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    江戸時代の農民が貧しかったというのは、明治政府の宣伝だった

    米の話

    もくじ

    1. 貧農の方が中級役人より年収が多かった
    2. 明治政府が捏造した江戸時代の貧農史観

    貧農史観を見直す

    「貧農史観を見直す」(講談社現代新書、佐藤常雄+大石慎三郎著)と 言う本があるらしい。

    貧農の方が中級役人より年収が多かった

    江戸時代の百姓は本当に貧しかったか?」を引用しています。

    「貧農」の年収は300万円、「中級役人」の年収は100万円だった

    まず前者は、米の取れ高は享保14年(1729)で27石9斗で、 「公式」の取れ高より16%強多い数字です。

    この他、縮(ちぢみ、織物)の収入がひと冬で2〜3両、駄賃稼ぎ(馬を連れて街道荷物の運送をする)で約3両、煙草栽培で3両、こうしたものを合計すると、 1両=10万円換算で、約300万円にもなります。

    一方、後者の「中級」役人の収入は米12石4斗、米1石を76,500円で換算して約95万円にしかならず、しかももっぱらの消費者であって、他に何も生産しない彼の収入はこれのみで、これで家族と奉公人を養い、住まいを維持し、 さらに役職に関わる経費をまかなわなければなりませんでした。

    ある研究者は「百姓は…金をたくわえ、それを生産に投下しなければならなかった。

    江戸時代の百姓家が広い敷地をもち、その敷地の中に納屋や立派な土蔵をもつのは、 彼らが食べ物を倹約し、粗末な衣服をまとったことの結果である。

    粗末な衣服を身にまとっていることをもって、 彼らを一方的に貧者と決めつけてはならない」と述べています。

    深く考えさせられる指摘です。

    明治政府が捏造した江戸時代の貧農史観

    「重税」を正当化するために江戸時代の貧農史観を捏造した

    江戸時代の農民が搾取され悲惨な生活を送っていたという歴史観は、 明治政府が明治維新後の市場社会を正当化するためにあえて作り出されたものだった。

    明治政府は役人の生活を守るために、国民に重税をかけた。 そのために明治政府は、あえて江戸時代の貧農史観を捏造したのだ。

    そもそも江戸時代までの課税は、田んぼにしかかからなかったので、 それ以外の副収入や商人には課税されることはなかった。

    「五公五民」は「重税」だったのか

    江戸時代の「五公五民」というのは、検地によって定められた村の収穫高を基準にした年貢率である。

    検地は田・畑・屋敷だけを対象にしており、それ以外の農民の副業などの生産活動は組み込まれていない。

    しかも検地は十七世紀後半にほぼ終了しており、以後二百年間の新田開発も生産力の発展もまったく計算されていない。

    従って、検地による村の石高は現実の農民所得より大幅に過小評価されている。

    重税どころか「幕末期に近づくにつれて、実際の年貢率は二割あるいは一割という低率と なるムラも少なくないのである」 と言う状況であったのである(佐藤常雄「貧農史観への疑問」『地球日本史A』)。

    役人の数が少なければ「重税」の必要はない

    それは、江戸時代の役人の数の少なさを見ればあきらかだ。 税金の大半は、役人の生活維持(人件費)のために使われるからである。

    ガソリンの暫定税の殆どが、国交省の役人の人件費や遊興費に使われているのを見れば、 役人の数を減らせば税金を減らすることができるのだ。

    明治政府の末裔の霞ヶ関の役人達は、やたらと新しい省や庁という役所を作りたがる。 これらは全く必要のないものであり、全てが増税の理由になるのだ。

    以上