音楽的快楽の日々*19

どこかへ連れていってくれそうな・・・



 「遠くの町を旅してみたい・・・」と始まるなんだか悲しげな歌をラジオで聴いて、ああ、なんだかぼくも「どこかトオクへいきたいなあ」などと思ったのは、幼稚園生のころだったか、小学校にはいったころだったか。  

もうだいぶ前の曲だけど、ウタダヒカルの"Travelin'"を聞くと、マトリックスみたいなヴァーチャルな世界に連れてってもらえそうで気持ちがいい。さみしげ、はかなげだけど、羨ましいことに若さゆえの大胆さと初々しいポジティヴさがあって、クールなんだけど楽しそうだ。喪失感と期待感が同時にくる不思議な感覚。ちょっと怖いけど気持ちいい人工の空間。

で、あのビートが乗り物っぽいわけ。タクシーも近未来的な透明のヴィークルだし、運転手もとても人間とは思えない。間違いなくロボットかサイボーグ、その必要もないから人間のカタチをしたやつが運転してるんじゃなくて、乗り物自体がしゃべってるだけかもしれない。  

だいたいぼくはディスコ・ビートを聞くと、どこかへガンガン運んでもらえそうな快感を覚える傾向があるようだ。  

ヴィレッジ・ピープルの"Go West"とか、ダフト・パンクの"One More Time"とか、バナナラマの"Vinus"とか、ペット・ショップ・ボーイズの"Heart"とか、そこらへんの曲を聴くと、あのビートに乗せられて、遠くまでカーッと飛んでゆく気分になる。いつまでも止まらなそうな感じ、終わりが来なそうな感じと、適度に単調なのがポイントなのかな。
 

ここで言ってる移動は基本的に水平方向だ。いくつか壁を越える可能性は感じるのだけれど、あくまでも地上を行く。宇宙の果てや、あの世に行く移動ではない。地球がもし丸いのだとすると、そのうえをグルグル回るのかねえ。あるいはいわゆる彼岸がこの地上と同じ平面上のどこかにあるのならこのままでもそこまで行けるのかもしれないし、いくつものパラレルワールドを突き破ってまたここに戻ってくるような冒険なのかもしれないし。  

ちょっと話が飛ぶけれど、ショパンのマズルカを立て続けに聴いていると、風になって荒野をクルクル回ってるような気分になるし、ラフマニノフの「音の絵」を聴くと、どこかロシアの田舎にある湖のほとりを夜中にさ迷ってるような感覚に襲われる。チェーホフの芝居だの、トルストイやツルゲーネフの小説だのに出てきそうな場所である。  

しかしこういう体験の場合は、瞑想的な瞬間移動とか、幽体離脱とか、テレポーテーションという感じで、移動そのものはそっくり省略されてるから、ディスコ・ビートの乗り物感覚、移動中感覚とは違うな。  

そうそう、ゴダイゴの「銀河鉄道スリーナイン」のテーマ、歌詞もズバリ「冒険の旅に出て、どこまででも遠くへ行っちゃうぞ」系、あれは気持ちいい。リマールの「ネバー・エンディング・ストーリー」のテーマにも通じるものがある。あのへんの曲は飛んでく方向が「明るい未来」に定められてるから、疲れてるときやボーっとしてるときはちょっとついていけないかもしれないけど。乗せてってもらうというよりも、「さあ、元気を出して、一緒に飛ぼう」、って誘われてるわけだしね。  

ドゥー・ビー・ブラザーズの"Long Train Runnin'"も曲としてはすごくかっこいいけど、ちょっとアナログ過ぎて、新幹線より遅そうだし、どこかに連れてってくれそうだよねっていう点に限って言えば、今聞くとたかが知れてるような、非現実的なまでに遠いところへは連れてってくれなそうな印象を受けてしまう。Trainと言えば、ストーンズの"Silver Train"もいかしてるし、フリッパーズ・ギターの"Love Train"も好みだけど、なぜか、一緒に乗ってるんではなくて、見送っているぼくがいるんだよな。なんでだろう? 別に置いてかれてる気はしないんだけど。  

というわけで、ある種のディスコ・ビートは、たとえば車とか電車とかで現実の物理的移動中に聞いたりすると効きめ倍増なのだが、その移動をしばし別次元のものに錯覚させてもくれる、独特の効果を持っているのである。 (22.April.03)


「音楽的快楽の日々」目次へ