わだつみのかけら(文:長門の住人/職人加筆

陰鬱と陶酔

光と影の狭間に生きながらえて何が楽しいのか。
わだつみのかけらとなって生き続ける永世の魂もこの狭間に漂っているのだろうか。


それでも黒潮は大きくその大いなる力に翻弄される。

相変わらずも同じ言葉しか出ては来なく、自分の心理状態には進歩がないのか、はたまたそれが凡人の常なのか解らないままにCapの「早よ来い!」
の言葉がエンドレスになり、ああそこに水があって待っててくれるものがあれば行かねばならないのだなあ。
と思うのであった。

安芸の守人が来るまでにはとても長く、いくら出てみたくなっても相変わらずの風と波、そしてさまざまな障害?

 いつもながら憂鬱だなあ。
気分転換と言っても何も代用になることは貧相な遊びしかしらない私には、名案は浮かばないのであった。

坂本 龍馬もこの土佐の自然と釣りに慣れ親しんでいたというが3代目廣瀬丹吉の針を使用していたとは初めて知った。
丹吉の針はもうこの世にはなく、ハワイでももはや過去の栄光になって、その伝説も消えかけている。

昔、岡田師匠に頂いた丹吉ウルワ針がどこにやってしまったか、全く思いだせないままでとても苦になっている。

そのような憂鬱の日々の合間にドラグが焼けた臭いにかっと我に返るのである。

高級スピニングのドラグノブが溶ける。
そうであろう。

元々はスピンの対象ではない彼ら。

時代は一部のスピニングマーリンなどと呼ぶが、それももう1960年代からスピン&フライでキャッチしていた国があった。

まだまだ日本が先進国となる前の話である。

勿論私も、まだ今は無きオリムピック社のスピニングに国産振り出し竿でアイナメの20〜30cmと熱心に戯れていた頃である。

その時代には、まだセイルフィッシュでさえ満足に対応できるスピニングリールが国内には無かったのである。

安芸の守(文:長門の住人/職人加筆

平成22年6月4日午前2時50分、けたたましいアラームに目を覚まし同室で寝ている“釣り竿職人”平野氏の反応を窺うと彼も目覚めているみたいで、おもむろに起き上がり身支度を始めた。
一足先に土佐入りした平野氏だけれど海況が悪くこの日が5日ぶりの釣りとなる。

階下に降りるとこの家の主でありお世話になる天光丸のキャプテンでもあるN氏も起きてきて目ざめのコーヒーを飲んでいた。

「おはようございます!今日はよろしくお願いします!」と挨拶をして、我々もコーヒーをいただき目を覚ました。


 しかし、職人だけは相も変わらず少々冴えない顔で座り込む
おまけに少々ストレスも加算されている様子でプレッシャーにも少々弱いのかも・・・・・・しれない。

キャプテンに今日も海況がよくないのか尋ねると、風は無いようなので釣行予定の最終になる我々のためにとりあえずは出船しようと言い、それから港に向かった。

港に着きタックルを天光丸に積み込み、漁協にて釣った魚を冷やすための氷を買うなどの準備を済ませて、港を出たのは4時前だった。

ガラガラと氷を砕く音、と落ちる音で辺りがいっぱいになったと思うとそれも刹那の響。
 この漁協は昔から(何年前からかは解らないが)自動販売機になっていて皆そこで氷を買う。
しかし、15kg単位である。

岸壁を離れるとともに私はキャビン下にある2畳くらいの部屋へ降り、きたるべきファイトのために“鋭気を養う?”つもりで仮眠をとった。しかし、釣り師の性か、これから釣れるやもしれないまだ見ぬ大物のことを考えるとなかなか眠ることができず、しばらくすると夜が白けだし部屋の小窓から太平洋に上る朝日が見えてきた。


 てっきりお休みかと思いましたがそうでしたか

「そうだ、日の出は“縁起物”だから写真を撮ろう!」と起き上がり、カメラを用意して外に出ると、もうすでに太陽は水平線上に出ていた。


再びキャビン下にもぐりこむことなくしばらく景色を眺めていると右前方に足摺岬灯台が見え出し、これも一応写真を撮っておくことにした。
前回来た時は足摺を過ぎてしばらくのところまだかすかに岬が見える辺りで餌となるメジカ(マルソウダ)を釣ったので、今回もそろそろ餌釣りの準備に入るのかなと心構えをしていた。しかし、その気配は無く船は速度を落とさずポイントへと向かって進んだ。

しばらく経っても一向に餌釣りを始める気配が無く、釣りが始まると餌のメジカを生け簀に運ぶのに忙しくなると身構えていたのがなかなか始まらないので、身構えた気持ちの押さえどころが無く手持無沙汰になり、キャプテンの許しも無くかってにリールのラインの巻き締めを始めた。前夜のこと、予備にと用意していたMOON 701FTS‐30LbロッドとNEWEL545を仮にSETしていた時にロッドの製作者である平野氏が

「このタックルで釣ってみたら面白いかも?キハダなら充分に対応できるはず!」と言い、私もおもしろそうだと思った。

しかし、あくまで予備のつもりだったのでラインを巻き締めていなくてそのままでは使い物にならなかった。そこへ会話を聞いていたキャプテンが

「明日、ポイントへの移動中に巻き締めれば良い!」と言った。

その話があったので退屈しのぎにラインの巻き締めを始めたが500mちかくでたラインはそれ自体がかなりの抵抗になり巡航中ではなかなか巻きとれるモノでは無かった。結局キャプテンが船の速度を落としてくれて、10分近くかけてようやく巻きとることができた。

 

ラインのプレッシャーは相当なものでこれにナイロンの伸びが加われば、魚には相当負担になる事は明白であった。
これを魚が引っ張るだけでも相当な力を要するであろう。

これは、考えれば重大なマナー違反だったがキャプテンは立腹することも無くおおらかに協力(許して)してくれた。大変ありがたいことだった。

足摺をすぎてから1時間ほど経ってメジカの良い群れを見つけたのか、それとも元からこのポイントで餌を釣るつもりだったのか、船は速度を落としゆっくりと左旋回させながら、キャビンからキャプテンが出てきておもむろに仕掛けを流し始めた。

2mほどの竿に小型の潜航板と疑似針が付いただけのシンプルな仕掛けだけど、潜航板の微妙な動きの違いによって喰いが違うのかキャプテンはその動きを確かめていた。

※メジカ(マルソウダ)を釣っている(上)

ほどなくすると仕掛けにメジカが掛かりだし、我々2人はそれを殺さぬように急いでバケツでカンコと呼ばれる生け簀へと運んだ。小さいとは言えカツオ類直進癖があるらしく上手く生け簀に入れてやらないと生け簀の壁に当たっていとも簡単に死んでしまうから、運んだ数が餌の数となるのでは無かった。

これが案外大変で、息切れしながらバケツリレーの繰り返し。
揺れる船上は戦場になる。
それにしても今回のメジカはでかい。
ヒラソウダも多く混じる。

小一時間ほど経って、メジカを釣りながら時折生け簀を確認していたキャプテンがおおよそ必要数の餌を確保できたとみて「もういいだろう!」と言い、仕掛けを回収するとともに再びポイントへと船を進め出した。

しかし職人はしばらく小刻みに息を切らして、まったく情けのない状態と自分で思ってはいるが後の先生方はさほど気にも留めていないようである。

 1時間ほどたってようやく目的ポイントに着くと、当初予想していたのとは違い数日前からばったりと喰いが悪くなっていたためか魚影を感じさせるモノが無く、土佐入りをした時に平野氏から

「来るのが遅かったです。釣況はかなり厳しく、全く何も釣れないかもしれません」と言われたことが頭をよぎった。

その時はキハダが釣れなくても瀬戸内海では見ることができないキハダやカジキをせめて見ることができればそれだけでも好いと思っていたが、それさえも見ることができないかもしれない現実がそこにあった。

キャビンではキャプテンと平野氏が

「少し釣ってみて釣れなかったら近くに帰ってなにか他のモノを釣ることにしよう?」と話し、とりあえずはここまで来たのだから仕掛けを流して釣ってみることにした。

釣り始める時に予定通りメインの661−TUNAP KVGを使うか701FTS‐30Lbを使うか迷ったのだが、661−TUNAPは前回釣って実力を発揮していたから、せっかく巻き締めを行ったのだし、普段ハマチ(ワラサ)釣りに使っている701FTS‐30がキハダ相手にどれだけのパフォーマンスを発揮するか試してみたい気持ちから701FTS‐30を使ってみることにした。

メジカを針に掛け仕掛けを流しアタリを待つが一向にそれらしい反応は無い!「やはりキハダはいないのか?」はるばるここまで来たけど諦めて帰るしかないのかと思い始めていたころ、“バシャッ”とメジクラスが跳ねた。それは、手持ちの餌では釣れる望みがないほど小さいけれどまだキハダがいることがわかり一縷の望みが出てきた。

すると、潮が変わったのか所々で小振りのキハダがライズはじめ、大小は別として思っていたよりキハダがいることがわかりさらに望みが膨らんできた。

そのうち餌釣りと並行してジギングしていたキャプテンにキメジが釣れ、なんとか船全体のボウズは免れた。

けれど、肝心の餌釣りにはアタリが全く無い。

それでも時折ライズするキハダを見て、「これだけいるのだからいつかはバイトするだろう?」と、キャプテンの真似をしてメジカを150mくらい泳がせてはラインを数十m手繰り寄せながらライブベイトであるメジカにリアクションバイトをさせては再び150mくらいまで泳がせていた。それを数回行っているうち突然手繰り寄せるラインに“コツッ!”とアタリがあり同時にメジカの泳ぐ力では無いちょっと強いテンションが掛かった。

 ※右端が701FTS-30+NEWELL、隣が661‐TUNAP KVG+シーラインLD20

言うには簡単そうには思えるがこれが結構難しいのである。
スレスレの魚が相手では尚更で、咥えてもなかなか警戒して飲み込まないのである。

「来た!」そう言うとすかさず手を離しフリーでラインを送りこんだ。

10、20、30mとラインが出ていきそろそろ充分に銜えこんだだろうと、スプールをロックしフッキングのために大きくロッドをあおった、と、同時にロッドが大きくしなりヒットを実感した。

あわてて、しかし慎重に素早くリールを巻き上げると20mも巻かないうちに急にテンションが軽くなり、獲物がこちらに向かってきているから軽くなったのかとさらにすばやく巻き上げる、けれど一向にテンションが掛からない・・・バレてしまったのだ・・

仕掛けを回収してみると胸鰭から後方に噛まれた痕がのこるメジカが上がってきた。痕から察するに十分に銜えこませることができずアワセが早すぎてまだ針まで口の中に入っていなかったようだった。

←キハダに噛まれたメジカ

もしかしたら最初で最後のアタリだったかもしれないチャンスをモノにできなくて落胆したが、落ち込んでいるわけにはいかずすぐに次の餌を付けて仕掛けを流した。しかし、しばらく経っても一向にアタリは無く、先ほどの“早アワセ”による失敗がじわじわと後悔として沁みだしていた。

それは職人の”もうそろそろ”という無責任な発言があったのかもしれない。

1時間ほど経って無線からキャプテンを呼ぶ声がして、応答するキャプテンから「誰かの仕掛けがあの船(無線の主)に絡んだらしい、確かめてみろ!」との指示があり確かめてみると、絡んでいたのは私の仕掛けだった。幸いその船はキャプテンの仲間らしく仕掛けを切ること無く丁寧に外してくれたのではあるがとんでもないミスをしてしまい、先ほどの“早アワセ”に続いての失敗に少し落ち込んでしまった。

だが、これが“今釣行唯一の獲物?”かもしれないとちゃっかり写真だけは撮った。

 それは間違いなかった。
それを上回る為には、鯨を釣るしかない・・・・・。

←この日一番の大物?

起死回生

それからまた1時間ほど経ったころ、だんだん慣れてきたラインの手繰り寄せを行っているとまたしてもラインに“コツッ!”とアタリがあると同時にメジカの泳ぐ力では無いちょっと強いテンションが掛かり、とっさに「来た!」と言ってラインを離すとスルスルスルーと手繰り寄せていた20mくらいのラインが出ていき、それが無くなるとスプールから引き出されていくのだが、バックラッシュをしないようにかつラインによけいなテンションをかけないようにと、10、20、30mと送りこんでやった。

初めの時には30m送りこんでも不十分だったので、こんどは失敗しないように呑み込ますつもりでさらにラインを送りこみ計70mくらいでクラッチを入れてロッドを大きくあおった。

と、同時にロッドが大きくしなり、魚のノリを確かめて「掛かりました!」と言って慎重に素早くリールを巻き上げ出した。魚も突然わけのわからないところから引っ張られることに我を忘れているのか、10、20、30mと重みはあるが抵抗無く寄ってくる。

「あまり大きくは無いかも?」と余裕をかましていると、魚も我にかえったのかいきなり走り出した。それからはロッドとドラグで耐えては少し巻き上げ、また走られての一進一退を繰り返しながら徐々に徐々に引き寄せてフックアップから20分がかりでようやく20kg弱のキハダを取り込むことができた。

←キハダを〆ている中野キャプテン

わだつみのほほえみ

一時は“完全ボウズ”も覚悟し“早上がり”も考えていたのが20kgクラスを1尾釣りあげたことで皆テンションが高くなり真剣に仕掛けを流していた。が、それもしばらくアタリがこないとともにテンションは下がり、ただ黙々と仕掛けの手繰り寄せ&リリースを繰り返すようになっていた。

「腹減ったなぁ〜・・いま何時くらいだろうか?そう言えばまだパンが残っていたな。それを食べようかなぁ、でも仕掛けをあげたらせっかくのメジカが死ぬからもったいないなぁ、この餌が死ぬまで釣ってそれからパンを食おう・・」と思いながら、いつもなら横へ走るメジカが下へ下へと突っ込んでいくのを不思議に思いつつも仕掛けを流し、ある程度ラインが出るとお決まりのように手繰り寄せようとすると、“ツンツン”とラインを小突くような反応が。

 その頃、すっかり戦意喪失の職人は、コックピットからCapと下らない会話をしていた。
異変にはまだ気が付いていなかったのである。

「あっ!アタリか?」とラインをリリースするがアタリとわかるような明確な引きは無く、メジカがひょろひょろと泳ぐようにスルスルっと少しラインが出ては止まり、また出ては止まる、の繰り返ししか無い。

「しまったぁ、離したか?」と先ほどの“ツンツン”をキハダのアタリとみてその時の違和感でメジカを離したものと、少し落胆した。それでも念のためにラインが出るままにリリースしていて、アタリから100m以上ラインが出たところで、見切りをつけるために大きくロッドをあわせてみた。

すると下を向いていたラインが船尾のほうに張りだし、同時に遥か後方で魚が大きく跳ねた!

ロッドにはHITを実感させる十分な重みが掛かり、フックアップを確認すると

「何かわかりませんが釣れました!」と言葉にした。それと同じくして無線で「ナイラゲがなんとかかんとか・・!(よく聞き取れなかったがカジキが喰いついたと言うようなことを言っていたらしい)」と報せが入った。

 改心のヒット。

その時は確かに何がHITしたのかわからず、跳ねた魚がカジキだとも知らないままリールを巻いていると、目の前数十mのところを、背鰭を出して魚が横切った。

「サメだぁぁ・・サメを掛けたみたい?」とその背鰭を見て平野氏が言うと

「サメ?厄介なモノを掛けたねぇ〜切ろうか?」と少し落胆して私が言い、「まぁまぁ、まだはっきりしてないので上げましょう!」と平野氏が言った。

釣りには確認、確信できるまで判断を早まってはいけないという見本であった。
このパターンでいつかも鮫にやられて来たのでそうすぐに思ってはしまったものの、その時ラインを切っていれば後は無い。

HITしたのが何かわからないけど、掛けたからにはできる限り上げなければとファイトしていると、キャプテンが

「さっきのはカジキらしいぞ!お前が釣っていると無線で言いよった!」と言い、ラインの先を眺めていた平野氏も

「カジキだ!キャプテン、カジキが掛かっている!あの背鰭はカジキの背鰭だった!」と言う。

その言葉を聞いて俄然やる気が出てきたのはいいけれど、いままでに何人もの釣り人がカジキを掛けてはその走りこむ引きにドラグを焼かれラインブレイクされているので、私も同じ運命になるのではないかと心配になってきた。

HITしたのがカジキとわかりキャプテンも平野氏もなんとか私にキャッチさせてやろうとフォローに入り、私はリーリング、平野氏はカジキの走りをキャプテンに教え、キャプテンは操船でフォローしてくれた。

それでキハダよりは抵抗はあったけれど、想像よりは易くあと50mくらいまで寄せることができた。が、それからカジキが本領を発揮し、数十mラインを引きだしては数m回収する“イタチゴッコ”のようなやりとりが続き、次第にカジキも疲れてきたが私も疲れてハーネスをしてはいるものの慣れないから腕がパンパンになっていた。それでも徐々に巻き上げが勝ってきて水面下にカジキが見えるところまで引き寄せることができると、

「ストライプドマーリン、マカジキだぁ!」平野氏がその魚体を見てキャプテンに言う。

確かにその時はそう思えたし、誰もその発言を否定するものは無かった。

水面下に魚体を横にして必死に抵抗するその姿に紫に光る奇麗な横縞模様が見えている。この模様からその英名が付いているらしい。

魚体が見えてもそれ以上なかなか上がってこない状態が続き、さらにロッドのテンションはそのままなのにジワリジワリとラインが滑り出してきた。

「おかしい?これぐらいの引きではラインが出ることは無いはず!少し締めてみるか?」とドラグノブに手をやると火傷をしそうに熱くなっている。

やっぱりカジキは凄い!ドラグが摩擦で熱を出しているようだ。これ以上走られるとドラグが全く効かなくなり取り込みもできなくなる怖れもある。そうならないように早く取り込むために小刻みにポンピングしてはラインを巻きとるけど、なかなか思うように上がってこない。

「抵抗はなかなかですね!いままでのように取り込めないかも?」と少し弱気に言うとキャプテンが

「コンマイ!(小さい)から大丈夫!」と言い、私にしてはいままでで最大の魚だけどこれまでブレイクしたカジキからするとそれはかなり小さいらしかった。

そのうち、カジキも疲れてきたのか一気に数十mも走りだす力もなく、一進一退を繰り返しながらHITから20数分後にようやく船縁にその姿を現した。

それでもなお抵抗する魚体にタイミングをはかってキャプテンが用意した銛で仕留め、ギャフを掛けて3人がかりで船に取り込んだ。

その瞬間初めてのカジキに思わず「やったぁぁっ!」と叫び、フォローしてくれたキャプテン、それから平野氏と握手を交わした。

←小さいけど人生初のカジキ

予期せぬマカジキのHITで少しダレ気味になっていた気持ちが引き締まり、キハダのほかカジキまで視野に入れて淡々と仕掛けを流したが、それまでの渋い喰いが改善することは無く、約1時間後にキャプテンに20kgクラスがHITし、20分近くの格闘の末あとちょっとで取り込めるところまで引き寄せたけれど、最後の抵抗で痛恨の口切れをしてしまった。

←キハダと格闘中のキャプテン、この後痛恨のバラシが・・

そのご4時間キャプテンに2度、平野氏に1度、私に1度アタリらしい反応はあったけれど何も釣れずに5時半に納竿し、港に帰港したのが9時前だった。

←今回は思わぬ活躍をした701FTS‐30とNEWEL545

今回は前回のような釣果には恵まれなかったけれど、朝4時の出港から帰港までのおよそ17時間も船を出してくれたNキャプテン、そしてこの釣行をセットしてくれた平野氏に、最後になりましたが、心から「有難う!」と感謝の意を示して終わりにします。

海中に旋回するストライプ模様にマカジキかと思って確信めいた事を発言したが、その後 どうしても疑問は残り、ブルー=クロカジキと解った。
100Lbの小型もあってかてっきりの間違いである。
 今観るとブルーの小型とわかりますね。

 平成22年6月24日

 安芸の住人

終わりに添えて

たかが釣り、されど釣り、趣味のものとしては、おそらく最も楽しいもののひとつに数えられるであろう。
 それは、老若男女誰もが一生続けられる数少ない?趣味の一つであろう。
職人が釣りを覚えたのは三つの時であるが、安芸の住人も恐らく、もの心ついた時にはもう魚釣りをしていた事であろう。
 おそらく昭和40年代はまだ高度成長期の中にはあったが、現在のように子供の遊びの選択はオールアナログのものだったと思う。

戦前から釣りをスポーツ&レジャーとして確立し、日本が敗戦から立ち直るのに必死であった頃、もう記録級のカジキやマグロがアメリカを中心とする欧米先進国では上げられていたころであろう。

それから60年以上も経ち、道具もケタ違いに進化、発展し続けているが、過去の記録級の価値は今の道具のそれよりもかなり技術を要したものであったであろう。

呉の田舎からD社が誕生し、戦後の1ドルリールを大量に米国に輸出することによって成長したD総合釣具メーカーは、1970年代から準一流として、多くの欧米老舗釣具メーカーをその太刀でめった切りにして
一気に制圧したのであると聞く。
 世界の釣具メーカーとして名声は得たものの、それは栄枯盛衰の流れ。

そんな我が国の日本製は、世界でもトップレベルに成ったが、今や同じ東洋にある共産主義国家にとって代わられようとしている。

時代は多様化を模索している。

道具が進化した21世紀の自国では、帰って大物に出会うチャンスを減らし、その心は小さくなっている気がする。
そしてその心まで奪って行こうとしているのか死んでしまったのか。

いつの日か釣りがまた高尚な趣味、紳士のスポーツに復権する日を夢見て、人はまた竿を振るのであった。

わだつみに祈る日がいつか成就するように。

それは、歪められ、傷つけられた輩には届きにくい真実の声。

龍馬さん、いつか会えますよね。

2010年6月吉日 

陰鬱と陶酔/終わりに添えて

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