2003/MAY


5/25/運動会で真っ白!

本日は息子の運動会だったのである。娘の時は、何かと「記念だから・・・」などと訳の分からない事をのたまわりつつ、ビデオとカメラと総動員で、いわゆる親バカしていたんだけれど、間の8年も空いた弟なんてことになると、基本的に地金が滲み出てきてしまい「モウ、メンドクサ・・・どうせ見る事ないモンネ!」という風に投げやりになり、気が付くと、息子の記録になるビデオというものは、生まれ落ちた日に今は亡き義父が撮影してくれたものと、保育園でカメラマンが撮影したビデオだけな状況であり、息子からも、控えめながらクレームが出てきたので、しからば、しょうがない・・・。今年は撮ってやっか!ということで 、ビデオカメラ持参で運動会に行ったのである。
僕も彼くらいの頃、とっても小さかったのであるが、彼は僕の息子ゆえか、やっぱり小さいのである。小さい事は、悩みの種であるが、運動会などの場合、大抵、一番前なので撮影しやすいのである。それは、まさしく予想通りで、モニタリングは最高にしやすい状況だった。そうだったのだが・・・。
問題は突然にやってくる。今日の場合も、まさしく突然にしかも最悪のタイミングでやってきたのである。息子は小さいが、足は早いのである。先日の日記にも書いたが、ボールサイドへの寄りはチームで一番早い。しかも息子の学校の場合、いわゆる背の順で徒競走なので、鍛えている小さい息子と鍛えていないただの小さい子では、ハッキリ言って、勝負は見えているのである。
つまり、徒競走では、一番オイシイであろう画像が期待出来る訳である。しかも持つべきものはコーチの仲間達である。非常にオイシイ場所にきちっと場所取りしていてくれたのである。ムムム。これで最高の画像が撮れるゼイ!と内心ニヤニヤしていた木村である。
息子は背の順で二番目に走る。でも僕は一番目からビデオを回し始めたのである。無駄になるけれど、後で消去すればいいんだもん。ところがである。その一番目の競争が20mを過ぎたところで悲劇は起きたのである。「プツッ」ビデオは、たしかにそう発音した。そう、発音しやがッたのである。「あれ???」元々、僕は機械に弱い。PCが壊れた時には拝んで直した経験があるくらいのピュアな?人なのである。しかもテープはカミさんが入れてくれたのである。「なんで?なんで?なんで?」トーゼン、真っ白になる人である。(何と好感が持てる人物だろう?)
こういう時に八年間のブランクは、より大きく災いをもたらしちゃうのである。結句、ビデオカメラが復活したのは、4順目位だったろうか?時すでに遅し。である。ちなみに息子はわずか50mの競争でありながら、二位以下に10m位の差を付けてブッチギリだったのである。相当にオイシイ映像であった事は安に想像出来る訳だったのである。ハアアアアア。正直、もうやんなちゃったので、その後はカミさんにビデオを渡して、僕は知らん顔を決め込む事にしたのである。結局、帰宅後、モニターに映る画像は「お遊技」だけであった。なんのこっちゃ?これじゃ、何もオイシクない。なんてこった!!!である。
とにかく、僕は今日決心した。「二度と運動会でビデオなんか撮るもんか!」である。「どうせ見る事ないじゃん!」である。「一等賞なんかアッタリマエじゃん!」である。しかしながら、徒競走が撮影出来なかった事を息子に告げた時、少々、悩んでしまった。体は小さいが心の大きい息子曰く、「気にしなくていいいよ。来年もまた勝つからさ・・・」だそうである。それを聞いて小さな息子より小さくなって呟く父であった。「スマン!息子よ」なのである。


5/20/ところで「ニビル星」はどこ行ったのか?

信じちゃう人もどうかと思うけれど、やたらと大騒ぎするマスコミやアホなコメントしか出せない政治家には本当にコマッタもんだ。あんなモノは放っておきゃいいのにさあ・・・。

「復活」と言いながら二週間も更新しない僕も僕だけれどね・・・。いやあ、更新ってさ、クセになっていれば、なんて事ないんだけれど、逆に休み癖がついてしまうと、ついつい休んでしまうものなのね。さてさて毎回このパターンだけれど、更新お休み期間中のダイジェストです。
ウ〜〜〜ム、コマッタモノだ!

その1.家族が増えました。
いや、生まれたのではないのです。息子が遠足で近所の野川公園に行って、ザリガニ君をゲットしてきたのです。当初はビクついて後ずさりばかりしていたのですが、最近では水槽に指を近付けると寄って来ます。それからイリコをあげたりする訳です。名前は「シザリガー」と言うのだそうです。ポケモンに出てくるザリガニ型ポケモンの名前だそうです。
ところで、本日、飼い主の息子がこんなことを言っていました。
「このシザリガー、大きくなったら食べるんだ!」だそうです。どうなのそれ?
でも、ブームに乗って流行の犬種に走り、流行じゃなくなるとパーキングエリアに置き去りにしてしまう昨今の風潮から比べれば、最後まで面倒を見ようという心構えは認めてやろうか?って、そんな問題でもないか?ハハハ。ちなみに僕は昔、ザリガニ食べた事があります。意外や意外、これがなかなかの珍味です。エビというよりはカニ?カニの中でもハナサキガニ辺りに味は似てるかなあ?ヤドカリも似た味です。
その2,なんだかバタバタです。
なんだかシバリのある仕事が続いており、あまり生産的ではないのですが、バタバタしております。
バタバタというかドタバタというか、いやはや、ムムムです。こうなってくると「器用なのは罪なのかシラン?」と思ってしまいます。ムズカシ〜〜です。人生は・・・。
その3.ソフトボールに参加して来ました。
と、言っても休部しているクラブチ−ムの方ではなく、恒例の小学校PTA主催の父兄ソフトの顔合わせです。その日は、午前中、息子達のサッカークラブで練習して、ただ幸いな事に恒例の大人対子供の試合がなかったので、体力が温存できた訳で、とまれ、今年初めての参加な訳です。先日、酔っぱらったついでに「よし!じゃ今年はオレが監督しちゃる!」と発言してしまったそうで(本人記憶なし)それなりにポジションだの、打順などなど考えなければならないのです。まっ、それはそれとして、「本年度初の顔合わせ」ですから、当然の事ながら練習試合終了後、飲み会なわけです。気が付けばサッカーの練習のために朝8:30に家を出て帰ってきたのは、夜中の12:00でした。いやはや
なんとも・・・。
その5.勝つ事はそんなに大事か?
さてその飲み会に今年、うちのサッカークラブを卒業していった息子さんを持つお父さんも出席されていました。そこで、サッカー感みたいな事で議論になりました。その息子さんは、技術も高く、体力にも恵まれ、頭の回転の大変良い子だったのですが、チ−ム全体での勝利は、サヨナラ大会準優勝と最後に良いサッカーを見せてくれたものの、それまでは負けの連続でした。彼くらいの選手がメンバーの総てなら当初から相当強いチームであったでしょうが、そう簡単に揃うものでもありません。
でも、当のお父さん曰く、「もっともっと勝ちにこだわる選手選考と指導が必要ではなかったのか?」と、まあ、良くありがちな話な訳です。
この下の日記にも書きましたが、今僕は勝ち負けは差程重要なファクターではないと考えています。
以前、教えていたクラブでは、ある学年からそれぞれにポジションを与え、そのポジションに応じた動きや役目を教えていました。そして、試合では、「全員を出す」 というシバリがあったので、レギュラーをあえてベンチに温存し、常にチ−ム力が一定のレベルで保てるような努力もしていました。それはそれである程度の実績も上がったし、効果はあったと未だに思います。
しかしながら、今、当時教えていた子達が皆、一様にサッカーを続け、かつ、その当時からのポジションでプレーしているかというと、そんな選手は、非常にマレなのです。しかも今もプレ−している子たちは、当時から特に教えなくても、自ら個人のスキルを上げる事に熱心な子たちばかりな事に気がつきます。僕自身の経験を話せば、僕は特定のコーチという存在に教えてもらった事がなく、その練習法もほとんど自分達で工夫して修得してきた記憶しかありませんから、そんな事は当たり前だと考えていました。今も大筋では、同様に考えています。
ただし、今は、子供達が「サッカーって楽しいなあ!」と思える事に力を注いでいます。サッカーが面白いと感じた子供は、きっと自分で工夫する子供になるだろう。と言う事です。同時にボールを取られないための技術は教えています。抜いて行く事は出来なくても、取られなければ、色んなチャンスを待つ事が出来ます。
昨年四月に出会った息子と同学年の子供達は微妙な差は存在するものの着実にボ−ルに親しみ、キ−プをしようとしつつあります。一年間でここまで進むとは思いも寄らなかったというのが、正直な感想です。しかも、みんな楽しそうです。負けて泣く子もいますが、「きょうは僕こんな事ができた!」と進歩した自分を発見できている子がほとんどです。そうなんです。今、いや小学生の間は、勝ち負けよりも「新しい自分に何回出会えるか?」が重要なんです。最近そう思うのです。(いや、時にはモチュベーションを上げるために勝つ事も必要かな?)とまれ、今、彼等にチンマイ勝利の味を教えたところで結局は彼等のためにはならないと思うのです。僕は僕自身がそうであるのと同じように彼等も一生サッカーが好きでいて欲しいと考えています。そのためには、今は勝ったり負けたりしながら、毎日少しずつ成長していく自分にワクワクドキドキしてほしいのです。
その6.憧れの人が僕のページに来ていた事が判明!
どこの誰とは言えませんが、僕にも憧れのサッカー選手がいました。とあるマイナーな実業団のCFでしたが、僕のサッカーの根本的な部分を構築するためには欠かせない存在の選手でした。今で言えば、そうジュビロの中山のように決して諦めず、最後の最後までボールを追いかける。そんな選手でした。その方は、Nさんと言います。実は先日、そのNさんの姪の方から突然メ−ルを頂きました。Nさんが帰郷して、その姪御さんにネットの使い方を教えてらした時に、「昔はおじさんにもファンがいたのさ!」とちょっと照れながら Nさんの事を書いた僕のこの日記のあるページを姪御さんに見せてくれたそうです。(実はこの事は内緒にしてね。とその姪御さんに言われてしまったのですが、やっぱし、うれしかったので書いちゃいます)Nさん、是非メ−ルを下さい。昔話しましょうよ。元野球部のメダリスト菊池君に聞いてくれれば電話番号教えるように言っておきます。今、彼とは地元のソフトボールチームでチームメイトなんです。それでなければ、柴崎君経由でも菊池君に辿り着きます。待っています。

当時の日本に於けるサッカー事情というものは、とにかくマイナーな存在でしたし、その数年後、僕が「イレブン」で挿し絵を描き始めていた時もマイナーな狭い社会でした。一時、東京の小平市に住んでいた時など、近くに当時の日立製作所があって、日本リーグで声援を受けてプレーしている選手(スッポンの山口さんとか後の早稲田の監督の松永さんとか)とバスで一緒になったり、気軽に声をかけてサインもらっていたりしたものでした。また、中学時代には三菱重工の選手たち(大仁さんとか田口さんとか落合さんとかね)も今の三鷹にある横河(JFLの横河よ)のグラウンドで練習していたりして、一緒にゲームしてくれたりしていたものなのです。今、もしJの選手たちと一緒に遊んでもらおうと思っても、大変な騒ぎでしょう。たぶん・・・。
そう言えば、20才過ぎでしたか、こんなこともありましたよ。当時参加していた草サッカーのリ−グ戦のある試合に事もあろうか、ベルディ(当時は読売クラブ)の選手が助っ人で来ていたんです。某レコ−ド会社のチームであったと記憶しています。誰だと思いますか?当時日本代表のたしかキャプテンだったあの松木さんと小見さんとジョルジーニョこと大淵さんが来ていたんです。しかもです。その試合僕二点取ってます。勝っちゃいました。その試合。試合がどんな状況でどんな風に得点したかは憶えておりませんが、試合後、多摩川園駅前のラ−メン屋で思いきり鼻タカダカにしていた記憶があります。やっぱり、異常にうれしかった記憶があります。

とにかく、最近、気が付いたことなのですが、サッカーは僕の人生の中でとっても大きな存在なんです。大きなモノサシと言えばいいでしょうか?しかもさらに最近気が付いたのですが、サッカーっていうものに関わる関わり方というのは、見たり、応援したり、教えたり・・・色々な関わり方があるけれど、やっぱりプレーするのが一番楽しいってことなんです。昔みたいに走る事は出来なくても、ドリブルで運良く抜く事が出来てもシュートに力が残っていなくても楽しいのはやっぱり楽しい。そう考えると禁煙はきついけれど、減煙には積極的な最近の木村です。


5/6/連休終了/モロモロ

世の中は、ゴールデンウイークだったのだそうだ。でも新型肺炎やイラク戦争、少しも良くならない景気のおかげで、例年程の混雑や大騒ぎはなかったみたいだね。無論僕は、元々大勢の人間がいる所に好んで出かける事自体が苦手なので、ジっとしていた。それでも小さなイベントは、ちょこちょこあって、それはそれで面白かったから、ちょっとだけ報告。

4/27 ルーティンのサッカークラブの練習でした。
今年は新入生が13人入りました。うれしいのは、その中に女の子が一人いることかな。お兄ちゃんが加入している事もあるんだけれど、なんだかうれしいよね。まあ、その子を含め、まだ小学生に成り立ての子たちだから、半分幼稚園や保育園の延長で、当初は息子達、二年生と一緒に混ぜて練習させようと 考えていたんだけれど、ちょっと難しいみたいだね。
気が付かなかったけれど、息子達二年生は、ビックリするくらい一年間で
上達していたんだね。

4/29
 BBQでした。総勢120名。いいのかそれで・・・?
上記サッカークラブの親睦BBQがありました。親子合わせて120名以上だと思うのだけれど、いやはや、こんな大人数のBBQは、ちょっとミモノでありました。幸い、我がチームのコーチには、イタリアで修行をされてきたオーナーシェフもいたりして、肉を捌く所だけでも充分に見ごたえありました。むろんお肉もありましたが、さらにテンプラはあるわ。ヤキソバはあるわ。唐揚げも作ってしまうわ。マグロのカブト焼きもあって、なかなか壮観なBBQでありました。スタッフはその気になっているので、多分、近い内にまたやるんでしょうなあ。

5/1 友人のKさんの奥様の御葬儀(前夜祭)に行って来ました。
本来なら、御葬儀のことなんてHPに書くべき事ではないのですが、あまりにも素敵な心温まる葬儀(正確には、キリスト教なので前夜祭と言います)だったので、書き記します。
その日その小さな教会には、予想以上のたくさんの会席者が集まりました(用意していた賛美歌のプリントが間に合わなくなるほどでした)僕は今までに数度、キリスト教の前夜祭に伺わせていただいた事があるのですが、牧師さん?神父さん?どちらか分かりませんが、この日程、暖かく、そして親身なお話は聞いた事がありません。喪主として挨拶したK氏も一回り小さくなってしまった感は否めませんが、素敵なお別れの挨拶をしておられました。
友人のKさんと僕はもう20年以上のおつき合いです。もちろん奥様も同様です。奥様は詩人でした。また、当時日本語があまり上手でなかったKさんのマネージャーであり、妻であり、姉であり、そしてたぶん、母でした。ですから、Kさんの心情を考えるに余りあるものがあります。
願わくば、Kさんと息子の徳ちゃんが、一日も早く元気になってくれる事を願って止みません。

5/3 友人の竹嶋さんの個展に行って来ました。
一昨年の年末、友人の絵本作家のH君の家でお友達になった竹嶋さんの展覧会が吉祥寺で行われたので、拝見させていただきつつオープニングパーティに出席して参りました。竹嶋さんの作品は、不思議に懐かしく、不思議に楽しく、こだわりと脱力がウマ〜〜〜クミックスされ、なかなかの癒し系作品群でありました。一番気になった作品は、始祖鳥のモビールです。これが静かに静かに思い出したように羽ばたき、回転する様は、妙に人の心に落ち着きをもたらしてくれる作品でありました。(少々、マイナーな気持ちになっていた僕としては救われた感じでした)
ちなみにそのオープニングパーティに出席されておられた方々ですが、話し始めたら旧知の方がいたりして、ちょっとビックリしちゃいました。僕自身、H君がらみだけのおつき合いだと思っていたのですが、実は色んな所で繋がっている事も判明しちゃいました。まあ、考えてみれば狭い社会ですから珍しい事ではないのですが、でもなあ、世の中狭いわ!

5/4 息子達の練習試合でした。
息子達のサッカークラブの練習試合がありました。相手は、以前僕がコーチングしていたクラブです(むろん、今の子供達は知りません。ただし、数名は保育園が一緒だったので知っていますが・・・。また現在このクラブを指導するコーチの方々はJFA講習会で一緒だったので知人です)
試合結果は、1分け二敗でした。でもね。全然良い。内容的には素晴らしい出来でした。一年間で子供達はこんなに成長するのか?と驚いてしまいました。特にこの日の息子は(親バカですが)いわゆるキレキレでした。どの場面でも一番最初にボールサイドにいるんです。なんでだろう?
何度も書きますが、今彼等にはポジションはありません。ですから、いわゆるダンゴサッカーです。かたや、相手は前に二人のフォワードと自陣に二人デフェンダーを残しておく作戦でした。いや、そこの所は賛否両論でしょうからあえて触れません。が、我がチームは少なくとも全員がボールに集まり、たとえ自軍のゴ−ル前であろうともセーフティファーストなんかくそくらえで、相手ゴールに向かってドリブルを試みておりました。時には味方の選手からボールを奪い取るまでの姿勢を見せていました。試合は負けてしまいましたが、「今は、これでいい!」素直にそう思わせてくれる戦いぶりでした。

5/5 寝てました。
良く分かりませんが、眠たくて眠たくて・・・・。なんだか一日寝てしまいました。


5/2再開だもの・・・
かれこれ、三ヶ月振りの復帰だもの。いやはや、申し訳ないったらありゃしない。じゃ、その間、何していたのかと言うと、ウムム、いつもこのパターンだなあ。とまれ、事情説明はしなければならないでしょう。
更新が遅れていた言い訳その1
このサイトには、異常にファイル数が多すぎて、中にはリンクが切れてしまっている物もあり、一回、マッサラに戻して、より見やすく親しみやすいサイト再構築を画策していた。
(でも、今の所、放っておく事に決定した。単にメンドーくさいから・・・)
更新が遅れていた言い訳その2
自身、絵本作家と名乗っているにも係わらず、新刊が出ていない事に正直「ムムム!」と思う所があった。よって、それを打開すべく努力していた。(いまだ継続中!)
更新が遅れていた言い訳その3
上記のような「プレゼンテーション」という作業は、実質、生産活動ではない。ないけれど、やらずばなるまいということで、続けていたのだが、ちょっとその分、手許不如意になってしまい、焦っている。(ムム、コマッタ!)
更新が遅れていた言い訳その4
イラクで戦争があったでしょう。なんだかね、その手の事があると貝になりたくなってしまうのよ。厭世的になってしまうのね。これを書いている段階では、ほぼ終結しちゃっている訳だけれど、どんな角度から見ても、僕はアメリカ(ブッシュ)の行動 には共感出来ないなあ。
どんな理由があろうとも、人を殺す正義なんて信じたくないよ。
更新が遅れていた言い訳その5
なぜ、そうなっちゃたのか?なんとなく理由は分かっているのだけれど、キョーレツな腰痛に悩まされている。一時は、普通に歩行するのも痛かった。むろん長時間の座った作業は、かなりキツかった。その原因の一つでもあり、症状の一つとして、持病と言っても良いかも知れないが、よくお腹が壊れている。(ゆえにただいま禁酒してます。3日だけだけれど)
これは我が家常駐の整体師(カミさん)の助言によるものだが、違反すると洗濯とかしてくれなくなってしまうし、改善のためのマッサージも受けられなくなってしまうので、逆らえないのであった。
結論
とまれ、とりあえず「ゴメンナサイ!」とあやまってしまうものである。でも、このサイトが生活の主ではないので、今後も遅れたり、更新出来ない事もあると考えられる。訪れてくれた方には申し訳ないが、御勘弁頂きたい。
さらに、 近々にこのサイトは、一回、マッサラにしちゃおうと考えている。残すべきは残し、削除すべき物は削除して、スリム化したいと思う。

5/2・・・で、その間・・・
んな訳で、更新しない間にも色々ありました。その辺をちょいとダイジェスト・・・。
その1,娘が後輩になっちゃった。
お陰さまで娘が高校生になりました。しかも僕の卒業した高校に入学しちゃったのでした。今は、なぜか男子バスケット部のマネージャーをしています。楽しいそうです。なんだかなあ?
まあ、いいか。ハハハ
その2, ソフトボール休部にしました。
上記、腰痛も起因しているのですが、やはり高校生の娘がいるような世代の人間ですから、午前中サッカーやって、午後ソフトボールをするというのは、いささかオーバーワークでありまして、ソフトボールをしばらくお休みにする事にしました。その分、サッカーの方は徐々にプレーヤーとして復活しつつあります。むろんの事昔みたいにガムシャラに走り回る事は叶いませんが、やっぱりね、コーチングするより、見る事より格段にプレ−する方が楽しいよ。キツイけれどね。
その3,ベランダに再びハトがやってくるようになりました。
ただいま、格闘中です。来ている個体は、以前やってきていたツガイです。以前にもお話しましたが、出来うる事ならば、営巣地として提供してあげたいのですが、フンがすごいので、ご遠慮頂きたいと切に願っている訳です。手を変え品を変え、色々と試しております。より効果の上がった方法が見つかりましたら報告したいと思います。
その4,カミさんが就職しました。
おかげさまで、カミさんが整体師資格(民間資格ですが)を取得して、某サロンに就職しました。やはり各家庭に一人は
整体師がいると便利です。毎日の出勤ではないので、自宅でも密かに開業しちゃおうかと画策している今日この頃です。
その5,倉吉の絵本読み聞かせの会「梟」が子どもの読書活動優秀実践団体として文部科学大臣表彰を受けました。パチパチパチ!オメデトー!!
昨年末、お伺いした
倉吉の絵本読み聞かせの会「梟」さんが、その継続した地道な活動を認められ、表彰されました。授賞式は東京で行われ、代表の松田さんと森本さんのお二人に半年振りに御会いできました。表彰云々の方は、細かく分かりませんが、再会は喜びでした。式後、松田さんのお知り合いの方の事務所にお伺いしました。「縁は異な物」なんですねえ。久々に終電まで呑んじゃいました。
その6,懸案であった西伊豆岩地「海光苑」さんのシールが出来上りました。
依頼されてから数年、ようやく、よ〜〜〜〜やく出来上りました。「どこの海水浴場が好きか?
太亮独断コンテスト」で堂々一位の岩地ですが、そこを訪れる方々も種々雑多でして、たとえば、シーカヤッカー、ライダー、サイクリスト、フィッシャーマン、etcどの方のグッズや愛車にもフィットするステッカーっていうのは、実はなかなか難しい物でした。結句、太亮テイストで仕上げてしまいました。海浜の環境を考えると通常のCMYK印刷では対光性などに疑問は残るのですが、考えていたイメージを表現するにはこれ以外の方法は考えられませんでした。仕上がりは、こんな感じです。サイズはA5サイズです。
        
入手したい方は、海光苑さんに御宿泊下さい。遠方の方は海光苑さんにメールで御相談下さい。実費で譲っていただけるかも知れません。(保証はできませんが・・・)

その他、気になる事や書きたい事も多々あるのですが、今日はこの辺で・・・。