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よもやまdansk

〜デンマーク語・デンマークの日常風景に関するホームページ〜

『しっかり者のすずの兵隊さん』

〜あらすじ〜

あるところに25人のすずの兵隊さんがいました.この兵隊さんはある男の子の誕生日プレゼントとして贈られたものでした.この25人の兵隊さんはどれもそっくり同じ格好をしていましたが,その中でただ1人だけ変わった格好の兵隊さんがいました.その兵隊さんは足が一本しかなかったのです.なぜかというと,この兵隊さんはいちばん最後に型に流し込まれて,その時にはもうすずが足りなくなっていたからです.でもその兵隊さんは一本足のままで,他の二本足の兵隊さんたちに負けずにしっかりと立っていました.

さて,この一本足の兵隊さんは,紙でできた美しいお城の入り口に立つかわいらしい女の子の事を好きになってしまいます.その女の子は踊り子で,両腕を広げて片方の足を思い切り高く上げていました.そのため兵隊さんは,その踊り子さんが自分と同じように片足しかないのだと思い込み,自分のお嫁さんにぴったりだと考えたのでした.

あくる日の朝,一本足の兵隊さんは窓際に立っていてそこからまっさかさまに落ちてしまいました.そこへわんぱくな男の子が二人通りかかり,新聞紙で作ったボートに兵隊さんを乗せてみぞの中へ流してしまったから,大変です!
みぞの中はひどい波で,紙のボートは上へ下へと激しくゆすぶられました.けれども兵隊さんは顔色ひとつ変えないでしっかりと真正面を向いて立っていました.

突然ボートは長く真っ暗なドブ板の下に入りました.するとそこに住んでいるドブネズミが通行税を払えと追いかけてきます.けれども流れは急になるばかりです.するとドブ板の向こう側に水がまるで滝のようにどっと流れ落ちているところが見えるではありませんか!ボートは水でいっぱいになり,兵隊さんの首のところまであがってきました.その時,紙がとうとう破れてしまい,兵隊さんはその裂け目から水のなかへ落ちてしまいました.

するとどうでしょう,そこに大きな魚がやってきて兵隊さんをのみこんでしまったのです.魚のお腹のなかはとても暗くて狭かったのですが,兵隊さんはやっぱりしっかりと鉄砲をかついだままじっと横になっていました.

さて,魚のお腹のなかでじっとしていた兵隊さんは,ある時ぱっと明るい光りを感じたかと思うと,「まあ,すずの兵隊さんだわ!」という声を聞きました.この魚は漁師につかまって,市場に持ってこられてこの家の台所まできたのです.
そしてなんとその家とはすずの兵隊さんがいた元の家と同じ家だったのです!

そこには同じ子どもたちがいて,同じおもちゃが並んでいました.そして,あのかわいらしい踊り子さんもいました.彼女は相変わらず片方の足で立って,もう一方の足を高く上げていました.彼女もまた兵隊さんに負けないしっかり者でした.この姿を見て兵隊さんは感激してもう少しで涙が出そうになりましたが,男らしく我慢をして,ただじっと踊り子の女の子を見つめました.踊り子もまた兵隊さんのことを見ていました.

その時,小さい子どもの一人がいきなり兵隊さんをつかんで,ストーブの中へ放り込みました.兵隊さんは炎にあかあかと照らされておそろしく熱くなったのを感じました.けれどもそれが火のせいなのか,それとも自分の胸のなかに燃えている愛のためなのかは分かりませんでした.兵隊さんはかわいらしい踊り子さんを見つめていました.娘さんも兵隊さんを見つめていました.

その時,突然風が吹いて,踊り子さんはひらひらとストーブの中へ飛び込んでいきました.そしてめらめらと燃え上がって消えてしまいました.すずの兵隊さんもその時にはもうすっかり溶けて小さいかたまりになっていました.
あくる朝,女中がストーブの灰をかきだすと,灰の中にハート形をした小さなすずのかたまりを見つけました.

〜解説〜

この『しっかり者のすずの兵隊さん』は日本でもとても人気のある作品なので,ご存知の方も多いと思います.一本足のすずの兵隊さんが踊り子の女の子に恋をして,数々の大冒険を経たあとにはストーブの中で溶けてしまう・・・するとそこに踊り子の女の子も飛び込んで行き,翌朝にはハートの形をしたすずのかたまりが残っていた,というちょっと切ない創作童話です.
このような悲劇的な結末にも関らず,次から次へと場面がめまぐるしく展開していくため,どこか滑稽でユニークな雰囲気を持った作品でもあります.切ないのに面白い,これがこの童話の魅力の一つかもしれません.

さて,この童話の解釈としてはどのようなものが考えられるでしょう?
この童話の主人公であるすずの兵隊さんはアンデルセン自身を象徴しており,彼が一本足なのはアンデルセンの人生が当時のデンマーク社会において例外的なものであったことを暗示していると考えることもできます.
以前にもお話しした通り,当時アンデルセンのような貧しい階級の人が成功を収めるというのは奇跡に近いことでした.兵隊さんが「しっかりと立っている」というのは,そういった境遇にも関らず,アンデルセンがデンマーク社会において確固たる地位を勝ち取ったことを示していると解釈することもできます.

また,身分違いの踊り子に恋をし,彼女に何もアプローチすることなくじっと見つめているだけの兵隊さんからは成就することなく終わったアンデルセン自身の数々の恋愛経験を連想する人も多いでしょう.

今回私はこの童話を解釈するのではなく,アンデルセン童話に頻繁に見られるモチーフの一つを紹介したいと思います.それは「運命」です.
この童話に終始一貫しているのはこの「運命」という流れではないでしょうか.主役とも言える二人,一本足の兵隊さんと踊り子さんの意志に関りなく,何らかの力が彼らに及び,その力に導かれるままに場面がめまぐるしく進展していきます.

それは以下の文からも分かります.

「さぁ,いよいよおもちゃの遊ぶ時間がやってきました.お客様ごっこや戦争ごっこ,舞踏会が始まりました.すずの兵隊さんたちも仲間に入りたくて,箱のなかでがたがた騒ぎました.(・・・)ところがこの騒ぎのなかで,たった二人だけ自分の場所を動かないものがいました.それは,一本足のすずの兵隊さんとかわいらしい踊り子さんでした.」

他のおもちゃ,他の24人の兵隊さんですら動くことができるのに,この二人だけは自分の場を決して動かずにじっとしています.外部からの何らかの力――ここではそれがトロール(あるいは子ども)として象徴されていますが――が彼らに及ぶまで,彼らは決して何も言いませんし,動くこともしません.これは「我々の人生は神の力によって導かれていく」というアンデルセンの運命論をはっきりと示しています.しかしアンデルセンの場合は決して否定的な運命論ではなく,それは常に肯定的な,善なる神を信じる「摂理信仰」とも呼べるものでした.それは彼の自伝『わが生涯の物語』(1855)の冒頭を読んでみれば分かります.

「私の生涯は一篇の美しい童話である.それほどに豊かで幸せに満ちていた!(・・・)私の生涯を語るということは,この世が私に語っていること――すなわち,この世には万事を最善に導いてくださる一人の慈愛の神が存在するのだということを語ることでもある.」

さて話を戻しますが,このすずの兵隊さんにとっては死んでしまうことが運命でした.
それは彼がおぼれそうになる際に聞く次の言葉にも明白に現れています.

「さよなら,さよなら,兵隊さん!
あなたは死ななければならないの!」

アンデルセンにとって「死」は無ではありませんでしたし,決して否定的なものでもありませんでした.彼は,「死」を神の世界における再生だと信じていたのです.
それは『マッチ売りの少女』や『ある母親の物語』を考えてみても良く分かります(この童話はあとで取り上げますので,詳しくはその時にしましょう).ですから,このすずの兵隊さんは死んで始めて,自己を再生することができ,踊り子さんとの恋を成就することができたわけです.

アンデルセン童話では,幸福と悲しみが常に同居した形で主人公の人生が彩られていきます.それらは私たちの現実の人生においても当てはめてみることができることばかりです.アンデルセン童話の最大の魅力はこの現実味あふれた悲喜劇にあるのではないでしょうか.

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