悪魔のような貴女
最首 紫姫
しーんと静まる放課後の校舎。
2年10組有川千晶、生徒会長通称キング。
千晶は一人だれもいない廊下を歩いていた。
テスト前だから、部活動も禁止。生徒たちのほとんどはすでに下校している。
生徒会の用事を済ませて、帰ろうとしたら忘れ物に気がついて教室に戻ってきた。
と、いうのは表向きの言い訳。
生徒会の用事なんて、いつでもできることだし、律儀にも教室の机からさっき取ってきた「忘れ物=古語辞典」は今夜必要か?といえば、必ずしも必要なものではなく、それ以前に、千晶は古語辞典をはじめとした辞書類を一揃い、家用として持っている。
千晶が教室に(厳密には2年生の教室がある本館3階に)戻りたかったのには別の理由があった。
差し込む夕日まぶしい教室の、窓辺の席にひっそりとたたずむ小柄な少女。
頬杖をついて窓の窓の外を眺めている。
ごく一部の、秘密を知る生徒たちから密かに「桜魔(おうま)」と呼ばれている。
彼女は千晶の永遠のダアメ。
『ダアメ』
中世の騎士道における象徴的存在。
『中庭の貴婦人(ダアメ)』
決して手に入らない貴婦人(多くは主君の妻・娘)のために己を高め、武勲をあげ、命をかける。
騎士は中庭にたたずむ貴婦人に向かって誓う…
「貴女を想うことをお許しださい、貴女を愛することをお許しください。この命果てるまで、貴女のために戦うことを誓います」
かつて千晶は、窓辺のダアメに中世の騎士よろしく誓ったことがある。
「貴女を想い続けることを許してくれませんか?」
窓辺のダアメは夕焼けにほほを染めて、何か物思いにふけっているのか?ぼーっとしているのか?はたまた眠っているのか?教室の入り口からはわからない。
綾千の清少女(おとめ)的には「物思いにふけって」いてほしいものだが、彼女のことだ…夕飯のメニューのことを考えているのだろう。
(まったく。色気のない)
「ははは」
千晶は自嘲ぎみな苦笑をもらした。
「!?」
千晶の存在に気づいて、少女が振り返った。
「こんにちは」
教室の入り口の柱に寄りかかったまま話かける。
「………」
少女は少し首をかしげて、いつもの物言いたげな顔で上目がちに千晶を見る。
近くで見たら誰もが魅了される伝説の「魔眼」で。
それを知っているから、千晶はこれ以上近づかない。
「今日もバス待ち?」
「………」
千晶の問いに、少女は口を開かない。
別に無視しているわけではない。
口がきけないわけじゃないけど、瞳で肯定し、瞳で質問する。
「………」
「え?私?私はコレ」
そう言って、古語辞典をかかげてみせる。
「…………」
少女はちょっとだけいぶかしそうに眉を寄せたが、すぐにいつものもの言いたげな顔に戻る。
「教室のぞいたら、いたから、声かけただけだよ」
「………」
少女はふっと冷めた目をすると、再び窓の外に視線を戻した。
どうせばれているのだ。わざわざ言い訳作ってここに来ていることは。
遠距離通学者の彼女の乗るバスは多くて1時間に1本。
いつもは部活動で遅くなって、ちょうどいい時間になるけれど、今日は部活がないから自分の教室で時間をつぶしている。他の生徒はほとんど下校しているから、人目を気にすることもない。彼女は好きなだけぼーっとできる。人付き合いが苦手、会話が苦手な彼女は一人でぼーっとしている(ように見える)ときが、一番安らかで幸せそうに見える。
(嫌われる前に退散しますか…もっともすでに嫌われているのかもしれないけれど)
千晶は去り際、窓の外を眺め続ける少女に向かって問いかける。
いつもの言葉を。
「まだ、貴女を想い続けていてもいいのかな?」
「………」
少女は一瞬ぴくりとまぶたをふるわせて、それからゆっくり千晶に眼差しをむける。
そして、
「いいよ」
ちいさな声でたった一言。
それだけ言うと、また窓の外に顔を向ける。
千晶は静かにドアを閉めた。
「キング〜あいかわらず泣かせるねぇ〜」
2階へ降りる階段の踊り場で、情報屋が待っていた。
「はっ、また見てたの?」
呆れたように鼻で笑う。
「まぁね。これが仕事だから」
情報屋は持っていた携帯用ボールペンの先をなめて、メモをとるしぐさをした。
「わかってるだろうけど、このことは…」
「他言無用。大丈夫だよ、こっちだって桜魔(おうま)嬢のことはなるべく表に出したくない」
「桜魔…桜の中に現れた魔女か。初めて見たときは天使かと思ったんだけどなぁ」
「天使ねぇ、私には最初っから悪魔に見えたね」
「その観察眼、さすがと言うべきか?まぁ、そーでなくちゃ美少女ランキング番はつとまらないらしいね」
「でも、あのときから桜魔嬢に対する認識がちょっと代わったけどね」
「あのとき?」
「キングがはじめて桜魔嬢に振られたときだよ」
「っ………」
「そんなカオしないの。あの時の桜魔嬢の心底哀しそうな顔見て、「悪魔」から「嘆きの天使」に認識が変わったんだから」
「複雑…」
あのとき
桜舞い散る橋の上で千晶は問うた
「私を好きになってくれとは言わない。振り向いてほしいとも思わない。ただ、。貴女を想い続けることを許してくれませんか?」
向かい合った少女、後に「桜魔」と呼ばれることとなる少女は、ひどく哀しそうな顔をしていた。
そして一言、静かに…
「いいよ」