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女の子は楽しそうだ。 もちろん、ならではの悩みや苦しみもあるだろう。 一般的に、男と比べたらひどいめに合っているという評価は正当だ。女性たちがこの男性中心の社会における居心地の悪さを感じるのは当然であり、そこで端的な犠牲になっている同じ女性たちへの連帯を模索するひとびとに、ぼくは共感するし、尊敬を感じる。女性が解放されてこそ、男性もまた自由になれるのだ。 でも、今日はその話はしない。それはそれとしてだ。 男の服よりも、女の服のほうがはるかに多様で、キレイな感じがする。一度女の子になってオシャレや化粧に凝ってみたい。面倒だから代わってほしい、という向きもあるだろうが、「そうだよ、女の子は楽しいよ」などとぼくの羨望を煽って歯軋りさせる知人も多い。 ジェンダーの問題を踏まえて批判的に分析すれば、その表面的な「多様さ」、「キレイさ」もまた、性差別を背景にした文化的・社会的抑圧と無縁ではないわけで、ことは複雑だが、一見すると自由な自己表現のアイテムがたくさんあるように見えてしまう。 いや、だから今日はその話じゃないんだってば! とにかく、男としての審美眼の自己批判は保留しつつ、つい、「女の子になってみたい」、というような憧れを感じてしまうときがある。 たとえば、良質のガール・ポップスを聞くときだ。 aiko の「前ならえ」とか「アイツをふりむかせる方法」、椎名林檎の「ギプス」とか「罪と罰」なんかを聞いていると、不可能な欲求にウズウズして身悶えてしまう。ちょっと恥ずかしいけれども、原由子さんの乙女チックなナンバー、「ハート切なく」とか「少女時代」あたりにも似たようなトキメキを感じる。「恋人がサンタクロース」なんてユーミンが歌ってると、またムチャクチャ楽しそうなんだよな・・・ うーん、女の子になって恋をしてみたい。 そして中島みゆきの熱唱にひたりながら考え込む。「道に倒れて誰かの名を、呼び続けたことがありますか」、もちろんないけれども、黙って聞く。「別れはいつも、ついて来る。」そんな気もする。「化粧なんてどうでもいいと思ってきたけれど、せめて今夜だけでも、きれいになりたい。」つい一緒に泣いてしまうが、女になりたいとは、あまり思わない。 いや、やっぱりそのあたりも経験してみたいような気もしてくる。 でも、そんな話がしたかったわけじゃなかった。 厳しい現実はさておき、男が女の子になってみたくなるくらい、魅力的な曲っていうのがあるもんだなあ、と、そういうことだ。 (7.June.04) |