〜Tennis for Twoの歴史〜

1958年、それはある研究室から

 Tennis for Two(テニス・フォー・ツー)を製作したのは、ニューヨーク州アップトン(Upton)にある、ブルックへイブン国立研究所(Brookhaven National Laboratory)のウイリー・ヒギンボーサム(William Higinbotham)博士です。

博士は学生の頃、コンピュータの技術をMITで勉強していたのですが、第二次世界大戦中、はからずも原子爆弾製造に関わってしまい(マンハッタン計画に参加)、「ボクがつくりたかったのはこんなものじゃない。戦争が終わったら、コンピュータを人々が喜ぶ為に使いたい」と心の奥で思っていたんですってね。

 さて、ブルックへイブン国立研究所は、核をはじめとする、さまざまなエネルギー問題を研究する場所でして、地域の人たちに何かと不安がられていたそうです。ですので、研究所では時々一般公開日というものをもうけており、うちではこんなことをやっているんですよ、安心ですよー、というのを知らせるイベントを行っていました。

 up税金を使って行われる研究ってのは、定期的にこんな風なイベントを開くものだそうで、日本のNHKも技術研究所が毎年一般向けに発表を行っているんです。
しかし、この見学会が”ただ見るだけなのでつまらない”ともっぱらの評判だったとか。NHKの方はまだおもしろいんだけど、こっちはまるでわかんない??
そこでヒギンボーサム博士は、手にふれられて、かつ科学について親しんで楽しめるような、何か楽しいイベントができないものか?、と考えました。

 そこで生まれたアイデアが、当時、まだだれもつくったことが無かったビデオゲームの考えでした。
 当時のコンピュータは、今のようなディスプレイモニタでなく、計算結果は紙テープに出すのがふつうでした(というか、コンピュータ用のビデオモニタなんてこの世にありませんでした)。それを博士は映像で出力するように思いついたのです。用いられたのは、オシロスコープ。今でも電流計測や、手術室の心電図で使われている、電気の強さを可視化する”ピっ・・・、ピっ・・・、ピっ・・・"というアレですね。この表示装置のおかげで、インタラクティブで、リアルタイムなビデオゲームが誕生するわけですね。

 ゲーム内容は誰でもわかる「スポーツ」ということだけは先に決まっていたそうです。博士はそこから、オシロスコープでプレイできるシンプルなもので、人気もあるものとふるいをかけ、最終的にテニスで行こうと決めました。
  なお、Tennis for Twoという名前は、当時すでにメジャーだった映画”Tea for Two(二人でお茶を)"をもじってつけられたんだとか。こういうおちゃめなネーミングって、ゲームをつくるにはとっても大切だと思いませんか?

 制作には、同じく計測部のスペシャリストで仲の良かった同僚のRobert V.Dvork氏が担当。ヒギンボーサムが設計図を書き、それをDvork氏が回路するといった作業が続けられ、3週間ほどつきっきりだったそうです。

  初公開は1958年(昭和33年)の10月。Tennis for Twoはプレイ待ちに行列が出来るほどの大人気で、皆興奮していたそうです(特に高校生たちに人気だったとか)。また翌年には、重力を変化させた「宇宙でのテニス」がプレイできるようになったそうです。


報道の歴史〜そして未来へ

 歴史的には非常にグレートなTennis for Twoですが、研究所の公開日はたった数日で、かつ1958年と翌59年のみだったため、ほとんどの人に知られることもなく、Tennis for Twoは長らく歴史の闇に埋もれたままでした。

 日本においても、70年代後半くらいまでの資料には、どれも世界初のテレビゲームは、マサチューセッツ工科大学で作られたSPACEWAR!(スペースウォー・1962年)だと書かれていました。
 そんなTennis for Twoの存在が知られるようになったのは、1980年代後半、桝山 寛(ますやまひろし)氏率いる、テレビゲーム・ミュージアム・プロジェクトがかかわった書籍や映像で詳細に紹介されるようになってからで、以後、日本語で読まれるテキストの多くが、これらの研究を引用、利用するようになりました。2003年末には、「ビートたけし!のこんなはずでは!」(テレビ朝日系)でも取り上げられ、原爆開発にたずさわった後悔、そしてコンピュータの平和利用を願ったヒギンボーサム博士が、Tennis for Twoで楽しむ子どもたちを前に微笑む再現映像が全国のゴールデンタイムで放送されました。

 インターネットが広く普及した現在、私たちは
OSTIで、Tennis for Twoの詳しい情報や動画映像を見ることが出きますし、また、Tennis for Twoを模した"一人でテニスを"をプレイすることもできます。そしてこの夏、テレビゲームの歴史をなぞる一大イベント「テレビゲームとデジタル科学展」で、Tennis for Twoの精密な模型を、その目にすることできるようになりました。

 時代が進むにつれ、ますます輪郭(りんかく)がはっきりしてくるような感がある”二人でテニスを”。内容もおもしろそうですし、ひょっとして今に家庭用機で発売されるんじゃないかと思わずにはいられません。あなたと私が二人でお茶を・・・、いえ、テニスをする日も遠くないかもしれませんピョンよ?!



Tennis for Two
(再現品)


2004年夏に国立科学博物館で行わた「テレビゲームとデジタル科学展」のために制作された、ディスプレイ部分のレプリカ。
コントローラーはなく映像を見るだけ。
制作は(株)MEWS。
ボールの軌跡を描くのに苦労したんだとか。







    HINT de PINT
  • 2003年放送「ビートたけしの!!こんなはずでは!!」より。再現映像で、彼は心やさしく謙虚な原子物理学者として再現フィルムに登場しています。
  • 3週間の開発期間はかなり短いように思いますが、そもそも弾道計算(大砲の弾がどう飛ぶかを調べる)で使われていたコンピュータにボールの動きをさせることは難しくなかったはずだとか。
  • Tennis for Twoは58年と59年のみ。翌1960年の一般公開でヒギンボーサム博士は、宇宙線観測装置「スパークチェンバー」を展示し、以後研究所での展示はなかったそうです。
  • Tennis for Twoの歴史と研究については、thanksコーナーで紹介する桝山氏やOSTIの方々が先人です。当ページはそれをかんたんにまとめたにすぎません。彼らの研究について深く敬意を表します。





|RET HOME|