音楽的快楽の日々*23


幻想のアイルランド



行ったことはないが、アイルランドが好きだ。

去年のサッカー・ワールドカップで見たアイルランド代表は印象的だった。しつこく守ってロングパス一本でカウンター・アタックという、いかにもつまらなそうなサッカーを繰り返すだけ。それなのに、つまらないどころか、見ていて胸が熱くなるような試合ぶりだった。愚直で頑固で意地っ張り、最後の最後まであきらめない、やられてもやられても立ち上がる、そういう戦い方だ。あと一歩のところで勝利を逃した対ドイツ戦など、ロスタイムまで変わらぬ鬼気迫る集中ぶりで、ほんとうに素晴らしかった。なんというか、選手全員が、熱く静かに燃えるファイティング・スピリットそのもののようだった。代表チームのスローガンは Passion and Desire 。かっこよすぎる。そのまま人生の標語にいただきたいくらいだ。あれはまさに魂のサッカーだった。

今年はラグビーのワールドカップをやっていたのだが、こちらのアイルランド代表にも、やはり同じようなムードがあった。こちらの思い込みや先入観、はたまた偶然ということもあるのかもしれないが、格上の相手をしつこく鋭いタックルで止め続け、敵をたじろがせるディフェンスと、勇敢に前進を試みるオーソドックスな攻撃には、サッカーの代表を彷彿とさせるものがあった。そんなチームには、あの古臭い緑色のジャージがよく似合うのである。ついつい応援に熱がはいってしまう。

ぼくのなかでアイルランドの存在感がぐっと大きくなったきっかけは、高校時代のU2との出会いだった。地理や歴史は好きだったから、長らくイギリスに支配されたのち独立した、とか、北アイルランドで内戦が続いているとかいうことは知っていたが、あとはイェイツとかジョイスとかの翻訳をわけもわからず読みかじっていたくらいだった。そのころたまたま目にしたのが、なにやら深刻な表情でこちらを見すえる少年の顔が大写しになったモノクロ写真に赤いロゴのはいった、LPレコードのジャケットだった。U2の"WAR"である。

とても印象的なすばらしいジャケットだが、中身はもっとよかった。ああいう音は当時ほかにはなかった。声も、歌い方も、ギター・サウンドも、新鮮だった。澄んでいて、寒そうで、乾いていた。絶望的なのに、愛がにじんでいた。殺伐とした背景の前で、それでも死なずに必死で生きようとする命の叫びのようだった。それでいて、自分に閉じこもる感じではなくて、連帯を呼びかける広がりと、他者への最低限の信頼、希望のようなものが感じられた。まあ、そういう売り方をしていた、ということもあるのだろうけれど、こっちはそれにまんまと共鳴させられずにはおれなかったというわけだ。

しかし、いずれにしても、ああいう歌詞の曲がヒットするなどということは邦楽では考えられなかった。当時10代でデビューして同世代のカリスマとなった天才シンガー・ソング・ライターも、不純な大人に精一杯反抗する純粋な若者、みたいな構図のもとでのラブ・ソングがせいぜいで、そこから先へのもっとスケールの大きな展開はありえなかった。政治タブーのこの国では無理もないことだ。

80年代の東京。ぼく自身は高校時代すでに思想的には完全に左翼だったが、時代のほうはと言えば、政治の季節は終わり、ブランド信仰と拝金主義に歯止めはなくなり、左翼は落ち目で政治は一気に右傾化していた。流行る音楽も明るくて元気で当たり障りのないなものが主流だった。それはそれでキライじゃなかったけれど、夢中にはなれなかった。かと言って、アングラ系インディーズは逆に思い切りディープでエグかったので、ぼくにはとてもついていけなかった。

U2は丁度よかったのである。

歌のうまさ、サウンドのクオリティーの高さと新しさ、歌詞の文学性と政治性のバランス、そして「アイルランド」という、遠く謎めいた、甘味でいて悲劇的な背景・・・

その後日本では、ファッションも曲も演奏もU2の猿真似みたいなバンドまで登場して、驚くべきことにそこそこ売れたりしていたが、それはそれとしてU2はほんとにカッコよかった。そして"Unforgettable Fire"以降、ギターの音が木霊のようにビートに乗るあの特徴的なサウンドが確立されて人気爆発、U2は正真正銘の大物となった。ぼくの周辺でもその後の"Joshua Tree"くらいまでが一番人気だった。でも、あのスーッと広がっていくような音の世界も確かに気持ちがいいし、落ち着いて聴き比べてみたら、多分そのあたりの音があのバンドの絶頂期なのだけれど、ぼくがとにかく好きだったのは、3枚目のアルバムにあたる例のWARまでで、そのあとはだんだん熱が冷めていった。

U2の魅力は、切ったら血が出そうな熱さと肌触りのクールさの同居なのだけれど、そういう要素がよりシンプルにカタチになっていたのがU2の初期で、ぼくがそういうものに特に敏感だったのが高校生のころだったということなのかもしれない。

そしてバンドとしてはアイルランド出身ではないのだけれど、ケルト系のルーツをすごく意識していて、音にそれを反映させているDexys Midnight Runners。

"Come On Eileen"の大ヒットを飛ばしたあと、メジャーシーンではそれっきりになってしまったが、乞食風ファッションで乱舞するプロモーション・ビデオは強烈だったし、なにより曲がよかった。1982年のアルバム "Too-Rye-Ay"は本当に楽しいアルバムだ。基本はソウルなのだけれど、ファンキーなブラスとオルガンに、ケルト風のバイオリン(いわゆるフィドル)が加わって、アイルランドっぽくスイングしたりする。そういうわけで味付けは微妙なのに、演奏は骨太でいたってシンプル。そしてすべてをしっかりまとめているのは、やはりリーダーKevin Rowlandのアクの強いヴォーカルだ。当時のぼくにとって、すごいインパクトだった。

表面の仕上がりの複雑さを越えて伝わってくる、熱いハートの愛すべき単純さは、やはりアイルランド系ルーツの匂うエルヴィス・コステロの魅力だ。あのサッカー同様、ラグビー同様、一途なのである。

こうして「アイルランド」と出会ったぼくは、その後もケルト文化関係の本を読んだり、アイルランド絡みの映画を見たり、偉大なるDJピーター・バラカンさんのラジオで教えられて、バリバリのアイリッシュ・バンドThe Poguesを聴いてみたり、ショット・バーでアイリッシュ・ウィスキーを試したりなどなどと、いつのまにかアイルランド贔屓になった。

妖精と音楽とタップダンスの国、漁師と羊飼いとウィスキーの国、イギリスの支配から独立を勝ち取った革命の国、いまだに北アイルランド問題を残す悲劇の国、飢饉と貧困と移民の歴史を乗り越えた不屈の国・・・幻想のアイルランドは今日もぼくの憧れをかき立てる。

なんて言うわりには、結局ぼくは浮気モノで、専門はドイツ文学だし、国別で言うと思い入れは北欧のほうが上だし、語学や読書に裂いてきた時間だとフランスのほうが全然多い。でも、だからこそ、(仕事が絡まないからこそ?)幻想のアイルランドは、魅力的なのだ。

映画「ロブ・ロイ」でアイルランド独立の歴史をかじり、「フィオナの海」で妖精の島を体験し、W.B.イェーツの詩集を手に取ってみよう。そして、The Poguesを聴く。もちろん、ギネス・ビールをゆっくりと舐めながら・・・。

いつになるかわからないけれど、今度ヨーロッパに出かける機会があったら、是非とも立ち寄ってみたいものだ。

(25.nov.03)


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