ロゴ
タイトルイメージ

1958(昭和33)年・・・EXPO'58/ベルギー・ブリュッセル万国博覧会他

 世界初のテレビゲーム・Tennis for Twoが生まれたこの年、第二次世界大戦後初の大型国際博覧会がブリュッセルで開かれました。テーマは「科学文明とヒューマニズム」で、高さ110メートルの巨大な鉄の分子構造体「アトミウム」が話題をよびました。

 なお、同じ昭和33年には、日本の大阪で科学大博覧会というもよおしが開かれています。特にテレビ電話とマジックハンドが人気だったそうで、早くもビデオゲームに通じるテイストがあったりしてね?

1962(昭和37)年・・・EXPO'62/アメリカ・シアトル万国博覧会

 入場者の予測にはじめてコンピュータが使われました。また、別に展示もあったそうですが、お客がつかうことはできませんでした。

1967(昭和42)年・・・EXPO'67/カナダ・モントリオール博覧会

 次の日本万国博覧会のお手本になった博覧会。5台のコンピュータが情報処理を行ったそうです。

1970(昭和45)年・・・EXPO'70/大阪万国博覧会

  アジアで行われた最初の万国博で、テーマは「人類の進歩と調和」。参加77ヶ国。泥くさい民族文化と、アポロ着陸船やロボットといった最先端テクノロジーを、日本人の和の心をベースに、抽象芸術の世界で見事にこんぜん一体化させた史上最大の大博覧会です。

万博会場



電車の運転テスト at 古河パビリオン

 国産ビデオゲームの源流にして、これぞまさに電車でGo!のご先祖さま!

 出展者は「万国博古河館推進委員会(ばんこくはくふるかわかんすいしんいいんかい)」。かんたんに言えば富士通の親、古河グループです。万博にパビリオを出すことが決まり、テーマは何にしようか?と会議が開かれ、コンピュータを使った夢の世界をショーで展示するという「コンピュートピア」の構想がもちあがりました。そして、コンピュータ分野にとくいな富士通の通信技術者たちが中心となり、当時のコンピュータが苦手とされていた点に挑戦し、だけど子どもでもできるようなやさしくておもしろいものをやろうということになったのです。コンピュータには富士通製FACOM270-30の4システムを使い、30人前後の専門技師が約2年かけて開発した6つのイベント、そのうちのひとつが鉄道運転シミュレーション「電車の運転テスト」です。



  • コンピュータによるグラフィック・ディスプレイによるシミュレーション。3D表示。
  • オールディジタル演算。ノッチ、ブレーキ操作などで5種類の割り込み処理。解析。加速、減速に応じた表示
  • ブレーキの音や、ふみきりや鉄橋を通った時のサウンド。
  • 成績は100点満点中、何点で表示される。
  • 日本人として最も親しみのある電車ということが採用理由だとか。

その他5つのイベントは次の通り。あなたならどれをプレイしたでしょうね?

  • ボイス・コントロール・クレーン(.コンピュータ・ハンド・ゲーム)
     ・・・コンピュータによる音声認識。UFOキャッチャーを声で行うようなゲーム
  • コンピュータ・ミュージカル・ホール
     ・・・コンピュータによるミュージックの創造と演奏(即興音楽)
  • 碁とコンピュータ
     
    ・・・名局の再現、棋力判定、詰め碁(つめご)等さまざまなコンピュータ囲碁システム
  • キャッシュレス・ショッピング
     ・・・コンピュータによる音声認識
  • コンピュータ・ドレス・デザイナー


月着陸船(つきちゃくりくせん)ゲームとゴルフゲーム at アイ・ビー・エム館

 世界一のビジネスコンピュータメーカーだったIBM社も参加。テーマは問題を解く人間像で、コンピュータの可能性やインタラクティブ性を、ゲームやライトペンを使った遊びの形でわかりやすく示しました。


月着陸船はこんなゲームだったそうです。

  • コンピュータとディスプレイモニタを使用
  • 操縦(そうじゅう)かんがついている(?)
  • 月着陸船が軌道をはずれると、ブザーがなり危険をしらせます

ゴルフゲームの方は、今のところ、映像装置の上に実際のグリーンと同じ条件をつくります(万国博公式ガイド)・・・ということろまでわかっています。

 また、この写真には映っていませんが、このコンピュータ端末の上には、グルリと円を書くかたちでディスプレイが8台天井からぶらさがっていて、ゲームの画面を同時中継しています。プレイする人以外にもゲームが見られるわけですが、これもファイナルラップで使われていた中継システムのさきがけと言えるかもしれません?!


光学映像装置(同上)

 同じくIBM館より。ディスプレイにお題にあわせた選択肢(せんたくし)がいろいろ表示されるので、それを電子ペンで選び組みあわせて、最後にプリンタでプリントアウトするイベント。お題は下の3つ。ビデオゲームというよりは、pico(ピコ)などに近いコンピュータ遊びですが、超人気だったので紹介しておきましょう。

  • マンガづくり:これが子どもたちに大人気。鉄腕アトムやオバQなどマンガの登場人物を選んで、その後のストーリーを選択しの中から選でんで物語をつくるというもの。
  • ファッション:ドレス。コート、クツ、ハンドバック、ぼうし、色、デザインを選ぶと、そのファッションの女性の絵がプリントアウトされます。
  • 旅行:きみだけの旅行プランをたてましょう。行きたい国や都市、名所を選んでいくと、かかる料金が示されます。

  この当時はおかたいイメージがあるIBMですが、どっこい、ビデオゲームをもってくるやわらかさもあったのですね。ところで写真で見る限り、月着陸船/ゴルフゲームがプレイだきるマシンは、たった1台かぎり(だから、中継システムで多くの人に見せるというしかけも必要だったのでしょう)。ただでさえ混雑しているパビリオンですから、これではなかなかプレイできません。グラフィックゲームをつくるには、それだけ巨大なシステムが必要だった時代であったわけですが、それならばと、台数も多く、ぱっと見てわかりやすい光学映像装置の方に人気が集中していったのはしかたがないところですね。


シミュレート・トラベル(模擬飛行) at 日立グループ館

 ものすごい人気だったひこうきシミュレータ。写真だけ見るとビデオゲームのように見えるのでこれもおまけで紹介しておきます。あなたがたはひこうきの運転手。そうじゅうかんコントローラーでコックピットスクリーンにうつる街並みの上空を飛びましょう。あえて言うなら、スケールの大きなミニコプターというところでしょうか。飛行する市街は、50mプールほどあろうかというスペース(もっとある?)に精密につくられたミニチュア都市で、そうじゅうかんでコントロールしているのは実はそれを中継する移動式カメラだったりします。
 
下の写真のがその日立グループ館で、8人席×16のそうじゅう席のパイロット2名が、交代でリレー飛行していくシステムです。座席がくるりと回転してモニターとドッキングしたり、一部に実写フィルムをつかったり、気分はいやがおうにも盛り上がりました。


UFOのような日立グループ館
また、左のほうに見える七重の塔が古河パビリオンです

 【知られざる国産第一号ビデオゲーム?

 大阪万博は、場内の駐車場の空き具合からまい子チェックまで、大きぼな情報処理コンンピュータが導入されたことで有名ですが、建設費に31億円、運用費だけでも4億円くらいかかったんだとか。当時の31億円って今のいくらにあたるんでしょう?!高いわ、難しいわ、金はかかるわで、こんなものでゲームをつくるなんて発想は、そりゃ当時は出てこなかったはずです


  そんな時代に古河グループはやってくれました。万博は通常できない大きな実験のチャンスだ!世界に我々の底力を見せるチャンスだ!と、ばくだいな研究開発と時間の中で、ビデオゲームを生みだしたということは、私たちクラシックゲームファンにとって実にうれしいことです。しかも、これ、ひょっとして国産初のビデオゲームじゃないのかな?!

 ところが、ボイス・クレーン・ゲームがあまりにも人気で、お客さんはみんなそっちに注目していたせいか、あまり写真が残されていません。ビデオモニタが写真に写りにくいという事情もあったためでしょうか?でも、富士通のパビリオン広告での扱いも、やっぱりそえものの位置だったりします。ま、最初はこんなものなのでしょうね。

1975(昭和50)年・・・EXPO'75/沖縄海洋博覧会

 特になかったようです。巨大な海上都市=アクアポリスが印象的な博覧会。あくまでも主役は海をとりまく自然で、テーマにあうようなビデオゲームをつくるにはまだ時間が早かったのでしょう。現在ならば、セガのアクアリウムのような、ポリゴンの美しい熱帯魚観賞ソフトなんか、ちょうどピッタリあてはまりそうですね。

 一方、会場内にはエキスポランドという遊園地がありましたので、ここにポンテニスのような、初期のアーケードビデオゲームがあった可能性は・・・大です。

1979(昭和55)年・・・SPACE EXPO'79/宇宙科学博覧会

 東京・晴海の「船の科学館」が基点会場で、アメリカから運ばれたサターンB1ロケットの実物展示がすごかった博覧会。入場者は550万人とか。名前から、宇宙船シミューレータなんかあるのでは?とひそかに期待してしまいましたが、ロケットなど現実にある宇宙工学の展示が主で、ビデオゲームはありませんでした。

1981(昭和56)年・・・PORTOPIA'81/神戸ポートアイランド博覧会
 ファミコン世代には「ポートピア殺人事件」のぶたいとして今も話題のぼることの多いポートピアですが、ポートピアとはそもそも81年に神戸で開かれた、巨大地方博覧会のことです。
 ウルトラセブンがキングジョーと戦ったあとの神戸港に15年かけてつくられた人工島・「ポートアイランド」のおひろめを目的に、テーマは新しい”海の文化都市”の創造で、その名のとおり、海(自然)、都市(ハイテク)、文化(ファッションなど)を下地とするさまざまな展示が行われました。長年、異国文化との交流の窓口として発展したみなと神戸だけあって、外国からの参加も多く、結果的には入場者1,600万人という大成功をおさめまています。ゴダイゴが歌うテーマソングもヒットしました。

漢字反対語ゲーム at 日本アイ・ビー・エム遣唐使館

 大阪万博から約10年、今回は日本法人の日本アイ・ビー・エム(株)が出展。テーマは文明への情熱で、パビリオンの半分以上が全長20メートルにも及ぶ遣唐使船(けんとうしせん)の復元船でしめられていました。コンピュータのIBMがどうして?とふしぎに思ってしまいますが、そこにぬかりはありません。実は日本IBMは、当時まだめずらしかった漢字があつかえるコンピュータを開発しており、その宣伝とおひろめがしたかったのです。そこで海と文化&漢字⇒遣唐使を結びつけたのですね。
 ブースの出口近くで、テレビ受像機に似た端末装置で漢字が使えるコンピュータコーナーがあり、遣唐使船をみた人たちは、ここで漢字反対語ゲームをプレイし、IBMの技術力のほどをしっかりと頭にたたきこむというしくみなんですね。
 夏休みには子ども向けイベントとして、このゲームの優秀者にバッジを贈る”コンピューターと遊ぼう”(8/10〜31日)が開催されました。


パソコンVIC-1001を使ったゲームコーナー at 神戸館

 特別なものではないのですが、主催である(財)神戸ポートアイランド博覧会協会が展示した神戸館では、子供向けコーナー”ちびっ子あつまれ”で、ホビーパソコンVIC-1001を5台(以上)ならべたクイズゲームが遊べました。内容はポートアイランドに関するクイズで、なんと皇太子ご夫妻(今の天皇皇后)も見学に訪れられています。


オセロゲーム at 電気通信館(日本電電公社近畿電気通信局)

 電電公社はNTTの前身。マンマシンの世界という展示があり、キャプテンシステム(知ってる?)とならんで、オセロゲームの端末(たんまつ)がありました。この端末は東京の電電公社センターのコンピュータと結ばれおり、その様子を見ることもできたんだとか。しかし人気を呼んでいたのは、コンピュータがにがお絵を描く装置だったそうです。オセロはちょっと地味だったかな?


ファッション・アドバイザー at ソーラーピラミッドの松下館(松下グループ16社)

 情報展示ゾーンというものがあり思わず期待してしまうのですが、コンピュータを使った作曲や電子図鑑などおとなしいもので、ビデオゲームの姿はありませんでした。それはくやしいというとこで、テレビモニタを使った遊びとして一歩下がってみてみると、ファッションアドバイザーというイベントがうかんできます。これはウエディングドレスや阪神タイガース(まだオリックスはなかったので)のユニフォームなど、着てみたい服装をえらび、カメラの前に立つと、ブラウン管にその衣装を着た観客が映し出されるもので、整理券が出されるほどの大人気でした。これにシール機能でもつけば全身プリクラですね(そのカメラ撮影サービスもあった・・・のかな?)。


太陽を描こう at サンヨーソーラリアム(三洋電機グループ)

  これもビデオゲームではなくコンピュータ遊びです。三洋のテーマは太陽への賛歌で、メインは太陽&エネルギーに「関するクイズやイベントが行われていました。ここでおもしろかったのが 「太陽を描こう」コーナーで、6台ほどのテレビ黒板があり、ライトペンでブラウン管画面に自由に文字や絵が描けるカラー文字図制作装置が、フロッピーディスクとセットでありました。フロッピーは、当時まだまだめずらしいもので、自分の描いた絵や、その前に描いた人の絵文字をボタンを押すだけで、すぐ復元できるとうのがウリでした。


ゲームはポートピアランドで!
国際博覧会にもおとらないきぼで話題をよんだポートピア'81ですが、資料を見る限りでは、パソコンを使ったクイズくらいですね。最新エレクトロニクスは、自然エネルギーであるとか、映像スクリーン方面に力がふられたようですね。今なら入港シミュレータ(大型船の運転練習に使われる。世界で一番高価なシミュレータと言われる)なんてうってつけかもしれません。

 ただ、これと並行する形で、ポートピアにあわせて造られた遊園地・ポートピアランドにはゲームズハウスというコーナーがあり、ここで10円〜100円のゲームが遊べました。こっちの方で、純正きょう体でピッカピカのパックマンギャラクシアンがエレクトロニクスサウンドをひびかせていたそうです。ポートピア'81は博覧会がメインというより、博覧会後のポートアイランドをどう有効活用するか?ということがお題でしたから、遊びに関しては、博覧会後も残るポートピアランドに集中しようよ、というとこだったのかな?
1982(昭和57)年・・・'82北海道博覧会

 新しい北海道づくりの指標を指ししめすための博覧会がテーマ。総入場者は267万人。
 情報未来館というパビリオンがあり、電電公社や日本電気、富士通などが共同で出展していましたが、特にビデオゲームらしきものはなかったようです。
 しかしそれじゃあさびしいなと、記録をよ〜く調べていくと、かなり小粒なのですが「市民生協レインボー館」という、おかあさんのための生活パビリオンに、ホビーパソコン・PC-6001のコーナーがあり、ハイジャンプテニスといった、NECオフィシャルのROMゲームカートリッジゲームが遊べたそうです。ちなみにジョイスティックはチャンネルFでも有名なあのマルチレバー。また、50万人目入場記念者の少年にはPC-6001がおくられるなど、なんだかんだとNECとパピコンが顔を出していますね。

1985(昭和60)年・・・EXPO'85/つくば国際科学技術博覧会
48カ国参加の国際博覧会。「人間・住居・環境と科学」がテーマですが、通称「科学万博」という名前がしめすように、ハイテク未来を前面におしだしたエレクトロニクスが主役の博覧会です。



C&Cシアターの宇宙旅行ゲーム at NEC C&Cパビリオン
 大型ゆうえん地にある体感シアターのさきがけ。映画館の客席に,、ディスプレイモニタと座席振動(ざせきしんどう)がついたようなものを思いうかべてください。2、3時間待ちはざらだったという大人気イベントでした。

  1. 正面の133インチスクリーンでには宇宙空間が映し出されます。私たちは宇宙船にのり、一路、地球を目ざしています。
  2. 旅の途中にはテストが出現されます。3たくのクイズで、タッチパネルになっているモニタを指でおして答えます。問題はぜんぶで6つです。
  3. 途中、画面上をとびかうアステロイド群をはかいするシューティングゲームもあります。正面のディスプレイにターゲットスコープがひとつだけあらわれ、いん石(光速船のようなワイヤーフレームで描かれています)がかさなった時に、レーザービームボタンをタイミングよく押せば、いん石ははかいされ、自分のとくてんになります。アステロイドは50個あらわれます。連射あるのみです。
  4. 旅の最後は地球への帰かん。しかし、ここでもアステロイドが行く手をじゃまします。3つのルートのうち、安全なルートであるいずれかを選ばなければなりません。まちがったルートを選んでしまうとそこでゲームオーバー(バッドエンド)となり、後味の悪さを残しますので気をつけましょう・・・と言いたいところですが、なんとこの3たくは、324名の多数決で決めるシステムで、ハッピーエンドで終わらないことが多々あったようです。なっとくいかない?
  5. ハッピーエンドでも、バッドエンドでも、最後に自分のディスプレイモニタに「適性(てきせい)テスト」の結果として、2のクイズの正解数と、3.のはかい数が表示されます。だいたい、クイズ3問正解+レーザービーム10発命中くらいですとFAIR もう少し努力しましょうとなり、4問正解+45発命中くらいだとEXCELLENT たいへんよくできました、という結果になりました。



サイエンス・ランド at 日本アイ・ビー・エム館

 サイエンス・ランドは、(赤一色の)プラズマディスプレイにCGで出される科学問題にタッチパネルで答えるクイズゲーム。映画「トロン」のボスキャラのような、スーパーコンピュータそのものといったシルエットは,、いかにもハイテクだぞといった威圧感(いあつかん)がありますねー。

  またIBMーPCを20台横に並べた、ムーン・トラベルなど4種類のソフトが遊べるコーナーが最後の方にありました。


ジャンボトロンを使ったロードランナー at ぽっかりが丘(ソニー)
 ぽっかりが丘に、まさにそびえ立つといった表現がピッタリの、超巨大テレビ「ソニージャンボトロン」(たて25メートル、幅40メートル。2,000型にもなるそうです!)。これを使ったMSX版ロードランナー大会が開催されました。なんとプレイヤーの大きさが人間の実物大だったそうです!
 ジャンボトロンはスクリーンではなく、あくまで巨大なカラーテレビなのがミソ。これぞ史上最大のテレビゲームといったところでしょうか?!


 以上、紹介したもの以外にも、つくばエキスポセンター(日本政府が出展)には、「子どもパーク」コーナーにディスプレイを使った記憶ゲームというものがあったそうです。

【超巨大スクリーンでプレイするぞ!
くば博が開催された85年4月の時点では、すでにファミコンが人気をよんでおり、プレイヤーの目も肥えていましたので、ビデオゲームもただあればよいというものではなく、そろそろ内容が求められていた頃でした。この科学万博、巨大スクリーンやゲームサウンドはたしかにスゴかったのですが、それにひってきするようなレベルのゲームソフトはなかったように思えます。まあ、ソフトよりハードづくりがとくいな企業の出展が多かったですもんねー。

  このつくば博に任天堂は参加しませんでしたが、逆にライバルのセガ・エンタープライゼスはハッスルハッスル。48平方メートルもの大スクリーン"ふれあいビジョン"を使ったスターブレイザー(右)や、SC-3000、SG-1000IIのゲームを使ったゲーム大会(レースゲームのGPワールドを使用)やプレイコーナーなど、ちびっこや少年たちに積極的なアプローチをしていました (右はその時にセガが制作したパンフレットです)。

 また博覧会にはお約束の巨大ゆうえんち「星丸ランド」もありましたよ。



1987(昭和62)年・・・'87未来の東北博覧会

 東北新時代の夜明け・日本のふるさと新発見がテーマ。NHKの大河ドラマ「独眼竜正宗」の大ヒットのいきおいそのままに1987年7月18から73日間 、296万人の入場者を集めました。
 NEC C&Cシアター・宇宙旅行ゲーム、日本アイ・ビー・エムのパソコンゲーム(マシンはJX)など、'85年つくば博のイベントがリバイバルで登場。「ハイジョンシアターの松下館」では、当時MSX2に力を入れていたパナソニックらしく、カートリッジゲームゲームアシュギ−ネや、コナミの悪魔城ドラキュラがプレイできるコーナーがありました。また、ビデオゲームではありませんが、おもちゃ館ではセガ・エンタープライゼスの光線銃ゲーム・ジリオンがプレイできました。

1988(昭和63)年・・・SilkRoad Exposition,Nara,1988/なら・シルクロード博覧会

 主催は奈良県&奈良市とNHK。 テーマは民族の英知とロマン。総入場者数は半年で680万人。絹街道に関わったアラブ&アジア諸国の美術品展示が一堂にあつまり、祭り、コンサート、ショッピングなども楽しめました。先端科学とは逆の、古代史ロマン文化博覧会なのですが、これが意外や意外、多種多様のビデオゲームが並んでいたんですよ。

シルクロード大冒険 at NEC C&Cパビリオン

 おっと!今回のNECはついにゲームが主役。アドバルーン、子連れが目立つイメージ図、別名C&Cプレイランドという名前からもわかるよう子どもをターゲットにしていたようです。PCエンジン発売の影響でしょうか。

 このシルクロード大冒険は、シルクロードにちなんだ体感クイズゲーム。最大の特徴は足元にあるフットセンサーで、クイズによっては十分な足ふみスピードが必要とされました。NEC製パソコンを利用したもので5台あり、頭の上のモニタにも映像が中継されていて、かんきゃくも画面が見られるしくみでした。シルクロード=旅=歩くというイメージをうまく取り入れています。


PCジグソーパズル&PC曲あてクイズ (同上)

 PCジグソーパズルは、デジタルスキャニングされた自分の顔で16パズルを楽しむゲーム。時間は3分。パズルピースはタッチパネルをつかってダイレクトに動かせるんだとか。EyeToy(アイトーイ)ニンテンドーDSを組み合わせるとこんなゲームになるかもしれません。
  PC曲あてクイズの方は、数名(5名ほど)同時参加の曲当てクイズ。会場内に曲が流れるので、3面大スクリーンに映っている曲名からこれだ!というものをマウスで選びましょう。画面にはヒントのイメージも映りますよ。気をつけなければいけないのは、流れる曲がオリジナルとリズムやテンポがちがうこと。だんだんオリジナルに近づくので、早く答えた人の勝ちです。

PCエンジンゲーム (同上)

 前年10月に発売された、NECの新製品・PCエンジンの体験コーナー。新ゲームももりだくさんだったとか。そういえば、最初の頃のPCエンジンソフトって、なんとなくアジアやエスニックテイストが濃かった気もしたりして?

MSX2パソコンゲームコーナー at 松下館

 その名の通りです。
 ちなみに松下館のメインは、松下が特別協賛した映画「敦煌(とんこう)」を、城へきをイメージしたマルチテレビで放送することでした。

AI・冒険シルクロード(SILK ROAD ADVENTURE) at 富士通AIシアター

 なんとマルコ・ポーロの知能をA.I(人工知能).に盛りこんだという、40名同時参加のシミュレーションゲームの登場です。
 マルコ・ポーロがたどった絹街道、故郷のベネチアから、フビライ・ハンの待つ大都(現在の北京)までの旅を3面マルチシアターで体験プレイします。

 これ、ルールがイマイチわからないのですが、なんとかがんばって紹介してみましょう。まず、おのおののプレイヤーは、3人分の隊員の「水」と「食料」と「ラクダ」のパラメータを管理しています。それを最適と思われるバランスで設定してゲームスタート。40人プレイヤー×各隊員3人=合計120名のキャラバンの旅ということになりますね。旅の途中には、落石、さばく、サソリなどのアクシデントが次々と発生し、それをイエス、ノークイズで答えていくという流れとなっており、ここでおそらく変化するであろうパラメータとうまくおりあいをつけながら、先をめざすというゲームなんだと思います。120名はスタート時にA隊、B隊の2つにわけられており、どちらが先に大都につくかが勝負になります。どうです?おもしろそうですか?
 ところでどこがマルコポーロのAI(人口知能)なのかというと、パラメータのよしあしを決めるのがA.I.なんだそーです。ほんとかい、それ?
 また、メインスクリーン以外にも、レーザー光線で描かれたマルコ・ポーロやキャラが、客席のあたまから画面までを自由に飛ぶという、立体的な演出が加えられていました。これはなかなかいいですよね!
 
 公式ガイドによると、当時、富士通はコンピュータに対し2つのテーマで取り組んでいたようで、ひとつがこの人工知能、もうひとつが、いわゆる計算機的な使い方から一歩ふみだした今で言うデータベース的な活用のしかた、だったようですね。このイベントでは、その難しいテーマをゲームでわかりやすく楽しめるというもので、70年大阪万博いらいの富士通スピリッツが感じられるようです。


TVゲーム大会 at NTT・ふれあいと創造のパビリオン

 詳細不明。日・祭日のイベントでTVゲーム大会が行われたそうです。おとくいの通信をいかしたゲームだったんでしょうか?

各種パソコンゲーム at シルクロードこんこん館・明電「水の劇場」

 水処理技術をわかりやすく紹介しようという明電舎は、あまり水に関係ないゲームコーナーを用意していました。明電舎のμPORT-IIというパソコンで遊べたのは、トランプのスピードと、星占い性格判断バイオリズム(この3つはプリントアウト可能)ですね。
 それとローマから奈良まで、さまざまなアクシデントを解決していく、ロマンいっぱいのアドベンチャーゲーム(ガイドブックより)シルクロードの旅もあったそうです。詳細は不明ですが、黄金の墓のようなアドベンチャーゲームだったらすごいですね。あ、でも、奈良に来ちゃうんだ。

1990(平成2)年・・・EXPO'90/国際花と緑の博覧会

ギャラクシアン3(スリー) at ナムコ サイバーステーション

 いくらか記憶に新しい通称「花博」は、東洋初の大国際園芸博覧会でした。外国出展82カ国、入場者数は2,300万人。マスコットはかわいい「花ずきんちゃん」でした。
 ここで気を吐いたのがナムコ。パビリオンではなく、花博内の遊園地(アミューズメントゾーン)に営業参加。ここに世界でも前例のない、28人同時参加の超巨大シューティングゲームをぶつけて世間をあっと言わせました。植物観賞がメインのおとなしい博覧会でしたから、これを目あてに来た若者たちも多かったのではないでしょうか。

  • 28人同時プレイ可能なスペースシューティングゲーム。それぞれのガンナーが、それぞれのターゲットスコープを持ち、360度からせまってくるてきを撃破(げきは)していく。最終目的はてき惑星の究極兵器・キャノンシードのはかいで、クライマックス数十秒内ではかいできればゲームクリア、ダメならアウト。
  • 32ビット68020CPUを16個使用。ワークステーション並みの処理能力(ファミコンのほぼ15倍)
  • 当時最先端の高速3D-CGグラフィックス
  • 生楽器をサンプリングしたスケールの大きい交響曲(シンフォニー)withBOSEの映画館用バズーカスピーカー
  • 床がゲームにあわせて振動(しんどう)するモーションユニット。22KWの巨大モーター×2の油圧装置
  • 直径12mの360度マルチスクリーン。120インチビデオプロジェクター16台搭載。
  • 高さ5m、総重量17トン


 同じく、ビデオゲームのドルアーガの塔をテーマにしたライド型ゲームがありました。最大4人乗りの乗り物で、剣型の光線銃で魔物を倒してスコアをあげるもので、北口ゲートにそびえるその姿はまさに本物のドルアーガの塔でした。


FM TOWNS サウンドガーデン at 富士通パビリオン

 オマケ紹介。植物の発信する音、ムシの鳴き声に、お客さんの声をプラスした「花のオーケストラ」だそうです。FMタウンズというのは、当時富士通が、CD-ROMをつんだ32ビットマルチメディアパソコンとしておおいに売り出していたパソコンです。CD-ROMによるデジデジしない音のパフォーマンスができますよー、というイメージで、この演出が採用されたんでしょうね。


まとめ〜お楽しみはこれからだ!
私が知ってるのは、花博のギャラクシン3くらいかな。しかし、万博っていうと、もっとゲームゲームした展示があるもんだと思い込んでいたけれど、意外とそうでもないんだね?

調べたボクも意外でした。
いろいろな理由があるんですけれど、多分、お客が参加してイベントを完成させる、っていうことが、あまり重要に思われていないんだと思うんですね。主催(しゅさい)する方に。ビデオゲームってそういうインタラクティブな要素の一番強いものですしね。

1970年の大阪万博がなかなかスゲーよな。電車シミューレーションなんて、ちょっとやってみてー気もする!
2時間くらいじゅんばん待ちしなきゃいけませんけどね?!
ま、 70年万博は、日本が一流国の仲間入りをするための国家プロジェクトだったんで、スケールがベラボーですね。オリンピックが開かれる以上にたいへんなことだという人もいるくらいです。そんな中にビデオゲームの姿があったってことは、今のボクたちにとって、ちょっとしたほこらしいと思いません?

特徴もあっておもしろいね。電車運転とかアポロ着陸とか、どれも現実にあるものをシミュレーシートしたゲームなんだな。
ん〜、だけど、それ以後はパっとしねえなあ。パソコンクイズとか、自分の会社で売っているゲームだとか。そんなのパソコンショップでプレイしろって感じだぜ。
さぁ、そこで2005年の愛知万博「愛・地球博」ですよ!(正式名称は2005年日本国際博覧会
自然がテーマということでデジデジは期待できませんが、ここ十数年につちかわれたIT技術が、日本のほこるゲームやアニメ技術と結びついて、今までの博覧会になかった新しい体験が期待できそうなんです!お客さん全員が一瞬でスキャニングされて、巨大スクリーンに登場人物として出てくる、三井・東芝館のフューチャーキャストシステムなんか、きくだけでワクワクしてきませんか?
ポケモンをテーマにした遊園地とかケータイを使ったイベントとかまだまだいろいろな情報が入ってきていますし、万博ならではのビデオゲームや、さらにメディアアートの分野からアプローチするような、遊べる映像イベントの登場を待ちたいですねー。

参考文献、web

  • 科学大博覧会/朝日新聞社/1958年
  • 少年少女20世紀の記録33 私たちの万国博/柴田献一、渡部高揚/あかね書房/1970年初版
  • 毎日グラフ増刊 日本万国博開く/毎日新聞社/1970年
  • 日本万国博覧会公式ガイド/日本万国博覧会協会/1970年
  • 日本万国博覧会公式記録写真集/日本万国博覧会協会/1970年
  • 沖縄国際海洋博覧会の記録/通信産業省/1976年
  • 宇宙博覧会公式記録/宇宙科学博覧会協会/1980年
  • 神戸ポートアイランド博覧会公式記録/財団法人神戸ポートアイランド博覧会協会/1982年
  • '82北海道博覧会 公式記録/'82北海道博覧会実行委員会/1982年
  • 毎日グラフ増刊 科学万博-つくば'85完全ガイド/毎日新聞社/1985年
  • TSUKUBA EXPO'85 Official Guide Book/Japan Association for the International Exposition,Tsukuba,1985/1985年
  • ニュートン/1985年3月号/教育社
  • なら・シルクロード博公式ガイドブック/財団法人なら・シルクロード博覧会/1988年
  • エヌジー/No.34/ナムコ
  • 国際花と緑の博覧会 公式記録/財団法人 国際花と緑の博覧会協会/1991年

  • 改訂版 万国博覧会 技術文明史的に/吉田光邦/日本放送出版会/1985年
  • DISPLAY DESIGNS IN JAPAN 1980-1990 vol.3 エクスポ&エキジビション/六耀社/1992年

  • 愛知万博公式サイト:http://www.expo2005.or.jp/


HINT de PINT
  • 万国博覧会には一般博(第一種、第二種)と特別博(単一の分野での展示)があります。'70年大阪万博は一番規模の大きい”一般の第一種万国博”で、'75沖縄海洋博や'85科学博は特別博にあたります。
     また、国内博覧会国際/万国博覧会という分け方もよくされます。一般的に地方博とよばれるものは前者の国内博覧会で、'81神戸などは地方博です。別称で地名が入っていても、'75沖縄、'85つくばなど”国際”と名のうつものは国際博です。
  • もちろん、上にあげた以外でも「瀬戸大橋博覧会」など、数多くのさまざまな博覧会が日本中で行われましたし、今も断続的にあちこちで開催されています。

  • 62年のコンピュータについて「日本万国博覧会公式ガイド」では来場予測に使用とありますが、「私たちの万国博覧会」では出展はされたが、展示されたのみである、と分かれています。当ページでは両者とも正しいのならこうなる、という紹介をしています。
  • 「電車の運転テスト」という名称は当時の古河グループ広告からの出典。シミュレータという言葉が当時は一般的ではなかったし、正式名称がそれほ重要でもなかったためか、資料によってさまざまなよび方がされています。
  • 本文中、1点だけ完全におかしい歴史認識があります。わかりますよね?(^^



  • ページTOPへ資料館トップ資料館入り口へ戻る 資料館トップ