きむらだいすけの係わった本のページです。
残念ながら絶版になってしまっているものもありますが、
幸いな事に復刊されたもの近日中に復刊予定のあるものなどもあります。



アニマルハウス(1991 八曜社刊 )
CD付き¥2600--現在絶版中----
さく/山川健一  え/木村太亮


作家の山川さんとは、カメラマンの田口さんの事務所の忘年会で会った。僕は山川さんが何者なのか、不勉強で
全く知らなかったんだ。
で、山川さんから 「へえ、動物の絵を描くんだ。今度見せてよ」「いいですよ。ポストカード送りますよ」 そして、しばらくして、電話がかかってきた。「あっ、山川だけど、君の絵、良いねえ。気に入っちゃった。あのさ、来週からオレ、アフリカ行くんだけれど、帰って来たら、絵本を書くつもりなので、君描いてね」「はあ?」「いや、もう決まってるからヨロシク!」
この本のきっかけは、ホント〜にこんな経緯で始まったんだ。
そして、今僕がマックを使っている大きなきっかけも山川さんにあるんだよ。

この本を出版後、版元の八曜社さんは、出版業務から離れてしまったので、(別にこの本のせいじゃないよ)世の中に出回っているのは僅か3000冊。持っている人は、間違いなく、レア物ですよ。本当に話。

「ゴリラのジャングルジム」復刊しました!
2004集文社にて復刊 ¥1500+TAX 
(初出は1992ベネッセコーポレーション。当時は、まだ福武書店でした)

言わずもがなの、初めての「作&画」の作品です。娘がちょうど4歳位でしたから、制作時は、娘に聞かせて反応を試してみたりしていました。前の年、ロスアンゼルスで展覧会をして、何が変わったのか分からないけれど、それまで進行していた絵ではいけないような気がして、全ページ新たに描き起こしました。
使用する色数を極力減らして、紙質もザラザラしているものをあえて選び、 なんだか「ホっとする絵本」になればいいなあ。と思いながら制作しました。尚、復刊するにあたっては、紙質は、他の二冊に合わせて、発色の良いものに変えました。ジャングルジムという名前は、子供ゴリラが昼寝しているお父さんゴリラの上に多数登って遊んでいる映像から考えました。
ちなみにゴリラは、お父さんが子供の面倒を見るメズラシイ動物です。しかもベジタリアンだし、非常に温和なやさしい動物です。キングコングというキャラクターに使われてしまった事で、凶暴な猛獣だと思っておられる方も多いと思いますが、見た目と実際はかなり違うのです。尚、大人のゴリラは、ほとんど木に登りません。全くと言う訳ではないようですが・・・・。
     
「森のクリスマス」(1994 ベネッセコーポーレーション)現在入手困難。ただし、今年度中に復刊予定あり。

この本を制作しはじめた時、ベネッセは児童書からの撤退を検討しはじめていた時期で、「ジャングルジム」担当時の編集者はいなかった。でも、色んなしがらみがあって、新作は作らなければならず、企画としておおまかなラフを預けていた僕に白羽の矢が立ったわけだ。その時点でおおまかなストーリーはあったものの、実は、タイトル以外はほとんど決まっていなかった。だから、この本にはTom's Box の土居さんに相談に乗ってもらったりした。話が決まったのが5月、入稿は7月末、しかもこの年は異常な猛暑だったから、汗だくになり、汗もを作りながら「雪景色」を描いていた。そして入稿を終えるために〆きり直前では三日間連ちゃんで徹夜してしまったりしていた(僕は昼間の光線で描きたいので、基本的に徹夜はしないんだ)そして、編集者のMさんに原稿を渡した後、車でブっトンで熱海で行われた、日本キリスト教視聴覚協会のサマースクールに講師で行った(今も金さんとやっているワークショップだ)ただし、前述の汗疹もあったので、頭はボウズだったし、楽ちんな格好と言う事で作務
衣といういでたちで、クリスチャンのまっただ中に乗り込んでしまった訳だ。それはそれで結構受けた。ちなみに僕はクリスチャンでもなく、ブッディストでもないよ。
 

「タムとトムのぼうけん」近日復刊予定!
(初出1995ベネッセコーポレーション)
現在入手困難、復刊を待っててね。

作者が言うのも変な話だけれど、僕はこの本がジャングルジムシリーズでは一番仕上がりに満足している。この本までは、画像の取り込みがマニュアルで職人仕事だったせいもある。そこに関わってくれた印刷職人の方がとても昔気質で丁寧な仕事をしてくれた事もあるし、最終的に印刷してくれた印刷屋さんが、まだ使い走りの頃から知っていた旧知の印刷所だったこともあって、非常に和やかに進行していたんだ。ゴリラのシリ−ズの場合、グレーの色の調整が非常にむずかしい。これを統一するのに時間がかかった。結論として全体のコントラストを調整してグレーゾーンを統一した。この経験がムトトの印刷に微妙な影響を生んでしまうのだが・・・。
そもそも、ジャングルジムの続きのつもりで描きはじめた。僕の場合、描きはじめる段階ですでにデザイン構想が出来上がっているので、絵は原寸で描く。だから、この絵の中に登場する小さい小さい動物たちは、「あの大きさ」で描かれている訳だ。昔から結構小さい絵は特意分野だったけれど、正直な話、絵本が描けなくなったら、お米に七福神でも描いて暮らしてしまおうか。なんて思ってしまったりした。ちなみにこのムトトは背景は手描き、ゴリラは切り絵で構成されている。

     
「もりのどうぶつ」(1996 小学館)
入手できるんでしょうか?良く分かりません。
たぶん、入手困難であると思われます。

少し小さいサイズの絵本なのである。
リクエストは動物の親子ということだったんだけれど、全体を通して一つの森の話にしたくって、日本の動物だけにしぼって描いた。
小学館の編集の方とは、仕事でなく、草サッカーの対戦相手として、旧知の方もいたりする。
もっとも
僕の方ではもっと昔から、良く知っている編集者の方も多々いらっしゃる。 それはなぜかと言えば、父親がたくさんの仕事を小学館としていたし、その打ち合わせでよく自宅に来ていた。そこでお茶を入れたり、お酒出したりするのは、僕の役目だったからである。これは他の出版社の方にも当てはまる。
今、意外な所で、僕の年少時を知っている人に出会う事がママある。
でも僕自身が絵を描く仕事をするようになってから、父親のコネクションで仕事を受注した事はない。極力それを避けて来た。絵本をベネッセから出したのも(いや出してくれたんだけれど)父親がベネッセと仕事をしていなかったからだ。
今から考えれば、非常につまらないコダワリだけれど、当時はとても大事なこだわりだった。今考えれば、コネで使ってもらえたとしても、仕上がりが悪ければ一回で使われなくなってしまうだろう。小学館とはこれ以外にも、WOWシリーズに参加させてもらったりしている。このHPのギャラリーのページで紹介している何点かのイラストはWOWのために描いた物である。
  「ムトトがきたよ」近日復刊予定!
(初出1997ベネッセコーポレーション)
現在入手困難 復刊を待っててね。


ゴリラの赤ん坊の話が描きたかったんだ。でも、そのための記録や資料はほとんどなかった。野生のゴリラの誕生を記録した画像は現時点でもない。翌朝になったら生まれていた。というものなのだ。そこで、ニホンザルのエピソードを資料として使った。しかしこれも生まれる瞬間は闇夜であり、そこを目撃したモノではない。なかなかムズカシイものなのだ。
ちなみに構想はあったものの、ストーリーがなかなか出来なかったのだが、息子が生まれるのに小二の娘と立ち会って、カミさんとムスコをお産婆さんに預けて、帰宅途中の車の中で、本当に5分程でスラスラスラっと出来上がってしまい、早朝のロイヤルホストで娘と朝食を食べながら、紙ナプキンにストーリーと台割りを書き留めた。
ところで、この本は前出のタムトムの経験を生かして、最終的にカラートーンが落ちる事を想定して少し濃いめに描いた。ところが、この年から印刷屋さんではB3の原稿でもデジタルスキャニングが可能になり、グレートーンの統一もその段階でかなりの所まで出来上がってしまうようになっていた。結果として、全体に濃度の高いまま印刷されてしまった。
この物語の中で、ムトトがジムに「高い高い」をしてもらったりするシーンがある。「こういうことを本当にするの?」と、以前メールでお問い合わせをいただいたことがあるのだが、これは「事実」である。個体によって差はあるだろうけれども、少なくとも我が家にこの光景の写真がある。
     
「原小キッズただいま連戦連敗中」
理論社刊1998 ¥1200+TAX
書店で購入可能です。

娘が4年生の時、娘の通う小学校のサッカークラブのコーチを引き受けた。子供達は当初、自主的に練習なんてする気がなかった。微塵も見られなかった。サッカーが習い事で、教えてもらうモノだと考えている父兄も子供もいた。でもサッカーは、本人が楽しみたいと思わなければ、自主的にサッカーで遊ばないと上手になんてなれないんだ。そこで本屋に行き、図書館に走った。サッカーをテ−マにした物語はないのかと・・・・。結果、僕の目にかなう物はマッタクなかった。ちょうど我が家にはマックがやって来たばかりであったので、「エエイイ!書いてしまえ」と一念発起して、ゴールデンウィークを利用して書いた。もちろん、この時点ではバラバラの出来栄だったけれど、旧知の理論社の編集さんに読んでもらった。彼女にはピンと来なかったみたいだったけれど、一応編集部に持ち帰り、検討してくれる事になった。そして、文章のスピ−ド感と臨場感だけを認められて、出版してくれる事になった。しかし、女の子にも分かるようにする事と言う条件付きであった。そう、児童書というジャンルはその多くが女の子によって支えられているらしい。ゆえにそこから地獄の添削始まった。専門用語は極力避けて、分かりやすい言葉を選んだ。そして約一年間をかけて校正して出版の運びになった。   (右上に続く)
 
ところがである。
出版後、静岡県の教育委員会から推薦がいただける事になったと言う。(さすが静岡!)そして秋田県からも・・・(いいぞ秋田県)。
さらに不思議な事態が編集部に起きた。かつて、児童書なんて購入した事がない少年たちから「本ってどうやって買えばいいの?」という素朴な疑問のお電話が殺到したのである。女の子でなく男の子たちに受けた瞬間であったのだ。そして読売新聞の書評で扱っていただいた。また日刊スポーツでも紹介記事を書いてくれた。これにはちょっとウラがあって、日刊の後藤さんとは昔、草サッカーでチームメイトだったこともあるからなのだけれど・・・。その結果、この年の中部地方郵便感想文課題図書にも選出してもらえた。
ちなみに続編はどうなったの?というお問い合わせをいただく。実は出版後、すぐに取りかかっていて、かなりの部分出来ているのである。ところが、その後、息子の小学校入学と同時に新しいチームのコーチのうちの一人になった。JFAの指導資格も取った。そして小学生の時代のサッカ−に関して、根本的な考え方に変化が現れた。つまり、この時代にシステムは必要か?
ポジションの固定は良い事なのか?という疑問である。
そして、答えは「否」であった。この時代には個人のスキルと気持ちを大事にしたいと今は考えている。そしてこのギャップを如何に埋めれるのかが大きな問題なのだ。とにかく大筋を変更して行く必要があるのである。ムムム
ところで、最初のコ−チをしていた当時、 火曜日と木曜日の放課後に練習、土日は試合。80人近くを二名で面倒見ていた。
正直に告白すると、もう一年続けていたら家庭は崩壊していたかも知れない。働く時間がないんだもん。
今は息子がいるし、原則週末だけなので、大丈夫だとは思うが・・・。
     


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