名もなき側室
残暑厳しい九月の放課後、県立綾千高校の厚生委員会室では一人の少女が告白の真っ最中。
「業平さま! 私を側室の一人に加えてください!」
愛の告白には、いささかにつかわしくないセリフではあるが…決死の表情でそう訴えるのは、おかっぱあたまに、透き通るような白い肌の一年生。
「私には京花がいるってわかってるよね?」
告白を受けているのは、厚生委員長・伊勢遥。長身でボーイッシュな二年生。そんじょそこらの男どもにはひけをとらないカッコよさ。『綾千の業平さま』と人の呼ぶ。
「はい。業平さまと正室さまのお邪魔は決していたしません」
「私には京花の他にも『側室』がいっぱいいるって、わかってるんだよね?」
「はい」
「それって、君一人を大事に出来ないってことだけど、それでもいいんだね?」
「はい。側室の一人として、業平さまのおそばにいられるなら」
再三の不可思議な確認。それらに全て「はい」と答える一年生。けなげ以外のなにものでもない。
「よっしゃ。わかった。じゃぁ、京花に面通しに行こう」
そう言うと、遥は一年生の手を引いて、2階の生徒会室へ向かった。
コンコン…
生徒会室の前へ来ると、遥はなれた手つきでノックをし、中からの返答も待たずにドアを開けた。
「伊勢だけど、京花いる?」
「いるよー、きょんふぁー、ダンナが来たよー」
遥の問いに答えたのは生徒会長・有川千晶。
千晶の呼びかけに、遥の『正室』こと生徒会の二年生会計・李京花は部屋の奥から出てきて、入り口に立つ遥に歩み寄った。
「あのね、この子が私と付き合いたいんだって」
「………」
唐突の愛人宣言に、京花は一瞬言葉を失った…と言うより、「いつものあきれた事」に内心ため息をついた。
「…遥はどうなの? この子と付き合いたいの?」
「うん。京花や他の子たちとのこともわかった上でそれでいいって言うし。かわいいし」
屈託ない笑顔でそう言う遥に、全く後ろめたさはない。一方、「かわいい」と言われた一年生は遥の後ろで顔を真っ赤にしてうつむいている。
「わかった」
それだけ言うと、京花は会議机の上においてあった自分のかばんの中から1冊のファイルを取り出し、さらにそこから一枚の紙を取り出した。
「こっちへ来てコレをよく読んで、その上でまだこのバカと付き合ってもいいというのなら、一番下にサインをしてくれるかしら」
「は…はい!」
京花のもとへ走りよって、差し出された椅子に座り、差し出された紙を熟視する。
「(でたー! 遥の愛人契約書!)」
傍観者となっていた千晶は一人心の中で叫んだ。
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誓約書 私は伊勢遥と親しくお付き合いする(以下側室)にあたり、以下のことを守ることを誓います。もし一つでも守れなかった場合は、今後一切、伊勢遥ならびに李京花(以下正室)とは係わり合いを立ち、その周囲に近づききません。 一、 伊勢遥を束縛しない。 二、 「第○夫人」「側室」と呼ばれても腹を立てない。 三、 側室間での争いごとは厳禁。 四、 正室の前では伊勢遥に必要以上に密着しない。 五、 伊勢遥と2人で出かけるときは必ず正室の許可を得る 六、 全てにおいて優先順位は正室、第一夫人、以下数の少ない順とする。 署名 |
一通り読み終えた一年生は、躊躇なく署名欄にペンを走らせた。
この通称『伊勢遥の愛人契約書』は校内でも有名で、浮気性な遥をめぐってのトラブルを未然に防ぐ為に作られた。たくさんの「側室」に「みんな大好きだよ」と言いながらも「一番大事なのは京花」と言ってはばからない遥の超公認的なファンクラブのようなもの。入会資格は「面食いの遥自身が気に入ること」と「京花の存在を認めていること」
「はい。ありがとう。この誓約書は私が保管していますから、やめたくなったらいつでも私のところへ来てね」
淡々と言う京花に、びくびくしながらも新側室嬢はうなづいた。
「それじゃ、京花のOKも出たことだし、せっかくだから一緒に帰ろうか?」
遥の申し出に顔を上気させた新側室嬢は、はっとして京花を振り返った。
「正室さま、あの…よろしいんでしょうか?」
その言葉に、京花は少しだけ表情をやわらげた。
「はい。合格。このテストをクリアしてはじめて合格なのよ。遥、ちゃんと送ってあげるのよ」
「はいはい。じゃーね、キング。愛してるよ、京花」
呆然としている新側室嬢をエスコートして部屋を出て行こうとして、遥はふと立ち止まった。
「あ、まだ名前聞いてなかったよね? えーと…」
「あ…あの…し…」
「一年二組島田由紀子さんよ。あなたの第十二夫人は」
新側室嬢のかわりに京花の声が飛んだ。
「そっか。じゃー、ユキちゃんだね。」
「は、はい!」
ぎこちない会話をしながら、二人は廊下へと消えた。
あとに残された生徒会役員二人。
「あの子が島田由紀子ちゃんか…日本人形みたいに愛らしい一年生って、ちょっと評判だったのに……伊勢にもってかれたか…チッ」
悔しげに舌打ちする千晶の横で
「あのバカ…また名前も聞かずにOKしたんだ…」
苦々しげに京花がつぶやく。
嗚呼、ご正室の苦労は、まだまだ続きそうである。
「名もなき側室」終