音楽的快楽の日々*15

終わりと始まり

 
ぼくはロネッツの"Be My Baby"という曲が好きだ。
自分の葬式にはこれをかけてもらおうかと思うくらい好きだ。  
なんで葬式なのか、というと、多分最近友人の一周忌があったからなんだと思うが、そこでまっさきにこの曲が思い浮かぶというのは、おそらく、この曲の持つエンディング・テーマ的要素のせいだ。歌われているのは愛の告白なのだけれど、もうラブラブを先取りするような曲の雰囲気からして、まずは拒絶されないだろう、という予定調和が期待される。ということは、恋愛第一段階、めでたく完成、ということで、言ってみれば青春映画のハッピーエンドなのだ。ふたりがこのあとどうなるかは、また別の物語。  
それでどうもこの曲を聴くと、ジーンとくるエンディング、そしてカーテンコール、という具合に、ぼくは想像してしまうのだ。(実際、自分の芝居でも、この曲をラストに使ったことがある。ほんとは、日本語の歌詞を勝手につけて、女の子たちをズラッと並べて歌わせようとしたのだけれど、そちらのほうは意図を理解してもらえず拒絶され、ボツになってしまったのだが。)  
あー、おもしろかった。これでおしまい。よかったよかった、という余韻のなかで、でも次はなにかな、って期待も感じさせる。で、もう一遍聞きたくなったりもする。実現確実のハッピーな明日にワクワクしてるんだけど、キュンと胸疼く季節がひとつ終わってしまう喪失感もあり、ちょっと寂しい。ほんとは恋人生活はこれからのはずなんだけどね。  

世の中には、終わってとりあえずほっとするということもよくある。飯を食ったら食休み、仕事のあとには一服、一山越えたら打上。なにかがひとつ終わったからって、そのあと別のなにかが始まってくれないと困るんだけれど、次に行く前にはちょっと心地よい余韻にひたりたい。  

恋の終わりと言えば、"サン・トワ・マミ Sans toi m'ami" だけど、あの曲の、なんとも言えないフッきれたような明るさもいい。とりあえずガックリきて、メソメソしてるんだけど、その先の人生もなんとかやっていくんだな、っていうたくましさが感じられる。未練たらたらの恨み言連ねても、「テヤンデェ畜生め、どっかでアンタとは関係なく幸せになってやる」、みたいな自由な太さも伝わってくる。  

ちなみに "Be My Baby" は、ここ数年売れてるイギリスのバンド Travis もカヴァーしている。アルバム"The Man Who" の「日本盤のみのボーナストラック」なんだけれど、ユルユル気だるいスローな演奏が、不思議な浮遊感を漂わせていて、軽くラリッて疲労感が消えてゆく瞬間の気分みたいで気持いい。その曲を聴きながら、その曲自体から遠ざかってゆくような逆説的体験。 クセになります。(アルバム全体もかなりいいです。全体にハカナげですが。)  

恋の成就でエンディングなら、ヒュー・グラントとジュリア・ロバーツの映画「ノッティング・ヒルの恋人」、エルヴィス・コステロの歌う 超ベタな名曲 "She" とか、もうちょっと古いところでは、若かりしリチャード・ギア、「愛と青春の旅立ち」のテーマも泣けたなあ。もう、これでもか!って感じ。  
でも、自分の結婚式や披露パーティでこういう曲をかけちゃうっていうのは、いかがなものかしらねえ。「君の瞳に恋してる I can't take my eyes off you」なんかも人気らしいけど・・・。ま、それは人それぞれで、自由ですね。葬式で"Be My Baby"かけろなんていうヤツより、よほど常識にかなってるんでしょう。失礼いたしました。  

それにしても、この"Be My Baby"然り、昔の曲のフェイド・アウトは短い。曲自体も短いから、あのくらいが丁度いいのだろうか。最近の曲と比べるとそっけないんだけど、そこがまたイカしてるような気もする。 (11.Sept.02)


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