音楽的快楽の日々*20

微妙なショパン



ぼくが育った街は、治安の悪い、汚いところだった。あとになって、ある刑事さんと話をする機会があったのだけれど、「あそこの署にいたことがあるけど、殺人事件が多くてね」と話していた。

そもそもクラシック音楽なんていう上品な土地柄じゃない。

でも、近所には庶民的な音楽教室がいくつかあった。ピアノを持ってない子まで習いに来てしまうような、月謝の安い教室だった。音大を目指すような子はいない。ダメな洟垂れ小僧どもを相手に、根気よく、みんなのものとしての音楽の喜びを教えようとしていたM先生は、今思えば、本当に立派なひとだった。幼稚園のころから世話になっておいて、そんな彼の偉さにぼくが気づくのには、ずいぶんと時間がかかったけれど、今では思い出すたびに感謝と尊敬の気持ちがこみ上げてきて、涙が出そうになる。

ぼくは教室の先輩にただでゆずってもらった子供バイオリンを、自転車の荷台に括りつけて、週一回レッスンを受けに出かけ、ついでにピアノも教わっていた。でも、小学校も高学年になるまでは、ウチではまず練習しなかったので、ほとんどうまくならなかった。でも、なんとなく、不条理な意地があってやめることができなかった。実際すでに投げ出しているようなものだったのになあ、と今は思うのだが、漠然と、それまで辛抱した分がもったいないような気がしていたのだろう。

「ずっと習ってたのにぼくは下手だなあ」ということが気になりだしてから、結構練習に励んだのだが、それまでサボりすぎていたので、先生が練習させてくれる課題は退屈だった。特にピアノのほうは。

それで、それならば好きな曲は勝手に弾こうと思って楽譜を買ってきた。最初に買ったのがショパンのワルツ集だった。

ぼくの家にまだLPレコードをかけられるステレオがなくて、シングルのドーナツ盤専用のおもちゃみたいなプレーヤーしかなかったころ、初めて買ってもらったクラシックのレコードが、ショパンのワルツだったからかもしれない。

ショパンは好きだったし、インスタント・コーヒーの景品で、アルトゥール・ルビンシュタインのショパン全集を収めたLPレコードのボックスセットを当てて以来、ずいぶん聞く機会が増えた。

でも、当時ショパンはピアノを弾く女の子たちの間で非常に人気があって、なんだかミーハーな感じがした。それでぼくは「ショパンが好き」というのは「オフコースが好き」というのと同じくらい恥ずかしいことのような気がしていた。

中学校はいわゆる校内暴力で荒れていた。若い情熱的な先生方が鉄拳制裁でなんとか体裁を繕っているようなひどいありさまだった。男の子としては、あんまり軟弱だと居心地が悪い。そういう事情もあって、優等生のサバイバルにはマッチョなふりが必要だと思い込んでいた。幸か不幸か、小学校一年生の頃から警察で柔道を習っていたので、ある程度暴力沙汰にも対応できたし、多少はハッタリも効かせた。不良ぶっている連中に遠慮して過ごすのはいやだったのだ。結局、学校の内外を問わず、先輩の不良集団には内心怯えながら二年間生活せざるをえなかったが。

それでショパンというのはちょっと格好がつかないような気がしたのかもしれない。

当時のぼくのヒーローは、リルケとヘッセだった。実際、少女趣味と言えなくもない。だいたい浮世離れしている。そのへんのことは自分でもわかってはいたので、「それに加えてショパンというのはまずいだろう」と考えたようだ。だいたい、ショパンという人物そのものがなんだかナヨナヨしているじゃないか。あの音楽室に貼ってある情けない肖像画も「男らしく」ない。

子供が考えることにはいつも飛躍がある。もちろん、右翼のマッチョ野郎どもと言えば、決まってセンチメンタルで幼稚なロマンチストと相場が決まっていることなんて、当時のぼくが知る由もない。

その後も惰性というか名残というか、ぼくはショパンが好き、と公言することは避けていたような気がする。通ぶって、「やっぱりベートーベンだよね」とか「かっこいいのはラベルだよ」とか言って・・・。ショパンには申し訳ないことをした。ほんとは好きだったのに。

最近でもよく聞くのはバラードとかポロネーズ。ピアニストはアシュケナジ。

ショパンの音楽の「物語」っぽさが形式的にも端的に現れているところがバラードの魅力だ。演劇でも、抒情詩でも、小説でも、哲学的考察でもなく、絵画でも、幾何学的増殖でもなく、マチエールは繊細なんだけれども、基本的には素朴で輪郭のはっきりした「物語」だ。お話をたどるようにして聞いていると、懐かしい気持ちになる。

もちろんちょっとメランコリックで、なおかつ情熱的な、というかほんとに熱に浮かされてるみたいな心象風景が基本にある。この基本的な雰囲気と「物語っぽさ」ということでは、ぼくはスクリャービンのピアノソナタも好きだ。「物語」についていくと、いつか瞑想モードに入る。たまには悪くない。

(08.juni 03)


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