音楽的快楽の日々*18

サチウスあるいはサラサラの艶?



ぼくは基本的にヴォーカルは骨太で鳴りのいい声が好きだし、ジャズならどちらかというとファンキーなノリに惹かれるのだけれど、たまには、はかなげな女性ヴォーカルのジャズが聴きたくなることもある。

今日は、レッチリのBy The Way を聞きながら煮物をこしらえて、ムローヴァ/アバド/ベルリンフィルの演奏でブラームスのバイオリン協奏曲を聞きながらひとり晩飯を食ったのだが、そのあとウーロン茶を飲んでいたら、"You'd be so nice to come home to"のメロディが頭のなかをまわり出して、我知らず何コーラスか口ずさんでいることに気づき、無性に聴きたくなったので、Helen Merrilを引っ張り出した。このひとの声は、線が細くてはかなげでいかにも薄幸の女って感じで、これがまたたまらないのである。まさにサチウスって感じなんだけど、サラっとしていて粘度が低いのがいい。うーん、粋だねえ。

そう言えば、演歌でぼくが唯一聴きたくなる石川さゆりさんも、あの正統派美人ぶりは別として、声が硬質のキラメキを持っていて、フシ回しに係わらずベタつかないところがステキなのかもしれない。乾いてるわけじゃないんだけれど、言わばサラサラの艶があるのである。

美人歌手といえばジュディ・オングさん。今でも素晴らしく美しい。年末にあの「魅せられて」を歌っているのを見たけれど、声もまた年を感じさせない可愛らしさで、ぼくはウットリしてしまった。彼女の場合、正真証明のお嬢さんであるだけに、豊さのオーラに溢れているというか、中華風の幸福の後光が差しているというか、サチウス系のHelen姐さんとは対極にある。

人間ハッピーであるに越したことはないし、貧しいよりは豊かなほうがいいんだろうけれど、歌を聞く分には、サチウスの美学っていうのも捨てがたいものだ。ただし、サラッとベタつかない艶があることを、ぼくは条件に加えて置きたい。

じゃ、中島みゆきはどうなるんだろうなあ。吉本隆明の言を待つまでもなく、彼女の歌詞は、「詩」として「文学」としても超一流だとぼくも思うんだけれど、悲しく不幸な歌でも、歌われている世界があまりにも太い迫力で浮かび上がってくるので、はかなさを感じさせることはないようだ。一方で、例の粘度はどうかというと、彼女の歌の場合、粘度もまた徹底した追求によって昇華してしまう。中途半端なベタつきとはわけが違うのだ。言わばドロドロの美学。

・・・ぼくも長らくそういう芝居をやっていました。

突然ですが、中島みゆきを絶賛している人間のひとりとして、初心者の方へおすすめをいくつか。アルバムなら『寒水魚』。ぼくは『時刻表』という曲で泣いてます。あと演劇的絶唱として是非聞いてほしい曲が『化粧』。これはすごいです。ぼくにとっての彼女の魅力が凝縮している。ついこのあいだ、昨年の大晦日、紅白初出場で「Xプロジェクト」のテーマソングを歌っている勇姿を拝みつつ、歌詞の素晴らしさを再認識したのだけれど、同系統の曲で一番ぼくの心の琴線に触れるのは『誕生』である。「・・・生まれてくれてウェルカム・・・」これだけ書くと下手なコピーみたいでなんだかチープだけれど、あら不思議、通して聞くと涙涙なのだ。

すっかり話がそれてしまった。書いているうちに、気分は全然サチウスモードではなくなってしまった。

ああ、夏川りみさんの「涙そうそう」が聴きたい。途方もなく切ないのに温かい。歌っている彼女の丸くてゆったりした存在感も最高にチャーミングです。(6.Jan.03)


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