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私がオデッセィを始めたわけ
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by 寺町電人 Dento Teramachi
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私にとって、家庭用テレビゲームとはおもちゃであり、いずれ卒業するものでした。実際、昔はそういう方も多かったと思います。中学生となった私は、カセットビジョンを年下のいとこに譲り、より高度なパソコンのプログラミングなどに没頭するようになっていきました。
それから約10年、ある種の懐古感と、古いものをいつまでも大切にしようという思いにめざめた私は、いとこの家で変わり果てたカセットビジョンの姿を見たのです。ジョイスティック部やパドルが無くなり、すでに動作もしなくなっていた本体。説明書も外箱もなく、おもちゃ箱の底に埋もれてしまったカセット。彼には私のおさがりなんかより、ファミコン+ディスクシステムの方がよっぽどまぶしかったのでしょう。
そのカセットビジョンを引き取ってきた私は、なんとか動作しないものかと本体を開けてみることにしました。ハンダごてをにぎり結線・・・などと、そんな素人殺法が通用するわけも無く、状態はさらに悪化、完全な廃品となってしまいました。もう一度カセットビジョンで遊びたいなあ・・・。そんな想いは募りました。当時はまだYAHOOオークションもファミコン以外のレトロショップなんてのもなく、時々古いおもちゃ屋をまわっては、そんなものはもうない、と追い出される日々が続きました。
そしてある日、これ、ダメもとでいいから、エポック社に修理に出してみるか?と思いたったのです。ダメもとどころか100%ダメだと思っていましたっけ。だって、ただの故障ではなく、内部をぐちゃぐちゃに改造したジャンクなのですから。
しかし、電話口のエポック社の修理担当さんは、そんな状況を知りつつも、とりあえず見てみましょうと言ってくれたのです。祈るような気持ちで、今は無きエポック社別館に向かいましたっけ。どれだけ自分がカセットビジョンが好きだったか、そんな話も添えたと思います。
それから数日後・・・、連絡を受けて出向いた私に、修理の方(川上さん・・・だったかな?)は手渡してくださいました。それは、基盤むきだしで、ダンボール板を後ろにゴムバンドで固定した、ほとんど手作りのようなカセットビジョンだったのです。パドルは動かず、プッシュボタンも一部きかないと言われましたが、もうそれだけで奇跡でした。何度もお礼をし、一目散に家に帰りました。再びギャラクシアンと対面した時のあの感動を、私は一生忘れないでしょう。
結局、私はそれ(カセットビジョン・ミディと命名しましたっけ)だけでは我慢できず、就職が決まったと同時に、デッドストックのカセットビジョンを探す姿に出かけるのですが、それがまわりまわって、今こういうサイトを運営するようになったわけです。オデッセィの出発点はあの感動であり、ふれあいだったのでしょう。と同時に、私は啓示をうけちゃったんでしょうねえ。キミはクラシックゲームをずっと大切にしていくんだぞって。(^^
(2005/3/31)
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