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友人宅にて、大人の音を聴く モモフク氏の家に久しぶりに遊びに行った。去年冬に行ったときは、隠れて出てこなかった猫が、今回は姿を見せてくれた。巨大な古代魚のほうは相変わらずのっそりと水槽に収まっていた。彼がここしばらくよく聴いていたのはレッド・ホット・チリ・ペッパーズ(略称レッチリ)。ぼくがベルリンにいいたとき流行っていたCalifornicationなんかを一緒に聞いた。あっちでもずいぶん売れていて、ラジオでもよくかかっていたし、それまでのレッチリより好みだったので一発で気に入り、CDも欲しかったのだけれど、金がなくて買えず、そのまま忘れていたのである。 これがいい音なのだ。むちゃくちゃうまいのは以前からのことだけれど、声とひとつひとつの楽器の音、無駄のないフレーズ、気の利いた絡み、プロだなあ、という快感がある。モモフク家のスピーカーがまたいい音を出す。ほかの機械はどれもちょっとずづ壊れているので、ちゃんと鳴り出すまでに時間はかかるのだけれど。そうやって、立派なステレオで聞くと、ドラムの音のカッコよさも際立つ。 バンドの成長というと偉そうだが、すごいパワーとか、勢いとかのある若いひとたちが出てきて、そのあとどうなるのか、というのはいつも興味深いものだ。ロックというのは微妙なもので、若気の至りだからこそ起こせる奇跡もあるし、本人たちがその「奇跡」にうんざりしてしまって、ものすごく「芸術家」っぽく行き詰まったり、ロック的なるもの、ポップス的なるものがいやになったりしてしまうこともある。その一方で、メンバーの誰かが麻薬でダメになったり、行方不明になったり、いわゆる「変死」したりして、残ったひとたちがそういった修羅場を生き伸びて、ある意味「大人」になって、「音楽ってカッコいいなあ、楽しいなあ、やらずにはおれんなあ」という原点に帰りつつ、エンターテナーというか、職人的なプロ意識を再確認したのかなあ、なんて勝手に想像させられてしまうような音にたどり着くパターンもある。あれこれ経験したあと迷いがなくなるっていうのはカッコいい。 若者の音もいいけど、大人になってなお、大人にしかできない練れた音を出して、経験に裏付けられた緊張感のもとで、テクニックの成熟と余裕、それでもやっぱり好きなのね、っていう情熱をみせつけてくれるバンド、アーティストというのはいいものだ。 ぼくはトム・ペティが好きなのだが、これもまた大人の音のよさの故なのである。変わらないようでいて、しっかり進化してくれているというのが、カッコよさのポイント。レッチリもいい感じに成長している。また新しいのが出るらしいけど、どんな感じなんだろうか。 モモフクさんは、ラジオヘッドの"Kid A"は最初の二曲がいいけど、あとのほうは辛気臭くてちょっとねえ、と言っていたけれど、ぼくもそれはわかる。一生懸命聴かせずにはおかない音楽というのもいいものだけれど、なおかつ聞き流せる音楽とか、プロとしてのサービス精神とかも、欲しくなる口なのだ。比べられるようなものじゃないけど、"Californication"と並べて聴いていると、やっぱりスケールが違うのである。見ようによっては、ラジオヘッドのほうがよっぽど革新的なのだろうけど。繊細で、神経質で、大胆で。しいて言えば、「本気で」迷っている様子を、神懸り的な仕方でフラついている現場を目撃するスリルがある。 いずれにせよ、聴く方は両方聞いて楽しんでればいいので、気楽なものである。といいながら、なにかを求めているのも事実なのだろう。実はこっちも真剣なのだ。時代も変わり、年もとる。そのなかで生きているわけだし。 でも、一般的に、ドラムとベースのリズム隊がうまいバンドっていうのは、説得力があるんだよね。そこがビシっと決まってるともうこっちは気持よくなって、文句言えなくなっちゃう。ポリスのドラムもすごかったし、突然ですが爆風スランプもメチャうま。だから、ライブなんか行くと、それで感動してしまう。レッチリの話も、結局はそれだけのことだったのか?! 「アーチスト」であって、なおかつ「プロ」。でも、それだけで片付かないのが、ロック・ポップス道の奥深さか。胡散臭さだけでヒトを降参させてしまう連中もまた捨てがたいのだ。(02.Mai.02)
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