め、そのあとをアタクシが志願して入店した。 女の腕というのは凄いものである。鉄火面とひそかにあだ名された塗り壁の大きな顔を持ち、口のわきに付けホクロを描いた背の低い、ひたすら和服で通していたママの私生活がどうしたものであったか最後までわからなかったが、みごとに様々なお客がこの店には常連として通っていた。都会にありがちな狭い店で、カウンターが一本、手を伸ばせば届きそうな対面の壁である。椅子も7つほどあっただろうか、実際の椅子の数は覚えがない。壁の向こうはトイレを共同で使用していた(家主が同じだったのであろう)立ち食いのすし屋銀ちゃんである。お互い大笑いすれば壁を通してお客の動向が把握できる小さくて狭い店であった。ママの飲むものはコーラ一筋、杉並のこの店に、練馬区から車で通っているという状況からアルコールは飲まなかったとしても、一日に何本のコーラを、お客に骨が溶けるといわれ続けこのママは飲んでいただろうか。アタクシは何本のコーラの栓をこのママのために抜いたか、したたかなこのママのコーラを。一度目の結婚のあとである。アタクシは生活のためにこの店で生き抜いた。深夜遅くまで営業を続けているために、アタクシの頂く報酬も破格のものがあった。一度目の妻もバーで働いていた。ある歳など大晦日に二人の給料を合わせた一万円札を畳に並べ、小躍りもしたことがあった。 この店には様々な男が通っていた。医者、石屋、大工、植木屋、タクシーの運転手、自営業、俳優、力士、商社マン、画家、規模は不明であったが社長。詩人はいなかった。アタクシもまだ詩を書いていなかった。ここに、スガヌマという男が忽然と現れたのだ。それは忽然というあらわれ方であった。ママはどこでどうしてこのスガヌマという男と知りあえたのであろう。スガヌマという男は体がデカく、狭い店に坐ると二つの椅子を一人で占領するほどの体躯であった。金遣いが凄かった。当時はまだ高価だったグレープフルーツを用意させ、それを二つ割にしその中にマーテル(ブランデーである)を入れ、呑んでいたのである。アタクシは勘定をどう頂いたか覚えがない。とにかく普段でもこの店は勘定も破格であった。ママの言われるまま勘定書きを出していたのである。アタクシの意思などない。アタクシの意思などないがアタクシが勘定書きを出しアタクシの責任でお勘定を頂いていた。したたかもののママの手法である。アタクシは生活のために働き抜いた。 スガヌマという男は自分の職業を中央競馬のゲートを作っていると申し述べた。アタクシは働きたかった。スガヌマという男の会社で。社員は信じられない破格の給金を貰っていた。アタクシが7年半ここで働いていたアタクシの頂点である。様々な理由でアタクシはこの店を辞めた。そのあとこの店に税務署の監査が入り、脱税を摘発されたことはママから聞いた。充分予測はしていたがアタクシの知らないことである。スガヌマという男の名を新聞で見たのはこの店を辞めてしばらくしてからである。競馬馬のゲートを巡る汚職で新聞に載った。アタクシは様々なカンケイを思い浮かべた。 スガヌマという男はもう一人いる。スポーツクラブのインストラクターである。虫歯であろうか歯が真っ黒で口がだらしなくデカく、あるとき25Mを思いっきり泳いできた。14秒を目指していたのではなかったか。アタクシはプールサイドにいた。カバッと泳ぎ終わって、 タシロさんやりました とアタクシに笑った顔を余裕で持って見せていただけたのはけなげであったが、笑った顔の鼻から青い粘着物がドバッと出てもいるのも知らずに、だらしなくも笑っているもう一人のスガヌマという男であった。 |
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腹痛或いははらいた
突然の差込、というものがある。いかがなされたお女中、あれ、突然のさしこみがァァァァ、という腹痛である。良くないものを食べて又は、ウナギと梅干を食べてという、食べあわせが悪くて差し込んでくることもあろう。寝冷えというのもあろう、空調の効きすぎということもときには生じる。新聞屋が年末に配る高嶋易断の暦には、食べ合わせの悪い食品がイラスト入りで描かれていた。そう、昔はどんなカレンダーにも描かれていたのではなかったか。氷と天ぷら、食い合わせ。AB型とO型なんてのは最悪、いや、そうしたものではない。アタクシはO型である。 女を乗せていた。ドライブである。いささかのお付き合いの生じていた女である。アタクシはまだ30代成り立て、女は20代後半ではなかったか、店の女の子とバーテンダーのアタクシである。よくあるパターンではある。よくあるパターンであるだけに、こうしたことは良くない関係、或いは食い合わせが悪いと厳しく戒められていた。あってはならないことなのである。あってはならないことが、世の中には得てして生じるものだ。いささかのこの関係、アタクシはとぼけていたがやがて女の態度のほうからこの関係はバレた。いえ、ここんとこはそういうことではない。 忘れもしない、青梅街道をたのしいドライブを終えて走っていた。女が小さい声で一度だけ、 トイレに行きたい とささやいた。小さな声で一言だけだ。聞いたアタクシはひたすら青梅街道を走っているのである。当時はコンビにも無かった。今ここでするとなると、車の中でか果てまた、車を止めて道端ということになる。アタクシはひとまずガソリンスタンドを探した。アタクシはそのまま走った。走りながらガソリンスタンドを探した。一軒や二軒はあったのかもしれない。アタクシはどうしょうとしたのか、走った。飛ばした。何処へだ、トイレへだ。あなたならどうする、あなたならどうする、トイレか、しばらくもつであろう、と考えたのではないか。それでも走りながらアタクシはガソリンスタンドを探した。探しながら走ってはいたけれど30分も走ってはいない。そのとき、突如大声で女が叫んだのだ、アタシはまだはっきりと覚えている。耳朶に喰らい付いて離れないあの雄たけびをアタクシはまだはっきりと覚えている。傍らの女はこう叫んだのだ、アタシをコロス気ッ!!!!。夫婦でもない、妻は家だ、あ、恋人というわけでもない。アタシをコロス気ッ!!!!。アタクシはビックリした。コロスなんてとんでもない。助手席の女を見たら形相が変わってた。わっっっっ。切羽詰ったときにとっさに出る言語というのは人間を正直にあらわす。トイレに行かなきゃ死んでしまうものであるか。アタクシはびっくりした。死ぬか。死ぬものであるか、そうだ、苦しみは死に至る病でもある。死ぬのだ。小便を我慢すると死ぬのである。それでももう少し段階的に言っていただけなかったものであろうか、慌てふためきながらもアタクシはそのときそう思ったのである。1時間も前からとは言わない、せめてそんな切羽詰るまで我慢してなくても。 さっきトイレって言ったでしょうが!!!。 アタクシはこれに似た失敗を成人してからもいや、50歳を越えてからもくりかえしていた。一言を聞き逃す。一言を軽んじる。一言を大切に考えない。アタシをコロス気!!などと口ばらせてはならない。或いは腹痛だったのかもしれない。腹痛とはそういうものである。腹痛に至る過程のメカニズムはどうにもわからないけれど。腹痛或いは、はらいたとはそうしたものである。出せは、すっきりする、出て行くことで或いはすっきりするものであるる。死ぬほどの苦しさも死ぬほどの痛みも出すことですっきりする。出て行くことですっきりする。そうすることで痛みが跡形も無く消えるのである。 千代女というこの女とはやがて別れた。 |
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斉藤勝男
宅急便が荷物を持ってくる。どなたであろうかしと差出人を見ると 斉藤勝男 さんとある。斉藤勝男さんは詩人でも絵描きでもましてやカメラマンでもない。20代始めアタクシは斉藤勝男さんと一緒に暮らしていた。暮らすと言うのもいささかいかがわしいが、部屋代の折半節約にお互い利用しあっていたという友である。最終的にはアタクシの女好きの性癖が、とっかえひっかえ部屋に女を連れこんでくるという事態(二人だけであったが)に発展し、そのあまりの騒々しさにほとほと嫌気が差した斉藤勝男さんは、とうとう部屋を出て行ってしまった。そうでなかったかもしれないが、そうである。 斉藤勝男さんは目が深海魚みたいに大きく、深海魚みたいに真面目な性格であった。理由のほどはわからないが、お茶に塩を入れて飲んでいたのも深海魚の斉藤勝男さんである。アタクシらは(かっちゃん)とお呼びしていた。真面目でいてアタクシより年上という状況は、時において多大な負荷も伴う。アタクシは斉藤勝男さんにどのくらいお金を借りたか。ちょっとお借りしてぜんぜんお返ししないのである。1000円だけだったかもしれないし1800円だけだったかもしれない。200円ということもある。借りたアタクシは借りたことを忘れてなおかつ忘れ去ることが正当化するほどの金額なのであった。或いはアタクシはズルイ男でもあった。この歌舞伎町裏手のアパートから柏木にあったバーテンダー学校に通い 斉藤勝男 くんは銀座に就職、アタクシは渋谷のクラブに就職した。以後連絡が消滅する。 なんとも懐かしくなんとも郷愁のさそわれる名前がそこにあったのである。何事であろうかと貼伝にある電話番号をまわすと、「孑孑」のお代であるとの声。年賀状だけの行き来でアタクシは生存証明に「孑孑」をお届けしていただけである。届けた宅急便の大和運輸は20代の斉藤勝男くんとアタクシの勤めていた会社でもある。ここを決然と蹴りアタクシはバーテンダーになった。斉藤勝男さんはなにになっていたのであろうか。アタクシは聞きそびれた。アタクシは聞きそびれた。アタクシは聞きそびれた。アタクシは聞きそびれた。アタクシは聞きそびれた。アタクシは聞きそびれた。斉藤勝男さんとアタクシはまだ生きている。 |
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森林インストラクター
森について考えてみた。森に生きる生物について考えてみた。森が人に与えるエネルギーについて考えてみた。どっちかというと、人が生活していく過程において、どうでもいいような(つまらない)森について考えてみようとしたのだ。もしかしたら森が、森林が、アタクシを呼んでいる。そんな思いがしたのだった。いや、もっと卑近でもっといかがわしい動機が潜在していた。 好意を寄せていた女の子がいた。小学生のアタクシたちは遠足で始めての道を連なって歩いていた。アタクシは今も子供のころも臆病である。臆病で小心者である。しかも卑しい。クラスでも飛び切り上等で飛び切りきれいな女の子を選択したアタクシは、その飛び切り上等で飛び切りきれいな女の子に声もかけれなかった。掃除当番になったとき、その飛び切り上等で飛び切りきれいな女の子の座る椅子に、それまで一日中座っていたお尻の肉の感触を確かめるように、硬く冷たい木の椅子にそっと手をおいて感激にふける卑しい生徒であった。アタクシは列が乱れているのを幸いと、飛び切り上等で飛び切りきれいな女の子の歩く傍へと寄っていったのである。飛び切り上等で飛び切りきれいな女の子は、クラスで一番出来のいい渡邊十絲夫と並んで歩いていた。アタクシはどこまでも卑しい。二人の会話に耳をそばだてていたのだ。飛び切り上等で飛び切りきれいな女の子がわっと声を上げ「植物の名前を知ってるなんて、ワタナベさんすてき!」アタクシはこの瞬間、飛び切り上等で飛び切りきれいな女の子に好かれるために、地球上のあらゆる植物の名前を知悉しようと決意した。植物の名前を知ることが、飛び切り上等で飛び切りきれいな女の子の意向に添うことができる。アタクシはどこまでも卑しくかつ小心者であった。 不思議である。 この飛び切り上等で飛び切りきれいな女の子を意識した小学生のときから今日まで、空白の時を過ごしてきている。確かに子供も持った覚えがある。二人の子供に名前をつけた記憶もある。それでいてアタクシは懸命に、かつたくましく生きていたのか。ぐーたらにかつ横着に生きてきていたのか。60歳になって突然植物の感覚に目覚めたのだ。森の植物を知ることで、飛び切り上等で飛び切りきれいな女の子にふたたび会いたいと思ったのだ。 森林インストラクターの資格試験は、一次試験が森林、林業、森林内の野外活動、安全及び教育の4科目。これを通過して二次試験の実技と面接になっている。アタクシは一次試験合格まで三年を要した。合格した科目は三年まで据え置かれる。つまり、三年目で合格しないとすべてチャラになるのである。ぐずぐずしていられない。飛び切り上等で飛び切りきれいな女の子も歳を取ってしまう。アタクシは森林インストラクターの資格試験に3年を要して合格した。合格して気がつくとアタクシは家に一人でいた。飛び切り上等で飛び切りきれいな女の子をみつけて昨日まで一緒にいたはずなのに、昨日まで、飛び切り上等で飛び切りきれいな女の子の、飛び切り美しくなった大きなお尻を抱いていたのに、アタクシはどこにいるのか。火の消えた冷たく寒い家で何を探しているのか。まだ、飛び切り上等で飛び切りきれいなお尻を見せてくれた女の子を探しているのか。不思議な空間にアタクシは今漂っている。 |
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写真展
絵を(少し)齧っているとおっしゃるご婦人から、このギャラリーでの空間には、これでは写真が多すぎる、との申し出があった。写真が多すぎて一枚一枚をゆっくり見ることができない、これでは写真がかわいそうではないか。とおっしゃる申し出である。ふーむ、なるほど指摘されればごもっとも、確かに並べすぎた。数あればよいという問題でもない。空間をね、もっと大事に生かさなくちゃ。ごもっともである。カメラマンである以前に(少しは)詩人であるアタクシの迂闊な並べ方であった。ねえねえ、これもったいないねえ、下がまっさらじゃないのよ、二段に組めばページが半分になるじゃないの。詩ってむだなことやってるねー、 外した写真 は 下において 掛け てある写真 は 上へ 上げるといいわね ふーむ アタクシ は 少しのこだわり と 充分な柔軟性も 兼ね 備えている 日和見主義者であるとも言いえる 言いたいこと をずば ずば 言 っちゃって、いえ いえ 言ってくださること で 見えない部分が見え て くるものでたしかに おっしゃるとおりです ↑ とかいたとしよう。もったいないではないか、ここんとこが無駄であるなにさこれは、という発言が詩というものにふれたことのないひとにはある。あって当然である。これはね、ひとつに生き抜きなのですよ。と具申したところで聞かない。さっそく工事に取り掛かる。 中から4枚を取り外し少しずつ空間を開けていく作業中に岡田さん、加藤さんが来訪。岡田さんが、これなんだかわーーかるであるかと、烈開して紅色の実を付けた木の枝を差し出す。わからない。オガタマの木であーーると。岡田さん。しばし、オガタマとはどう表記するか意見が噴出するかと思いきや、加藤さんがすばやく電子辞書を開いて小賀玉の木と呈示する。ちよっと感じが違うなあ。霊という字が入ったような思いがすると、アタクシと岡田さん。4年前のアタクシは菜の花にひまわりしか花という名を知らなかった。いや、アサガオとタンポポくらいはかろうじて判別できえた。いや、スミレは、チューリップは、マスカットはグレープフルーツは、 ハンショウヅルを教えてくれたのは岡田さんである。マタタビを教えてくれたのは岡田さんである。節分草が足の踏み場もないほど乱れ咲く秘境を教えてくれたのは岡田さんである。六月に2週間しか飛ばないヒメヒカゲの出没する秘境を教えてくれたのは岡田さんである。東三河のカラマツバヤシをのありか教えてくれたのは岡田さんである。イチヤクソウのありかを教えてくれたのは岡田さんである。アタクシ(ら)はそれから少しずつ花の名前を覚えていった。アタクシ(ら)は少しずつ花のありかを覚えていった。アタクシ(ら)は額を寄せて見つけた花の検索にへと入り込んでいった。そのあとアタクシ(だけが)少しずつ植物の世界に入り込んでいった。アタクシ(だけが)植物の写真を撮る方向へとのめりこんでいった。このあたりで一本のレールがすでに分岐を始めていたのだ。呼び戻しても声の届かない方向へと。 あのリースも二つ並べないで一つに重ねたほうがいいわね、もっと立体的に。どうぞご自由に並べ替えてください。いいかしら勝手にいじっちゃって、一つのリースにはカラスウリ、一つのリースにはサンカクヅル、ほら、これでいいわよ。完璧とは思っていないが、完璧に近いレイアウトであるとアタクシは思っていた。そういうものだ。いや、ここは写真展ではなかったか。アタクシはイーグルスを聞いている。アタクシは持参したイーグルスのホテルカリフォルニアを聞いている。入った以上この写真展からは出られない。ワインはおろかビールも飲めない。いや、面会人との出会いのため食事すら取ることは許されない。アタクシは持参して聞くイーグルスのホテルカリフォルニアにじっと耳を澄ます。物憂げな監獄の歌を。少しは絵を(齧った)とおっしゃったお二人は消え、少しは書を(たしなんでいる)という初老の男がアタクシの前に立つ。
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救命講習
三時間の救命講習を受けることになった。心肺蘇生法である。つまり死んだかのごとく倒れている人を、いかにして蘇生させるかという講習を、人形を前に置いての実際である。口から息を吹き込むと人形は胸を膨らませる。よくできていて簡単なようだが、実際をやってみるとこれがなかなか思うように息が吹き込めない。ならば膨らませましょうと、満身勢いをつけて息を吹き込めば、もっと静かにと指導が入る。どっと笑いがでたのは、必ず声をかけてください、酔っ払いということもありますから。経験からの実際であろう。頭を抑えて、口を開けて、ああ、北井さん、(突出した前歯が重なってそれがそそるグラマーな人がいたのだ)これから実際をお見せします。よく見ておいてこのあとで続けてください。若い消防署員が前に出て置かれた人形を前に実際を披露する。体格のいい若い消防署員だ。ふーん、襟が外れるのだ。汚れた襟だけ外して洗うのだ。よくできた消防署の制服、よくできた人形。周囲の状況よし。と、体格のいい若い消防署員は右手人差し指で虚空に円を描く、大出血なし、と人形をなぞって同じように円を描く、ここで、意識の確認と、声を出す。もしもしもしもしもしと、人形の耳元で声をだんだん大きくする。意識なしとつぶやくようにしかし明瞭に声を出す、だれか救急車をお願いします、とあたりを見回す、気道確保、声を出す、呼吸の確認、と人形を凝視する、ここで、1・2・3・4・5・6と数える、呼吸なしと声を出す、人工呼吸、とつぶやくようにいう、人形の口に口をあてがい息を吹き込む、ああ、北井さん、循環のサインなし と、人形の胸の辺りを見る、心肺蘇生 と、みぞおちの上に重ねた両手を置き体重をかけてぐいぐいぐいと押し続ける。これに続けてやってくれろというのだ。 講習である。 講習であるからちっとも緊迫感がない。北井さんは笑っている。 岡田(亜木子)さんは笑いをかみ殺している。そうだろう、可笑しくはないが、おかしい。 真剣に演技を終えた体格のいい若い消防署員はさして暑くもないのにびっしょり汗をかいている。 四十人、 一斑二十ずつに編成された裸の女性を前にしている。これで汗をかくなというほうが酷である。 体格のいい若い消防署員だ。北井さんは胸がデカイ お尻も大きい。 目の前で北井さんのオシリが油断している。裸のお尻だ。 体格のいい若い消防署員は裸の北井さんのお尻を目の当たりにしている。 北井さんが人形の息入れにちっともうまくいかないのに懸命になればなるほど、 北井さんのオシリがそそり立つ。 北井さん、僕は瞑目しているよ。 北井さん、 赤川由紀子さん梶和代さん神谷孝子さん鈴木絹子さん土佐佳予子さん豊田桃子さん彦坂和江さん松永恵美子さん小澤里香さん葛野いち子さん竹本栄子さん田代武夫さん辺見泰子さん岡田亜ホ子さん 北井玲子さん 救急講習だった。単純な一連の行動、ことを実際どおりに運ぼうとすると、あせる、なやむ、あわてるしくじる、誰か救急車を呼んでください 呼び忘れる。三時間の救命講習は三時間の時間がきて終わりこれだけの行程で豊川市消防長の朱印の入った《普通救命講習終了証》の交付、これだけのことで、これだけではたして人形の口に、いや、北井さんのチャーミングな口に、息が吹き込めるか、吸ってしまったりすることはないか、心臓をたたき続けられるか、心臓のあたりを揉んでしまったりすることはないか、23年の間、所持したままの終了証を持っている。工事現場での特殊車両の運転終了証だ、千葉の検定所で僕は仲間から一人外され、日が落ちるまでレバーの操作をやり直されていた。日が沈み、僕は許された。はたして特殊車両などいま、動かすことができるか、地平線に向かって、地面を平らにしていくことができるか。はたして、北井さんの唇を吸い続けることができるか、北井さんの胸を触りつづけられるか。 |