Yellow fin in Tosa  輪廻
-for stand up fisherman-

 

時は2004年も師走の終わりから
土佐にて秋から喰って好調と言われていたキハダが、まだ釣続けているとの場末の誘惑情報を聞き
善は急げというには、あまりにも遅い決断の末に車を出して土佐に向った。

諸事情で広島回りを余儀なくされて、呉〜松山フェリーに27日早朝乗り込んだ。
相変わらすのフェリーは5年前と全く変わらずというか20年以上変わっていない感じだったが
未だ喫煙可のスペースのほうが圧倒的に多いのはフェリー会社の愛煙家保護政策なのであろうか?

 松山経由で土佐入りするのは、何年振りかと考えるともうすでに5年振りでその時は
河川下流からのショアキャスティングの釣だった。
その釣はもう世代交代になっているらしく、10年前嘗て一緒に川面にたった連中は極僅からしいと聞いている。

 5年も通って無ければ道も随分変わったもので観光客にとっては、都合のいい自動車道とバイパスが所々出来ており
風貌変わり栄えしないコンビニの乱立以前は、困ったトイレと休息に於いては、格段に解消し便利になった。
国道も随分とお金は掛けた様子が伺える。

 

 

到着も早々に、休息がてら?明日は出れるという安心感に浸りながら道具を準備する。
結局のところ出れたのは、28日と近海ジギングの31日のみで帰省予定の1日はすでに出れなかったが
(28日は10kサイズを上げてキャプテンは30kのキハダをあげた。)

中野キャプテンの「明日はなんとかなるがやないかぁ、、。」
との言葉を信じ延泊する事を決意。

 こう天候だけはどうこう言ってもどうしようもなく、1日中 コーヒーをすすりながら明日の天気だけを気にして道具の手入れをする。

道具を対キハダライブベイトタックルにすべて仕立てる。
道具はスタンダップコンベンショナルとスタンダップヘビースピンタックルの2本に絞り、あとは予備とした。
コンベンショナルタックルは、キャパも十分な為バッキングに200m程PEを巻き300m前後はモノフィラ60lbを一杯まで巻いた。
スピンは、やはりPENN9500ssと言えどもそう50lb以上のモノのキャパはあるものではないのでPE5号プラストップは100mほどモノ50LBを巻く。

 2日朝何とか出撃できそうな塩梅にて、早朝4時出船、、、まずは一段落。
1時間ほど走ったところで、土佐清水をバックに足摺沖にてソウダガツオ漁(ライブベイト確保)。
ヒットと同時に潜行板がひっくり返り、手際よくソウダを抜かないとバレてしまう。(当然だが少し手際悪し)
恐るべし土佐カブラの威力である。

 「なにしょうが、もっとはよせんか!」
とのお言葉を背にすばやくライベル(カンコ)にバケツリレーでソウダを投入。

 

 なんとか確保し、午前中ポイントに到着。
早速3人でソウダを掛け投入するが、我々素人の2人はネットインに中々てこずり、
「ベイトを弱らせなるな、、、。」とのお言葉に、それだけこれがすべてを左右する重要な部分であることを再認識したのだった。

ソウダはカンコの中ですでに10匹は死んでいた。
(なんと弱し、やはり長生きはイカか、、、。)

 

魚は毎日ライブベイトで攻め続けられていて、咥えても違和感があるとすぐに離すというスレスレ状態だった。
時々コツリとバイトがあってからふわりと軽くなったラインを回収すると、弱り果てたソウダは歯型がついている。

やはり学習能力高しか、、、、、。

 みるみるうちに減って行くがソウダは、1流し事に死んでゆき、そしてトウヤク(シイラ)の猛攻にあい
消費は必至弾数減少。

人間とは不思議なもので、常日頃のライトタックルゲームなら目の前の1〜1.6m級のシイラは本当にエキサイティングな筈なのに、このときは単なる餌とり外道である。
 バイトの後 横走り、、、、、クラッチON、、、、ジャンプ!、、、、「あっ、、またトウヤクか、、、。」

 フックをオーナーカットゴリラ3/0に付け替え、孫無しの顎抜きにして再度投入準備OK。
ベイトが残り5本となり諦めの眼差しが訪れた。
「勝負は、最後まで諦めない」と言い聞かせ、再度後4本を残して投入する。
ソウダは、勢いよくスタートしスプールをぐんぐん回して行く。
スプールサイド゙をバックラッシュしないギリギリのテンションでサミングしながらシーライン900Hのメカニカルブレーキを調整する。
ソウダはある程度走り続けると落ち着きあとは、船の流れにあわせてラインを送るがテンションの張りは、微妙なアタリに備えて維持と言ったところか、、、。

 120mくらいラインが出た頃コツリというバイト感。
バイト!、、、深呼吸。
そのまま走りに合わせてサミング、、、1、2、3、、、、10、、、、魚を行かせる。
ころあいを見計らいクラッチに親指を掛け ON!!。
ラインがギュンと張り詰め、伸びて自動ドラグ、ロッドに重みがかかると同時に軽くあわせ。

「HOOK UP!」
ロッドがいいベンディングガーブを描いた所でドラグ設定値にてリールが糸を吐き出す。
魚の様子を観てハーネスが必要かどうか、、、、、、それから落ちついてハーネスフックをリールに掛ける。
糸は一気に横方向から下になり、下へ下へと入ってゆく。
魚が止まればポンプ&リトリーブを繰り返して行くが、拮抗状態は続く。

 20分が過ぎた頃だったかグルグルとデットサークルを描きはじめだした。
一度、水深何mか解らぬが黒潮の中できらきらと円を描き続ける魚体を確認するが、相手も当然必至なのかまた
下に突っ込む。
再び浮いて来たイヨ(魚)は、最後までロッドティプを中心に左傾に回り続け水面下30cmのところでもそれを止めなかった。

 S-GLASSの粘りとラインの伸び、ドラグと三重の責め苦に流石のキハダも後がないが、
抵抗は限界に来ても決して止めない。

諦めが肝心ともいうが命はそう簡単に諦められるものではない。

 止まっては決して活きられない、その最高の泳ぎを追及した紡錘形は、彼らの定めと共に、キャプテンのギャフが打ち込まれる。
ここがUSのスキッパーと大きく違う所で、決して背やどてっぱらにはカギを立てない。

 「おおこれは上げれん。」
「エギ(鰓)に手を入れよ、ええかあ、せいのー!」の一声で船上へ、、、、、。

それから撮影も程々に返り血を浴びながら鰓とワタを血を抜く。
鮮血が無くなったところで熱で身焼けしない様、腹に氷を詰め込み潮氷に漬け込み開始。

 ここまでくると本職の漁師さんみたいだと思ったが、 かえって漁師は魚を本当に大事に扱っているのだと感じた。
これも誰でも経験できる事ではないので感謝。

 

 

 殺生で生きている我々の世界には、単なる奇麗事やまやかしは効かぬもので
スーパーのパックしか観ていない日常には、単なる食欲しか湧かず、これが概念でしか大洋で生きていたとしか発想できないのは私だけではない筈。

この場に立ってみると殺生で生きる現実の姿を観て育った子供達は、かえって命を大事にしたり、人を傷つけたりする事はないのではないか、、、と勝手に思ったりした。

 

 すべての自然とこの場を与えてくれたキャプテン、同船の段松氏に感謝。

 

 夢はかけらでもあったほうが無いよりは良いと言い聞かせ、明日に繋いだ。

 

 継ぎは何処へかけらを投げに行こうか。

 

結手

2004年12月27〜2005年1月2日 土佐 大方

ROD: MOON S-GLASS 661TUNAP  (DEEP&TUNA)6.6F

REEL: DAIWA SEALINE900H (MADE IN JAPAN)

HOOK: OWNER GOLLILA 3/0

LINE: ANDE 60L

BBRAID STEALTH HARNESS

YELLOWFIN TUNA 50kg

〜お問い合わせ〜

土佐天光丸 090−9777−1059 まで