• トップページ
  • 歴史のお勉強
  • 日本の歴史
  • 太平洋戦争
  • 太平洋戦争

    太平洋戦争の秘密を調べて見よう

    太平洋戦争の秘密

    もくじ

    1. 真の戦犯は米内光政と山本五十六
    2. 愚将だった山本五十六
    3. 陸軍の隼と海軍の零戦は無線通信すらできなかった
    4. ハルノート
    5. ソ連の思惑
    6. 中国の思惑
    7. 英国の思惑

    太平洋戦争は、誤解から始まった

    ハル・ノートには、「日本は満州から撤退しろ」とは、書いていなかった。

    しかし、日本政府と日本陸軍は、ハル・ノートが「日本は満州から撤退しろ」と言っていると誤解し、 激怒して開戦に踏み切った。

    ハル・ノートにブチ切れた日本は、開戦以外の戦略を考える余裕はなかった。

    かくして、満州の日本の利権は、まんまとソ連に奪われたのである。

    しかし、寸前の日中の和平をブチ壊したのは、海軍と米内光政であった。

    太平洋戦争を始めたのは、海軍と米内光政であった。

    真の戦犯は米内光政と山本五十六

    「原爆の投下は天佑だ」と言った米内光政

    海軍大臣であった米内光政は広島・長崎に原爆が投下されてすぐの8月12日、つぎのように語ったと言う。

    「私は言葉は不適当と思うが原子爆弾やソ連の参戦は或る意味では天佑だ。 国内情勢で戦を止めると云うことを出さなくても済む。 私がかねてから時局収拾を主張する理由は敵の攻撃が恐ろしいのでもないし原子爆弾やソ連参戦でもない。 一に国内情勢の憂慮すべき事態が主である。 従って今日その国内情勢を表面に出さなく収拾が出来ると云うのは寧ろ幸いである」

    米内光政は国民の生命をダシにして、自分の立場を守った犬畜生と言うことになる。

    米内光政は米国のロックフェラー財閥と繋がっており、その手先として働いた。 現在の財務省や外務省と全く同じ図式なのである。

    その証拠の一つに、米内光政は戦犯で処刑されるどころか拘束すらされなかったのだ。

    米内光政の行為が日本であまり問題にならなかったのは、このような米国の支援があったからだが、 真実を知る人間は、非常に米内光政を憎んでいたようだ。

    阿南惟幾は終戦の日当日に「米内を斬れ」と言い残して自害した

    阿南惟幾(陸相)は太平洋戦争末期、梅津美治郎参謀総長とともにあくまで本土決戦を唱え、 御前会議では「これまでの対米敗戦は兵站に失敗したからであり、本土決戦とは違う」と主張した。

    これに対し、米内海相は「そんな責任の転嫁は止めよう」と言って終戦を主張した。

    その後の御前会議で阿南惟幾は、昭和天皇の終戦の意志が固いことを知り、 最終的には終戦に同意し、最終的に天皇の裁可により終戦となった。

    米内海相に恥をかかされた形の阿南惟幾は、 軍事クーデターをほのめかす部下の軽挙妄動を戒めながら、8月14日夜、 ポツダム宣言の最終的な受諾返電の直前に陸相官邸で切腹により自刃した。

    介錯を拒み、翌15日朝絶命。「一死をもって大罪を謝し奉る」との遺書は有名である。 そして、阿南惟幾はこの時に「米内を斬れ」と言い残して自害したのだ。

    対米戦に限れば、もともと海軍が破れれば本土決戦しかなく、陸軍はまさにその為に育てられてきたのであるから、 阿南陸相ならずとも陸軍首脳たるもの「本土決戦は避けて降伏しよう」とは口が裂けても言えなかった。

    それは陸軍と陸軍軍人の全面否定になるから、 天皇の裁可を受けるまで抗戦主張を取り下げる事は出来ない相談だった。

    阿南惟幾の辞世「大君の深き恵みに浴みし身は、言ひ遺こすへき片言もなし」が、 天皇の終戦裁可を待ちに待っていた心境を表している。

    それを、無責任で調子の良い言辞ばかりを得意とする米内光政海相を見れば、 誰しも腹が立って「コノヤロウ、米内を斬れ」と言うだろう。 米内光政や山本五十六に代表される海軍は、最後の最後まで無責任だったのである。

    阿南惟幾は、米内と海軍はアメリカの犬であることを悟った

    事決まれりとなれば介錯を断って切腹して責任をとった阿南惟幾と、 徹頭徹尾、責任転嫁で逃げ回り、ノウノウと生き延び米内光政の無責任さを較べると、 当時の海軍も現在の海上自衛隊も同じ体質であることがわかる。

    阿南惟幾は、終戦の日当日に「米内と海軍はアメリカの犬」であることを今更ながら知り、 陸軍が海軍に騙されたとの思いがこみ上げてきたのだろう。 それで「米内を斬れ」と言い残して自害したのだ。

    終戦の結果、阿南惟幾は自殺し、米内光政はのうのうと生きながらえ、 日本はアメリカの半永久的植民地となった。 そして、アメリカのGHQは、司馬遼太郎や阿川弘之といった洗脳工作員を養成して、 小説という手段で米内光政や山本五十六を戦争に反対した平和主義者のごとく評する活動を行わせ、 日本国民の思考能力を奪っていったと言う。

    昭和12年8月15日に、第一次近衛内閣は、近衛声明なるものを出して、 唯一の中国との接点であった蒋介石との交渉を断絶することを宣言すると言う愚挙を行った。 この時の4相の内、近衛、広田、杉山は、東京裁判による追及と断罪で非業の最期をとげたが、 ひとり米内のみ訴追を逃れた。近衛、広田、杉山も「米内を斬れ」の思いだったろう。

    最後まで生き残った奴が真犯人だと言うが、まさにその通りの図式である。

    当時の海軍から見て、陸軍はアメリカ軍より憎い相手だった

    終戦の日当日の阿南惟幾の自殺は、日本の内閣制度発足後、現職閣僚の初めての自殺だった。 その後も2007年に松岡利勝農水大臣が自殺するまで、実に62年間も現職閣僚の自殺はなかった。

    当時の海軍から見て、陸軍はアメリカ軍より憎い相手だった。 「原爆の投下は天佑だ」と言った米内光政の言葉の意味は、 「これで、アメリカ軍より憎い陸軍をやっつけることができる」 と言う喜びの言葉だったのだ。

    アメリカ軍の日本占領は、米内光政にとってまさに友軍が来たようなものだった。

    そんな米内光政の態度を見て、阿南惟幾は「米内を斬れ」と言ったのだ。

    陸軍を騙した海軍

    米内光政と山本五十六に代表される日本海軍は、 ひたすらアメリカ(ロックフェラー)のために働き、 多くの和平のチャンスをことごとく潰し、狂ったように戦争拡大に走り、 日本を破滅に導いた戦犯中の戦犯というか、狂った気違い集団だったのだ。

    当時、大陸は陸軍、太平洋は海軍と言うように縄張りが決まっていたらしいが、 海軍の戦争拡大策により、太平洋が自分だけでは手に負えなくなり、 陸軍を騙して太平洋に連れ込んだ。

    しかし、海軍は陸軍の補給路を保つこともやらず、護衛も一切しなかったため、 大半の陸軍の船はアメリカ軍の攻撃を受けて海の藻屑と化した。 阿南惟幾ならずとも陸軍は「海軍に騙された」との思いが極めて強かった。

    その伝統は、米海軍の下請け機関である海上自衛隊に引き継がれている。


    TIME誌(March 4,1940)海軍大臣米内光政大将
    鳥飼行博研究室ー「 近衛文磨首相の暴支膺懲発言と終戦前の上奏文」より引用

    愚将だった山本五十六

    楽園のハワイを攻撃したバカな山本五十六

    山本五十六は、ハワイの真珠湾の攻撃をしたことで有名だが、 何故、あんな楽園のハワイを攻撃するのかが理解できなかった。

    楽園のハワイは、遊ぶところであり、戦争をするような場所ではない。

    楽園のハワイを攻撃すれば、世界の非難を浴びることは必定だし、 そもそも主力の空母もいないオンボロ戦艦を沈めたところで、 米軍の兵力に殆ど影響を与えないだろうと言うことは素人にも分かることだ。

    山本五十六は、ハワイが米国の太平洋における重要な戦略拠点であるから攻撃したと言うならば、 なぜ、徹底的にその基地を破壊しなかったのかが疑問として残る。

    山本五十六がやったことは、何もかも中途半端で、無責任極まりないのだ。

    ハワイの兵器生産施設を攻撃しなかった山本五十六

    ハワイの真珠湾の攻撃においては肝心の空母を攻撃することもなく、 オンボロ戦艦を沈めた程度でゴマかしているが、 更に空母より重要と言うべき兵器生産施設も攻撃しなかった。

    山本五十六のハワイの真珠湾攻撃においては、 機械工場の攻撃は無視し、修理施設にも事実上手をつけなかった。 また重要な燃料タンクにも攻撃はしなかった。

    これだけでも、山本五十六の無能さが分かるのだが、ミッドウェー海戦においても、 山本五十六は、その愚将ぶりを発揮する。

    圧倒的戦力という戦略的優位と海軍機の高性能と搭乗員の高熟練度という戦術的優位がありながら、 ミッドウェー海戦では、山本五十六の戦闘指揮の失敗で敗北した。

    山本五十六は、英雄どころか日本の運命をメチャメチャにした戦犯そのものなのだ。

    アメリカに武官として駐在し、ハーバド大学にも留学したと山本五十六は、 当然、アメリカのロックフェラーと繋がりがあった筈だ。

    言わば、アメリカのスパイだとも言える山本五十六とその後ろ盾の米内光政で代表される 海軍と言う最悪の組織を持ったことが当時の日本の最大の不幸であった。

    決して、商船を護衛しなかった海軍

    太平洋戦争の開戦当時、世界第三位の商船隊を持っていた日本は、戦争で2,568隻約843万トンを失った。 戦争継続能力はおろか国民生活の末端まで破壊されてしまった。

    当時の海軍は、この商船隊の護衛を行い日本のライフラインを守ることが主な任務と思いきや、 一切、この商船隊を護衛することはなかった。

    現在の海上自衛隊が、日本人の生命を守ると言う義務を果たさず、 アメリカ軍の下請けに徹していることから見ても、 日本の海軍は昔からそうだったのかと思えることである。

    では当時の海軍は、どのような仕事をしていたかと言うと、 安全な瀬戸内海にクルーザならぬ軍艦を停泊させ、軍艦ホテル生活を楽しんでいたのだ。

    海軍の代表たる山本五十六自身が、守屋次官のゴルフ三昧に対抗して、軍艦ホテル生活を楽しんでいたのだから、 海軍の兵隊さんも国民もたまったもんじゃありませんぜ。

    山本五十六が軍艦ホテル三昧を楽しんでいる間に、海軍の護衛のない丸裸の日本商船隊は、 アメリカ軍の餌食になってどんどん沈没して行き、日本のライフラインは消えて行った。

    海軍は、軍艦ホテルの中で大昔の日本海海戦のような艦隊決戦をやるんだと嘯いていたが、 そんな素人にも分かる時代遅れの考えでアメリカとの戦争に勝てる筈もなく、 日本商船隊以上に軍艦も失って行った。

    おまけに、海軍は、軍艦ホテルでのシャレた生活は得意でも、船団護衛のための対潜・対空戦術のノウハウは 皆無だったので、例え日本商船隊の船団護衛をしたとしても役に立たなかった筈だ。

    そりゃそうだ。やったことがないので対潜・対空戦術のノウハウなどある訳がない。 まさに海軍とはテクノロジーなく素人集団であった。

    そんなデクノボーの海軍に日本の将来を任せたのが、日本人の最大の不幸であった。

    軍艦ホテルで過ごし、決して前線に出なかった山本五十六

    山本五十六は、大半を戦場とは遠く離れた軍艦ホテルでトランプをして過ごし、決して前線に出ることはなかった。

    山本五十六は、戦闘が怖かったらしい。 軍艦ホテルで過ごしているせいか、全ての戦いが失敗して、 多くの将兵が死んだことを何とも感じず、自分の失敗を隠すために、 生き残った将兵を休ませることなく更に前線に赴かせ、 証拠隠滅を図った鬼畜生だった。

    日本海海戦で戦闘の最前線で戦艦三笠に乗って果敢に指揮した東郷元帥とはエライ違いであり、 山本五十六は、卑怯者そのものだった。

    山本五十六は、戦術的に効果の全くない特攻隊なるものを考案し、 自分の部下である多くの将兵の命と重要な武器を無駄に失っても 何の良心の呵責も感じなかった。

    貧乏人ほど博打が好きだと言うが、山本五十六の戦術は、徹頭徹尾、博打に徹した。

    ゴルフをやるものは、博打ショットの90%以上が失敗することを知っているが、 山本五十六の博打は、100%失敗した。 日本国民と部下の将兵は、山本五十六の博打のために何百万人と死んだ。

    いや、山本五十六の人生の目的は、日本と日本国民を消滅させることだったのだ。

    海上自衛隊は、アメリカのスパイどころかアメリカの軍隊そのものだ

    こんな歴史を背負う海上自衛隊は、アメリカのスパイどころかアメリカの軍隊そのものだ。

    2008年2月10日にアメリカ軍との演習を終えた海上自衛隊のイージス艦「あたご」(艦長・舩渡健1等海佐)が、 房総沖で暴走し漁船「清徳丸」に衝突し、吉清治夫さん(58)と長男哲大さん(23)を殺したのも記憶に新しい。

    旧日本海軍も海上自衛隊もアメリカが作ったアメリカによるアメリカのための組織なのだ。 彼らが日本人のために役立ったことは、一度もないのである。

    彼らの本来の仕事である兵器の開発研究は自らは放棄して、すべてアメリカとその手先である得体の知れないフィクサーや 商社に任せて、ひたすら税金をアメリカとその手先の業者にジャブジャブと注ぎ込んで、 自分は業者の接待ゴルフにうつつを抜かしている。

    彼らは、アメリカのためにガソリンスタンドを経営して税金を湯水のように使うが、 それ以外は、ことごとく日本を破滅に導く存在なのだ。

    陸軍の隼と海軍の零戦は無線通信すらできなかった

    政争しか興味がない海軍上層部

    山本五十六を始めとして、海軍上層部は政争にしか興味がなかった。

    政争しか興味がない集団と言えば、昔から藤原氏が有名だが、 藤原氏も海軍も文化やテクノロジーを大事にせず、日本を破滅させた点で共通なとろがある。

    兵器のテクノロジーの追求が、海軍上層部の仕事かと思いきや、 彼らの考えることは、陸軍をやっつけることと軍隊と言う環境における快適な自分達の生活の確保だったらしい。

    よく職業軍人と言う言葉があるが、あれは真っ赤な嘘で、 海軍上層部は、自分の仕事をしない、自分の仕事に興味がない税金の寄生虫だった。

    兵器のテクノロジーに興味がない海軍上層部は、 そもそも防御についての概念がなく、ひたすら突撃することが戦術だと考えていた。

    しかし、織田信長の例を見るまでもなく、戦いに勝利するのは、 兵器のテクノロジーの差に負うところが非常に大きい。 古い兵器を使っていては、必ず負ける。

    兵器のテクノロジーの共通化と言う概念がない海軍上層部

    兵器のテクノロジーに興味がない海軍上層部は、 当然、陸銀との兵器のテクノロジーの共通化と言う概念がなかった。

    その代表例は戦闘機であり、陸軍の隼と海軍の零戦は無線通信すらできないばかりか、 スロットルの方向も全く逆であったりして、全く技術の交流がなかった。

    これじゃあ、陸軍と海軍の共同作戦など、うまく行く筈もなく、 トラック島やラバウルあたりの戦いでは共同作戦ができず悲惨なことになった。

    そもそも、貧しい日本の国力で、陸軍と海軍が似て非なる隼と零戦と言う2種類の開発をなぜ行うのか、 なぜ、少しでも技術を共有して、効率的な開発をできなかったのかは、 兵器のテクノロジーに興味がない海軍上層部のバカ面を見れば明らかであろう。

    今も昔も変らない日本の役所のセクショナリズムと税金の無駄使いについての 無関心ぶりが分かる。兵器をアメリカに依存している海上自衛隊も全く同じ体質を受け継いでいる。

    アメリカ陸軍と海軍と間には、AN規格と言う共通の規格があった。 アメリカでは、多くの兵器を陸軍と海軍と間で共同開発・生産していた。

    もともとショボイ技術を日本では陸軍と海軍に分けて開発するものだから、 レーダー技術に代表されるように全くモノにならなかった。

    このような傾向は、現在でもNTTや電力会社が多くの利益を注ぎ込んで、 アメリカでは既に存在する当り前の技術も、似て非なる下らない独自の技術を開発して、 結局はドブに捨ててしまうのと同じ体質である。


    隼(キ43 一式戦闘機)
    Wikipedia「 一式戦闘機」より引用

    ハル・ノート

    「ジャップめ」とハルは言った

    ハル・ノートとは、当時の国務長官のコーデル・ハル(Cordell Hull, 1871/10/2 - 1955/7/23)が 作成した日本に対する最後通牒である。

    日本に対して好戦的であったコーデル・ハルは、なんと 国際連合憲章の起草を称えられて、 ノーベル平和賞を受賞したのだから、ノーベル平和賞というのは「欧米の平和に貢献した」と言う意味だ。

    運命の1941年11月26日に、コーデル・ハルは、「ジャップには、覚書(ノート)を送ってやったぜ」と言い、 次のように「あとは、陸軍と海軍に任せるぜ」とノックス海軍長官に言ったのだ。

    I have washed my hands of it, it is in the handle of you and Knox, the Army and Navy.

    どこが、ノーベル平和賞ものかと笑わせる発言だ。

    ハル・ノートには、「日本は満州から撤退しろ」とは、書いていなかった。

    冒頭でも説明した通り、ハルノートには、「日本は満州から撤退しろ」とは、書いていなかった。

    ハル・ノートには、「日本は、China(without Mashuria)から撤退しろ」と、書いてあった。 カッコの部分(without Mashuria)は、後で削除されたらしいが、 ハルノートには、「日本は、中国(暗に満州は含まず)から撤退しろ」と書いてあった。

    当時のブチ切れた日本には、カッコの部分(without Mashuria)が読めなかった。

    当時の日本にとって、「日本は満州から撤退しろ」と言われることは全否定であった。

    この11月26日に発表されたハル・ノートの前に、ハル・ノートの穏健な暫定案(11月25日版)があったが、 中国の蒋介石によって猛反対されて潰された。

    蒋介石にとって、満州国のことより、「日本は、中国(暗に満州は含まず)から撤退しろ」が、 最大の要求事項であったから、当然の内容である。

    日本は、そこのところが見抜けなかった。 「満州国だけは守る」と言う一点集中で行けば、この米国がしかけた外交戦には勝てたかも知れない、

    アメリカの対日戦争の策謀

    当時、アメリカは、最近のブッシュ政権によるイラク戦争と同様に、 ルーズベルト大統領を筆頭にいかにして対日戦争を始めるかという策謀に躍起だった。、

    アメリカの11/25の会議で議題としたのは和平ではなく、日本との戦争をいかにして開始するかの問題だった。

    最近のブッシュ政権によるイラク戦争と全く同様に、いかにして日本を悪者にするか、 つまり、日本が先に戦争をしかけさせるが彼らの最大の問題だった。

    ブッシュ政権によるイラク戦争と全く同様に、アメリカ人の交渉の常として、 最初に強硬案を示し、そこから相手側の譲歩を引き出すという手段をとるのである。

    しかし、日本はそれを最後通牒と見なした。 ハル自身ですら、ルーズベルト大統領や蒋介石に迫られて作成したハル・ノート(11月26日版)を 自分の意思に反して過激すぎたと評していたらしい。

    このようなアメリカの日本挑発計画は、何時ごろから始まったのであろうか。

    次に、アメリカの日本挑発計画の歴史について見てみよう。

    アメリカの日本挑発計画

    日本は、本来、満州国を承認していた英国に頼るべきだったが、 小村寿太郎や松岡洋右約らに騙されて日英同盟を破棄し三国同盟に走ってしまい、 結果的にアメリカの日本挑発計画を受けることになったが、 その発端は満州の鉄道事業にあった。

    アメリカの鉄道王ハリマンは、ポーツマス条約締結後、桂首相に南満州鉄道の共同経営を提案した。

    ハリマンには夢があった。南満州鉄道をシベリア鉄道につなげ、バルト海へでる。 そこからアメリカ東海岸へと結んで、世界一周鉄道をつくるというものであった。

    伊藤博文や井上馨は、この申し出に賛成した。 特に井上は、北満州に依然として大軍を擁しているロシアを牽制するために、 アメリカを抱き込む妙案だと考えた。

    その意見に従って、桂はハリマンと共同経営の覚書を交わした。

    しかし、ポーツマスから帰国した小村は、血も流さなかったアメリカに、 満鉄の権益を渡すのは外交上の恥だと訴えた。

    そして北京へ飛び、清国との間で、満州に第三国が資本投下するのを阻止する条約を結んだ。

    1906年1月、日本は覚書の廃棄を正式に通告。南満州鉄道株式会社を設立した。

    これと時を同じくして、カリフォルニアで日本人の排斥運動が議会や教育委員会で決定された。

    小村寿太郎は、満州の利権に米国を巻き込むどころか敵に廻してしまったのである。

    小村寿太郎は、ポーツマス条約でソ連から日露戦争の賠償金をとれなかったどころか、 満州の利権をやすやすとソ連に渡すための原因を作ってしまったのだ。

    小村寿太郎の古い田舎侍的な外交感覚が、仇になったのである。 英語がうまいというだけで外交を任せたのがマズかった。

    英国の満州国承認をテコにして、その周りを固めるために 米国を利用すべきであった。

    ソ連の思惑

    この記事は、Wikipedia「 ハル・ノート」を引用しています。

    日本を米国と戦わせることにより、日本がソ連に侵攻する脅威を除く

    独ソ戦を戦っていたソ連のスターリンにとっての悪夢は、 ドイツと三国同盟を結んでいる日本が背後からソ連を攻撃することであった。

    当時、2面作戦をとる国力に欠いたソ連は、日本からの攻撃があるとドイツとの戦線も持ちこたえられずに 国家存続の危機に陥ると考え、日本の目をソ連からそらせる為のあらゆる手を打った。

    米国に親ソ・共産主義者を中心に諜報組織網を築き、その一端はホワイトハウスの中枢にも及んだ。

    その最重要人物がハルノート作成に関わったハリー・ホワイト財務次官補である。

    日本を米国と戦わせることにより、日本がソ連に侵攻する脅威を取り除くことが一つの目的であった[5]。

    また、日本にはリヒャルト・ゾルゲや尾崎秀実を中心とする諜報組織網を築き、 日本の目がソ連に向いていないかと関東軍特殊演習などの情報を収集し、報告し続けた。

    中国の思惑

    この記事は、Wikipedia「 ハル・ノート」を引用しています。

    日本を米国と戦わせることをしかけた好戦的な中国

    軍事的な問題で一時は妥協的案の提案に傾きかけたハル国務長官だが、日中戦争の当事者である国民政府の蒋介石政権は 「日米妥協」は米国の中国支援の妨げとなるとして公然と反対していた。

    当時既にアメリカは非公式ではあるが国民政府に対して軍事支援を行っていた。

    なお蒋介石夫人の宋美齢も自身の英語力を生かしてロビイストとしてルーズベルトにさまざまな手段で働きかけていた。

    英国の思惑

    この記事は、Wikipedia「 ハル・ノート」を引用しています。

    英国は暫定協定案に対してはやむなく賛成していた

    また当時は既にヨーロッパにてドイツとイギリスとの戦いが始まっており、 ヨーロッパ戦線にて対独戦に苦戦していた英国チャーチル首相は、 戦局打開の策としてアメリカの参戦を切望していた。

    英国は暫定協定案に対してはやむなく賛成する電報を送ったが反対であったのは明らかで、 他に公開されていない電報が存在する。

    またその他の働きかけは判然としていないが、 チャーチルの回想録では日米開戦の知らせを受け取ったときのチャーチルの欣喜雀躍ぶりが描かれている

    以上