スガヌマという男

 阿佐ヶ谷一番街、ここがアタクシの30歳代、仕事場があった場所である。「ヘッドライト」という店で7年、この店が潰れて「デコ」という店に移った。この店はママと一人のバーテンダーで深夜遅くまで営業を続けている特異な店であったが、何の理由か、長く勤めていたバーテンダーが辞め、そのあとをアタクシが志願して入店した。

 女の腕というのは凄いものである。鉄火面とひそかにあだ名された塗り壁の大きな顔を持ち、口のわきに付けホクロを描いた背の低い、ひたすら和服で通していたママの私生活がどうしたものであったか最後までわからなかったが、みごとに様々なお客がこの店には常連として通っていた。都会にありがちな狭い店で、カウンターが一本、手を伸ばせば届きそうな対面の壁である。椅子も7つほどあっただろうか、実際の椅子の数は覚えがない。壁の向こうはトイレを共同で使用していた(家主が同じだったのであろう)立ち食いのすし屋銀ちゃんである。お互い大笑いすれば壁を通してお客の動向が把握できる小さくて狭い店であった。ママの飲むものはコーラ一筋、杉並のこの店に、練馬区から車で通っているという状況からアルコールは飲まなかったとしても、一日に何本のコーラを、お客に骨が溶けるといわれ続けこのママは飲んでいただろうか。アタクシは何本のコーラの栓をこのママのために抜いたか、したたかなこのママのコーラを。一度目の結婚のあとである。アタクシは生活のためにこの店で生き抜いた。深夜遅くまで営業を続けているために、アタクシの頂く報酬も破格のものがあった。一度目の妻もバーで働いていた。ある歳など大晦日に二人の給料を合わせた一万円札を畳に並べ、小躍りもしたことがあった。

 この店には様々な男が通っていた。医者、石屋、大工、植木屋、タクシーの運転手、自営業、俳優、力士、商社マン、画家、規模は不明であったが社長。詩人はいなかった。アタクシもまだ詩を書いていなかった。ここに、スガヌマという男が忽然と現れたのだ。それは忽然というあらわれ方であった。ママはどこでどうしてこのスガヌマという男と知りあえたのであろう。スガヌマという男は体がデカく、狭い店に坐ると二つの椅子を一人で占領するほどの体躯であった。金遣いが凄かった。当時はまだ高価だったグレープフルーツを用意させ、それを二つ割にしその中にマーテル(ブランデーである)を入れ、呑んでいたのである。アタクシは勘定をどう頂いたか覚えがない。とにかく普段でもこの店は勘定も破格であった。ママの言われるまま勘定書きを出していたのである。アタクシの意思などない。アタクシの意思などないがアタクシが勘定書きを出しアタクシの責任でお勘定を頂いていた。したたかもののママの手法である。アタクシは生活のために働き抜いた。

 スガヌマという男は自分の職業を中央競馬のゲートを作っていると申し述べた。アタクシは働きたかった。スガヌマという男の会社で。社員は信じられない破格の給金を貰っていた。アタクシが7年半ここで働いていたアタクシの頂点である。様々な理由でアタクシはこの店を辞めた。そのあとこの店に税務署の監査が入り、脱税を摘発されたことはママから聞いた。充分予測はしていたがアタクシの知らないことである。スガヌマという男の名を新聞で見たのはこの店を辞めてしばらくしてからである。競馬馬のゲートを巡る汚職で新聞に載った。アタクシは様々なカンケイを思い浮かべた。

 スガヌマという男はもう一人いる。スポーツクラブのインストラクターである。虫歯であろうか歯が真っ黒で口がだらしなくデカく、あるとき25Mを思いっきり泳いできた。14秒を目指していたのではなかったか。アタクシはプールサイドにいた。カバッと泳ぎ終わって、 タシロさんやりました とアタクシに笑った顔を余裕で持って見せていただけたのはけなげであったが、笑った顔の鼻から青い粘着物がドバッと出てもいるのも知らずに、だらしなくも笑っているもう一人のスガヌマという男であった。

腹痛或いははらいた 

 突然の差込、というものがある。いかがなされたお女中、あれ、突然のさしこみがァァァァ、という腹痛である。良くないものを食べて又は、ウナギと梅干を食べてという、食べあわせが悪くて差し込んでくることもあろう。寝冷えというのもあろう、空調の効きすぎということもときには生じる。新聞屋が年末に配る高嶋易断の暦には、食べ合わせの悪い食品がイラスト入りで描かれていた。そう、昔はどんなカレンダーにも描かれていたのではなかったか。氷と天ぷら、食い合わせ。AB型とO型なんてのは最悪、いや、そうしたものではない。アタクシはO型である。

 女を乗せていた。ドライブである。いささかのお付き合いの生じていた女である。アタクシはまだ30代成り立て、女は20代後半ではなかったか、店の女の子とバーテンダーのアタクシである。よくあるパターンではある。よくあるパターンであるだけに、こうしたことは良くない関係、或いは食い合わせが悪いと厳しく戒められていた。あってはならないことなのである。あってはならないことが、世の中には得てして生じるものだ。いささかのこの関係、アタクシはとぼけていたがやがて女の態度のほうからこの関係はバレた。いえ、ここんとこはそういうことではない。

 忘れもしない、青梅街道をたのしいドライブを終えて走っていた。女が小さい声で一度だけ、 トイレに行きたい とささやいた。小さな声で一言だけだ。聞いたアタクシはひたすら青梅街道を走っているのである。当時はコンビにも無かった。今ここでするとなると、車の中でか果てまた、車を止めて道端ということになる。アタクシはひとまずガソリンスタンドを探した。アタクシはそのまま走った。走りながらガソリンスタンドを探した。一軒や二軒はあったのかもしれない。アタクシはどうしょうとしたのか、走った。飛ばした。何処へだ、トイレへだ。あなたならどうする、あなたならどうする、トイレか、しばらくもつであろう、と考えたのではないか。それでも走りながらアタクシはガソリンスタンドを探した。探しながら走ってはいたけれど30分も走ってはいない。そのとき、突如大声で女が叫んだのだ、アタシはまだはっきりと覚えている。耳朶に喰らい付いて離れないあの雄たけびをアタクシはまだはっきりと覚えている。傍らの女はこう叫んだのだ、アタシをコロス気ッ!!!!。夫婦でもない、妻は家だ、あ、恋人というわけでもない。アタシをコロス気ッ!!!!。アタクシはビックリした。コロスなんてとんでもない。助手席の女を見たら形相が変わってた。わっっっっ。切羽詰ったときにとっさに出る言語というのは人間を正直にあらわす。トイレに行かなきゃ死んでしまうものであるか。アタクシはびっくりした。死ぬか。死ぬものであるか、そうだ、苦しみは死に至る病でもある。死ぬのだ。小便を我慢すると死ぬのである。それでももう少し段階的に言っていただけなかったものであろうか、慌てふためきながらもアタクシはそのときそう思ったのである。1時間も前からとは言わない、せめてそんな切羽詰るまで我慢してなくても。

 さっきトイレって言ったでしょうが!!!。

 アタクシはこれに似た失敗を成人してからもいや、50歳を越えてからもくりかえしていた。一言を聞き逃す。一言を軽んじる。一言を大切に考えない。アタシをコロス気!!などと口ばらせてはならない。或いは腹痛だったのかもしれない。腹痛とはそういうものである。腹痛に至る過程のメカニズムはどうにもわからないけれど。腹痛或いは、はらいたとはそうしたものである。出せは、すっきりする、出て行くことで或いはすっきりするものであるる。死ぬほどの苦しさも死ぬほどの痛みも出すことですっきりする。出て行くことですっきりする。そうすることで痛みが跡形も無く消えるのである。

千代女というこの女とはやがて別れた。

斉藤勝男

 宅急便が荷物を持ってくる。どなたであろうかしと差出人を見ると 斉藤勝男 さんとある。斉藤勝男さんは詩人でも絵描きでもましてやカメラマンでもない。20代始めアタクシは斉藤勝男さんと一緒に暮らしていた。暮らすと言うのもいささかいかがわしいが、部屋代の折半節約にお互い利用しあっていたという友である。最終的にはアタクシの女好きの性癖が、とっかえひっかえ部屋に女を連れこんでくるという事態(二人だけであったが)に発展し、そのあまりの騒々しさにほとほと嫌気が差した斉藤勝男さんは、とうとう部屋を出て行ってしまった。そうでなかったかもしれないが、そうである。 

 斉藤勝男さんは目が深海魚みたいに大きく、深海魚みたいに真面目な性格であった。理由のほどはわからないが、お茶に塩を入れて飲んでいたのも深海魚の斉藤勝男さんである。アタクシらは(かっちゃん)とお呼びしていた。真面目でいてアタクシより年上という状況は、時において多大な負荷も伴う。アタクシは斉藤勝男さんにどのくらいお金を借りたか。ちょっとお借りしてぜんぜんお返ししないのである。1000円だけだったかもしれないし1800円だけだったかもしれない。200円ということもある。借りたアタクシは借りたことを忘れてなおかつ忘れ去ることが正当化するほどの金額なのであった。或いはアタクシはズルイ男でもあった。この歌舞伎町裏手のアパートから柏木にあったバーテンダー学校に通い 斉藤勝男 くんは銀座に就職、アタクシは渋谷のクラブに就職した。以後連絡が消滅する。

 なんとも懐かしくなんとも郷愁のさそわれる名前がそこにあったのである。何事であろうかと貼伝にある電話番号をまわすと、「孑孑」のお代であるとの声。年賀状だけの行き来でアタクシは生存証明に「孑孑」をお届けしていただけである。届けた宅急便の大和運輸は20代の斉藤勝男くんとアタクシの勤めていた会社でもある。ここを決然と蹴りアタクシはバーテンダーになった。斉藤勝男さんはなにになっていたのであろうか。アタクシは聞きそびれた。アタクシは聞きそびれた。アタクシは聞きそびれた。アタクシは聞きそびれた。アタクシは聞きそびれた。アタクシは聞きそびれた。斉藤勝男さんとアタクシはまだ生きている。

森林インストラクター 

 森について考えてみた。森に生きる生物について考えてみた。森が人に与えるエネルギーについて考えてみた。どっちかというと、人が生活していく過程において、どうでもいいような(つまらない)森について考えてみようとしたのだ。もしかしたら森が、森林が、アタクシを呼んでいる。そんな思いがしたのだった。いや、もっと卑近でもっといかがわしい動機が潜在していた。

 好意を寄せていた女の子がいた。小学生のアタクシたちは遠足で始めての道を連なって歩いていた。アタクシは今も子供のころも臆病である。臆病で小心者である。しかも卑しい。クラスでも飛び切り上等で飛び切りきれいな女の子を選択したアタクシは、その飛び切り上等で飛び切りきれいな女の子に声もかけれなかった。掃除当番になったとき、その飛び切り上等で飛び切りきれいな女の子の座る椅子に、それまで一日中座っていたお尻の肉の感触を確かめるように、硬く冷たい木の椅子にそっと手をおいて感激にふける卑しい生徒であった。アタクシは列が乱れているのを幸いと、飛び切り上等で飛び切りきれいな女の子の歩く傍へと寄っていったのである。飛び切り上等で飛び切りきれいな女の子は、クラスで一番出来のいい渡邊十絲夫と並んで歩いていた。アタクシはどこまでも卑しい。二人の会話に耳をそばだてていたのだ。飛び切り上等で飛び切りきれいな女の子がわっと声を上げ「植物の名前を知ってるなんて、ワタナベさんすてき!」アタクシはこの瞬間、飛び切り上等で飛び切りきれいな女の子に好かれるために、地球上のあらゆる植物の名前を知悉しようと決意した。植物の名前を知ることが、飛び切り上等で飛び切りきれいな女の子の意向に添うことができる。アタクシはどこまでも卑しくかつ小心者であった。

 不思議である。

 この飛び切り上等で飛び切りきれいな女の子を意識した小学生のときから今日まで、空白の時を過ごしてきている。確かに子供も持った覚えがある。二人の子供に名前をつけた記憶もある。それでいてアタクシは懸命に、かつたくましく生きていたのか。ぐーたらにかつ横着に生きてきていたのか。60歳になって突然植物の感覚に目覚めたのだ。森の植物を知ることで、飛び切り上等で飛び切りきれいな女の子にふたたび会いたいと思ったのだ。

 森林インストラクターの資格試験は、一次試験が森林、林業、森林内の野外活動、安全及び教育の4科目。これを通過して二次試験の実技と面接になっている。アタクシは一次試験合格まで三年を要した。合格した科目は三年まで据え置かれる。つまり、三年目で合格しないとすべてチャラになるのである。ぐずぐずしていられない。飛び切り上等で飛び切りきれいな女の子も歳を取ってしまう。アタクシは森林インストラクターの資格試験に3年を要して合格した。合格して気がつくとアタクシは家に一人でいた。飛び切り上等で飛び切りきれいな女の子をみつけて昨日まで一緒にいたはずなのに、昨日まで、飛び切り上等で飛び切りきれいな女の子の、飛び切り美しくなった大きなお尻を抱いていたのに、アタクシはどこにいるのか。火の消えた冷たく寒い家で何を探しているのか。まだ、飛び切り上等で飛び切りきれいなお尻を見せてくれた女の子を探しているのか。不思議な空間にアタクシは今漂っている。

写真展 

 絵を(少し)齧っているとおっしゃるご婦人から、このギャラリーでの空間には、これでは写真が多すぎる、との申し出があった。写真が多すぎて一枚一枚をゆっくり見ることができない、これでは写真がかわいそうではないか。とおっしゃる申し出である。ふーむ、なるほど指摘されればごもっとも、確かに並べすぎた。数あればよいという問題でもない。空間をね、もっと大事に生かさなくちゃ。ごもっともである。カメラマンである以前に(少しは)詩人であるアタクシの迂闊な並べ方であった。ねえねえ、これもったいないねえ、下がまっさらじゃないのよ、二段に組めばページが半分になるじゃないの。詩ってむだなことやってるねー、

外した写真                                       は                                           下において                                       掛け                                                     てある写真                                                は                                                   上へ                                                 上げるといいわね                                             ふーむ                                                    アタクシ                                                は                                                 少しのこだわり                                              と                                                  充分な柔軟性も                                           兼ね                                          備えている                                              日和見主義者であるとも言いえる                              言いたいこと                                      をずば                                                 ずば                                                  言                                                  っちゃって、いえ                                             いえ                                                      言ってくださること                                      で                                              見えない部分が見え                                          て                                                    くるものでたしかに                                          おっしゃるとおりです                                                  

                                                       とかいたとしよう。もったいないではないか、ここんとこが無駄であるなにさこれは、という発言が詩というものにふれたことのないひとにはある。あって当然である。これはね、ひとつに生き抜きなのですよ。と具申したところで聞かない。さっそく工事に取り掛かる。

 中から4枚を取り外し少しずつ空間を開けていく作業中に岡田さん、加藤さんが来訪。岡田さんが、これなんだかわーーかるであるかと、烈開して紅色の実を付けた木の枝を差し出す。わからない。オガタマの木であーーると。岡田さん。しばし、オガタマとはどう表記するか意見が噴出するかと思いきや、加藤さんがすばやく電子辞書を開いて小賀玉の木と呈示する。ちよっと感じが違うなあ。霊という字が入ったような思いがすると、アタクシと岡田さん。4年前のアタクシは菜の花にひまわりしか花という名を知らなかった。いや、アサガオとタンポポくらいはかろうじて判別できえた。いや、スミレは、チューリップは、マスカットはグレープフルーツは、

 ハンショウヅルを教えてくれたのは岡田さんである。マタタビを教えてくれたのは岡田さんである。節分草が足の踏み場もないほど乱れ咲く秘境を教えてくれたのは岡田さんである。六月に2週間しか飛ばないヒメヒカゲの出没する秘境を教えてくれたのは岡田さんである。東三河のカラマツバヤシをのありか教えてくれたのは岡田さんである。イチヤクソウのありかを教えてくれたのは岡田さんである。アタクシ(ら)はそれから少しずつ花の名前を覚えていった。アタクシ(ら)は少しずつ花のありかを覚えていった。アタクシ(ら)は額を寄せて見つけた花の検索にへと入り込んでいった。そのあとアタクシ(だけが)少しずつ植物の世界に入り込んでいった。アタクシ(だけが)植物の写真を撮る方向へとのめりこんでいった。このあたりで一本のレールがすでに分岐を始めていたのだ。呼び戻しても声の届かない方向へと。

 あのリースも二つ並べないで一つに重ねたほうがいいわね、もっと立体的に。どうぞご自由に並べ替えてください。いいかしら勝手にいじっちゃって、一つのリースにはカラスウリ、一つのリースにはサンカクヅル、ほら、これでいいわよ。完璧とは思っていないが、完璧に近いレイアウトであるとアタクシは思っていた。そういうものだ。いや、ここは写真展ではなかったか。アタクシはイーグルスを聞いている。アタクシは持参したイーグルスのホテルカリフォルニアを聞いている。入った以上この写真展からは出られない。ワインはおろかビールも飲めない。いや、面会人との出会いのため食事すら取ることは許されない。アタクシは持参して聞くイーグルスのホテルカリフォルニアにじっと耳を澄ます。物憂げな監獄の歌を。少しは絵を(齧った)とおっしゃったお二人は消え、少しは書を(たしなんでいる)という初老の男がアタクシの前に立つ。

 

生足 

 午後5時、東京発の新幹線は空いていた。名古屋行きこだまである。同じ料金なので一度ひかりに乗車したいものと思っても、なかなかタイミングが合わない。アタクシは缶ビールとカツサンドを手に二人がけ窓際に位置した。空いている座席で窓際を選ぶというのは、とり立てて車窓の風景に関心があるいうことではなく成り行きである。

 アタクシのとなりはあいている。横並びの向こう側の席は三人がけ。気のよさそうな普通に歳を召されているご夫婦が小声で話をして缶のお茶を飲まれている(夫婦であろう)。熱海でどやどやっと人が乗ってきた。アタクシは座席の鞄を足元に下ろし席を空けた。座る人がいなければまた鞄を座席に戻すつもりではある。何気なく鞄を置くことで人を排除できる。まさかの椅子からはみ出るような人が来られると、小さい体にまた遠慮深いアタクシは終始憂鬱である。

 一度など白く膨れた女の外人(英語圏であった)が横にどかんと座り、ただでさえ狭い座席にパソコンを広げなにやら打ち始めたのである。それだけならまだしも、ケータイを取り出しなにやら話しながらパソコンを打ちはじめているのである。アタクシは腹が立った。言語がわからないまでも横でごちゃごちゃ、トンツー、わずらわしく鬱陶しいかぎりである。あまりの鬱陶しさに席を移動しようにも、白く膨れた女の外人は、すっぽりと狭い座席に体をはめ込み前にはパソコンである。隙間もない。アタクシは体を小さくしているほかなかった。ともするとこんなこともある。隣に座りおりし年配人が、コーラを開けながらアタクシにその飛まつを浴びせたのである。できることなら下りるまで一人で二つの座席を占領したい。

 アタクシの飲む缶ビールの先に生足が見えた。紺のソックスである。チェックのひだスカートである。女子高生である。アタクシと眼が合った。どうぞとアタクシは申し上げた。ありがとうございますと座った後ろにご一緒であったお母さん(らしき)人が座った。離れ離れである。アタクシが移動すればご一緒に座れるであろうと一瞬考えたけれど、生足の誘惑は強かった。アタクシの意識を引き止めたのだ。しかし次の駅で席が空き、母の呼ぶ声と共に女子高生はアタクシに会釈をして移動した。挨拶のきちんとできる女子高生ではござりませぬか。生足は去ってしまった。代わりに太い男が鞄を提げてとなりのご夫婦の空いている席で止まった。どうぞと奥さん(らしき人)が手招いた。普通の行為である。

 問題はこのあとであった。白いふやけた顔をした男はメガネを押し上げつつ、ぶつくさ独り言を言い始めたのだ。普通ではない。そしてぶよんとした白い男は靴を脱いだのだ。アタクシは靴下を履かずに革靴をはく男を見たのはこれが始めてである。白い大きな足が目の前に差し出された。足を組んでいる。気のよさそうな普通のご夫婦の奥様のお茶を持つ手が一瞬止まった。生足の入れ替えであった。次の駅で空いてるアタクシのとなりに女性が座った。まさかの男のぶらぶら生足で席を立った。アタクシは観察することにした男を。生足ではない。男を。終始ぶつくさ何かをしゃべっている。男は白いカッターシャツに背広に革靴である。見た目は普通のなりである。いや、普通以上のなりかもしれない。アタクシは豊橋で下りた。人のよさそうなご夫婦と男の生足は夕焼けも見ずにどこまで行ったろう。いや、名古屋止まりである。行っても名古屋までだ。一週間たつというのに、女子高生の生足と男の生足がアタクシの意識の中でまだ交錯している。 

六本木ヒルズ  

 という場所へ案内していただいた。正直なところこのごろはこうした建造物にちっとも反応できないわが身の愚鈍さが怖いといえばコワイのであって、探究心が年毎に失せていってる現実もあわせて怖いといえば怖いのであって、それでもせっかくの東京である。せっかくの東京のついでということもあるのであって、時間さえ捻出すればこと足りるのではないか。

 もっとコワイのは世情の関心のなさではあるまいか。一発のロケットがなにやら1100億円である。1100億円がボタン一発で消えてもどこ吹く風で年金カットでサカグチさんが口をもごもごさせるだけ。巨大な宇宙花火に国民が騒ぎもしない世の中の現状である。あの破壊ボタンを押したヒトはいかなるご心境であらせられたのか。蒲郡の3尺玉花火が100万円ですか。この宇宙花火から比べれば小さい小さい。

 いやはや六本木ヒルズは大きい大きい、巨大建造物だらけであった。毛利庭園なる池の周りを毛並みの不思議なボルゾイを連れて颯爽と走っていた生き物などいったいどういう生き物なのであろうか。はてまた六本木ヒルズに集結する生き物たちも。ガードマンのねえちゃん(失礼)もまたお若く、話しかければ素直そのもので誘拐もしたくなる、飼育の部屋へ。ヒトの集結する場所には摩訶不思議な生き物もいらしたりして、中判カメラの暗幕をかぶったりのぞいたりなにやら構図を決めている生き物を見かけて、ここでイベントでも始まるものであるのかガードマンのねえちゃん(失礼)聞き及べば、「朝からああしてるんですう」ふーーむ、腕章などつけているからどこぞかのカメラマンととれないこともないが、ヒトの集結する場所には腕章さえつけていればテロリストたちもやすやすと潜りこむこともできるコワサも内包しているのであって、けやき坂という坂を昇ったり下りたりしているエコタクシーは、むかし子供に買って与えた人力自動車のようなもので、笑顔で乗りませんかといってはくださるけれと、いえいえどうしてどうして、いくらお若いからといってそんなご苦労なこと、だいいち見れば大した坂でもなくのんびり歩けばこと足りるものでもありますまいか。アタクシは乗車賃300円を写真に撮り、クモがクモがとおっしゃるので積乱雲かいや、時節では絹雲かと思いきや、ごらんのごとくママンと名づけられた巨大な蜘蛛が足を広げていた六本木ヒルズのいっときであった。

キャベツの芯  

 アタクシは貧乏性なものでちっとも苦にならないのであるが、お皿の上、どんぶりの中、焼けたトタン屋根の上、或いは下で世界一疎まれるものが、キャベツの芯、では、ないか。体験的にどうもそんな気がするのである。見るからにもはてまた、お付き合いしている中でも、これ以上お人よしはないではないかというトモダチのぴか一ことイシグロさんにしても、アタクシにとっては愕然とする事実があったことを告げよう。

 ある日、ぴか一ことイシグロさんにおいては、世界一お好みでおられる焼きうどんを、いつものようにいつもの作り方でお出ししたのだ。その日は月一、わが店にて開かれる定例のアドビ兼フォト教室で、ぴか一ことイシグロさんの担当はアドビ、アタクシの担当はフォト兼焼きうどん加えてのタコのチヂミとお好みの飲み物作りである。仕事を済ませ一人遅く到着したぴか一ことイシグロさんは、

チューハイ片手に大皿一面のタコチヂミを平らげ

チューハイ片手に大皿一面のタコチヂミを平らげ

チューハイ片手に大皿一面のタコチヂミを平らげ

チューハイ片手に大皿一面のタコチヂミを平らげ

チューハイ片手に大皿一面のタコチヂミを平らげ

チューハイ片手に大皿一面のタコチヂミを平らげ

チューハイ片手に大皿一面のタコチヂミを平らげ

チューハイ片手に大皿一面のタコチヂミを平らげ

チューハイ片手に大皿一面のタコチヂミを平らげ

チューハイ片手に大皿一面のタコチヂミを平らげ

(山村暮鳥が髣髴としてはこないか)

つづいて懇請こめておつくり申し上げたアタクシの焼きうどんに突入していたのである。

 申し上げておかねばならないがアタクシは、アタクシの作った(ささやかな)料理にぴか一ことイシグロさんならずとも、だれかれアタクシのおつくり申し上げた(ささやかな)料理に突入してくださる姿を見ると決然と勃起するのである。いや失礼看護婦のももこさんにお会いしてでない、決然とアタクシは奮起するのである。やったぜ!ビンゴ!(ハリウッド映画を真似て)ぴか一ことイシグロさんはとても礼儀正しい人で、そのうえ遠慮深く思慮深い。決して自我を出さない人であまつさえ、アタクシたち一人一人にねぎらう気持ちを常に忘れない、なおかつ決して笑顔を絶やすことのない人で、ぴか一ことイシグロさんがしかめっ面するときがもしあるとするならば、一週間体内に溜め込んだフン、を捻り出すときか果てまた、やってれば)ヤクが切れたときとしか想像できない。ぴか一ことイシグロタテオさんは今日一日何も食していなかったごとく、もくもくと焼きうどんに突入していたのである。その姿は神々しくもあった。アタクシたち4人はおしゃべりに夢中だ。そしてやがて食し終えたぴか一ことイシグロタテオさんの冷めた鉄板に眼をやればなんと、キャベツの芯がポツリ。冷めた鉄板の真ん中にキャベツの芯がポツリ、ああ、満足したとチューハイで口を漱ぎながらごちそうさまでしたと箸を置く冷めた鉄板にキャベツの芯がポツリ。なにかさだまさしふうになってしまったなあ、キャベツの芯がポツリ、靴下に穴がポツリ。あなたなーらどうする、あなたなーらどうする、泣くの歩くの死んじゃうの、あなたなーら、あなたなーら、いしだあゆみにもなるなあ、

 アタクシは愕然としたのである。あのひたすら苦行難業にも耐えんとする面持ちのぴか一ことイシグロタテオさんが、キャベツの芯ごときの真っ白の一つをお残しになられたのだ。そして同時にアタクシは悟ったのであった。アタクシはいい、アタクシは別だ、アタクシはキャベツの芯を食するけれど、アタクシはウサギかアタクシはウサギか、ウサギの(いえ、二つ年下の巳である)ウサギのアタクシはキャベツの芯を食するけれど、キャベツの芯を食するのは人類においておやもはやアタクシしか存在しないのであって、どなたも、あの温厚解脱したかのDPE屋のぴか一ことイシグロタテオさんにおいても、キャベツの芯は疎まれている存在であるのだという現実を。しかししかしである。キャベツの芯はいえ、キャベツの存在そのものは、キャベツの芯があってこそ葉っぱがあり、キャベツはキャベツの芯を内包することで軍艦が、馬が、キャベツ自体の存在があるという今日的状況を呈しているということを。アタクシは声を大にして知って頂きたいのであった。いえ、ピカ一こと、イシグロタテオさんにではない、人類すべてにである。

おばあさんの乳母車

 道の隅を乳母車がやってくる。いえ、乳母車だけがゆっくりゆっくり動いている。見慣れた光景ではあるけれどあぶないあぶない、危ないのである。いえ、乗せられた赤ん坊が危ないのではない。このごろ赤ん坊が乳母車になど乗っているものか。乳母車そのものである。乳母車は自動乳母車とちゃう。おばあさんである。目の前を通り過ぎる乳母車を見ると、地べたにへばりつくようにして小さくなったおばあさんが、またへばりつくようにして乳母車を押している。近来の乳母車はおばあさんの歩行器になっているのである。それでもこのごろは乳母車も老朽化して動かなくなったのか、自動乳母車を見かけることは少なくなりかわりに登場したのが、おばあさんの手押し車である。

 おばあさんの手押し車はおばあさんの歩行器としての役目を大いに担って存在している。おばあさんの手押し車はときにおばあさんの腰を掛けるための椅子にも早変わりする。この手押し車椅子にすっぽりと腰を下とし、今年の桜はいつもと違ってきれいに見えるといいながら、手押し車のふたを開け缶ジュースを取り出したおばあさんはなかなか風流であった。おばあさんの手押し車にはビックリするほどのいろいろが詰められている。缶ジュースから保険証、財布から預貯金通帳まさかの実印まで、いえ、見せていただいたことはないからわからないけれど、今朝など、 ほい、シシトウ食べるかん と手押し車のふたを開け、畑から採りたてのシシトウを取り出したのだ。ヨメの悪口は詰めてある、息子の記憶は詰めてある、ご自分の記録も詰めてある。鍋釜はもとより先立たれたご亭主の仏壇、おばあさんの一生が詰まっていて、たまたま今朝はシシトウが取り出されたのだった。おばあさんの手押し車にはおにぎりやら梅干タクワンなんかも詰められていて、おばあさんは手押し車を押しながら、遠くへ遠くへと行こうとしているのだけれど、あっちの角で立ち止まってはしゃべり、こっちの角で腰を下ろしてはしゃべりしているうちに日が傾き手押し車はゆるやかにカーブし、おばあさんはしかたなくしかたなく、歩んできた今日の道を戻るのだった。

電気ブラン 

 暗闇で声をかけられた。松明をかざしながら山の頂上にある社まで厄男たちが神輿をかつぎあげるのである。二日にわたる祭りのクライマックスなのだった。勇壮な祭りである。アタクシは写真班を任されていたのだ。この祭りの来年厄男になる同業者からの依頼である。つまり来年のために予行演習みたいなものだ。それにしても、であった。祭りにつきもののカメラマンが一人も見当たらないのである。6台の神輿が集結した夕方にはそこそこカメラマンの姿も見えていたが、一人も見当たらないのである。何でありましょうか。確かに足元もおぼつかないあたりは真っ暗である。こんなところから登ってくる神輿を撮る人もいないのであろうかと思って、ポジションを決めたら、

 おーーい、頭がはいるよ と頭上からの声。見上げればお一人のカメラマンの姿。どうやら広角で狙ってのポジションのようである。いやはや、それではどこか移動しましょうと体を動かしたら、 こっちへ来れば「でんさん」と声、え、アタクシを存知おるのであるか。神輿がやって来るまでの四方山話。これまで声をかけなかったけれど、あちこちで一緒になっているのですねわしゃ知っとる それはそれは、失礼いたしましたと。お名前をお聞きしたのはいいのだけれどさっぱり存じ上げない。暗闇で顔もおぼつかず、その夜はそれから上がってきた神輿の撮影でお互い忙しく知らぬ間の別れとなったのであるか、この御方としばらくしてからの市内のフォト展にて再会。あああのときは失礼しましたといいつつ、前に立つ写真を どうかねこれは とのご意見、まさか、ご本人の写真とも知らず、思うまま感ずるままに申し上げたら、 そんだったら、飛んでる飛行機撮ってみろ! と血相変えて場を離れてしまった。お名前をお聞きしてもその場で忘失してしまう粗忽さ。意見を求められた飛行機が飛び立って行く瞬間をとらえたそのお写真は、なんとそのご本人の写真だったのだ。もう許しはして下さるまい。それでもお言葉ではござりまするが、飛んでる飛行機撮ってなんなる。

 電気ブランを知る人は70歳を越えたくらいの世代ではありますまいか。アタクシも 神谷バーというものが、かつて東京にあったと言うことを知らない。あったという噂を知るだけである。飲んでみると妙な味である。アタクシの店にはその電気ブランがずらりと並べてある。ずらりと並べるにもわけがある。一ケース単位で注文しないと取り寄せていただけないのである。血相変えて場を去っていかれた吉岡というそのお方、電気ブランをご存知であったろうか。明治村に 汐留バー というものができたらしい。ここで電気ブランを飲ませるようだ。名鉄電車の社内広告にあった。すくなくとも電気ブランを飲ませる店は豊川においては当店しかないであろう。

東京の地下鉄 

 便利が生む不便、となぎら健壱が書いていた。東京の地下鉄が凄いことになっている。という新聞日曜版のコラムである。用事があってときどき東京に出向くアタクシ。《溜池山王》がどうやら利用する駅のようで聞けば、ああ新しい駅ですとおっしゃる答え、ああ新しい駅だったのですかと必死に覚えるしかない。三田線南北線などものを尋ねようにも駅員がいない。立っていればひたすら電車が入ってくる。自動的に人を吸収し人を吐き出している。これを見ていると、田舎者のアタクシなんかは、シュワルツネッガーの未来都市冒険活劇映画を見ている感じになってくる。

 国会議事堂駅などあれこれ地下鉄が入り込み、ところどころ階段の絵が描いてある。田舎者の目にもこの絵がどうにもこうにもあやしく見える。距離が書かれてないのである。つまりは一駅ぐらいは歩かされるとちゃうんだろうか。歩くのはいとわないが、用事があって東京に出向いている。時間が限られているのだ。できることなら瞬時にして移動を試みたい。

 駅に備え付けてある地下鉄マップは見ているけれど、東京に住む人々はこれをすべて把握できていて、エサを拾うスズメのようにピョンピョン駅を飛び移っているのだろうか。いえ、飛び移っているのであろう。田舎ものはひたすら感心することでいいのである。東京で20年ほど暮らしながら、ある時期トラックで都内の隅々を走り回っていた経験もあるからアタクシは駅に立ちても、あっとこっちの 方向感覚だけはまだ残存しておりなんとか目的地へはたどり着くことができるけど、なれない人はどうやって地下鉄に乗れるだろうか。地下鉄迷子になることは必須である。用事があって青山学院大学の構内にいた。ここでまた、人に場所を尋ねられるのだ。5号館はどこですか? そんなこと今ここに入ってきたばかしのアタクシに尋ねなさんな、アタクシの住んだ東京は 赤坂見付 だけ把握できていれば目的地は近かった。そうかなぎら健壱までが東京の地下鉄を嘆いている。迷い、戸惑い、当惑することが東京の地下鉄なのである。そんならばと大手を振って歩いているとまた人に出口を尋ねられそうである。

  ところでなんだが、なぎら健壱は《なぎらけんいち》ではなかったのか、新聞の日曜版《言う言う自適》というコラムを読むたび、どうにも気になって仕方がないのはアタクシだけだろうか。

アメリカ村 

 酸っぱい酸っぱいといいながらもお食べになっている。お出ししたのはサワークーム。確かに妙な食品である。たくさんの中の一つならついでに手も伸びようが、一所懸命食べたくはない。我が店では薄切りパンをトーストしたものに塗ったくってお食べなられるようお出ししている。妙なものなので一度お食べになるとまたご用命になる。チーズフォンデュなんかもとても家では食べたくない。仲間がいてついでにオーダーして、こっちのついでにそっちといった感じで食べるようなものではないか。ご飯のおかずにはならない、ような気もする。チーズフォンデュをにんじんにからませてご飯を食べ、味噌汁はすすれない。いいのであるが、妙である。もっともときどき我が家ではやっていた。専用の鍋はないので、土鍋を活用していた。土鍋でのチーズフォンデュ、なんとかなるものである。

 酸っぱい酸っぱいの石原先生は来年退職される。ご本人の申告である。来年退職したら「こういう飲み屋でもやろうかしらん」かっかっかと、豪快である。石原先生は女の先生だ。アタクシの石原先生はアタクシを眼の敵にしていた。アタクシの石原先生は愛子先生といってメガネをかけて背が高く、それに比例して指も長かったと思う。音楽の先生だった。アタクシの通信簿に書かれる評価は常に《落ち着きがない》であった。《落ち着きがない》、ある日、むろん音楽の時間である。黒板消しが飛んできた。そうとうお怒りになられたのだろう。鞭も、鞭というよりタクトだったかもしれない。昔の先生は鞭みたいな或いはタクトみたいな細くてしなる小道具を手にしていた(ような思いがする)。アタクシの石原先生は癌で若くしてお亡くなりになったと聞いた。ストレスが癌を引き起こす。そんなことはないだろうが、因果関係はあるような気がする。アタクシが石原先生を殺したのだろうか。

 酸っぱい酸っぱいの石原先生は豪快である。このあいだ、ここで焼き蕎麦を食べたら夜中じゅうゲップで悩まされた。とおっしゃるけど、焼き蕎麦ではない。ラーメンだ。来年退職されるお年で寝しなにラーメンをお食べになってはいけない。酸っぱい酸っぱいの石原先生は酸っぱい酸っぱいと言いながら酸っぱいトーストを口へとお運びになっている。人間は原風景というものを体内に内包している。アタクシは畑の向こうに一本の電車が走り、黒い建物がぽつりとあってときどきうっすらと煙を上げていて、ときどき風向きでその煙がアタクシの家の方へたなびくのだった。それが魚を焼いている臭いでとても嫌だった。うっすらと臭ってくるそこが火葬場と知ったのはいつだったろう。

 酸っぱい酸っぱいの石原先生の原風景は佐久間だ。石原先生は裂くマダム(わ、)佐久間ダムの建設と共に小学校に通っていた。発破をかけるときは警報が鳴らされる。そのたんびヘルメットをかぶってじっとしていたということだった。村は上の村と下の村とに分けられ、上の村にはダム開発のためのアメリカの技術者が住んでいて、プールもあるそこをアメリカ村と呼んでいたと言う石原先生はなんだかんだと言いながら酸っぱい酸っぱいのトーストを口から放さない。

カメラつきケータイ 

 ある種大人のおもちゃである。やたら撮りまくっている。やたら見せ合っている。やたらうなずきあっている。アタクシもいきなりバシャッとやられました。バシャッはないか、ほら、これ、とのぞいてみるとなんとみごとにアタクシが撮れてるではございませんか。アタクシのケータイの壁紙は一ヶ月のカレンダーから金輪際はみ出ることはないであろうと確信するだに、皆さまは猫ありし犬ありし娘ありし、妻というのはないのはなぜかし、このままだとなかにはご自分の陰部までも写しておありではないかし、と想像をもふくらむにぎにぎしさである。なにやら、儀式のごとく腕を伸ばしてバシャッ、

 菜の花ひまわりコスモスが一緒に咲いている、と報道された田原の「サンテパルク」に行ってみましょうと、でかけたのだ。着いてみるとここで始めて眼にする、満車の大駐車場である。昨年の12月など、アタクシ(ら)一台こっきりの駐車しかなかったひっそり「サンテパルク」である。さても《菜の花ひまわりコスモス》競演の大観察会であるものや、あっちあっちと仲間の3人に階段をのぼりし、はるかな花壇を目指すべく号令をかけてあとから続いて丘陵を見渡せば、ん、三々五々と人はおれども、露出した土くれにわずかなサルビア、ん、はて、さて、これはいかがなものか。おりしも鋤鍬モッコでやってきた(ここらしき人の風情)菜の花ひまわりコスモスが一緒に咲いていると噂に高い場所はいずれかし、と問えば、指差すところ真反対に在りし場所。えーーー、ありがとうございますと礼を申し述べて、すでに先行く3人に、飛んだり跳ねたり両手を振ったりの必死のボディランゲージ。こっちこっち、そっちじゃあーーりません、こっちこっち。それにしても、見ればわかるありましょうに。ないないない、どこにもない。どこまで行くのよ、どこまで進むのよ、こっちこっち、ごめんなさい。頭を下げたり、帽子を振ったり、こっちこっち、ごめんなさい、

 ありました菜の花ひまわりコスモスの大競演。大勢の人が取り囲んでいる、菜の花は咲いている、ひまわりは伸びている、コスモンはゆれている。柵を隔てて一頭の馬が静かに草を食んでいる。陽は高く、善男善女の集まりはここぞありかしという風情。時は11月の8日である。時は、11月8日の土曜日である。アタクシはここに幼稚園児のピンクの帽子が一列にのぞいている風情を願ったが、願いはむなしい。願いははかない、願いは脆い。さて、はて、菜の花ひまわりコスモスにかざす手、かざす手、静かなる儀式がここでも始まっている。カメラつきケータイの儀式。或いは禊ぎ。アタクシは仲間にわからないという多重の撮影方法を教え、静かに草を食んでいる一頭の馬へ、ワタクシの身の振り方の教えを乞いに近づいていったのだった。

関口少年 

 あの人は今、である。ここに一本の、いや、一個の見事に捻じ曲げられたスプーンがある。曲がったというだけでない。それはそれはまこと見事に捻じ曲げられている。言ってみれば、飴の棒があったとするとその飴の棒をくるくるとねじりあげた感じだ。或いはスプーンを固定し、バーナーであぶってヤットコでもってねじりあげた結果かもしれない。もっともどう見ても火であぶられた形跡はぜんぜんない。ふつうのカレーのスプーンである。ユリゲラーがテレビを通じていっしょにやってごらんなさいと曲げていたときも、アタクシのスプーンはちっとも変化が生まれなかった。念じても花開かないのである。あの時も今も、曲げるものはなぜスプーンでなければならなかったのか不審だった。なぜフォークやお玉が登場しないのか。なぜくつべらや車のキーが登場しなかったのか、いや、登場していたのかもしれない、アタクシが見てなかっただけのことかもしれない。それでもなぜスプーンでなくてはならなかったのか。いえ、なにゆえにスプーンたるものが曲がるのか、指でこすっただけで。曲がって挙句の果て切れてしまうのか。12才のアタクシに回帰する。

 12才のアタクシは竹とんぼを飛ばしていた。その竹とんぼはまたとないよくできた竹とんぼで、少年の力でもぐいぐいと空を捻じ切っては舞い上がり、力尽きたところでやさしく垂直に落ちてきた。なんどもなんども12才のアタクシは竹とんぼで空を捻じ切った。空を捻じ切って竹とんぼを飛ばした。ぐいっと竹とんぼの軸を空に投げ込むと、竹とんぼは勢いよく回転しながら舞い上がり雲を綿菓子のごとくからめ取り、見上げていて、見上げているのが疲れるほど竹とんぼはなかなか落ちてこなかった。あまりに見事なよくできた竹とんぼの飛翔を自慢するにも、あたりには人がいなかった。アタクシのまわりにはいつも人がいなかった思いもする。父は継父で毎日飲んだくれていた、飲んだくれて帰って来るとアタクシの教科書やめがねを毎日やぶり、毎日壊した。母はどうしていたのだろう。母がいたのだろうか。アタクシは夕方になるとわずかに高くなっている石の上に乗り背を一杯に伸ばして母の帰りを待った。母は自転車に乗りいつもどこへ行ってたのだろう。流し台を磨き、たたきを掃き一心に母の帰りを待った。母がいたのだろうか。12才のアタクシに。草原は穏やかで竹とんぼはよく飛んで、アタクシは草原に一人だった。或いは草原というも錯覚で、ただの草むらだったかもしれない。なんどもなんどもアタクシはよくできた竹とんぼを飛ばした。最後の(結果的には最後になってしまったわけだが)最後の一投のあと、しずかに落ちてきた竹とんぼを拾おうとしたアタクシは渾沌混迷した。落ちたはずの場所に竹とんぼが見当たらないのだ。戸惑い混迷しアタクシは草をかきわけ草むらをかきわけ、雲をかきわけそこにあるはずのよくできた竹とんぼをさがした。空を捻じ切り雲をからめ取った、よくできた竹とんぼが本当にあったことは誰も知らない。ほんとうに空を捻じ切り、雲を綿菓子のごとくその羽根にからめ取ったよくできた竹とんぼがあったことを。

 数えるとくるくるくると三回捻じ曲げられている。この実在する捻じ曲げられたスプーンは孑孑を通じて交信が開始された人から送られてきたものだ。送られてきてから10数年が経過している。このスプーンを捻じ曲げた人との交信はいつからか途絶えた。毎晩玄関から馬に乗った武者があらわれ部屋を駆け抜いていくと言っていた人であったか。送られた写真の鏡に写した顔が、なんと鏡が割れていて顔が半分その割れた鏡に入っていた人であったか。はて、交信が手紙だけの人であったか、定かでない。見事にくるくるくると捻じ曲げられている一個のスプーンだけがこうして手元に残っている。

伊藤くん 

 むろんご本人はご存じない。ワタクシはオシドリの伊藤くんとひそかに呼んでいる。オシドリの伊藤くんになった発端は、彼が一枚のオシドリの写真を、後生大事に抱え持っていたことによる。(番い)と思っていたが、ワタクシも無知であった。オシドリのオスとメスが(ライオンのごとく)一見して形態が異なることを。もしかすると伊藤くんご自身も気がついていなかったのではないか。その写真 『二羽のオシドリが胸と胸を突き合わせ一羽は上を向き片方はやや首を下げている』 その写真は素人目にもよく撮れていた。

 この写真を最初に眼にしたのは本宮山ふもとにあるウォーキングセンターである。ウォーキングセンターの棚の上に2Lの額に入れられ飾られていた。写真を少しだけ始めたワタクシは、関心が専ら山野草にしか眼がいかないこともあり(あったな)という程度の記憶しかなかったが、棚に飾られた見た目に極彩色の目立つオシドリの写真は、ウォーキングセンターに入るたび眼に入れざるを得なかった。なぜ其処にオシドリの写真が飾られてあるのか考えもしなかったが、やがて全紙大に引き伸ばされたこの写真をよそで見ることになる。

 それから二年は経過していたのではないだろか。豊川市の春のフォト展で全紙大に引き伸ばされたオシドリを抱え持ち搬入してきたのが伊藤くんだった。本宮山のウォーキングセンターで何回も顔をあわせていた伊藤くんはすぐわかった。もっとも、黄色の大きなオートバイにまたがり颯爽とやってきていた伊藤くんが本宮山に入っていく姿は一度も見ていない。黄色いオートバイでやってきて、来る人来る人と話し込んでいるだけだ。理由あって伊藤くんが来なくなってから知ったことだったが、ウォーキングセンターに勤務していた事務の女性は「わたしキライなの」とはっきり口に出し、ほかにウォーキングセンターに出入りする常連からもずいぶん疎まれていた存在だったようだ。特になにがあるというものではない。ジーンズと青いシャツと帽子。いつも決まった格好の伊藤くんは、(あとでわかったことだが)ちよっと臭かった。そのころワタクシ(ら)のウォーキングセンターの利用といえば、小用することとお茶を頂くだけ立ち寄ることで、長くいることはなかったからだ。むろん、伊藤くんとも言葉を交わすこともなかった。

 同好者の集結する場所というのはお互いの存在を豊かにする。伊藤くんとは展示場のミュージアムで言葉を交わすこととなった。展示した伊藤くんのオシドリにはクレームがついた。オシドリの立つ岩の継ぎ目が不自然で合成写真だというのだ。正直なところワタクシにはオシドリが合成かそうでないかわからなかった。合成という根拠も定かでなく、かえって合成だとしたら大した技術を持っていると感心したくらいだった。ここで知ったのだ。オスのオシドリ同志が胸を合わせているのも不自然であるということも。オシドリのメスは目立たなくひっそりした存在であることも。なにを言われても伊藤くんは笑っていた。ワタクシはこのときに、メスを取り合って威嚇している姿としたらいいのではないか、と伊藤くんに言った。展示の期間中伊藤くんは大きなファイルを持ち歩いていた。これまでの写真集だ。あまり興味はなかったが、オシドリが撮れている写真集を見せてもらった。あのオシドリが合成でなければその中にもあるはずだ。同じ写真はなかった。どの写真もオシドリの群れが小さく川面に漂っている写真ばかりで、ただ撮っただけの写真ばかりであった。対岸が遥かに遠い、大きなタマ(望遠レンズ)じゃないと撮れないんではないかと、聞いただけだ。伊藤くんは500ミリは持ってないといった。話はそれだけ伊藤くんとはその後しばらく会う機会はなかった。

 秋に市民展が開かれた。春のフォト展と違い、賞を付けられる年に一度のコンテストである。ここでまたオシドリと出会うこととなる。伊藤くんはオシドリを出品したのだ。オシドリは選に漏れた。ここでワタクシは伊藤くんの告白を聞くことになる。タシロさんにはバレているから言うけれど、あのオシドリは合成写真です。この時も伊藤くんはカバンに写真を詰めたファイルを抱えもち、だれかれとなく見せていた。合成はひとにやってもらったと告白した。黄色いオートバイの話もした。エンジンが壊れて乗れなくなっているという話を。そうかそれで本宮山のウォーキングセンターにも現れないのか。市内で自転車に乗る伊藤くんをなぜかよく見かける。自転車の前カゴにA3サイズくらいに伸ばしたオシドリの写真を見せて走っている伊藤くんを。一度なら搬送の途中かとも思ったが、何度もである。伊藤くんはオシドリの写真がいとおしくてたまらないのだろう。それから2年経った。今年の市民展にはサルが2匹並んでこっちを向いてる写真を出品した。同じ方向に眼をやってるので まなざし というタイトルがいいと言ったのはワタクシだ。出品したサルの写真には 眼差し というタイトルが貼られていた。写真は落選した。天気のとてもいいお昼、ワタクシは図書館で本を借り外に出た。そこで伊藤くんに出会った。伊藤くんはベンチに腰をかけ、額に入れた二匹のサルの写真を膝に置いていた。ワタクシは片手だけ挙げてそのまま通り過ぎた。天気のとてもいいお昼だった。悲しい話は終わりだ。

救命講習 

 三時間の救命講習を受けることになった。心肺蘇生法である。つまり死んだかのごとく倒れている人を、いかにして蘇生させるかという講習を、人形を前に置いての実際である。口から息を吹き込むと人形は胸を膨らませる。よくできていて簡単なようだが、実際をやってみるとこれがなかなか思うように息が吹き込めない。ならば膨らませましょうと、満身勢いをつけて息を吹き込めば、もっと静かにと指導が入る。どっと笑いがでたのは、必ず声をかけてください、酔っ払いということもありますから。経験からの実際であろう。頭を抑えて、口を開けて、ああ、北井さん、(突出した前歯が重なってそれがそそるグラマーな人がいたのだ)これから実際をお見せします。よく見ておいてこのあとで続けてください。若い消防署員が前に出て置かれた人形を前に実際を披露する。体格のいい若い消防署員だ。ふーん、襟が外れるのだ。汚れた襟だけ外して洗うのだ。よくできた消防署の制服、よくできた人形。周囲の状況よし。と、体格のいい若い消防署員は右手人差し指で虚空に円を描く、大出血なし、と人形をなぞって同じように円を描く、ここで、意識の確認と、声を出す。もしもしもしもしもしと、人形の耳元で声をだんだん大きくする。意識なしとつぶやくようにしかし明瞭に声を出す、だれか救急車をお願いします、とあたりを見回す、気道確保、声を出す、呼吸の確認、と人形を凝視する、ここで、1・2・3・4・5・6と数える、呼吸なしと声を出す、人工呼吸、とつぶやくようにいう、人形の口に口をあてがい息を吹き込む、ああ、北井さん、循環のサインなし と、人形の胸の辺りを見る、心肺蘇生 と、みぞおちの上に重ねた両手を置き体重をかけてぐいぐいぐいと押し続ける。これに続けてやってくれろというのだ。

講習である。

講習であるからちっとも緊迫感がない。北井さんは笑っている。

岡田(亜木子)さんは笑いをかみ殺している。そうだろう、可笑しくはないが、おかしい。

真剣に演技を終えた体格のいい若い消防署員はさして暑くもないのにびっしょり汗をかいている。

四十人、

一斑二十ずつに編成された裸の女性を前にしている。これで汗をかくなというほうが酷である。

体格のいい若い消防署員だ。北井さんは胸がデカイ お尻も大きい。

目の前で北井さんのオシリが油断している。裸のお尻だ。

体格のいい若い消防署員は裸の北井さんのお尻を目の当たりにしている。

北井さんが人形の息入れにちっともうまくいかないのに懸命になればなるほど、

北井さんのオシリがそそり立つ。

北井さん、僕は瞑目しているよ。

北井さん、

赤川由紀子さん梶和代さん神谷孝子さん鈴木絹子さん土佐佳予子さん豊田桃子さん彦坂和江さん松永恵美子さん小澤里香さん葛野いち子さん竹本栄子さん田代武夫さん辺見泰子さん岡田亜ホ子さん

北井玲子さん 

救急講習だった。単純な一連の行動、ことを実際どおりに運ぼうとすると、あせる、なやむ、あわてるしくじる、誰か救急車を呼んでください 呼び忘れる。三時間の救命講習は三時間の時間がきて終わりこれだけの行程で豊川市消防長の朱印の入った《普通救命講習終了証》の交付、これだけのことで、これだけではたして人形の口に、いや、北井さんのチャーミングな口に、息が吹き込めるか、吸ってしまったりすることはないか、心臓をたたき続けられるか、心臓のあたりを揉んでしまったりすることはないか、23年の間、所持したままの終了証を持っている。工事現場での特殊車両の運転終了証だ、千葉の検定所で僕は仲間から一人外され、日が落ちるまでレバーの操作をやり直されていた。日が沈み、僕は許された。はたして特殊車両などいま、動かすことができるか、地平線に向かって、地面を平らにしていくことができるか。はたして、北井さんの唇を吸い続けることができるか、北井さんの胸を触りつづけられるか。