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よもやまdansk

〜デンマーク語・デンマークの日常風景に関するホームページ〜

『人魚姫』

〜あらすじ〜

水がガラスのように澄んでいる海の底深くに,人魚たちが住んでいました.そして,この海のさらに深いところには人魚の王様とお姫様たちが住む美しいお城が建っていました.

人魚のお姫様は全部で6人いましたが,中でも一番末っ子のお姫様はどのお姫様たちよりも美しく,その肌はバラの花びらのように透き通るほどきめが細かく,目は深い海のような青い色をしていました.けれども彼女はもの静かで思慮深く,少し風変わりな子どもでもありました.

お姫様たちはめいめいの花壇を持っていましたが,他のお姉様たちが珍しい品物や美しい花々でその花壇をかざっているのに対し,末っ子のお姫様はお日様のような丸い花壇を作り,そこにお日様のように赤く輝く花ばかりを植えました.

ところで,この6人の人魚姫たちには,15歳になると海の上にある人間の世界を眺め見ることが許されていました.人間の住む世界に一番強い憧れを持っていたのは他でもないこの末っ子のお姫様でした.一番長く待たなければならない末っ子のお姫様は他のお姉様たちがお互いの腕を組んで海の上に浮かんでいくのを毎晩哀しい思いで見送ることしかできません.

いよいよ末っ子のお姫様も15歳になりました.お姫様が海の上の世界で初めて目にしたものは,パーティを繰り広げる大きく豪華な船とそこに乗る美しい人間の王子様でした.お姫様はこの若く美しい王子様から目を離すことができません.夜がふけてもお姫様はそこで王子様を見つめていました.すると突然稲妻が光り,嵐がやってきました.
あまりの激しい波に王子様はおぼれ死にそうになりますが,そこを人魚姫によって助けられます.

さて,お姫様はどうしても王子様を忘れることができず,王子様への想いを募らせます.そして人間になって王子様にも愛されたいと願うようになります.人魚は300年という長い生を生きられる代わりに魂というものを持っていません.けれど,不死のたましいを持つ人間に愛されることによって,人魚姫も不死のたましいを授かることができるのです.

人魚姫は王子様の愛と不死のたましいを手に入れるため,海の魔女の元へ行き,その誰よりも美しい声と引き換えに人間の二本の足を手に入れます.

ところが王子様は自分の命を助けてくれた人魚姫のことを全く覚えていません.また声を失ってしまったお姫様にはそれを王子様に説明することもできないのです.それどころか魔女からもらったその二本の足は,お姫様が歩くたびにまるでナイフの上を歩いているかのように鋭く痛むのです.お姫様は王子様の傍にいたいがために,この苦しみに絶え続けます.ところが,王子様はやがて隣国のお姫様と結婚をすることになってしまいます.

王子様の真の愛を手に入れることができなければ,人魚姫は海の泡となって消えるしかありません.人魚姫を助けたい一心の5人のお姉様たちは,自分の美しい髪と引き換えに魔女から短刀を受け取ります.そして日が昇りきる前にその刀で王子様の心臓を刺し,その血が人魚姫の足にかかれば再び人魚に戻ることができ300年の生を取り戻せるとお姉さまは人魚姫に説明するのです.

けれども人魚姫は王子様をどうしても殺すことができずに,海の中へ自分の身を投げいれます.すると,どこからともなく声が聞こえ,人魚のお姫様は決して死んだのではなく,空気の精になったということを告げます.そしてお姫様がこの後300年の間にできるだけの良い行いにすれば,不死のたましいを授かって人間と同じように神さまの国に昇っていくことができるということを伝えてくれるのでした.

〜解説〜

アンデルセンの数多い童話のなかで,私はこの『人魚姫』が一番好きです.
子どもの頃はハッピーエンドではないこのお話しが大嫌いでもう二度と読みたくないと思ったものでした.けれども,デンマーク語で再び読んだ時,そのデンマーク語の表現の美しさと内容の切なさや哀しさに胸を強く打たれ,この童話の素晴らしさを実感しました.

皆さんのなかにはきっと『人魚姫』は美しく哀しいラブストーリーだと考えている方が多いと思います.もちろんそれに間違いはありません.実際,アンデルセン研究家たちのなかにも,この『人魚姫』をアンデルセンのルイーサ・コリンへの失恋と結びつけて考える人もいます.

けれども,アンデルセンはこの童話について,「書いている間に私自身を感動させた唯一の作品」と述べ,また子どものための童話というよりは,むしろ大人のための物語であると語っています.
私自身もこの『人魚姫』には,子どもには理解することの難しい部分がたくさん隠されていると考えています.そこで,『人魚姫』に潜むもうひとつの顔を皆さんにご紹介したいと思います.

ここで,皆さんに考えていただきたいのは,人魚姫が本当に求めていたものは一体何だったのかということです.単なるラブストーリーであれば,答えは簡単です.
そう,「王子様の愛」です.
けれども,果たして人魚姫が求めていたものはそれだけなのでしょうか?
私はこの童話の唯一にして最大のテーマは,「永遠のたましいに対する人魚姫の憧れ」にあると考えています.
簡単に言うと,人魚姫の本当に欲しかったものは,王子様の愛ではなく,永遠のたましいだったのではないか?ということです.

さて,前回は人魚姫の真に求めているものは永遠のたましいであるとお話したところで終わったと思います.本題に入るまえにまず「永遠のたましい」「不死のたましい」とは一体何なのかということについて,ごくごく簡単に説明しておきましょう.

アンデルセンの生きた時代,すなわち19世紀初めは文学上・芸術上においてロマン主義が展開された時代でした.そしてこのロマン主義の思潮からは,数々の特徴ある思想や概念が生まれました.その中のひとつに「無限への憧れ」や「永遠性への憧れ」を挙げることができます.

人々―この中には例えばカントやゲーテといった著名な文学者・哲学者も含まれていますが―はこの「無限」や「永遠」というキーワードから,人間のたましいは死後もなお消滅することなく,生き続けるのだと信じるようになります.

アンデルセンも決して例外ではありません.事実,この「永遠のたましい」を素材とした作品を多く残しているのです.これは彼がロマン主義やその時代の作家からインスピレーションを得て書いたものだと推察することができます.

もちろんこの「たましいの不死性」という問題はロマン主義からのみ発しているのではありません.ヨーロッパにおける宗教的理由も挙げられます.旧約聖書において魂の不死性は認められてはいませんが,新約聖書において人間の命としてのたましいは,生あるうちは肉体と結びついて存在し,死と共に肉体から解放され,神のもとで存在し続けるとされています.

アンデルセンはその生涯,敬虔なキリスト教信者でもありました.後に紹介する予定の童話でも説明しますが,アンデルセンは「死」をとても恐れていました.そのため,死んでしまった後もそのたましいだけは神のもとへ導かれるということに救いを見出したのではないかと私は思うのです.

それでは,いよいよ本題に入りたいと思います.
人魚姫の本当に欲しいものは永遠のたましいである,とするその理由です.
まず,人魚姫は王子様に恋をする前から無意識に無限なるもの,神性なるものを崇拝しています.少し引用します.

「ところが,一番末っ子のお姫様は,お日様のようにまるい花壇をつくって,お日様のように赤く輝く花ばかりを植えました.」

さて,ここで気づいていただきたいのは,「まるい」という形容です.他の人魚のお姫様たちはそれぞれの花壇をくじらの形や人魚の形にしているのに対し,末っ子のお姫様だけは平凡なまるい形にするのです.なぜでしょう?
円というのは,円環が始まりも終わりもないということから無限性や完全性を暗示しています.また永遠・完全というところから更に「神」をも連想させます.さらに,お日様のように赤く輝く花ばかりを植えるという箇所からは,お姫様がなにかしら神に近いものに憧れている様が伺えないでしょうか.

ところで,この童話には4つの世界が存在します.
海の世界,人間の世界,空気の世界,魂の(あるいは神の)世界です.
人魚姫は最初,海の世界,すなわち自然界に属する存在です.そして王子様に出会う前から,自分の属する世界とは異なる人間の世界にひじょうに強い憧れを持っています.

人魚姫は前回でお話しした4つの世界を,段階を経て移動していきます.
けれど,その際にはかならず何らかの犠牲を支払わなければなりません.
まず人間の世界へと移る際には自分の尾と美声を失い,人間の世界から空気の世界に移る際には王子の愛と自分自身の命を投げ出さねばならないのです.
これはアンデルセンの多くの作品に共通して見られるモチーフで,彼の宗教観とも大いに関連してきます.つまり,イエス・キリストが復活の際に苦しみを味わったように,何事も変化が起きる,あるいは変化を起こす際には大きな代償を支払い,何らかを断念しなければならないということを意味するのです.

人魚は300年という長い生を持つ代わりに,永遠のたましいを持っていません.
永遠のたましいを得るためには,人間から愛されることが条件です.一見,人魚姫は王子様の愛を得ることが唯一の目的のように見えますが,人魚姫は自らの意志で本来属していた水という要素を打ち破り,人間の世界へ移動し,最後はより崇高な空気の精へと生まれ変わります.そこには王子様への愛情には揺るがされない,確固たる人魚姫の意志が見えます.
それは次の一文からも分かります.

「すると,短刀の落ちたあたりが赤く光り,まるで血のしずくが水のなかから,泡立って出てくるように見えました.」

人魚姫は,自分が死ぬか王子を殺すかの選択に際して,自らを犠牲にしナイフを海に放り投げます.するとちょうどそのナイフを落としたところが真っ赤に光り,まるで血の滴りが水の中から吹き出したように見えるのです.この文は人魚姫が元来の自分の存在を殺すということを意味しています.

最終的に人魚姫は,自らが属していた自然界から脱出することによって,より高尚な存在へと変身を遂げます.海の底の人魚という存在,300年の命はあるものの死後は無となってしまう存在よりも,自分の王子様への愛,換言すると欲望を昇華させることによって,300年の良い行いの後には不死のたましいを授かる空気の精となりえるのです.

この当時,―フケーの『ウンディーネ』やゲーテの『メルズィーネ』などもそうですが,たましいを持たない妖精や精霊を人格化し,人間の愛を媒介にしてそれに不死のたましいを与え,最終的にはキリスト教的聖なる精神へと救済していくといったモチーフの作品が多く生まれました.
アンデルセンはこのフケーの『ウンディーネ』からインスピレーションを得て『人魚姫』を創りました.その際,尊敬する先輩作家でもあるインゲマンに宛てた手紙のなかで,「人魚姫には人間の愛によってのみ不死のたましいを得ることのできるウンディーネよりも,より自然で神聖な道を歩ませた」と強調しているのです.

つまり,人魚姫は王子様の愛を得ることができても,できなくても,永遠のたましいを得ることを目指していたと考えることができます.
「人魚姫が王子様と結ばれずに死んでしまうのはあまりにも可哀相だから,アンデルセンは最後に人魚姫を空気の精にしてあげたんだよ」・・・というような感想をよく耳にしますが,私はそうは思いません.これはアンデルセンがあくまで意図的に創作した「永遠のたましいへの憧れ」をテーマとした童話だと思うのです.

これはあくまで私の拙い一考察です.
童話は10人いれば10通りの解釈方法があります.
さて,皆さんはどのようにこの『人魚姫』を解釈されますか?

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