バナー
よもやまdansk

〜デンマーク語・デンマークの日常風景に関するホームページ〜

『おやゆび姫』

〜あらすじ〜

むかしむかしあるところに,かわいらしい赤ちゃんが欲しいと心から願っている女の人がいました.そこで彼女は魔女のおばあさんのところへ相談に行きました.すると魔女のおばあさんは大麦の粒をくれ,これを植木鉢にまくように言いました.
女の人は言われた通りにその粒を鉢に植えました.するとどうでしょう,たちまちチューリップそっくりの美しく大きな花が生えてきました.彼女がそのつぼみにキスをしますと,ぱっと花びらが開き,そのお花のまん中には小さな小さな女の子がちょこんと座っていました.その女の子はそれはそれはかわいらしく,けれども大きさが親指ほどしかありませんでしたので,おやゆび姫と呼ばれることになりました.

ある晩,おやゆび姫が寝ていると,窓から一匹のみにくいヒキガエルが飛び込んできました.ヒキガエルはおやゆび姫を見つけると,自分の息子の花嫁にちょうど良いと思い,おやゆび姫をさらっていってしまいました.
次の朝目覚めたおやゆび姫は,自分のいるところが分かると泣き出しました.それを不憫に思った魚たちや白い蝶は,おやゆび姫が逃げ出すのを助けてくれます.
けれど,そこにコガネムシが飛んできてまた彼女をさらってしまいます.コガネムシの家に連れてこられたおやゆび姫は,コガネムシたちから「足が2本しかなくて,触覚もない.まるで人間のようでみっともない」といってさんざん悪口を言われます.そして,たったひとりで大きな森の中に捨てられてしまうのです.

夏が過ぎてやがて冬になりました.
あまりの寒さに凍えてしまいながらおやゆび姫が森の中を歩いていますと,そこに野ネズミの家を見つけました.野ネズミのおばあさんは親切にも暖かい部屋におやゆび姫を招き入れて,食事も与えてくれました.おやゆび姫はおばあさんのもとで寒い冬の間,楽しい毎日を送りました.

ある日,野ネズミのおばあさんはおやゆび姫に言いました.
「お隣のモグラさんはお金持ちだから,お嫁さんになれば暮らしに困らないよ」と.
おやゆび姫はモグラなんてまっぴらでしたが,モグラの方ではおやゆび姫がすっかり気に入り,自分の家から野ネズミのおばあさんの家まで,土の下に長い道を掘りました.

その道の途中に,一羽のツバメがけがをして倒れていました.おやゆび姫はツバメをかわいそうに思い,冬中看病をしてやり,そのかいあってツバメは次第に元気を取り戻していきました.

さて,春がきて暖かくなりますと,ツバメはおやゆび姫に別れを告げにやってきて,おやゆび姫に「一緒に行きませんか」と誘うのでした.おやゆび姫はお世話になった野ネズミのおばあさんが哀しむことを思うと,どうしても一緒に行くことが出来ませんでした.

ところが野ネズミのおばあさんとモグラとの間で,婚礼の準備はちゃくちゃくと進んでいきます.おやゆび姫が泣いて嫌だと訴えても,野ネズミのおばあさんは叱って聞いてはくれません.モグラと結婚してしまったら,美しく暖かいお日様の光りがある地上にはもう二度と出ることはできないのです!

結婚式当日,悲しみにくれたおやゆび姫のもとに,あの時のツバメが飛んできて言いました.「僕の背中に乗って遠い暖かい国へ行きましょう!」

おやゆび姫は,今度は迷いませんでした.そして暖かく美しい国にやってきたツバメは,おやゆび姫をきれいに咲いたお花のまん中に降ろしてくれました.まわりを見回したおやゆび姫はびっくりしました.なんとまわりにいくつも咲いているお花のまん中には,美しい羽のあるおやゆび姫と同じくらい小さい男の人や女の人が住んでいたのです.
この小さな人たちはお花の天使でした.その中の一人の王子様がおやゆび姫にプロポーズをしました.王子様はこんなに美しい女の子を見たことがありませんでしたから.そしておやゆび姫はそのプロポーズを受けました.

さて,あのツバメはやがてその暖かい国を飛び去って,再びデンマークの国へと戻ってきました.
そして巣を作った先の家に住むおじいさんにこのお話を聞かせてあげました.
そういうわけで,私たちがこのお話を知ることができたのです.

〜解説〜

この『おやゆび姫』は日本でも大変人気があるので,すでに知っている方も多いと思います.チューリップのようなお花から親指ほどの大きさしかないかわいらしい女の子が生まれてくるという設定,またおやゆび姫が次から次へと新しい場面に移っていく展開は子どもの心を惹き付けるのでしょう.

また日本語で読むと分かりにくいかもしれませんが,「for (なぜなら)」や「saa(とっても)」というデンマーク語を頻繁に用いて,「だってそれはね・・・」や「とってもかわいらしい・・・」といった風に,まるで誰かがおとぎ話をその場で話して聞かせてくれているような生き生きとした文体となっているのもこの物語の魅力と言えるでしょう.
こういった“子ども言葉”や“話し言葉”のような文体は,アンデルセン童話の大きな特徴のひとつでもあります.また動物が擬人化されて登場する手法も使われていて,子どもが楽しんで読むことができます.

上に述べたように,この『おやゆび姫』は確かに面白い物語ではありますが,何回繰り返し読んでみても,このお花の天使,おやゆび姫の本当の目的がなかなか見えてきません.

おやゆび姫は,母親的存在である女の人の家からヒキガエルに連れ去られ,次から次へと場面を変えて移動していきます.この「ひとつの場所から違う場所へ移る」または「変化を求めて違う場所へ移る」といった展開は『人魚姫』をはじめ数々の作品に見られますが,この物語に関して言えば,どの段階に移る際にもそこにおやゆび姫の意思は見えてきません.

おやゆび姫はヒキガエル,コガネムシ,モグラといった醜い生き物からお嫁さんにと求められ,幾度も連れ去られてしまいます.けれど,連れ去られた後,何をするわけでもなく始終消極的で泣いてばかりです.自分の意思で逃げ出そうとは決してしません.

さらに,連れ去られて違う世界に行ってしまった後には,過去のことは少しも懐かしんだり,思い出したりはしません.母親的存在の女の人や親切にしてくれた野ネズミのおばあさんのことはきれいさっぱりと忘れてしまうのです.
そこには,目的も,自分の確固たる意志もなく,ただ流されていく受動的な姿勢しか見えてはきません.

それではおやゆび姫の目指す目的が全くないのか,といえば決してそうでもないことに気づきます.
ここで2つの疑問点が浮かび上がってきます.

第一に,おやゆび姫はお花の天使であるはずなのに,羽を持っていないのです.物語の最後で登場するお花の天使には皆羽があるのに,なぜおやゆび姫にはないのでしょうか?

第二に,物語中におやゆび姫が気にかける存在が2つほど登場します.ヒキガエルのもとから逃げる時についてくる白い蝶と死にかけたツバメです.白い蝶のことは自分がコガネムシに連れ去られた後もずっと心配して気にかけ,ツバメのことも冬の間中ずっと看病してやります.他の場面では消極的で受け身な姿勢であるおやゆび姫が,なぜこの2つの存在にはここまで執着するのでしょうか?
まず,白い蝶から考えてみましょう.少し引用します.

「小さくてかわいらしい白い蝶がずっとおやゆび姫のまわりを飛びつづけていましたが,とうとう葉っぱの上にとまりました.だって蝶はおやゆび姫のことがとっても好きになってしまったからです.(・・・)おやゆび姫は自分の腰のリボンをはずして,片方の端を蝶に,もう片方の端を葉っぱにしっかりと結び付けました.」

この場面が暗示しているものはなんでしょうか.そう,おやゆび姫の意識下に隠された願望です.白い蝶は真実のおやゆび姫自身,あるいはおやゆび姫の潜在的な願望を象徴しているのです.始めの場面でおやゆび姫に羽がなかったのもこれでうなずけます.おやゆび姫の本当の目的は,白い羽につながる本当の自己を目指すことだったのです.

さて,ここで気になるのは蝶にも象徴される「白」という色です.最後の目的地,花の天使の国にたどり着いた際に出てくる大理石も白,そこに咲く花も,また王さま自身も水晶のように白く透きとおっています.おやゆび姫が最後にもらう羽も大きな白いハエのものです.ここまで意図的に白が強調されているのは,おやゆび姫の目指す最終的な目的が,「白」に象徴される「なにか」であるということを意味しています.
白という色は純真無垢で汚れのない,ということから地上の属社会に染まっていない神聖な存在,あるいは地上と対比させ天上のものを意味します.花の天使は人間や動物(ヒキガエル,モグラ)などよりも天や神に近い存在として表現されているのです.

次にツバメに移りましょう.
ツバメは,土の下に住む太陽の大嫌いなもぐらと対比して,お日様や日の光を象徴する存在として描かれています.それはおやゆび姫が花の天使であるため,お日様や日の光りに焦がれているからです.それは次の一文からも分かります.

「さようなら,明るいお日様!」おやゆび姫はこう言って,両方の腕を空に向けて差し伸べました.

太陽は同時に,天上の象徴でもあります.ここでお日様の光りと白に象徴される「なにか」がつながってきます.おやゆび姫が望んでいたものは元来の自分の姿や存在だけではなく,神聖であり,また普遍的でもある天上の存在だったわけです.

最後におやゆび姫はMajaという名を授かります.この名は元来Maia(マイア)という名前に由来するもので,マイアとはギリシャおよびローマ神話のなかの登場人物です.ゼウスによって愛されヘルメスを産んだマイアは色男オリオンから断固として純潔を守ろうとし,最後には星座になってしまいます.星や古代の神々を連想させる名前も,そのおやゆび姫がたどり着いた花の天使の国が,地上ではなく天上に属している場所であることを暗示しています.

このようにおやゆび姫の目的はしっかりとあるのにも関らず,これを物語の主柱として明確に打ち出すことができなかったのは,アンデルセンの童話創作能力が依然として未熟であったことを示しています.また次から次へとおやゆび姫を様々な場面に移動させるあたりには,アンデルセンが童話を依然としてエンターテインメントとしてしか捉えていなかったということも伺えますね.

次に紹介する『人魚姫』では,そういった問題点が見事に払拭され,素晴らしい作品に仕上がっています.次回の解釈ではそういった点を頭に入れて読んでいただくと面白いかもしれません.

© 2004-12, dansk professionel service, All Rights Reserved.