音楽的快楽の日々*3

乾いた雨、あるいは "Waltz For Debby"

 音楽を聴いて受ける印象というのはどんどん変わっていくものだから、それを語るということは、自分にとってのその曲や演奏の意味を固定することではないのだけれど、通りすぎてゆくヴィジョンとしてあえて言えば、今聴いているビル・エヴァンスは、雨なのに楽しいときの気分、さらには本当のそういう状況よりも、都会にある公園に、なにかの偶然で静けさが訪れていて、そこで現実にはありえない、乾いた雨に濡れ、だからほんとうは濡れることもなく、パラパラと落ちてくる細かい雨粒の感触は、ときに冷たく、ときに暖かく、ときには忘れてしまうような淡さで、ひとりで歩いていると、ああ、ここは夢のなかだから、なにもぼくを傷付けることはない、安心していていいんだ、なにもぼくを脅かしはしない、サプライズがあるとすれば、それは置き去りにしていた記憶や、別の場所にいるもうひとりの自分の思いがけない表情みたいなものだ、なんて思えるようなくつろいだ状態を包む魔法だ。

 とここまで書いて、結局、これは音楽の話ではなくて自分の話だったな、と改めて言い訳したくなってくるのだが、一応解説すると、CD的には6曲目の「マイルストーンズ」が、さきほどの件の入り口で、次の「ワルツ・フォー・デビー」以降佳境に入るという段取りである。  ジャズをあまり意識的に聴いたことがないけれど、聴いてみたいと思っているひとで、特にクラシックが好きなひとや、ピアノを弾くひと、なおかつあんまりロックあるいはファンクっぽい、うるさい系の音楽にこだわりがあるわけじゃないひとには、ぼくは安易にビル・エヴァンスを薦めてしまう。キレイで神経質で痛々しいのに、こちらの状態によっては結構癒し系、もちろんあまりにも白人っぽいジャズだけど、ブルースの気配も不思議な生生しさで残ってるし、ぼくの感じ方としては、キース・ジャレットよりも「ジャズっぽい」。キース・ジャレットはキース・ジャレットで好きだし、よくわかんないながらグレン・グールドもかっこいいとは思うんだけど、狂気の暴君になぜかこの三人からひとりだけ選べって迫られたら、やっぱりビル・エヴァンスを聴きながらこの世とおさらばしたいような・・・。なんか共感してしまうのだ。

 今日の気分でのオススメは、タイトルに掲げたアルバム「ワルツ・フォー・デビー」のほかに、「エクスプロレーション」とか。「イスラエル」を聞くといつもしびれる。個人的思い入れでは「グリーン・ドルフィン・ストリート」にはいっている「あなたと夜と音楽と」。うーん、カッコいい。多少チープでもベタ好みで、センチメンタルOKのぼくとしては、「インタープレイ」のなかの「星に願いを」、最後のWrap your troubles in dreamなんかもたまりません。フレディ・ハバードの軽い感じのトランペットと、ジム・ホールのしっとりとしていて緊張感のあるギターが、ビル・エヴァンスの神経質さをいい感じでマイルドにしている。でも、やっぱりビル・エヴァンス一枚目なら「ポートレイト・イン・ジャズ」で決まりでしょう。のっけから「枯葉」で掴みもバッチリ、いつ聴いても思わず「アァ、」と、声が出ちゃいます。

 ステロタイプではありますが、まだ夕方なのに、すっかりウィスキーのムード。ジャズって罪、と言うべきか、おまえが自堕落なだけだ、と言うべきか。みなさん、飲みすぎにご注意。ぼくとしては、深夜にレコード1枚、スコッチ二杯くらいでしめるのが、クールではないかと思う。いずれにせよ、深酒を音楽のせいにしてはいけない(?)。

 でも、ビル・エヴァンスなら、動物の写真集眺めながら午後のコーヒーというシチュエーションにも合いそう。ちなみに窓の外は風、ぼくのコーヒーは二杯目が終わるところ。最後のひとくちは冷たかった。(21.3.02)


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