音楽的快楽の日々*22

ナマ音の快楽



ぼくはこの夏アコースティック・ギターを買った。嬉しいので毎日触っている。

いわゆるフォーク・ギターというやつである。クラシック・ギターがナイロンの弦を張ってあるのに対して、フォークは金属の弦だ。胴体は空洞で木製である。

という基本情報以外は、今まであまり気にしたことがなかった。

マディ・ウォータース、エルモア・ジェイムス、ジミー・ロジャース、マジック・サム、といったシカゴ・ブルースのヒーローから、エリック・クラプトン、ロディ・フレイム、ダイア・ストレイツのマーク・ノップラーまで、ぼくの好きなミュージシャンのなかにも、ヴォーカリストである以上にギタリストというひとたちがたくさんいるのだが、そのギター・プレイに特に注意を払うことはなくて、楽曲の一部として聞き流していた。

特にソロ名義ではなくてバンドで売っているひとたちの場合(ぼくにとって別格のストーンズやビートルズはともかく)、そこでギターを弾いているのが誰なのか、何と言う名前なのか、などということはぼくにはどうでもよいことだった。ツェッペリンの音はツェッペリンの音だし、ピンク・フロイドの音はピンク・フロイドの音、イーグルスにせよ、クイーンにせよ、トム・ペティのハートブレイカーズにせよ、マニックスにせよ、スエードにせよ、フレーズのくせとか、音色の特徴とか、使用楽器とかにはまるで関心が向いていなかった。

自分はギタリストではない、と思っていた。どちらかというとピアノあるいはキーボードのほうが得意だという意味だ。もっと言うと楽器のプレイヤーというよりはソングライター、という自覚だったからだ。今まで、曲を作ったり、弾き語りをやったり、録音に使ったりはしてきたが、意識的にうまくなろうと思ってギターを練習したことはなかった。

それで楽器に凝り始めると金もかかりそうだし、まあいいか、と思って興味を遮断していたようだ。

ぼくは幼稚園でバイオリンとピアノを習い始めたので、楽器歴そのものは長いのだが、別段両親に楽器の心得があったわけでもないし、お稽古に通わせるということだけでも、経済的には相当無理をしていたようで、使う楽器がどうこういうようなリアリティはまったくなかった。だからそもそも楽器を選ぶという発想はなかったのだ。

なんだかんだ言ってシンセサイザーを買うときにはずいぶんと悩んで選んだが、それは機械として選んだのであって、楽器として選んだのではなかった。シンセサイザーなどというものは、もちろん便利で役にも立つし、鍵盤がショボすぎると弾けたものではないので、確かに楽器としての側面もあるのだが、やっぱり所詮は機械である。

そんなぼくが、初めて存在、たたずまい、音などなど総合的に憧れて、「これでなければダメなのだ」というこだわりをもって購入したのは、エレキギターだった。それはそれで幸せな体験だった。

だが、楽器選びの喜びというのは、実はもっと大きなものだったのだ。

そのエレキギターは、ぼくにとって初めてのエレキだった。当時のぼくはフォークとエレアコ(基本的にはフォークなんだけれど、エレキみたいにアンプで鳴らせるようにしたもの)しか持っていなかった。だから実際にはそのエレキがほかのギターと比べてどうなのか、とかいうことを実感としてわかっていたわけではなかった。

しかし、今回は違った。少なくともここ10年くらいはフォークを使っていたから、多少は楽器の感触もわかる。

楽器屋に通っては店頭であれこれ試し弾きをさせてもらいつつ、インターネットでギター好きのサイトを訪れては情報を集めた。ルックス、素材、音色、ブランドイメージ、値段、果てしない比較検討の挙句の出会いだけに、納得もいったし、感動も大きかった。

もちろん弾かせてもらってから購入しているのだから、どんな音なのかはだいたいわかっていたのだが、これがウチへ帰って来てから鳴らしてみると、ほんとに自分の好みにあっているのである。今まで20年余り世話になった廉価ギターとは明らかに違う! 明るく柔らかな優しい音だ。弾くたびにジーンとする。ああ、幸せ・・・。

今では滅多に触る機会のないピアノとバイオリンのことを思い出した。思えば実家を出てアパート暮らしを始めたころ、ピアノが弾けない寂しさのなかで、ぼくはギターと再会したのだった。狭い部屋でも邪魔にならず、しかもナマ音なのがぼくのニーズに合った。

ナマのよい音というのは、その音だけで気持ちがよいものなのだ。膝と腹に触れた状態で抱いているギター全体から音が広がってゆくのを、身体全体でジワジワと受け止める快感は、ほかでは味わえない喜びである。

フォークギターという楽器のいいところは、その手軽さだ。下手でもかなり楽しめるということ。僕自身、けっして上手ではないのだが、最低限楽しく弾く、ということだけでよければ、ぼくの経験ではバイオリンやピアノやトランペットよりもはるかに簡単なのだ。その簡単なことを延々やっているだけでも、ずいぶん楽しめる。特にその楽器の音がよかったら、音自体が快楽になる。

これまでそんな思い入れはまったくなかったのに、今度手に入れた新しい楽器のおかげで、ぼくはすっかりギターが好きになってしまった。今は満足しているので当分は大丈夫そうだが、この分だとそのうち「やっぱりマーチンが欲しい」「ギルドも試したい」「それともうわさのヘッドウェイか」などと、数十万円もする輸入ギターや国産の手作りギターを夢見るようになってしまうかもしれない。それはちょっとおそろしい。(23.Aug.03)



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