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よもやまdansk

〜デンマーク語・デンマークの日常風景に関するホームページ〜

『野の白鳥』

〜あらすじ〜

ある国に1人の王様がいました.その王様には11人の息子とエリサという1人の娘がいました.みんなは幸せに暮らしていましたが,その王様は悪いお妃様と結婚してしまいました.このお妃様は子どもたちを全く可愛がらず,それどころか小さいエリサを田舎の百姓にやってしまい,11人の王子様のことも白鳥に変えてお城から追い出してしまいました.

エリサは15才になるとお城に戻ることになっていましたが,お妃様はエリサが美しく成長したのを見ると途端に憎らしくなってしまい,お兄様たち同様に白鳥に変えてしまおうと考えました.ところが王様が久しぶりに娘に会いたいと言うのでそうすることができませんでした.

そこでお妃様は3匹のカエルをつかまえて,それにキスをして,その中の1匹に向かって言いました.「エリサがお風呂に入ったらあの子の頭に乗るんだよ.お前のようにぐずになるように!」そして次のカエルには「お前はあの子の額に座るんだよ.お前のように汚くなってお父さまさえ見分けがつかなくなるように!」最後のカエルにはエリサに悪い心を起こさせるために,胸に座るように言いつけお湯の中に放しました.エリサがお湯に入るとその3匹のカエルはそれぞれエリサの体に座りましたが,赤いケシの花に姿を変えただけでした.エリサはとても信心深い女の子だったので,さすがの魔法も力をふるうことができなかったのです.
お妃様はそれを見ると,今度はクルミの汁をエリサの体になすりつけて美しいエリサを汚くしてしまったので,王様はびっくりしてこれは自分の娘ではないと言いました.エリサは悲しみのあまりお城を抜け出して,大きな森の中に入っていきました.
悲しみのなか思い出すのは11人のお兄様たちのことばかりです.

森の中を歩くうちすっかり夜になってしまい,エリサは道に迷ってしまいました.そこで一晩休み,翌朝にはさらに森の奥深くに入っていきました.お腹がすくと木になるリンゴを食べ,どんどん暗い森のなかへと入っていきます.
すると途中で木苺の入ったかごを持った1人のおばあさんに会いました.エリサはそのおばあさんに11人の王子を見なかったか尋ねました.するとおばあさんは,近くの小川で金の冠をかぶった11羽の白鳥が泳いでいるのを見たと言い,その小川の所まで案内してくれました.

おばあさんに別れをつげて,エリサがその小川に沿って歩いていくと,やがて広々とした海にでました.お日様がもう少しで沈もうとするちょうどその時,エリサは頭に金の冠をかぶった11羽の白鳥が陸地をめがけて飛び降りてくるのをみました.エリサは藪のかげに隠れて見ていました.
お日様が完全に沈むと,白鳥たちはたちまち11人の立派な王子へと姿を変えました.エリサは嬉しさのあまり,お兄様たちの腕の中に飛び込みました.お兄様たちもこの美しい女の子があのかわいい妹なのだということが分かってとても喜びました.
一番の上のお兄様はこう説明しました.「ぼくたちはお日様が昇っている間は野の白鳥になって飛んでいるが,お日様が沈むとまたもとの人間の姿に戻るんだ.僕たちは1年に1度だけ僕たちの故郷に帰ることが許されていて,ここに11日間だけいることができる.そして11日が過ぎると,また海を越えて向こうの美しい国へ飛んでいかなければならない.あぁ!一体どうしたらおまえを連れていけるのだろう?」

次の日になるとお兄様たちとエリサはしなやかなヤナギの木の皮と強いアシとで大きくて丈夫な網をあみました.そしてエリサはそこに横たわり,白鳥になったお兄様たちがその網をクチバシでくわえて空高く舞い上がりました.
長い間飛びつづけるうちに,ようやく向こうの陸地が見えてきました.杉の林と町とお城のある美しい山がそびえています.エリサはその山の中にある大きな洞穴の前に降ろされ,そこで一晩を過ごしました.

エリサはその夜,いつか森の中で会ったあのおばあさんによく似た仙女の夢を見ました.仙女はお兄様たちを助けたいのならば,刺のたくさんついたイラクサを摘み取って,そのイラクサを足で踏んで裂くように言いました.そうするとアマ糸が取れるので,それで長い袖のついた上着を11枚編み,それを白鳥の上に投げかければお兄様たちにかかった魔法はすぐにとけると言いました.けれどもひとつだけ忘れてならないことは,この仕事を始めたらそれが終わるまで何年かかっても口をきいてはいけないということでした.一言でも何かを話せば,その言葉は鋭い短剣のようにお兄様たちの胸に突き刺さってしまうというのです.

エリサは目がさめると神さまに感謝をして早速仕事に取りかかりました.エリサがその華奢な手でイラクサを摘む度に,手や腕に大きな火ぶくれができましたが,愛するお兄様たちを救うことができるのならと我慢して,その後もイラクサを一本一本足で踏みしだきました.

夜も朝もエリサは仕事を続けました.エリサが2枚目の上着に取りかかった頃,山の中に狩りの角笛が響き渡りました.エリサが洞穴の中で怯えていると,そのうちに狩人の一隊が洞穴の前に立ちました.その中にはこの国の王様もいました.王様はエリサは見ると,「なんと美しい娘だ!どこから来たのか」と尋ねましたが,エリサはただ頭を振るだけで答えようとはしません.王様は自分と一緒に来るように言い,エリサをお城の中へ招き入れて,美しいドレスと髪飾りを身につけさせました.その姿の美しいことと言ったら言葉には表わせないほどで,王様はエリサを花嫁に選ぶことにしたのです.こうして結婚式が挙げられ,エリサはこの国の女王様になりました.

けれどもエリサはお兄様たちのことを忘れたりはしませんでした.そして,夜になると王様の傍からそっと抜け出してイラクサの上着を編みつづけました.ところが,7枚目を編み始めたところで糸がなくなってしまいました.エリサはお城を抜け出し,恐ろしい墓地まで行き必死でイラクサを集めました.

このようなエリサの行動に王様は次第に疑惑を抱くようになり,エリサはそれに気がついても優しい王様に本当のことを語ることができず涙を流しました.とうとう,エリサは魔女だという疑惑をもたれてしまい,国の人々はエリサを火あぶりの刑にすることに決めました.エリサは立派な王様の広間からじめじめした暗い穴ぐらに移されましたが,そこでも決して上着を編む手を止めようとはしませんでした.

とうとうエリサが火あぶりにされる日がやってきました.
エリサは死刑に向かう車の上でも,最後の11枚目の上着を編む手を止めません.人々が魔女の火あぶりを見ようと,エリサにどっと押しよせると,どこからともなく11羽の白鳥が飛んできてエリサを守りました.

いよいよ役人の手がエリサの手をつかんだその時,エリサはすばやくその上着を白鳥の上に投げかけました.たちまち11人の立派な王子がそこに現れました.ただ一番末の王子だけは片方の腕がなくて,その代わりに白鳥の翼がついていました.それは最後の上着の片方の袖だけがまだできあがっていなかったからです.

エリサは今までの苦しみと疲れで倒れてしまいました.王子様たちは人々にこれまでのことをすべて語りました.その話の間に,何百とも知れぬバラの花の香りが漂ってきました.見ると火あぶりに使う焚き木の一本一本に赤いバラが咲いているのでした.王様がその花を摘んでエリサの胸の上におくとエリサは幸福に満ち溢れて目を覚ましまた.

〜解説〜

1838年刊行のこの『野の白鳥』は,デンマークの民衆が古くから口承によって語り伝えてきたある民話がモデルとなった作品だと考えられています.それはデンマークの著名な作家,マティアス・ヴィンターが収集した民話集にも含まれている『11羽の白鳥』という名の民話です.内容もアンデルセンの『野の白鳥』とよく似ています.

けれど,「なんだ,じゃあアンデルセンは単純に昔話をコピーしただけなのか」とは思わないで下さい.グリム童話とアンデルセン童話の違いについては以前にも触れましたが,民話と創作童話とはまったく違うものです.今回は,いかにアンデルセンがオリジナルの民話に色をつけ,独特の魅力溢れる童話へと仕上げていったのかをロマン主義的観点から皆さんに説明したいと思います.

読者の皆さんはおそらく解説の前に配信された『野の白鳥』のあらすじを読んでくださったかと思いますが,残念ながらそのあらすじだけでは,この童話の魅力を伝えきることができません.長さの関係で仕方はないことですが,この解説を読む前にぜひ一度最初から最後までじっくりと全訳の『野の白鳥』を読んでみてください.
この作品のモデルとなった民話『11羽の白鳥』が,私のあらすじのようにお話の骨組みしかない短い話であるのに比べ,アンデルセンの『野の白鳥』はとても長い童話です.そこには様々なメッセージや時代背景,アンデルセンの心情が織り込まれています.
次回の解説までに,全訳の『野の白鳥』をぜひ読んでみてくださいね.

「ロマン主義的要素その1:自然」

民話『11羽の白鳥』とアンデルセン童話『野の白鳥』の決定的に違うところは,主人公にエリサという名前が与えられていること,主人公の心の動きが微細に描写されていること,多くの対話や会話の挿入があることなどが挙げられます.しかし,なによりも強調しなければならないのは,この作品の至る箇所に当時の時代背景――具体的に言うとロマン主義的要素が散りばめられているということです.

第一に,自然の描写が驚くほど多いのです.意地悪な継母にお城から追い出されたエリサはその後ほとんどといって良い程,森(自然)の中で過ごします.この最初の場面においての自然はエリサにとって決して脅威となるものではなく,心安まる場所として描写されています.それは次の文章からも分かります.

森の中に入ってからいくらもたたないうちに,夜になってしまいました.エリサはすっかり道に迷ってしまいました.そこで柔らかなコケの上に座って,お祈りをして,それから頭を木のカブにもたせて横になりました.あたりはとても静かで,そよ風もないおだやかな夜でした.

この後も物語の至るところで美しい自然描写が見られます.『人魚姫』の解説でも述べましたが,この当時はロマン主義という思潮が文学の分野にも影響を与えていました.ロマン主義はそもそも「自然に帰れ」と説いたフランスのジャン=ジャック・ルソーの言葉に端を発すると言われているくらいですから,自然への回帰というか,自然との結びつきがとても強かったのです.

ロマン主義の主要特徴のひとつとして「無限性への憧れ」を挙げましたが,自然の本質とは無限の生成活動でもありますから,きっとそこがロマン主義者たちを強く魅了したのでしょう.ロマン主義の詩人たちは神秘的な森,月の光,夢のようにはるか彼方で漂う雲などを特に愛しました.それらのモチーフがこの『野の白鳥』の中でもよく扱われているのが分かります.

「ロマン主義的要素その2:エリサという名」

次に主人公のエリサという名前ですが,アンデルセンはなぜエリサという名を選んだのでしょうか.おそらくこれは「聖エリザベート」伝説に由来しているのでしょう.ヨーロッパではとても有名なこの伝説,日本人にはあまり馴染みがないので,ここで少しだけ触れておきましょう.

エリザベートはハンガリー国王の娘で,言い伝えでは1207年7月7日に生まれたと言われています.貧しい病人のために施療院や養護施設をつくり,城の食料倉庫を開放して人々に食料や衣服を与えるなどの慈善活動を行い,24歳の若さで亡くなりました.
当時の貴族達はエリザベートの慈善行為を行き過ぎだと非難し,貴族としての威厳を損なうものだと考えました.エリザベートは,キリストの示す隣人愛を実行しようとしただけだったのですが….生前には認められることのなかった彼女の慈善行為は,彼女の死後4年後,グレゴール9世によって列聖されて,その後聖エリザベートとして様々なエピソードが生まれることになります.

その中で最も有名なエピソードが,「バラの奇跡」の話です.
ある日,エリザベートは貧しい人に分け与えるパン,肉,卵などをマントの下に隠して城から降りて行きました.すると,領主である夫が向こうからやってきてこう言いました.「マントの下に何を持っているのか,見せなさい.」
そして,エリザベートのマントをまくりあげました.すると隠していた食べ物は,言い表せぬほど美しい赤いバラと白いバラの束に変わっていました.

この話は後のロマン主義の時代に特に好まれて用いられたのです.
『野の白鳥』の中でも最後のシーンで,火あぶりに使う焚き木が,突如としてたくさんの赤いバラと一輪の白いバラに変わり,咲き乱れます.この場面は「バラの奇跡」の話にそっくりですよね.また人々もエリサのことを聖女のようにあがめます.こういったことから,アンデルセンが聖エリザベートからエリサの名前を取ったのだと推測できるのです.

「自然のなかで成長していくエリサ」

さて,エリサはお兄様たちを探すため,家を出てひとりで森の中奥深く入って行きます.森の中ではお日様の光りを感じ,澄み切った泉で水浴びをし,山リンゴを食べ,多くの自然の恵みを体験します.その自然の恵みはすべて神さまの慈悲によって創られているのだというアンデルセンの信仰心がここに明確に表れています.
この自然の中に神を見出すといった場面では,汎神論的・スピノザ的な「神即自然」という概念を思い浮かべてしまう人もいるかもしれませんが,アンデルセンは決して汎神論者(簡単に言うと全てのものに神が宿るという考え方)ではなかったと私は考えています.万物――そこにはもちろん自然も含まれますが――は神によって創造されていると信じる,ごく一般的なクリスチャンだったのではないでしょうか.

話を元に戻します.自然の中では決して楽しいことばかりではなく,暗い森の中でエリサは生まれて始めて「孤独」を体験します.

『辺りはひっそりとしていて,自分の足音と足の下で枯れ葉がカサカサという音以外には何も聞こえません.(…)ああ,こんなに一人ぼっちだと感じたことは生まれて初めてのことでした.』

また,白鳥であるお兄様たちに運ばれて海を渡る時には,途中で人間の姿に変わってしまうお兄様とエリサはどこか休める場所を探さなければなりません.その時,海の中にたったひとつだけ小さな岩を見つけますが,そこでも恐怖を体験します.(余談ですが,聖書において「海」は不信仰や不安定の象徴として,反対に「陸や岩」はキリストへの信仰心や安定を象徴することがよくあります.アンデルセンもそれを意識しているのがとてもよく分かりますね.)
イラクサを摘んで上着を作る場面では,口をきくことが許されていないために愛する人から疑われてしまいます.そういった数々の苦難を乗り越えて,ようやく最後の最後で幸せになることができるわけです.

ここまで話をすればお気づきかもしれませんが,これは自然の中でエリサという1人の少女が,子どもから大人へと成長していく物語と捉えることができます.
もっと言えば,自然を通して,生まれた場所から抜け出し,本来の自己を探す旅に出て,様々な困難を乗り越え,最終的には目的地に辿りつく(つまり自己を発見する)といったストーリーを持っているように思えます.そしてそれらの困難を乗り越えるのは,基本的にエリサひとりの仕事なのです.

エリサが成長する過程において重要なのは「自然を通して」ということです.ロマン主義の時代,自然は人間の精神世界を表すとされました.私たちは自然を観察する時,その偉大さや美しさに胸を打たれます.自然は私たちの心を豊かにし,精神に訴えかけ,内なる感覚を高めてくれます.
しかし時として自然は我々にとって脅威ともなりえます.そのハードルを乗り越えるために必要なのは言うまでもなく神への信仰心です.物語の中で,エリサの敬虔な信仰心が一貫して強調されていることからもそれは分かります.
最後の場面では,エリサは今までの恐れと苦しみのために倒れてしまいます.これはエリサの死を意味しています.日本語では分かりにくいかもしれませんが,ここでは”livlos(lifeless)”というデンマーク語が使われています.直訳すると気絶したという意味になりますが,深く解釈すると死に至ったという意味を含んでいるようにも取れます.
そして,その後には焚き火の代わりにたくさんの赤いバラと一本の白いバラが突如として現れるのです.

『そこにはたくさんの赤いバラが咲き,かぐわしい匂いのする大きく高い垣根を作っていました.そして,その一番上には白く,星のように輝くバラが一輪だけ咲いていました.王様はそのバラを摘み,エリサの胸の上に置きました.するとエリサは穏やかで幸福な気持ちで目を覚ましました.』

なぜ,白いバラが一輪だけあるのでしょう.この白いバラは一体何を意味しているのでしょう.それは何かしら神に繋がるものではないでしょうか.「星のように輝く」という言葉,また人々の「天からのお告げだ!」という言葉にもそれは表れています.死んだエリサの胸に王様がこの白いバラを置くとエリサはたちまち目を覚まします.つまり,生き返るわけです.神の力がこの奇跡を可能にしたと考えることができます.

アンデルセンは,自然を通して人間は成長し,本来の自我を発見することができるのだということを,さらにその過程で遭遇する困難を乗り越えるためには神への揺るぎない信仰心が必要であるということを,この『野の白鳥』で訴えたかったのではないでしょうか.

このように,童話には当時の時代の風潮や作家の思考,感情移入などが織り込まれていますが,オリジナルの民話はストーリー性に偏っている感が否めません.もっともそれは無理のないことですが,でもだからこそ,アンデルセン独自の魅力溢れた童話を皆さんに楽しんでいただければと思います.

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