ビバ!カタラヅカ!
最首紫姫
「カタラヅカ〜?」
千晶の素っ頓狂な声が響いた。
「しー!しー!」
京花は人差し指を口の前に立て、黙れのポーズ。
寒さ厳しい如月の生徒会室。
会議も打合せもない放課後、会長と会計だけがいる。
「一応、内緒なんだから。そんなにはっきり声に出さないで!」
「(らじゃー)」
小声でそう言うと、千晶は生徒会室のドアを開け、周囲に人影がないのを確かめて、
カギをかけた。
念のため、声がもれないようにという配慮から、窓際に移動してカーテンも閉める。
「で、何でまたいきなりヅカなのさ?」
「いきなりでもないのよ。あの人の言うには…」
「中三のとき受験するつもりだったけど、京花に会うためにやめた。三年間、京花と
同じ学校に通って、同じ時間を過ごしたかった。それが叶ったから、今度はもう一つ
の夢を叶えようと思う」
ぱくぱくぱく…
いきなりの遥の告白に、京花はひたすら開いた口がふさがらなかった。
「今日の進路相談で担任にも言うてきた。もう、あとには引かん」
ぱくぱくぱくぱく…
「そんなわけで、卒業したらちーと離れて暮らすことになるかも…」
ぱーん
京花の平手が見事に遥の頬にジャストミート。
そのまま何も言わず、校舎を飛び出して、京花はお城の生徒会室に走りこみ、そこで
ばったり千晶に会った。
「まぁ、伊勢なら合格するんだろうな」
千晶が遠い目をしてつぶやく。
遥のもう一つの夢、それは
潟良塚歌劇団のトップスターになることだった。
潟良塚歌劇団は古都K府の潟良塚市に拠点を置く女性オンリーの歌劇団。
四つ組に分かれて絶えずどこかの組が公演を行っている。
その活躍は関西のみにとどまらず、東京公演や全国ツアー、さらには海外公演まで。
カタララヅカの舞台は好き嫌いがはっきり分かれて、一般受けがいいとは言い切れないが、
その華やかなステージには、いわゆる「金に糸目をつけない」マニアックで熱狂的なファンが多い。
そのカタラヅカのトップになることが遥の夢だった。
幼い日、母に連れられて行った大劇場。そこで遥は異世界を見た。輝くミラーボール、
キラキラでひらひらな衣装、しなやかなダンス、響く歌声、華やかな舞台。
そのなかでもひときわ輝く男役のトップスター。ミュージカルでの強く美しい王子の姿、
ショーの黒燕尾でのダンス。
目が放せなかった。娘役たちの可憐な姿もかすむような存在感。
理想がそこにあった。自分がこうなりたいという理想が。
その日、遥は母に「カタラヅカに入りたい」と告げた。
次の日から、遥は母から習っていた日舞に、それまで以上に真剣になった。
バレエにも通いはじめた。歌のレッスンにも。
それは現在も続いている。
カタラヅカに入るためには付属の音楽学校に合格しなくてはならない。
受験資格は「中学卒業から十八歳までの容姿端麗な女子」
その試験は超難関で倍率は毎年10倍前後。
タガラジェンヌに憧れる少女たちは幼い頃から特別なレッスンを受けている。
そんな試験だけど、遥なら合格するだろう。
170cmの長身に中性的な男前の容姿、名取りの腕前の日舞、四オクターブとも
言われる音域。
ダンスだって、体育の授業のときにちらっと見たけれどいい動きだった。
これで合格できないなら誰が合格できるというのだろう?
「で、きょんふぁは何を怒ってるのさ?」
「怒ってなんかないわよ!」
怒っていないという京花の顔は真っ赤。
見るからに怒っているのだが、本人は否定する。怒っているのでないなら何なのだろう?
「じゃぁ、何?」
千晶はいじわるくきいてみた。
「何って」
「何でわざわざアタシに報告にきたのさ?」
「………む」
京花が言葉に詰まる。
いつもは論理的で冷静な議論を得意としている京花だけど、
遥のこととなると全くダメダメだ。
京花はあきらめたようにため息をつくと、口を尖らせながら言った。
「ふ…、怒ってるわよ!今の今まで教えてくれなかったんだもん。
そりゃあ日舞にバレエに歌のレッスンをずっと続けてるのには意味があるんだろう
とは思ってたけど、まさかタガラヅカだなんて!」
「めっちゃハマリじゃん。伊勢なら絶対トップスターになれるよ」
「………きっ」
千晶は褒めたつもりだったのだが、京花のお気に召さなかったらしい。冷たい視線が突き刺さった。
「そそりゃ、競争が激しいだろうし、絶対とはいえないけど…」
おずおずと訂正してみたが、それもダメだったらしい。
京花の視線が一段とキツくなった。
「あの人がトップになれないわけないじゃない!絶対なるわよ!それで、それで…」
最後の方の京花の声が弱くなる。
「キレイな共演者とか可愛いファンの子とかに囲まれていい気になるのよ…」
「なったっていいんじゃない?そうなっても伊勢はきょんふぁ一筋だろうし」
キツい視線が緩んで、徐々に京花の目が潤みはじめる
「そんなことわからないじゃない、人の気持ちなんて変わりやすいんだから!
あの人だけ特別なんて言い切れない」
京花は不安だったのだ。怒ったふりをすることで不安をごまかしていただけだった。
頭が良くて、クールで気高くて、「氷の女王」と呼ばれるほどの京花だけど
恋愛問題は苦手分野。自分がどれだけ遥に愛されているのか分かっていない。
遥がどんなに側室を作っても、それはあくまでも側室で、彼女たちに自分を愛することを
許しても愛を返してはいないこと。
何ものにも変えられない唯一無二の正室、遥の愛を受けるただ一人は京花だということを、
気がつかないのは本人だけだ。
「きょんふぁはアホだな」
「え?」
「伊勢は特別だよ。『きょんふぁ以外はいらない』っていつもいってるじゃないか?」
「でも」
「本人にきいてごらんよ。きっと今ごろきょんふぁを探してるんじゃないの?」
カーテンの隙間から外の様子をうかがう。
ばたばたと走り回る遥の姿が見える。
妻が妻ならダンナもダンナ。
いつでも何事にもスマートな遥だけど、京花にはペースを乱される。
ちょっと考えれば京花が逃げ込む場所なんてすぐに分かりそうなものなのに、
見当はずれの場所をうろうろしている。
「それに、きょんふぁらしくないんじゃない?は離れ離れになるって言われて、
「はいそうですか」なんて」
「らしくない…?」
「ついていけばいいじゃん。どこまでも」
「カタラヅカに?無理よ!」
「いやいや、ヅカは無理でも関西にとか、K府にとか」
「………」
京花はしばらく黙り込むと、うつろな目を空にさまよわせながらつぶやいた。
「………そうだ、K府にはおばあさまの家が…K女子大には歌留多部が…」
「きょんふぁ?」
「決めたわ!」
京花は、がばっと顔を上げて、拳を握り締める。
「ありがとう!キング!そうよね、あの女ったらしを野放しにしてはおけないわよね!」
「野放し?」
千晶の声を聞きもしないで、京花はカギをはずしてドアを開け「じゃ!」と、
振り返りもせずに出て行った。
窓の下から声が聞こえる。
「遥!あなたの思い通りにはさせないわ!」
「きょ…京花?いきなりどうしたん…」
「関西行って、ハーレム作ろうなんて、この京花さまが許さないんだから!
ついて行って監視するから、覚悟してなさい!」
「えええ?」
千晶は一人、生徒会室で笑っていた。
ふはははは
きょんふぁ、素直じゃないなぁ