BL学園リレー小説
第2話 濃いからはじまるラブモード(仮)B
「お嬢〜!さっきから気になっていることがあるんですけど〜!」
モニターを埋め尽くし、エンドレスに流れ続ける「宣戦布告」と格闘していた笠原が、お嬢に向かって叫んだ。
BL学園大作戦!に入る前に、この不快な画像を一刻も早く除去しようということで、ぼーっとしているのは俺を除いて、みんな必死にキーボードに向かって何かを打ち込んだりしている。
「何!?笠原!?」
宣戦布告の先制攻撃されたのがよっぽど悔しかったのか、お嬢自ら神速のタイピングを披露している。
「いえ〜、さっきの吉繁なんですけど〜、アノ「神楽しげきち」じゃないでしょうか〜!」
「神楽!」
「しげきち!」
笠原の「神楽しげきち」という単語に、過剰反応するお嬢と環。
「どこかで見たことがあると思ったら…『ナニワの男プリンセス神楽』」
「身うけされたとは聞いていましたが、まさか会長だったとは」
男プリンセスって、すごく矛盾している気がするんだけど…。
そして、身うけって、女郎じゃあるまいし。
「お嬢?お姉さま?その「神楽しげきち」って何者なんです?」
そんな疑問を、俺の代わりに片桐が聞いてくれた。
「片桐は、知らなかったわね。かつて関西No.1と呼ばれた男女郎「しげきち」」
今度は男で女郎なんだ。それって男娼じゃないのか?
「老若男女問わず、相手をした者たちを必ず虜にさせたというホストの伝説は、今でも有名だわ。一度、その噂を確かめるべく店に行ったことがあるけど、世界中の政財界の大物が指名合戦してた。」
「国際会議の会場か?ってメンツでしたね」
「地球の財布の半分?ってメンツとも思いました」
その店とやらにはお嬢、環、笠原の3人で行ったらしい。
片桐が「どーして連れてってくれなかったんですか?」とすねている。
「そして、1年くらい前にどこぞの大富豪に身うけされたとは聞いていたけど、まさかお父様だったなんて」
「強敵ですね…お嬢」
深刻な空気が流れる。
しばらくそれぞれの叩くキーボードの音のみの時間が過ぎた。
冷静に、現在の状況を把握しようと試みる。
お嬢と小釜原会長は俺をめぐって親子喧嘩。
お嬢側は「片桐」小蒲原会長は「吉繁」を使って、俺を落としたほうが勝者になるらしい。
そして、賞品は俺。
落ちなかったらどおなるんだろう?
あの自信たっぷりの親子を見ていると、落ちないわけがないような気がしてきた。
この屋敷に来てから、自分(の性癖)に自身が持てない。
このまま流されちゃダメだと思う反面、流されちゃおうかな〜と思わなくもない。
…すでに流されているのか?
数時間後、俺はお屋敷の西の一角にある塔のエレベーターの中にいた。
この塔、見た目は中世のお城にあるような古めかしい外見でありながら、中身は最新式のエレベーターを完備したハイテクタワー。
そして、そのてっぺんにあるものは、お嬢曰く
「幽閉された姫君の間」
なんとも倒錯的なその部屋のためだけに、西の塔は存在するらしい。
「懐かしいなぁ、あの部屋に入るのは何年ぶりだろう♪」
エレベーターには、片桐も乗っている。
これから「幽閉された姫君の間」に今まさに「幽閉」される俺を、かつて「幽閉」されていた片桐が案内しているのだ。
「逃げ出そうなんて思っちゃダメだよ。無理だから。私もいろいろ試してみたけど無駄だった。出入りできるのはこの専用エレベーターだけで、このエレベーターも専用キーがないと動かないし、もちろんたった一つのカギはお嬢が管理しているから♪」
片桐が楽しそうにそこまで話したとき…
ガタン!
不気味な音をたてて、エレベーターが停止した。
エレベーター内の電気系統は非常灯の薄明かりだけを残して、消えた。
「停電か…?」
「最近使ってなかったから、どこか故障したのかも。大丈夫、すぐにパトラッシュが気がついて助けてくれるよ」
そういうと片桐は文字盤のほうへ近づき、非常ボタンを押す。
「パトラッシュ、聞こえる?エレベーター止まっちゃったんだけどー、パトラッシュー、パトー」
エレベーターもパトラッシュが管理してるのか、と感心しつつ、インターホンに語りかける片桐を眺める。
「パトラーッシュ!?ねぇ聞こえないの?パトー?」
さっきからずっと呼びかけているのに反応がない。
さすがに片桐も顔色が青くなって、呼びかける声からも不安が感じられる。
「パト?ねぇ、聞こえないの…」
「どうした?」
「おかしい、パトラッシュが応答しない…さっきのスクランブルの影響…?」
片桐は非常ボタンを押し続ける。しかし、何の反応も返ってこない。
でも、まぁ、そのうち誰か気づいて助けてくれるだろうとタカをくくっている俺と対照的に、片桐の様子がおかしくなった。
「どおしよう…あぁ…」
その場にへなへなと崩れ落ちる。
「片桐?」
「私…暗くて狭いところに閉じ込められるの…ダメなんだ…息ができなくなって…」
「か…片桐?」
「苦しい…イヤだ…お願い…助けて…ごめんなさい…ゆるして…イヤ…」
両手の指を肩に食い込ませて、自分自身を抱めて震え出す。
閉所恐怖症なのか?
「大丈夫か?」
「イヤ…イヤだ…もぅ…おねがい…」
「片桐、落ち着いて…」
そう言って肩に手をかけたようとした瞬間、片桐が腕の中に倒れこんできた。
「お願い…ごめんなさい…いい子にするから…だから…ゆるして…」
必死に強い力で抱きついてくる。
「うわ…!落ち着けって、なんとかなるから、大丈夫だから」
引き離そうとすると、離されまいとして余計に強い力でしがみついてくる。
「イヤ…イヤだ…一人にしないで…ごめんなさい…」
完全にパニック状態に陥っているようだ。
どおする?このままだとマズイんじゃないか?
何とかして外部と連絡を…そう思って周りを見渡してみたが最新式のエレベーターの内部は全く無駄のないシンプル構造。
このハイテクタワーはそのハイテクが災いしてインターホン以外、完全に外部との連絡は遮断されている。
だからこそ「幽閉」なのだろう。
そんなことに感心はしていられない。しかたない、自力で脱出するしかないか?
三つ子の魂なんとやら、昔取ったなんとやらで、幸い忍びの七つ道具は肌身離さず携帯している。
それを使えばなんとかなるかもしれない。
そう思って天井を見上げたとき、俺の忍びの感覚がかすかな視線に気づいた。
「………ん?」
誰かに見られている。
俺でなければ気づかなかったであろう天井のわずかな針の先ほどの穴。
「……………………カメラか」
この屋敷に来てわずかな時間しか経っていないが、俺は色々な意味で鍛えられたようだ。
読めた。
「いつまでひっついとるんじゃ!」
すがる片桐を有無を言わさず引っぺがし、すくっと立ち上がってカメラ(があると確信している)に向かって、ビシッと指差し叫んだ。
「お嬢!アンタ見てるんだろ!?ふざけてないで電気つけろ!」
そして、足下に転がる片桐にも
「お前も、そんな芝居はもぅいい!立て!うっとおしい!ええい!」
まるで熱海のアノ像のような蹴りを入れる。
その蹴りが決まったとき、
ブゥン…
機械音とともに、エレベーター内の電気がよみがえった。
「おーほっほほほほ!BL学園大作戦その1!題して『エレベーターに閉じ込められた二人は恋に落ちる法則』をよくぞ見破ったわね!天晴れよ!三枝!!」
室内にお嬢の声が響き渡る。
「アンタのやる事に…だんだん慣れてきたんだよ!」
「ほほほほほ!まだまだこんなのは序の口よ!小手調べよ!ジャブよジャブ!」
高笑いの合間にかすかな「シュッシュ」という音が聞こえてくる。
あぁ、見えるようだ。ファイティングポーズをとるお嬢の姿が。
そうこうしているうちに、エレベーターは最上階(とは言っても、1階と最上階しか存在しないが)に到着、静かにドアが開く。
「………」
頭痛がしてきた。
予想はしていたが、やはり…その名の通り「幽閉された姫君の間」調度品は全てお姫様仕様。
呆然としている俺の後ろから、お嬢の声がする。
エレベーターのドアの横の小型のモニターからだった。
「しばらく不自由させるかもしれないけれど、退屈はさせないから。お姫様。ほーほほほほ!」
お嬢の不気味な高笑いが、どおしようもなく俺を不安にさせる。
「片桐!早く戻って来なさい!アナタは山に籠って修行よ!お父様の犬なんかに負けるわけにはいかないんだから!」
「は…はいっ」
修行って、何するんだ?
一瞬青くなりながら、何故か嬉しそうな片桐も不気味だ。
「じゃーね、三枝。次に会うときの私は…ふふふ…負けないから」
そう言って、エレベーターに乗り込む間際、投げキッス。
もちろん、避けてやった。
どうしようもない、とてつもなく大きな疲労感がのしかかってくるのを感じた俺は、目の前のベッドに倒れこんだ。
もちろん、言うまでもないだろうがそのベッドは豪奢な天蓋付きだった。
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変わらない景色。昼も夜もなく、ただ時間だけがじんわりと過ぎていく。
あれから何日たっただろう。
この屋敷に連れてこられてから、実に妙なことばっかりだ。そもそも俺は運転手として迎え入れられたんではなかったか?
すでに今の生活はそんなかわいらしい職種だったことのかけらも見えない、ただの飼い殺しにすぎなかった。
こんな塔、出ようと思えばいくらだって脱出できる自信はある。だけどなぜだろう…命に危険はなさそうだ、という甘えなのか、成り行きにまかせてただたゆたっていたいだけなのか。それとも。
悲劇の姫君としての自分に目覚めてしまったのか…?
ともあれ俺は何をするわけでもなく、天蓋つきのロマンチック・ア・ゴーゴーベッドにごろり横になり、焦点の合わぬ目で覇気もなくエレベーター扉を見つづけるばかりだった。
「バラバラバラバラ…」
深夜、どこからともなく聞こえてきた怪音に目を覚ました俺は、それがまっすぐ塔に近づいてるのを不穏に思って飛び起きた。
戦争といっても、実態は男三人集めた「お色気勝負(?)」のはずなのに、あの日からやけに小釜原の敷地内は地鳴りや爆発、銃撃のような音に騒然としていて、ヘリだって平然とブンブン回っていた。だけど。
こんな夜中に。
こんな辺鄙な塔に向かって。
今までありえなかった事態と、耳が壊れるくらいの大音声に、唯一外界とこの部屋をつなぐ金属の窓をぎぎぎ…と開けてみれば。グワンッという破壊音とともに鉄窓は吹っ飛んで目の前に信じがたい光景が広がる。
バラバラバラバラ、と耳がおかしくなりそうなほど、音は降ってくる。深夜なのに、自分は黒い黒い影の中にいるのがはっきりと分かった。
「あーあ、壊しちゃいましたァ」
プロペラが風を凪ぐ音にかき消された小さな声は、ねっとりと甘く。そのトーンにはたった一言だけでゾクゾクとくるものがあった。
その声がまるで合図だったかのように、塔の壁スレスレに横付けしていたヘリが、上昇し始める。
真上にそれが来た時、ぱら、とまるでお約束のようになわばしごが落ちてきて、何者かが一歩一歩慎重に降りてこようとしていた。
「まあっかな〜ばーらは〜♪」
さきほどのミルクの如く濃厚な声が暗闇の中でメロディーを紡いでいる。
「おまえの〜くちびる〜♪」
細い足に黒いスラックス、真っ赤なジャケット。
妙に懐かしい感じがするのは何故だろう。そして歌いつづけながらそれは顔が確認できる位置まで降りてきた。
「おお〜とこには〜!!」
「……!!」
俺は思わずつばを飲み込んだ。そこにいたのは紛れもなく美少年(…青年か?)で。
ろうろうと歌い上げながら、心持ち長めの巻き毛をなびかせ(むしろ爆風に逆立てて)、暗闇に浮かぶその様は、まるで天使を思わせた。天使は右へ左へブーラブーラと振り子の如く揺れている。
「たとえるなら〜そらをかける〜♪ ひとすじーのながれぼし〜ぃ…」
声がだんだん弱まっているようだ。よくみればなわばしごにかけた足は膝が震えている。
「もうダメ! 僕、立ってられないよ!」
唐突に歌を切りあげて、彼は叫んだ。のけぞった首筋も、白く浮かぶのどぼとけも卒倒するほどに美しい。
「だめだ、しげきち。耐えるんだ」
頭上から太い声が降ってくる。
なるほど、これがナニワの男プリンセス!
「アア〜ン。こんなポーズ、僕できないよ〜」
といいながら、男プリンセスは片手を離して窓に手を伸ばす。
「さあ!」
そんな震え声で「さあ!」とか言われても…
「くそ! 僕の歌が足りないというのかい?」
「いや、歌とかは別に…」
あとずさりして部屋に引っ込もうとするおれを、がっしと細腕が捕らえる。これが存外に強く、引きずり出されるように窓の外へ……あ、足元、何もない…とぼんやり思った瞬間。
ガク…と重い衝撃が走った。
「ヒィィ〜!!」
暗闇の中に走る断末魔。死への恐怖にもがく事も許されず、ただ唯一の活路である結んだ手にすがる。ああ…腕がちぎれそうだ。俺でも肩が抜けそうなほどだというのに、そんな俺の体重を引き受けているしげきちは大丈夫なのだろうか…?
見れば、彼は歯を食いしばりながらも、感心なことに歌を続けていた。……今まで歌いつづけていたのか?
「お、とこの〜…びーがくぅ〜……」
「ルパーン、ルパーン。…ルパーンルパーン♪」
ヘリの中から追いかけるように太い声が響く。
そうこうしているうちに、俺はなわばしごまでたどり着き、どっと疲れきった身体でもたもたとはしごを上がる。
ようやく機内にたどり着くと、自分よりも前に中に入っていったしげきちが、まことに古い表現に自分でも興ざめだが、カンカンに怒っていて、おでこにやかんを当てれば「ピーッ」と湯が沸くくらい沸騰していた。
「もぉーっ! だから僕、いやだって言ったのに!!」
「はーははは……ちょっとしたお茶目だよ。やっぱりヘリに乗るならルパンごっこしたいじゃないか」
「ルパンなんて古臭いの、僕はゴメンだよ! なんだい、この赤いジャケット! ダサイったらありゃしない!」
キーッ! と叫んで悔しそうに飛び跳ねる若い鮎のような肢体。
それにしても、さっきのはルパンごっこだったのか…?
「怒らないでよ、ル、パ〜ン」
苦みばしったオヤジボイスに媚びを混ぜ、操縦席の男が振り返る。
「あっ…!」
そこにいたのは、紛れもなくあのモニターに映っていた大富豪にしてオカマ先生の父親、小釜原樹恒氏だった。
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「実際に会うのは初めてだね。よろしく三枝」
樹恒氏は軽く微笑み、おれの傍らで怒り狂う男プリンセスを示した。
「こちらが君の新しい恋人、吉繁だよ」
「三枝?よろしく」
今の今まで拳を振り上げて地団駄を踏んでいた美青年は、あっという間にその表
情を一変させた。
左腕をおれの腰にくるりと回し、花の顔と潤んだ唇を上に向け、鎖骨のくぼみに
ぴったりと収まった。
その間、0.5秒。
俺は身動きする事も出来なかった。
「おっと」
樹恒氏の声とともにヘリが揺れ、吉繁はさらに俺に密着する。
「ごめんなさい」
ところが、吉繁はびっくりしたようにおれから離れ、顔を赤らめて恥じらう。
まるで、今のがちょっとした事故だったように。
おいおい、先に妙に密着してきたのはお前だろ?とつっこみたくなったが、直後
に感じた腕の中の喪失感におれは混乱する。
またさらにヘリが揺れ、こんどは吉繁が壁に向かって滑っていくのをおれは何故
か見過ごすことが出来なかった。
思わず腕を伸ばし抱きとめた。
「あっ!」
腕の中の吉繁は、さっきまでの破天荒さやはすっぱさが感じられない。まるで少
女のように恥じらっている。
「は…はなしてください…」
「あっ、ごめん」
握りしめていた腕を慌てて放す。吉繁はうつむいて、極小さい声でささやいた。
「あ…ありがとう」
ヘリの爆音のなかでも、それだけがはっきり聞き取れた。
なんなんだ?なんで俺はあやまってんだ?こいつはさっきの「ルパン」と本当に
同じ人間か?
今なお赤いジャケットに黒いズボン、黄色いネクタイと出で立ちになんら変わり
はないが、このシチュエーション、この展開。
例えば図書館。俺の手を伸ばした先に、別の誰かの白い手。
偶然同じ本の上でふれあって驚いて見やれば、顔を赤らめたセーラー服の少女。
見つめ合う二人……おれの頭の中に非常に古典的なビジョンが去来する。
「僕、吉繁といいます。三枝さん…どうぞよろしくおねがいします」
ぺこんと頭を下げた吉繁に、俺は戸惑いながらも返そうとして。
「こちらこそ、どうぞ…」
その時。
「まーてぇぇぇ!!!!」
ヘリの機外に爆音が鳴り響き、眼下からかなり大きな別のヘリが俺達の目の前に
浮上してきた。
どうやらそのヘリは軍用で、機体にドアは無く、そこには杖を構えた環が白鉢巻
きも凛々しく立ちふさがっている。
「三枝ぁぁ!!だまってろー!!何もいうなぁぁぁーーー!」
操縦席には笠原が陣取り、絶妙の操縦桿捌きでこちらのヘリにぴたりと横付けし
離れない。
二人は俺が塔から連れ去られたことを察知し、この大型ヘリで追ってきたらしい。
「ちっ!面倒なマネを…」
操縦席の樹恒氏が叫ぶ。
「吉繁!このまま逃げ切るぞ!掴まれ!!」
その時、機体に衝撃が走り、ヘリのドアと窓が粉々に砕け散る。
環がその手の得物で風穴を開けたのだった。
「うわ!」
勢いよく烈風が吹き込み、俺は座席にたたきつけられる。吉繁もまたしかり。
そんな混乱のなか、樹恒氏は機銃を発射し、笠原の操縦するヘリは黒い煙を吐き
出し始めた。
「くそ!やられた!」
「ふははははは!!その程度の腕で、三枝君は渡せないよ!」
勝利のポーズ、と右腕をあげて「やったーやったーやったーわん!!」と叫ぶ樹
恒氏を追いきれず、環と笠原のヘリは少しずつ遠ざかる。
「環!大丈夫か!」
思わず身を乗り出した俺に気づいた環は、後ろを振り返り忌々しげに叫んだ。
「仕方ないわ!最後の手段!!」
その環の後ろから現れたのは宮廷社の真巣マス夫氏で、手には竹筒のようなもの
を持っている。それを口にあてがい。
「ふっ!!」
「え!?」
真巣氏から放たれた吹き矢は、見事おれの眉間に命中。
「うっ!!」
「あっやられた!!」
「これで、三枝はしばらく動かないわよ!!おあいにく様!せいぜい眠り姫でも
眺めて暮らすがいいわ!
おーほほほほほほほほほほほほほ…」
上昇するヘリの中で俺の意識は遠ざかり、環の高笑いを聞いたのが最後だった。
====================================(B)
「三枝の行方はまだつかめないの?」 ヒステリックとも言える甲高い声が小蒲
原家の執務室に響いていた。その中心には豪奢なチャイナドレスに身を包んだお
嬢。白い肌に映える光沢のある黒地に金糸銀糸の刺繍が目にも鮮やかだった。大
胆なスリットも勇ましく、お嬢は部屋の中をいらいらとした調子で歩き回る。
「申し訳ありません、手を尽くしてはございますが…」
叱られているのは体のあちこちに包帯を巻いた姿が痛々しい環である。いつも
のように隙のないスーツ姿であったが、やや精彩に欠ける。 お嬢はグラスを傾
けて、乳白色に輝く液体を飲み干した。ヤクルト400であった。
「なんにせよ、三枝はしばらく動けません。敵に手中にあるとはいえ何ら意思を
持たない状態です。どんな発言も契約もありえません」
デカンタからさらなるヤクルト400をお嬢の手のグラスに注ぎながら笠原が
微笑む。やはりその姿も包帯で真っ白であった。
この勝負、「奴隷をかけた父娘全面戦争」である以上、勝敗の鍵を握るのはも
ちろんその奴隷、すなわち三枝である。暴力でも閨房ででも、はたまたお笑いで
も泣き落としでも構わない。とにかく奴隷(=三枝)に「うん」と言わせれば勝
ちなのである。それが長年対立を続けてきたこの父娘の間に横たわる唯一のルー
ルであった。奴隷を敵の手中に落とすことは何よりも回避すべきことなのである
が、危機一髪、なんとか「心」までは持って行かれずに済んだようだ。しかし、
薬の効果が切れ、三枝の目覚めるまでの約三週間。なんとしてでも彼の体を奪還
しないことには、この勝負に勝ち目はない。樹恒氏の陣営には、ありとあらゆる
手練手管を持ち合わせた精鋭部隊がぞくぞくと集結しているはずなのだから。
お嬢はやや怒らせた肩を少し落としてため息をつく。傷ついた二人を下がら
せ、壁際のデスクに腰を下ろす。マホガニー製のデスクは、その上で卓球台が2
面取れるほどの巨大なもので、お嬢はその細い腕を美しい角度にのばして、一枚
の羊皮紙になにやら書き込み始めた。その手にはもちろん羽根ペン。
「この手だけは、なるべく使わずにしておきたかった…」
背に腹は代えられぬ、といった風情がお嬢には漂う。静かな執務室に、紙を
ひっかくペンの音だけが響いていた。
数時間後、薄暗い、湿った空気の満ちた小部屋。クラリと意識を簡単に手放し
てしまいそうな甘い香りに満ちたその室内にお嬢、環、そして二人の女がいた。
「いらっしゃ〜い」
「いらっしゃ〜い」
声と共に、お嬢と環がその目から幅広の黒布をゆっくりとはずした。
「こういう趣向はうんざりですわ、佐倉様」
佐倉とよばれた二人の女は、色違いの銘仙の着物を着て、古風な布張りのソ
ファに線対称に腰掛けている。古風なのは二人のいでたちだけではない。大きな
柱時計に猫足のチェスト、朝顔型のシーリングランプと真空管ラジオ…と畳みか
けるような懐古趣味の部屋だった。
「…お嬢…こちらは…」
事情の分からぬ環が、小声でおずおずとお嬢に問う。いかにも環らしからぬリ
アクションだが、無理もない。お嬢に請われて共に新宿駅南口「新宿の目」前に
降り立った途端、袴姿の書生風青年三名に取り囲まれ、アイマスクを強要された
上、車の後部座席に押し込まれ、そこがどこだか分からないよう念入りに回り道
をされたあげくついた屋敷でやっと口を利くことを許されたといった状況なの
だった。
「佐倉加奈です、ごきげんよう」
「佐倉多岐です、ごきげんよう」
二人の女はほぼ同時に名乗った。
「おかけになって」
「おかけになって」
二人の女はほぼ同時に椅子を勧めた。
「お茶はいかがかしら」
「お茶はいかがかしら」
二人の女がほぼ同時に茶を勧めるのをなんとか遮って、お嬢が口を開く。
「ここへお茶を飲みに来た訳じゃないわ。あなた方の、通常の約2倍長い前置き
に付き合ってたら、時間が幾らあっても足りないの。依頼の件については先程お
送りした書面を見ていただいているでしょう?」
冷ややかなお嬢の視線にめげることなく二人は顔を見合わせて微笑み会う。
「折角のご依頼なのに、書面でなんて残念ですわ、桃子様」
「遠路はるばる来ていただいたのですから、少しゆっくりなさって、昔みたいに
楽しいお話でもいたしましょう?」
「そうだ、桃子様はレモンタルトがお好きだったわね。丁度おいしいレモンタル
トがあるんだった。今お出ししますわ」
「あら、桃子様がお好きなのはナポレオンパイだったでしょ?お忘れになったの
かしら」
「いいえ、レモンタルトです。あなたこそお忘れに?」
「そんなはずないわ。ねぇ、桃子様」
「それもこれも、なかなか私たちのもとを訪れてくださらないからだわ。桃子様
のいじわる」
「そうですわ!すっかりご無沙汰じゃございませんか。私たち桃子様が我が家に
来ていただくのを何より楽しみにしているんですのよ?ご存じのクセに」
「ね〜」
「ね〜」
いつ果てるとも知れないおしゃべりの応酬に、心底ウンザリした様子のお嬢
は、環の耳元でそっとささやく。
「こいつらは『佐倉家』といって…とにかく捜し物が得意な二人組よ」
「捜し物…ですか」
とてもそのようには見えませんが、と環は目の前でしゃべりまくる二人を盗み
見た。二人の話はどんどん本題から逸れながら、一カ所にとどまることなく、さ
らによどみなく、延々と続く。放っておけばこの世の終わりまで続きそうだった。
「とにかく、この方達に三枝の行方を捜していただくわけですね」
「ええ」
とはいうものの『佐倉家』のおじゃべりはつきることなく、二人に三枝の
「さ」の字も伝わっている様子はない。このままでは埒が開かないと意を決して
環が口を開きかけた時、佐倉加奈の方が振り返った。
「ところで初めまして。こちらの方はどなた?紹介してくださらない、桃子様」
「こちらは環、私の秘書です」
お嬢が片手で環を指し示す。環は頭を静かに下げ「環と申します」と名乗っ
た。この部屋を訪れてから軽く20分が経過していた。
「で、あたくし言ったのよ。それはブロッコリーっていうんじゃないの?って」
環が再び顔を上げたときには、既に話は移り変わった後だった。
「なんなんですか…この方たちは…」
再び環が小声でお嬢に問う。
「大変非科学的な話だけど、この二人は…占い師…みたいなものよ」
決してはずれない占い師『佐倉家』。その力は強大で、広く世界の政財界にそ
の名が轟いているらしい。彼女らの『占い』の結果次第で世界が動いていると
いっても過言ではない。
「ただ…取りかかりがちょっと遅くて…」
「…ちょっと…ですか」
お嬢と環は、目の前にアルバムを広げて大笑いを始めた『佐倉家』を眺めて深
いため息をついた。
==============================(B)(追加)