暁烏敏の晩年の肖像です。
晩年の敏は神のごとく非常に綺麗な風貌をしていると聴いています。
晩年は東本願寺の宗務総長に就任し、昭和二十九年夏、明達寺で営まれた葬儀は、参列者に死者が出たほど門徒たちの悲しみで満ちた。清沢満之の知恵も、門徒たちの批判も支持も受け入れて生きたその生涯は、豊かな大地に例えるのがふさわしい。
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「念」
油彩
2001年
F6 (41.0×31.8) |
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合掌することは、全てを振り捨てる心待ちであることを私は彼のこの相によって味わしめられたのであります。親をすて、夫を捨て、兄弟を捨て、医師を捨て、薬を捨て、財産も捨て、名誉も捨て、肉体も捨て、思索も捨て、概念の上の神も捨て、仏も捨て、己を忘れて、自分の手で自分を握る。これが合掌である。合掌は一切皆空の相である。合掌は絶対孤独の表示である。合掌は天上天下唯我独尊の表示である。-敏- |
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暁烏敏、40歳頃の肖像です。
敏は赤裸々な人であった。自らを容赦なく世間にさらけ出したうえで、自己を切り刻むように見詰め続けた。私小説にも似ている。同書の序文では「著者は傲慢な、横着な、名誉心の強い、しようの無い男である。かつては酒色にふけり、賭博におぼれ、人の風上には置かれぬ男である。」と告白してもいる。 |
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「壮年期」
油彩
2001年
SM (22.7×19.8) |
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部分
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明達寺 |
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「雪の臘扇堂」
油彩
2001年
SM (22.7×19.8) |
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明達寺 |
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「雪の臘扇堂」
油彩
2001年
SM (22.7×19.8) |