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久しぶりに井の頭公園へ出かけた。平日の昼間だからひとも少ないし、緑があふれていて美しかった。すべてが快く、時間の感覚までが狂い出した。場所も名前も忘れ、記憶の迷路を焼き払い、時間を止めてしまうことさえできそうだった。
ときおり世界は罪のない優しい顔を見せることがある。その瞬間、完成することのない風景の幸福な予感にひたっていると、ふと悲しくなる。ぼくらは喪失を先取りし、あらゆるものの放つ、かけがえのない光を味わい、そこを通りすぎてゆく自分を嘆く。
風の渡る水面を見つめたまま、ぼくは耳を澄ましている。音楽は聞こえない。その情景はあとになってから繰り返し現れ、ぼくを包み込むだろう。そこにはなかった音、言葉、匂い、仕草、出来事、眠れぬ夜に混じり合って、バラバラに壊れた破片の群れが、皮膚と唇で崩れていく。
小学校の最初の遠足がこの公園だった。それ以来、ここではいろいろなことがあった。昔の自分に出会うことがないのが不思議なくらいだ。会いたくもないから会わないのだろうか。会いたくもないというのは、苦い記憶の結ぶ像を、都合よく捻じ曲げることができないからなのだろうか。そうしてぼくたちはぼくのなかで息をひそめている。
行き場のない言葉が例のごとく頭のなかに湧き出して、ぶつかり合い、ちぎれてはつながって濁流となり、ぼくの体温を上げながら心臓で消えていった。
この日の公園を、ぼくは忘れることはないだろう。迷うはずもない池のまわりの小道をグルグル歩き回りながら、引きとめて自分のものにしてしまいたいものたちを、なすすべもなく見送りながら、五月の晴れた空の下で、ぼくは水と緑に染まっていた。
とここまでは前置きで、喪失の曲って言ったら、Manic Street Preachers の"Everlasting" (In : This is my truth tell me yours) とか、Suede の"The Next life","Sleeping Pills"(in : Suede)かなあ、と考えた。でもこれじゃ、どっちかというと彼岸の曲だろうか。
喪失ということなら、Beatlesの"Let it be" やEaglesの"Hotel California"もはずせないような気がする。
歌詞はないけど、Keith Jarrett Trio の"My Back Pages" (in : Somewhere Before)もどうしようもなく悲しい気分になる、ほんと救いのないダウナー系で、でもそこがたまらなくて、センチメンタリズムを極めたいときには聞きたくなる演奏だ。
それにしてもなにかに取りつかれたみたいに、このごろ眠りが浅い。
癒しを求めて、Paul Weller の"Wings of Speed"(in : Stanley Road)でも聞こうかな。(30.Mai.02)
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