影と闇-X
残微光2015-
(南方回帰その5)
Fishing from rocks near the shore of the ocean

何が影で、それが闇で何が光なのかも明確ではないにも関わらず人はまた求め従う。
定めが何かもその光がなんなのかも判らないのにー繰り返す光と闇。
そこには、残光さえない・・・恐ろしいくも寂しい闇が・・・・
幸福は、幸福になろうとする光を掴んでいれば、必ず幸せが訪れると信じきる決意がいるのだろうか。
ひとつだけ言える事は、幸せは誰もが願う事だが、それを決して諦めてはいけないと言う事である。

 さてさて年毎に訪れる人生の消費は、なんともし難く、その期限が解らないのではなおさらのこと。
あっと言う間と言うありきたりの表現で言わせてもらえば、その如くである。
 長文をだらだらと打ってみても、はたして誰が読み、誰に影響や感動を与えられるかと思うと、それは全く無意味なものに感じてしまう。
そう思い始めるとそれは、やる気を削ぐと言う事以外の何物でもない。
 おまけに、通称テニス肘とやらで、右肘の痛みは消える事も無く、それが増大しているように感じる。
流石にこれは、痛むばかりで、タイピングが更にそれを悪化共助しているみたいである。

 もう今回は止めようかなぁーと思っていると・・・。
「今回は、釣行記書かないのですか?」
とわざわざ質問してくれる後輩がおられたではないか。
幸か不幸か私の下らない紀行文を読んでくれている人がいるという事は、明日への励みにはなるものの、正直面倒くさい症候群の兆しの今日である。
 面倒くさいと言う事を理由に書かない事を決めると正にそれは、更に敗北感がするので、なんとか重い腰を上げて打ち込む事にした。
しかも、これをやり始めると他に何も出来なくなってしまうネックもある。
 素人なりに大変だったりする。
執筆を本業とするプロとは遥かに自己趣味の延長線上のものなら好き勝手と思うのであるが、それでも思いどうりには行かないのが現状である。
とても何とかライターとか言える口ではない。

 昨今、釣と言う話題すら、もっぱらその主力は動画になり、動きを言葉で伝える事もそう多くは無くなった感は否めない。
しかし、言葉が示す独特の響きは、読む人の思いを巡らせて想像力を働かせる。
 百聞は一見にしかずと言うことわざがあるが、それも今の動画では説得力が無さ過ぎる様にも思える。

 所詮バーチャルなのか、自由に構成できるのか必ずともそれが真実では無いようである。
便利で誰でも解るこの動画は、新しい境地を見いだしてくれて、世界をますます狭くしてくれるのだが、なんでも度が過ぎるという事は真実を超えてしまうと思うこの頃である。
 かと言って、未だ現役の釣り雑誌の部類は明瞭会計の如く未だそのコンセプトのブレがないのかどうなのか解らないが続いているのは凄い事である。
しかもそれがおまけDVDまで付録として付いているゴージャスさであるが、素人に近いホームビデオレベル以下のものも少なくないという。

 そんな肘を痛めて早一月が過ぎようとしている私。

そして
房総の夜。


夜が長くなって来た。
月夜は、すこしだけ明るさをもたらすが、闇夜はすべてを覆う様でやる気を少し奪って行く気がする。
それは、その満月よりも釣れそうなのですがね。

そのような
 田舎の夜。

ーCASTING-試投前夜ー


画像は旧ダイワ精工製ミリオネアST-40


 その昔(またかよ・・・と思う人も多いかとは思いますが今後もこの路線は展開されると思ってください。)の事、ダイワが誇る?ファントムマグサーボと言う名品?があった。
当時、どうみてもフィンランド製のRapalaが日頃の小遣いでは買えない子供が、買う事ができたと言っても良いダイワバルサミノー3.5gも投げる事ができてなおかつ、
パーマーと呼ばれたバックラッシュに対する救世主として急浮上した、電磁誘導ブレーキ搭載のファントムマグサーボ。
その 電磁誘導ブレーキが効いて、脅威のバックラッシュ(パーマ)防止に役立つというTVCMに心躍らせたものであったと思うのだが。(全ての記憶が頭の中に残っているのではないけれど)
 しかし、当時はまだBait casting reelと言えば、まだまだ ABUだった時代に生きていた私は、可能であればあの北欧の輝く名品が欲しいと願うのであった。
良き時代であり、モノがまだ溢れていない時代であり、道具と言うものの個性が光っていた時代でもあった。


 今でこそ、ロープロファイルで高速ギアが主力の様にも思えるベイトリールであるが、このデザインも未だ誕生前夜であり、ギアボックスをそのラウンドフレーム内に内蔵すると言う発想しか見当たらない時代なので、あの形状は80年代独特の中途半端な時代だった様に思える。
そんなデザインでも今の若者には斬新らしい。


 後で師匠に聞いた話では、(また私の記憶も正しければ)高速ギアコンベンショナルリールを最初に開発したのはダイワだったと言う事。
そしてその名は、SEALINE SH。
とそのギア比1:6.0と言う当時としては超高速であったと記憶している。
その後、90年代半ば過ぎになって 同社は、ジギング専用 ベイトリールとしてこれをベースにグランウェーブと言うリールを発売したと記憶している。

 なぜそれが今頃になって思い出させるのか疑問であるが、よくよく考えてみる事には、
それは、今でもマグネットブレーキは主力ブレーキシステムの一翼を担っているからでもあり、現役の機構である事もさることながら、あのマグサーボがここまで進化しているのかとても関心がある部分でもあったのかもしれない。(実際は大して発展はないと思うのだが) 

 それは、今(2015年)から遡る事、30数年前の事。
それに影響を真っ先に受けたのは当人(筆者)の弟であった。
その一万円を超える価格に躊躇した私をよそに、なんと弟はそのお年玉と言う子供最大の武器を片手に、呉の“ささき釣具”へまっしぐらであった。
今思えば値引きも価格も健全?だったのであろう。
当時店内にはmade in China と称されているものは1つも無かったと思う。
 店の活気は凄まじいものだった。
イワイソメ(ホンムシ)やユムシ(コウジ)などは、とても子供が買える代物では無かった。
チヌ狙いのモエビも升売りだったが、大人達は勿論なんの躊躇も無かった。
 大人達はこぞって高級サーフリールを買い、餌もいわゆる大人買いであった。
厳密には当時の子供でも買えたのであるが、それは量り売りと言うマジックに成り立つもので、とても大人の真似はできない所謂子供。
餌に1000円札数枚と言う驚愕の支払いは全くと言っていいほど不可能であった。
定かでないが1980年でユムシは1匹150円から200円前後であったかと思う。
それを20匹とか30匹とか・・・あり得ない話であるが、経済力のある大人の釣の世界では普通だったのであろう。
そのおじさん達の目標は、マダイやクロダイ、大型アイナメであったのであろう。
それも土曜はんどんの日曜日の楽しみとして。

 その大人の中を掻い潜って弟は堂々のマグサーボを手中にしたのであった。

今思えば、それは釣具店の一コマにさえならない日常の流れだったと思える。

「にいちゃんついにこうたど〜!」

誇り高く物言いする弟には、このリールに対する期待感と夢を相乗させ、昇華させて言った。
もはやそれは、 妄想に近い理想の形の夢の釣具に見えたに違いない。

しかし、その少年の理想や夢、空想は、一気に崩れさる歯目になる事をまだ我々兄弟は知る由も無かったのである。

「糸ななんにするかのう」

「ルアール(ダン)にするかストレーンにするか?」

「やっぱりストレーンの4号16ぽんどじゃろう。」

ルアールとは当時ダン社が開発したルアー用カモフラカラーラインだった。
当時はそう抵抗もなく、受け入れたライン=ルアールだったが、それを受け入れた理由は、店主の強力薦めと、その価格であった。
 ある意味それは、古き良き時代の現在でいう一押し商品だったに違いない。
それは、ささきの歴史を見て来た古びたケースに連結スプールで収納していた。
「ルアールください。」
 と言うとささきの当時おねえさんはそれを快く出してくれた。


そのお姉さんは今では良い御婦人になられたが、末っ子と尋ねた今年(2015年)のお正月には、まだまだお元気そうだった。


 一方ストレーンは、当時DAIWAが主力で展開していたアメリカ デュポン社のナイロンラインだった。
所謂輸入品であった為その価格差は歴然であったが、信頼も厚かった。
選択肢がそう無い時代の所謂信頼品であったようにも思える。
勿論当時の我々にIGFAクラスの言葉や意味は全くチンプンカンプンであったのは言うまでもないが、その言葉は周りの大人にも解らなかったのである。
またその10年前程は、ドラグ機能を使うと言うのも当時はレアなケースであったと思う。
ドラグは前ネジだと思っていた私は、周りの大人がそう思っていたからである。

はたして意気揚々と当時勝手に最新鋭と思い込んだこのコンビネーションで挑んだマグサーボは・・・・・。

「あれ、全然とばん・・・・。」

「電磁ブレーキがつよいんじゃぁないか?」

「ほうかのう・・・・」

「やっぱりとばん・・・」

「ほんまかぁ?」

「あらほんま・・・・。」

言葉を失った。
バルサミノーはおろか、Heddonのタイニークラスも論外であった。

「こわれとんかも・・・・。」

落胆は最大限にして最悪状態だった。
子供二人は、後悔の念が渦巻く。
 しかし、子供ながらに打開策を考えたのであった。
それはと言うと、父親がダイワの工場に勤めていた友人にこの製品が不良なのか故障なのかを調べる為にその友人に依頼したのである。
 当時はおおらかだった時代背景もあり、友人の父親は検査してくれた。

「どこもこわれとらん。」

と言う事だった。
「ほんまかぁ?」

「・・・・・・・・・」
当然言葉を失った。

ああ、あの暗い衝撃は闇夜の一撃な気がした。

 それで半分諦めた頃、弟はそれなりに何とか投げる事は可能になり、ギリギリのウエイトであるヘドンタドポリーブラックで30pくらいのバスを釣った。
 良くもまあ、高額なヘドンルアーを買えたものである。

それから、彼が中学に上がった頃、釣りの回数はめっきり減り、そのままお倉入りする事になった。
その時には、勉強もろくにしていないのに受験生と言う名目で私も釣りがめっきり減った。
高校時代になると、更にそれは加速して行った。
物理的に時間が取れなくなっていった事もある。

 皮肉な事に、ブレーキもドラグも付いていない私のダイワのGS1000cの方が距離が出たと記憶している。

今思えば、最初からマグナムクラスを使っていれば、より問題は無かった様にも思えるが、誇大広告気味に感じた少年の頃の大人の会社社会のCMの存在は、鵜呑みにしてはならないと学習した様にも感じたのであった。
最初からABUを買えば良かった・・・なんても思ったが、そのお年玉の範囲では到底届く事のない、大人の高尚な趣味道具だったよう様に思える。

暫く、ABUの開発した自動遠心ブレーキ全盛期はその後の機種でも主力であったのであるが、マグネットブレーキはより進化を遂げ、遂にその座を譲った様にも思えたがそれぞれ進化を遂げて今も生き残っている様である。
それだけ、スウェーデン王室のエンブレムは高貴で高尚に思えた昭和の50年そこそこである。


 そのABUも今となっては、興味の対象から大きくその本質を失ってサブのサブとして扱う様になった。
ただし、未だ世界一のベイトリールバリエーションの多さから、選択肢の中心にあるのは否めないのが現状である。
とりわけREVOは、半島製だが同社の高級仕様なのはおそらく間違いないであろう。


たとえ、それが耐久性に大きく欠けるプラパーツが多くなったとしても・・・である。(ここは、物凄く残念ですが仕方ありません。)
また現在のそれを扱う営業マン達は、そう彼らの看板であるABU製品の事を殆ど知らなくなった事がとても寂しいが、それも時代と共に忘れられて行くのだろうか。

 とある若者に“ABUって安もののすぐ壊れるメーカーですよね。”と聞かれ思わず

“そうだなぁ。”と言わざるを得なかった。
亡霊を掴み取ろうともがく子供の私の心とは別に。
北欧の誇り高き亡霊様。


ーCASTING-試投ー 
試し打ちでも試切りでもないのは幸いである。
その昔はその対象が人であったりしたからだ。
竿を試し振りで済むのはそれだけ平和な国と言う事なのだろうか。

 それから30数年以上も経ってからの現実に戻るとする。
秋の房総はとても天候が不安定なのだが、その日は風もそうなく、夜時間も空いたので新型リールの試投に行った。

 ロッドはMOON 1363-UM7Pベースのロープロファイルリール仕様でリールシート位置は、大きくストリップガイド(バット)に近くなる。

いきなりブレイデッドラインにロングリーダーでの試投である。

 まずは、軽く振ってみる。

マグネットブレーキは強めにと思ったが案外回転数は落ちていない感じだ。
もしろ回転が良く、サミングはもっと強めが必要かと思った程であった。
それと、メカニカルブレーキ併用は必須であった。
しかしそこは、進化に進化を遂げるDCコントロールとは訳が違った。
日本の町工場でも十分製作可能と思われるこの異質なリールは、特別異彩を放っている。
 日本の技術があれば直ぐにでもできそうな感じだが、それをやってみようと言う日本人は今のところいない。
いや、未来もあまり期待できない。
少しだけ大森製作所の事がまた頭をよぎった。
ダイヤモンドリールの事を。

 高度成長期から数えても多くの釣具メーカーと言うのが倒産、閉鎖に追い込まれた。
それは2000年以降もどんどんと倒れて行った。
フィッシングショーと言うものも私がブースに立っていた頃のピークからすると大きく衰退して、今や会場は半分以下の弱小展示会に変わってしまった。
それはすなわち、我が国の業界の現状レベルを推し量るには中心指標となると思える。

 それではと、次にマグネットブレーキノブをほぼいっぱいに締めてから投げてみる。

グーンともギューンともつかない低い唸りを上げて糸は吐き出されて行った。
ラインが細いとルアーの飛行角度やスピードによって途中からでもバックラッシュになりかけようとしながら指をラインが叩く感じが時々発生する。

“これはサミングコントロール”も細かく必要かな。

そう思ってまた投げた。

ああ良く飛ぶなあ。

 “ファントムよ、時代はこうなった。”
“世界初電磁誘導ブレーキは決して無駄では無かったよ。”
“そう思える時が過ぎて行った。”
“ラパラモドキのバルサミノーは投げれ無かったけど。”
“ダイワ精工もなくなったけど。”
“全く動かなかったロビンもコネリーも好きだったし、このバルサミノーもアイ調整しなければまともに動かなかったけど・・・それでも好きでした。”
“コピー全開のあの頃のルアーもないけれど。”
それから何年も経ってからあの“ドリンカー”や“バスジャッカー”、“シーバスハンター”、“リブンシゲーダー”が出てきたのである。

 先ずは、このリールの癖を掴む事からなので、当然ナイロンから始めるのが一番良いのは解っていたものの、いきなりPE3号でキャストしてみた。
太ければ太い程トラブルは減って行くのは勿論解っていたけれど、細いとも太いとも言えない3号の8本撚り糸に80Lbナイロンリーダーのコンビ。
 その状態で何度か投げると癖に馴れて来たようだ。
馴れてくると、段々と相性が良くなってくる。
 そこでついつい距離を伸ばそうと力を入れてしまう。
その行為が、竿の曲がりとその戻りとリールの回転数のバランスを崩してしまう事になる。
そんな、秋の夜の試投。

 SUPER MOONとやらの夜。

波間に常夜灯。

こっそりと投げているつもりでも、これが矢張り目立ってしまうようだった。
そこは、房総の港。

 かなり向こうでアジングとやらをされている青年が近寄って来た。
ありきたりの挨拶ができるタイプか無視して通り過ぎるかの2択であるとおもうのだが、どうやら彼は前者のようだった。

「こんばんわ。」

「はいこんばんわ。」

「何がつれますか?」

「何もつれませんよ。」

「えっ?」
彼は、明らかにいぶかそうにこちらを向いた。

「何も狙っていないです。」

「・・・・・・・・・。」

「あぁこの道具では何もつれませんよ。」

「・・・・・・・・・・。」

何故か彼は納得がいかないようだった。

「ただのためし投げと言うやつです。」

「ああそう言う事かぁ・・・・・・・。」

彼は、特段に関心のある様子もなく、それがどういう道具かも当然関心がなさそうだった。
ただ、鰺狙いでないと言う事は、なんの情報も引き出せないのでさっさと行こうと言うところだろうか、幾分納得したかの様子だった。
じゃあもそっけもなく、距離を置いて過ぎ去った。

 そのような月夜は、全くない会話よりも少しはましな方かもしれなかった。

相変わらずギブスのポラリス31/2ozは、これに良く付き合って来てくれた。
何もかかる筈もないのに、やっぱりそのポップ音と前に押し出す水飛沫見たさに竿を操作するのであった。
 その先には、大きな水柱が立ったかと思ってもみても、ここにはその現実はない。

それからこれを持って何度か試投に行った。
解った事は、結構タイトにメカニカルブレーキとマグネットブレーキを締めてトライした方が良さそうだった。

それからそいつ(ポラリス)とは直ぐにお別れになった。
ほぼ20年近く付き合ってくれたポラリス。
今でも名品であって欲しい。

昔から Simple is best. と何となく言葉を使っているが、その発想が続いていて製品化しているのは
本当に必要なものと、そうでないものをはっきり区別したがる性格というか民族性というか。

道具は、簡素で使い易く無ければならないという、一つの答えなのか。
そして飽きの来ないデザインと言うのは、簡素にある美なのかもしれない。


 人の生は、そう多くのモノに触れる事はこのありふれた現代社会にはないのだろう。
 モノの無い時代に選択肢が無いのは当たり前で、それを大事に使う。
今の日本にはそれが気薄になっているのかと思う。
それは、個人がそうしたくても、世の中の流れはそうは行かないと言う事の表れなのかもしれない。

-晩秋の釣り-
このような題目の釣り雑誌があっても良さそうだか、そうすると秋しか釣が出来なくなるのでそんな雑誌は出てこないと言う当たり前の話をしてみる。
みのりの秋が終わると、それは冬への始まりなのだがそれを敢えて話しても何の意味があると言うのであろうか。
ただ釣に行くと言う事。
それだけな秋。


凶悪面構えの牙付き魚
なんでこんな悪態面に見えてしまうのか。
性格まで悪いと言う訳ではなさそうな感じなのに。

 いざ、かの南方へと思うと、まだまだ暑いだろうなぁという事と、この房総の冷え込んだ朝の服装はどうしたものかという事から始まる。
その他準備は、計画通りに運ばなくてはならない。
なのに、毎年、毎年、ごちゃごちゃと最後は駆け込み気味になるのは今もその前もあまり変わらない。
僅か実釣日は、何日間かと言う日本人的遠征であるが、半年前から構想を練る必要がある。
その間が一番楽しい時と言う釣り人もいる。
確かにそう思えたりもするが、この歳になるとそれも薄らいで行くのであった。
 日本人に生まれた幸せと同時に、あくせくと働くバケーションと言う言葉の殆どを知らずに一生を終える我が民族。
果たして本当のバケーションと言うのは欧米並みの12日間の長い休みなのか?
それとも、短くても幸せを掴む事ができるかもしれない事なのか?
 ただこの遠征で楽な事がひとつ、北への遠征であれば、衣類だけで既に重量オーバーになりそう。
昨今の旅行事情は、とりわけ飛行機の荷物制限が必ずつきまとう。
それは、年々厳しくなり、今はLCCでないにも関わらず総重量が20s。
パック旅行ならまだしも、釣りとなると(他に大変な装備のスポーツやレジャーは多々ありますが)そうも行かないのである。
 それもコストを気にしなければ何とでもなるのだが、ついつい貧乏根性が出てくる。
荷物のうちの半分は、既に別送しているにも関わらず、既に20sは超えている。
 問題は、ロッドケースだけでも空でも3sくらいあり、スーツケースの ハードも4sを超える。
ロッドの中身は3本で2.0kgになるかどうかだがパッキンを入れた時点で5s超え。
スーツケースの中身は殆ど入れれない。
完全に中で遊んでいる。
手荷物の方が何故か重い。
なんとか工夫して20sにした。
それにしても面倒な作業。
その割には、男のロマン、釣りの旅プラン〜などと案内メールが届いたりするのは、航空会社が釣に対してほとんど理解が無いと判断するしかない。
 さてさて羽田にて手荷物を預ける際の事。
今回は、予想だにしない質問が来た。

「お客様、電気のリールをお持ちですか?」

と始めて聞かれた。
聞いてみると最近聞くようにと会社から言われたらしい。
今となっては、遠征も電気のリールとやらが主力となってきた事を示唆する事なのだろう。
そう言えば、何とかTVとかでも遠征先で電動リールを毎回使っているのを思い出した。

 ジャスト20sの重さだったので、なんとかかんとか行きはよいよいと言ったところになったような気がした。

そのような対応のやり取りで少し、ネタになりそうな感もしたが、JUNNと二人でのくだらない話になった程度だった。
これは後で落ち合うSYUUに言わなければならないネタである。

さてさて、南国へ。

 島は、大きく発展していた。
一年経つと幾分活気も出てきたかも知れないが、そろそろ開発も上に伸びるか、原生林を伐採するかしかないが、今の御時世よほどの利権が絡まない限り森林伐採とはならないだろう。
また、無理な開発は、後で災害の元であろうからそこも考えてはいる様子なのか。

 その日は、集合の後、さほどバカを言う事もなく終わった。
強いて言うならば、SYUUのホテル場所をちょっとした感違いで別館に行ってしまったくらいの間違えだった。


 さて、その日の昼、早々に荷物を出しては準備にかかった。
リグも既に予め初日分は作製してある。
 主力リールのAVETと予備リールには既に耐摩耗ラインが巻いてある。
24号で90Lb近くの強度もあるそうで、幾分そのオレンジが頼もしくも見えたりした。
それも気休めなのかも知れないが。

 それでもなんとか午後3時過ぎには、それなりの出撃態勢になり、初日出撃となった。
これが、予想だにして、全くアタらなかった。
 投入しても、また投入するも全く音沙汰なしだった。
外道のアタリがぽつぽつとくらいでフックアップ(針かかり)には至らなかったのである。

 ならば翌日と気合いをいれて出撃するも、本命のアタリはやはり無かった。

風は北東。

肌寒い。

南国の暑さが消える。

星も見えたり見えなかったり。

月は雲の間に見えたり隠れたり。

雲は風に吹き流されて速い。

風を切る音が唸りを上げる。

 キャスティングも潮の動きによっては、逆風に向かってのキャストであったりする。

これが、なかなか飛距離を阻害する。
 それとバックラッシュ。
DCコントロール・・・欲しいかも。(と一瞬魔が差す意見が上がるが、しかしDCにこのクラスのリールは無い。)
 それとはまた違う方向に潮は流れるのでなかなか環境的には苦戦である。

そんな中、ヨコスシマクロダイと言う愛嬌のあるお魚をJUNNが初めて釣った。
サイズは30cm〜40cm程を2本。

と言うか一同始めてみる魚種である。
 それにお決まりのヒメフエダイ。(通称おいしいさかなと言われています。)
ガーラ(ロウニンアジ)の姿は見えない。
ガーラにとって水温が低いのだろうか。
いや、凶悪な外道達も少ない。
何の反応もないのは不安を掻き立てるが、潮が止まる前後にはやつら(コブシメ)がいたずらを仕掛けて来る。
しかし、今回のやつらは少し小ぶりなのか、秘密兵器の傘(イカ針)

も抱かないので益々ストレスを溜めそうにもなってくる。

ブーンと回転音がしては、回収の繰り返し。
 通算で私のAVETも早5年が過ぎようとしている。
JUNNの AVETも3年が経つ。
一方SYUU先生の最新型のアンドロスは調子が良いみたいである。
 このSYUUのANDOROSのブレーキは少しびっくりした事がある。
それはと言うと、 てっきりマグネットブレーキ搭載と思っていたのだが、それは、 ダイヤル式のメカニカルブレーキだった。
ここら辺もしっかりと使いこなせばもっとユーザーも快適なのでしょうが果たして何人の方が理解してくれているかは 疑問なところであったりする。


 そもそもそのような使い方をするアングラーが国内に何人いるのか?
相当疑問なところで、もしかしたら、当方らが初めてではないか?
と思う。
 何せ、売る側の総代理店でもそう使えるとは一言も説明がないのである。
しかしながら、このダイヤル式のメカニカルブレーキは初めてなのでてっきりマグネットブレーキだと思いこんだ。
 後になって思えば、そもそもセンター位置にそれがある事で気付かなければならなかったかもしれない。
結果として、この釣には使えると言う事には間違いなさそうだった。


これがまた凶悪顔のバラフエ・・・・そうシガテラ満載のお魚だがその引きもなかなか凶悪である。


 厳しい中でも、 時々お月さまは現れて、我々にも平等に挨拶してくれた。
監督も来られて、その日は釣れないなりに、外道と戯れたり、半分気休めの冗談を言ったりして、あっと言う間に釣は8時間を超えていた。
風は時々吹きつけて、メガネは潮風で真っ白になる程だが、それなりに楽しい時間であったように思える。
 釣れないなりの楽しみなのか、まだまだ余裕なのかは解らなかったが、遠征の過ごし方を経験しているメンバーと言うのはとても心強い事である。

曇り空と風と・・・

時々月な夜

星がメガネの曇りもあって更に霞んで見える夜。

北寄りの風は、何処でも吹きつけて、竿を時々強く煽って行く様である。

「もう明日があるからそろそろ納竿にしようか?」

「はい〜・・・。」


そうしてこの2日間があっと言う間に過ぎてしまった。
 このような、渋い日が続くと帰り道の荷物はずっしりと重くもあり、足取りも重かった。

我々が寝床に入ったのは午前様の4時を超えたところだった。
 早くもターニングポイントを我々は終えてしまったのである。

ー3日目ー
何かが興ますか?
ドラマや映画だとそれなりに何かないと困るのですが。

はたしてリアルである現実と言うものは?


お決まりのヤギさんをJUNNが撮影してみる。
勿論家畜のヤギさん。

 ほぼ一年がかりで準備した遠征も、その時がもう半分が過ぎ去り、後半を迎えようとしている。
国を背負う事と個人が背負う自らのプライドとは、全く異なる次元、レベルは違う事が解ってはいるものの、丁度オリンピックに備えるアスリート達が何年もかかってその一瞬に全てを掛けるのに類似した心境に近いのかもしれない。

 たかが釣、されど釣、趣味と言えば、趣味。
競う相手が人間でもければ、スポーツと言えるのかもどうかも解らない位置ではあるが、我々が行っているのはスポーツフィッシングと言うものには違い無かった。
それは、一貫してブレてはいないと思う。
自分自身との闘いでもあり、自然に身を委ねる事が前提の戦いでもある。

 日本における磯釣りは、ここ30年間でそう大きくは変わっていない様である。
勿論、釣り方や道具は進化によって多少変わってはいるが、基本は同じに近いかもしれない。
 ましてや、今我々が行っている釣方は、その昔はあまり認知がない方法だった。

 時代は大きく変わっているが、釣の歴史程度はたかが知れている。
当時が解らない方は、1988年刊の“別冊釣サンデー 巨魚フィッシング”を参考願いいたい。
当時の通称“釣サン”は、小西ワールド全開でその主観に満ちてはいるものの、面白かった。
p34-35は、100kgの魚に耐えうるには、クランプを必ず付けて置くこと、、、などと書いてある。
また当時の剛竿はそのウエイトも2kg弱前後だった。
故小西さんは、それだけこの釣が好きだったのであろう。

 まだ私が若い頃、このグループの一人に出会った事があった。
その当時私は、サツキマスなるものを狙ってルアーを投げていた時の事である。
その人は、遠征以外の遊びで時々野ゴイ(しかも巨鯉)を狙っているらしいが、メインはあくまでも遠征離島の磯と言う事だった。
その体もボディビルとかで鍛えていたと言って、その太い上腕を見せていた。
 恐らく、当時の私よりも10歳は上だったと思うのでその人は当時30後半から40代始めと言う感じだった。
小西さんと良く遠征に行くと言って、磯からの勝負に燃えていた感じが溢れていた。
当時は、そのような釣にはあまり興味が無かったのか、はたまたサツキマス釣りの邪魔をされては困ると思ったのかはとうに忘れたが、その詳細もあまり覚えていない。
ただ、ここには10sオーバーのコイが居て、庭で飼ってるなんて言っていたように思い出された。
 他に石鯛釣とかされているとか言っていた様だった。

 当時の“巨魚フィッシング”から、時は既に今は2015年なので27年前と言う事になろう。

当時の道具とは、遥かに軽量で、細いラインを駆使して取る釣方はまだだだ確立されていなかったと思われるし、専用の道具も無かった時代だった。
御関心のある方は、p84〜を読んでも面白いと思う。

 時は足早に流れて行った。
あっと言う間である。

 3日目と言う現実は、既に後半にさしかかり、泣ても笑っても明日には帰り支度をしなければならないと言う事である。
そう言う事も考えながらの釣りではあるが、今や勝負に出たいところである。

 やはり相手が自然と言うのは、こちらが勝負に出たいと思っても相手次第。
しかも、その時は何時やってくるか解らない。
それが緊張と疲労を繰り返し、ダメージレベルが上がって行く。
 JUNN曰く、そのアドレナリン緊張状態と、気を抜いた時の疲労感が交互に繰り返されて相当精神的にも肉体的にも追い込まれるらしい。
所謂拷問を受けているに近い心理状態らしい。

「うわあ・・・緊張する〜。」

「ああ・・疲れる〜。」

そうなのか、確かにそうだ。
今までそう考えてこなかったが、確かにその繰り返しが襲ってくるように思える。
そして、最年長の私にはそれがかなり堪えてくる。
この境地は、なかなかそう出くわす事はない。
 恐怖にも似た興奮がせり出してはまた疲労に押されて眠くもなり、また興奮。
間に眠魔の恐怖。
確かに拷問に近いような気がする。

 監督から

「そろそだよ〜。」

恐怖が更に加速する。

「ああ〜眠たい。」
と何げなくぼやく私。

「それをいっちゃ駄目だよぉ!」
即監督のお叱りを受ける。

 潮に変化が訪れる。
夜10時を回ったところだった。

先ほどSYUUが釣った70cm程のオオメカマスを使う事にする。

 大きく切ったオオメカマスの切り身餌を投入する。

猛禽類リールから糸が吐き出されていった。

クリッカーを入れ少しラインを送りこんでやる。

いい感じ。

いい糸馴染み。

痛む右肘をかばいつつ、左前構えから左手で竿を持ち、右でラインを送った。

予感がするものの、それは何時来るのかも解らない。

潮の流れと風。

波打つ音。

言い知れぬ恐怖と緊張。

その合間に襲ってくる眠魔。

 左親指が僅かに摩擦感がする。

「ギィッ・・ギギィ」
同時にクリッカーか鳴き始めの瞬間での事

「イソンボ!!!」

リールのレバーをストライクに入れる。
即、ずっしりと重さが乗って来る。

“合わせ!”

左前構え変わらず、そのままバット際で溜めつつ合わせを入れる。
そこはいつもと勝手が違ったが、そこまでは及第点の反応であるとおもった。

ロッドエンドを左わき腹にややアップで溜めてると態勢を整えようとするのだが、これが、ベストのベルトに引っかかってしまった。

「ベルト!ベルト!」

そうは叫ぶが、態勢が整っていない。
中途半端な態勢からスタンドに持ち込むのにあまりにも不具合な態勢。
 やはり左前構えにて、完全に体が開いてしまっている。
これは、辛い。
良くない。
テンションはかかったまま。
これが思いのほか重く感じる。
その奥の生命感も更に重く圧し掛かる。
仕方なく、そのまま耐える態勢になった。

ラインは伸びてクリッカーに勢いを与えつつあり、既に悲鳴に変わりつつある。

“これはかなりやばい”
既に冷や汗に変わっている。

そのままリフトする事も出来なく、JUNNがフォローに入ってくれているにも関わらず態勢は、今一の左半身構えのままだった。
ただ糸が悲鳴と共に出ていった。

“これはまずい”

“かなりまずい”

“かなりやばい”

態勢もまずいばかりか、目をリールにやると既にラインは、ナイロンはあっと言う間に出されてしまってバッキング近くまで出て100m以上も走られてしまった。

“磯の暴走族”

とか

“磯のダンプカー”

と過去には呼ばれていたらしいが、勢いに乗ったイソンボは加速に加速をさせられたまま、猛ダッシュを許してしまう。
正に、昨年の専務状態になってしまう。

遂にバッキングまで出てしまい、最新鋭のYGKラインの10号が出て行く。
 そして更に糸はで続けて、120〜130m出たところでふっと軽くなった。
久々のファイトにすらならない状態だった。


 流石に堪えた。

あっさりのラインブレイク=糸擦れ切れである。

AVETの調子もそうは良くないばかりか肘のせいにもするが、それは単なる言い訳に過ぎない。
 否定は誰もしなくても、自ら否定される。

否定の否定の奥。

その奥は、反省と言うむなしい言葉では決して辿りつかない。

誰が責め無くても。

 

-猛禽類と言う名のリール-
AVET HX RAPTER

このリールと付き合って早5年近く、ブランドと付き合って12年以上が経つ。
だれも知らなかったあの時から。
恐らく日本国内で最初に使ったのは間違いなく私がその一人に入ると思うが、その証明を出来る内容は残念ながらできない。
我が国の高性能リールよ、今こそ大和魂を見せて欲しい。

 この会社のリールを始めて観たのが2002年の事であった。
当時日本には入ってはいなかった頃の事である。
 その頃は、まだフラットデザインサイドプレートに、シャークの絵がエングローブされていた。
当時はそのリールが特段すばらしいとも思わなかったが、その時聞いた価格に少し感心した。
その コストパフォーマンスには大変優れていたように思えた。
 “なにか、気になる点は?”

と聞かれたので、「個人的にはシャークは嫌いではない。またこの手の釣りがこの国(米国)でポピュラーなのは良く知っている。」
「だが、日本でこのリールを売るとするならば、このシャークのデザインは受け入れ難いものになるだろう。」
「なぜなら日本ではシャークは釣の対象とする人は大変少ないからだ。」
「むしろ、シャークは迷惑くらいに思っている釣人の方が圧倒的に多いと思う。」

そう言うと、

「それは、本当か?」

「日本人は、シャークが釣の対象としてはマイナーなのか?」

彼は、その事がにわかには信じられらい様子だった。
価値観の違いと言うのは、国によって大きく異なるのだ。
それは、その国の主義、思想に大きく反映すると思う。

 さてさて、RAPTERが発売になった年、直ぐに購入。

その強化ドラグとマグネットブレーキ搭載の2スピードリールは未だ日本のメーカーでは見たことがない。
 技術的には、日本の大手2社ならそう労せずしても難なくこなすレベルであるが、それが生産される事も、販売される事も2015年の冬の時点では無い。
勝手に思えば、2016年のそれもないであろう。
 日本の釣具メーカーも冬の時代なのか、勢いは全く感じられなかった。
また、そちらの方向に開発される予定もなさそうだった。
その方向は、電動モーターの威力向上とコンパクト化にあるように思える。

 今回も愛用のPRAPTERをメイン機で使用したのだが、どうもドラグの調子が良くない感じである。
その原因は・・・思い当たる節は、大いにあった。

 それは・・・・。
今年の駿河湾での出来事だった。

 さっぱり釣れないサットウとバラムツに身内俗称“魔の瀬”でトライすることになった。

この瀬は、実に怪しい瀬である。
過去に何度も脅威のロングファイトを強いられた場所。
 正に怪魚のレベルと言うよりテラーである。
その正体を知りたくて何度もトライしたが、一度だけ知人が4時間半のファイトの末に浮かせた事がある。
船の半分以上あるその巨大魚は、恐らくカグラザメである。
 その魚体は今でも忘れる事ができない。
肩幅以上の頭部とその大きな鰭。
特徴のある尾びれは正に生きた化石だった。
 3mどころではない、4mも完全超えの更に長かった。

その当時の視覚イメージは5m〜6mの 超大型軟骨魚類の感じだった。
みんなで思わず後ずさりする程の脅威を感じた。
2002年頃の初期型AVETは鮫のエングローブだったが特別リールには見えなかった。


 

だが親父さん(船長)は全く怯まなかった。

「おおお!これは釣って東○大学に持って行くぞ!!!」

とのお言葉に思わず我々は頑張ってしまった。

 誠に遺憾な事ではあるが、私の母校にその受け入れ先は見いだせなかった。
東○大ならそれが可能との事と言う事だったが、奴は一度水面まで姿を現すと、ゆっくりと船に近づいて来たと思うと、また深海へと潜っていった。
恐るべき体力である。

正に怪魚ならぬ怪物である。

それならと親父さんが、ローラー巻き付け作戦を5時間近くなって行う事になった。

10m位ローラ-で巻きつけると滑り気味になり、更にテンションを上げて巻くとあのPE独特のブツリ・・と言う感覚と共にそれは、一気に軽くなった。
 リーダーから切れていた。
リーダーはサメ肌で何度も擦られたか、ズタボロだった。

そんな過去が何度もあった場所。
そう、恐怖の瀬。

恐らく、TVバラエティネタとしては、マックスであろうが当然そのようなアプローチはこちらではした事が無い。
ましてや、怪魚マニアでもない。

証拠の撮影したビデオは、カビてしまい処分に至り証拠画像も恐らくない。
アナログ写真があるかもしれないがその後探していない。

 そんな恐怖の場所で同じくまたまた変なアタリ。
最初は、コツコツと触るようなアタリがあった。
少し聞き合わせると根掛かりのように重い。
それでも竿のベンドマックスまで曲げて、ゆっくりとリフトアップすると、首を大きく振るような引きがあり、更に無理に剥がそうとすると、そいつは急に走り出した。


 “もしかして・・・・ああ奴かも・・・・。”

そう思っていると親父さんが

「ごりゃあ特大のイシナギだぁ〜!」

と申されるのでは、取りあえず一生懸命ファイトするしかない。


 そう決め込み、10分、20分、30分と汗を流しながらファイトする。
魚は、すぐ下の110mラインまで寄せて更に浮かせて70〜80mラインまで上げてくるとまた走りだす。
それを何度か繰り返す。
ドラグテンションを上げても同じ事だった。

“奴だ、奴に違いない・・・。”

特大のイシナギから、皆奴を確信しつつあった。

 なんとか60分ほどやり取りしたが、全くあと70m以上は浮いてこないのでカグラ君と確信して、ラインカットと思ったが、寒い中皆さんが見てくれていたので、それぞれ体験してもらう事になった。
どうせならと、ドラグを20s近くまで上げて、竿を寝かして折れないようにした。
これを今流行?のスロージグファイトと称してリールの並行移動の距離分をフットポンピングでリールインして行った。
 いままで根掛かりしかやった事がないこのやり方で、ファイトは初めてだったが、この竿なしのIGFA失格のファールファイトでなら綱引き出来た。
そのテンションでリールが壊れない事に関心を示したのは、SUG氏であった。
 どうせラインカットならと試してみたが、これがぐんぐん寄せられた。
“これなら、浮かせられるかも。”

 体験学習の為にとSU氏にも竿を御貸しすると・・・。
彼の恐ろしい、逆の意味でテラーなファイトが始まった。
リールテロリスト、あばれる君などといわれながらも壊れんばかりのリール操作に一同驚愕したが、さすがテロリスト、いやあばれるくん。
まったく、動じなかった。
“ちょっと待って、リールが壊れるから、もう交代!”

それから何分かしてまた私に交代して切るつもりでリフトした。
恐ろしい事に90分以上経つと、少しまた浮いてきた。

あと30m。
良く浮いて来た。
これをあと2時間くらいやれば浮いてくるかも?そう思ったが、時間の無駄にも思えた。

決定的な事は、あとその30mと言うところで船の下に張り付いたようにうごかない。
 ドラグをfullまでレバーを上げたが、動かない。


「カットするよ〜!」

親父さんの反対も無かったのでそこでカットした。

新品の8本撚りPEラインをあっさりとカットすると、何事も無かったように帰りしたくを始めた。

 帰宅後、分解をしようと思いながらも、潮抜き程度の軽いメンテをしただけだった。
その数カ月後、そのまま伊豆でイシナギに使った。

 それから更に帰宅後、ハンドル周りのガタもないので分解する事もなく、今回の現場にに至ったのである。

 どうも低いテンションの具合が悪い感じだった。

レバーとブレーキが相対してのドラグ力が上がる仕組みなのだが、どうも今の私のリールの状態は、ブレーキプレートとの接触する部分の、コンタクトレンジがとても狭い感じだった。

これにもっと気が付けば・・・なんて言い訳である。

何れにしてもこれは整備不良と言われても文句の言いようが無いし、体調不良も己の自己管理不良と言う事になる。

言い訳はできない。

結果が全てを表していた。

すっかり、巻き取った糸のバッキングが心細い状態になったRAPTERを竿から取り外し後方へ移動させて、バッグに入れた。

 さあ、気を取り直すと言うよりも、今の己の現実は、己と魚との勝負と言うよりもチームワークで勝利させる事ではなかろうか?
 そう思ったりした。

早速監督の指令と激が飛ぶ。

「だから気を抜くなと行ったんだよ〜!」

「なにやってんだよ〜!」

真にごもっともでした。

日頃、私が皆さんに申している通りだし、昨年はそれで散々専務イジメしましたからねぇ。
 猛反省。

「さあさあまだまだ来るよ〜!気を抜くなよ〜!」
更に監督から激が飛ぶ。

あとの2人に頑張ってもらうしかないと思った。

 俄然やる気にった、JUNNとSYUU。
気合い十分といったところだった。

まったく、気を取り直してなどと言う間もなく、彼ら2人が早速投入したので暫し監督と共に様子を見る事にした。
こんな状況の私では、20s以下でも獲り込めるまでに至らないであろう。

-静寂の中の興奮-


仰ぎ見てはまた空

闇と雲の狭間。

雲と雲の狭間。

心と空間の狭間。

実と虚。

海は、にわかに波だっていた。

本日は北東の風が少し和らいだように感じる。

波間に浮かぶ光が2つ。

静寂とまた岩を切る風。

北からの冷たい風。

しばし、二人の後方で様子を見る事にした。
いつもながら 、この狭間の空間は悔しさと反省の中に現状への幻滅と反理想を見いだす。
 その2つの重いリスクの払拭が急務の時間。

漸く息も整い、再度投入の気持ちの中、リールチェンジを済ませた。


 “ふぅ〜”

やる気満々の彼らと監督と共に見ていると。

 突然、クリッカーがほんのわずかにジィッ・・と鳴った。


その間一秒あるかないか。

“んっ!!”

JUNNが合わせをくれている。

1363-UM9pは、既に弧を描いてその先にオレンジの耐摩耗ラインが走っていた。
上手く、竿を立てられたみたいである。
腰もしっかりと落としていた。
ここが第一ハードルの肝であろう。

 魚は、その頭を思うように反転出来ていない感じで沖を目指そうとしている。

このテンションのかけ方は良かった。

クリッカーは勢い良くギィ―となるがそれもほんの数秒なのか1秒もあるかないかと言う感じだった。

 常にテンションは掛かっている様子。

奴は沖を目指そうともがく様子だが、良く竿で溜められていた。
その加速は、あまり出来ていない様子だった。

一方JUNNは、必死の形相だった。(勿論奴も必死と思うが)
息も一気に上がっている。
しかし、糸は何故か巻けている。
また、ギィ―と鳴ると同時に糸は出ていった。
それも10m無い程度だろうか。

その状況をみて、彼の後ろにフォローとして入る。

「右、右に走ったよ。」
そう言うと竿を右に向ける。
そうしたかと思うと今度は、左に走る。

必死に耐えながら竿を握るJUNN の姿。
腰を落としたままである。

3分くらい経過すると、息はかなり上がってきた。
少々乱れ気味だったが、彼の真剣さも、必死の形相も変わり無かった。

あと20mを切ったところだろうか、奴が完全に弱る事もなく、またそのオレンジ色に輝くラインがそのリールから滑っていった。

その度に、JUNNは竿を保持しようと必死であり、リールハンドルを回転させようと必死であった。
不思議とリールインされて行った。
時々、荒い息に交じって、“くうっ〜!”とも“んぅ!”とも解らない言葉と必死さが後ろを掴む私にも必要十分に伝わってきた。
 その場の緊張感は最大。
これは、彼にしか解らない興奮なのは解っていているが、なんとか表現したいところだった。
 一方ガイドする方は、安心感と正確な指示と誘導が必要となって来る。
それを己に言い聞かせて、彼の腰を掴んだ。
 一気に戦闘モードでしかも、かなり息が荒いのは、その極度のアドレナリンのためなのかどうなのかは本人にしか解らないかもしれなかったがはたからもそう見えた。

 そこで監督から指示が。

「ライト当ててみたら?」

「・・・・・・。」

少し早いとは思ったが、総監督からの指示では仕方あるまい。

 高輝度LEDを燈火した。
この海が抜群の透明度を持ってしても、まだその魚影は見えない。
“やはり、まだ見えないか・・・・”
 しかしラインが走るその方向はくっきりと見える。
「あと少しだよ!頑張って!」
と取りあえず励ましの声をかけるのだった。


 最近では珍しくは無くなったが280ルーメンは強烈である。
これが400とか600ってどんな感じなのだろうか。
はたまた軍事用5000ってどんなものだろうか。
恐るべしLED。
ほんの10年前の20ルーメンとかがかなりしょぼく見えてくる。
釣人は昔から変わらないが、工業、科学技術と言うものは日進月歩なのであろう。

 JUNNは、1回転、2回転をリールハンドルを巻き取って行く。
と、うっすらとそのLED光照射に白銀が反射してくるではないか。
 その燻銀に映る魚体は、右に横切っているがその力は先ほどのそれとは比較できない程落ちているようだった。
それがうっすらと漆黒の海に映るのは、とても神秘的でもあるように思えた。
 それは、今度はまた左に方向を換えた。
水面下で漆黒に浮かびあがるその銀色の胴体が一回りも二回りも大きく映り、それが更に恐怖にも見えた。
その魚体が果たして水深何メールなのかは解らないが5mくらいはまだある様に思える。
 ここがLEDの実力なのか。
勿論海の透明度もあっての事なのだが。

 「ああ、イソンボだぁ!」

いよいよ本命のお出ましである。

俄然力が入ったかと見えるJUNNではあるが、それは気持ちだけで彼自身はかなり息を荒げていたのである。
無理もなかろう、4本目にして漸くのここまでであるから。

「あああ、確実! 20s超えかも!」

水面下数メートルと言うところでヒラ打ちした魚体がはっきりと解った。
それからそいつは力なく、岸際を背中を見せて左右に泳いでいた。
その背中が光に照らされてブラックメタリックのような怪しい魚影をくっきりと浮かび上がらせていた。
これはイ・ソ・ン・ボ。


 しかし、ここが危ないのである。

「よしよし、もうちょっと!」

「もうすぐひっくり返るよ!」


「おお、腹を見せた!」

イソンボは、最後必ず腹を浮かせる。
ここが他のマグロ類には見ない光景であるが、とても面白い。
 明らかに他のマグロとは少し違っているのはここら辺にも出ているのかも知れない。
力無く、奴はごろんと腹を上にしていた。

完全グロッキ-状態で波間に浮いていた。
何時見てもこの最後は、はっきりとしていた。
殆ど動かせない尾びれと左右に出た胸鰭を出して力なくぷかぷかと浮いていた。

 さてここからが大変な作業である。
一人では到底不可能とも思える作業である。

二人掛かりでやっとこさギャフを掛けるとゆっくりと引き揚げ作業に掛かった。
ここまで5分以上手こずったのであるが、なんとか・・かんとか・・。

「あれ、やばい、外れた!」


引きあげていたSYUから、慌てた声が飛んだ。
その高さは1mくらいだったのか、波音にかき消されてかさほどでも無かった。
ラインは切れていないし、魚も外れてはいないので仕切り直しに入る。

「大丈夫、仕切り直し!」

再度ギャフ掛け作業に入った。
それから更に2〜3分後、やっと掛ける事ができた。

先ずは、一番危険な波からの引き上げ。
ここがクリアできると半分は獲ったようなもの。
しかし、ここが一番の注意点であり、危険な場面である。
過去には、ここで何本も取り逃がしている。
 SYUUは、再度引き揚げにかかる。

30cm・・1m。
2m・・・3m・・・。

そいつは、ゆっくりと引き揚げられてくる。
慎重かつ、パワフルにSYUUがロープをタグリ寄せるのであった。

「やった〜。」
そう言うJUNNを制止して、

「まだ早い、まだ言うな〜!」

ともう少し我慢するように促した。

奴の頭が見えた。
あんぐりと開けた口から牙が見える。
 やっと頂点まで引き上げてそれを2人かかりでズリ上げた。

「よし!!やったぁ〜!!」

やっと上がるとそこからは、爆発的に喜ぶ他ない。

 それはチームプレー共有の証。
ここはお決まりの万歳を。
 ここが欠けては、釣りは本当に面白くない。
それは、良い釣りが出来た証拠でもあろう。

監督曰く、「目がぎょろぎょろ動くんだよなぁ〜。」
「これがなんともいえないんだなぁ。」
確かに、生きた証の目が動く。
これを我々は、何度も経験した。
彼が見る最後とは、一体どのようなものなのだろうか?


       彼が最後に見たものは、水の中では無かったが


何がどうなっているのか。

何が現実なのか。

今オレ(イソンボ)の体に何が起こっているのか・・・。

俺は、死ぬのか。

コレが見る現実なのか。

ああ、意識が飛んで行く。

そう思っている様にも思えてならない。

生と死の狭間。

 彼らに我々のような意識が存在するかどうかは解らないが、それはそれでこちら(人間)側の勝手な思いかもしれない。
がしかし、相手の気持ちが少しでも解ればそう無駄な殺生のない世の中になっているのかもしれなかった。
畜生にそう思う心があれば、人などそうあやめられるはずもないと思えるのだが。
現実の世界は、そうはいっていない。

 本来即、処理になるのだが、やはり初物の記念撮影に少し時間を取ってしまった。

 喜びは最大になるが、早速作業にとりかかる。

「監督!ガーラナイフある?」

「ああ、あるよ!。」

そう言いいながらも収容してあるのは私の青いバッカンであるのだが。
それを、JUNNに手渡した。

ガーラナイフを先ず鰓に立てる。

活〆と言うよりは、もう既にその心臓には力が無かった。
虫の息の中での鮮血は、少し赤黒くゆっくりと流れる。
 それでもその血は流れ出て行った。


血抜き。


水をかける。

一度。

二度そして三度。

鰓抜き。

つぼ抜き。


腹を開けてから今度は 何度も血を洗う。
ここの作業は、例えイソンボだろうがなんだろうがキープする以上迅速に行う。

顎の辺りを見ると、奴の象徴である筈のその牙が何本も折れていた。
 喰った瞬間の衝撃で飛ばされたのであろうか?
それともその後の疾走の力でワイヤーと勝負して折れたのであろうか?
 真剣勝負とはこの事なのか。
その牙と一本のワイヤーハリス。

 そしてここからがまた、一仕事である。
それを準備していたアルミバックに入れる。
それを今度は通称自転車紐でアルミキャリア(おいこ)括りつける。
尾柄部がすっかりはみ出てはいるものの、それはそれで無いよりはずっとましであった。

魚を背負い、車まで移動する。
と一言でかたずけるが、ここからも一仕事である。
建設的な労働ではあるが、重い物は重いのでできるだけ軽量な程良いのは人情と言うものであろうか。
JUNNはそれを担ぐと恐らく来た道を戻って行く事になる。

冬と言うには、まだまだ暑い南国の夜。


涼しいと言う時間にはなってはいるものの、それでも一汗かく事になる。

牙と鋼とステンレス。

その先には、強固なスイベルとナイロン糸。
その先には、JUNNの思いがある。


血抜き、腸抜き後のイソンボを担ぐJUNN


車には、予め氷が容易されていた。
“釣れても釣れなくてもここは万全にしておこう”との作戦会議であったが、 そこは計画通り行っていた。

 JUNNと監督のコンビで魚を移動するコンビになってもらい、SYUUと私が現場に残った。
順当で行けば次の番は、SYUUになるのだが。

 その後は、SYUUを中心に積極的に竿を出した。

期待とは裏腹にアタリは無かった。


60分をとっくに過ぎた頃、先ほどの二人組がやっと戻ってきた。
どうやら迷ったらしい。
“うわぁ、それは地獄道”
2人組で良かった。


そう思ったのは私だけではなく、一番そう思ったのは彼ら二人だったに違いない。
賽ノ河原は続く様にも思える冬の岩場の事。
それを知るものは、その月と星、風と雲。
そして、空の果て。

-漆黒の衝撃-
そこに浮かびあがるのは生命感の中の紫とも銀とも知れず。

たまにはドラマを作って欲しい。
しかも、想定外の・・・大勝負
フラッシュ越しのグアニン反射は少し紫かかっても見える

 へとへとになって帰って来た彼らをよそにSYUUは俄然やる気になっていたようだ。
時々いたずらする奴らを今度は、餌確保としてミジュンサビキを投入する。
 投入後、直ぐに反応があった。
  JUNNはここら辺は手馴れたもので、いつものコバンアジを的確に仕留めていった。
サイズは30cm程で大きくても40cmくらいのものである。
 こいつの皮は相当硬い。
財布ができそうなくらい硬い感じの皮で、ケミカルシャープの切先さえ、非常に通しにくいのである。
我々は、クブシミ(コブシメ)撃退作戦には失敗したものの、小判、コバン釣には成功した。
  早速、SYUUがそれを取り、上顎掛けにした。
ライブベイトの投入である。
 今まで散々餌取りとして齧り続けたその報いは、直ぐに訪れた。
それは、 自らが餌となる事であった。
何の躊躇もなく投入されたその30cm程のコバンは、何かに怯えているのか恐怖なのか、どうなのか手前に近づいてくる。
 先ほどまで何処に投入しても喰いついて来たのに。

このコバンアジは、皮の硬さとは全く関係なく、とても美味らしい。
いつも餌になるだけなので、今度機会があれば試食してみたい。
特に生が良いみたいである。

「えらい手前にくるなぁ。」

「はい。」

コバン君は、ゆっくりと左方向へと移動している。

投入から数分後・・・・それは興った。

“ギィ〜”


リールクリッカーが突然勢い良く鳴くと・・・同時に

「ああっ・・キタ〜!」

SYUUのコールと共に一同、その方向を見た。

一気に斜め左にラインが流れていった。

グンとパワフルな合わせに入ると一気に竿は、弧を描くと、台湾最上級コンベンショナルリールのスプールが逆転に転じた。

「まえ!、前にでて!」

とは言うものの、踏ん張るので精いっぱいらしい。

[無理っす!。」

それは、間違いなく今までの外道とは違う引きであったが、魚はまっすぐに沖には向かう事もなく斜め左前へと方向を変えなかった。

「ああ、SYUU!そっちはマズイよ!」
と言われずとも解ってはいるが、相手がこちらの言う事を聞く筈もないのである。

「あああ、擦ってる、擦ってる。」

竿を伝わって根に擦れているのが解るみたいであった。
あの嫌な感じ。
何かズリズリとするあの感覚。
何度も経験したなぁ。

 正に真剣な表情で、SYUUは耐えていたが、その方向を変えられる事もなく、更に奴が走って行った。
止まった感もあるが、バタバタ動く感じが伝わってくるらしい。

「イソンボではないなあ!」

「うーん。」

静寂から一気に騒然となるこの釣座が、なんとも踏ん張っているが・・・・。

 

 言葉にならない緊張に変わる。
こいつが本命かどうか解らないけど、かなり強烈な引きを堪能する余裕は全くないSYUU、その姿がそこにある。
 彼の顔が真剣かつ紅潮しているのが分かった。
耐えるしかなさそう・・・そんな感じであった。
魚は止まったように思えた。
 彼は、その先にバタバタと暴れる奴がそのラインの先から伝わっているのが解る感じで、余裕がなさそうではあるが分析はしっかりしている様子だった。

「ああっ・・・・。」
「切れた!〜。」


 耐摩耗ラインが切れた。
その擦れた感じの中で何時切れるか解らない恐怖が、その結末によってはその恐怖からの解放には繋がったが、その代償は、落胆と言う大きな遺産が待っていたのである。
 一体その先には何が付いていたのであろうか。
ラインブレイク(糸切れ)と言う事葉は、いつも悲しい。
釣人にとって悲しい出来事のトップである。
 その歴史の中で、テグス切れと呼ばれて以来、釣師、漁師であればどれだけ悔しい思いを先人達もどれほど多くしたであろうか。
一本の糸で繋がる事は、その事自体が一瞬で全てを失う事になると言う事は、案外人の道もそうなのではないかと思ったりもするのである。
幸いな事に、それはやり直しが利くと言う事であるが、備えが無ければ次のチャンスがない。
それも人生と同じなのかもしれないと思った。
 チャンスは一様に皆に回って来た事になる。
その結果は、別として。

 それからまた、俄然我々は頑張った。

しかし・・・。

 その夜は、それから後はチャンスが再び訪れる事は無かった。
しかし、帰路の足取りは重くは無かった。
何せ、ドラマは訪れてそれなりの結果をもたらしたから。
また、“明日頑張れば良い”
と言う気持ちも多分にあったのであろう。
その明日への期待は膨らむばかりであった。
誰でもその希望と言う名の希望を奪う事はできない。
誰であってもだ。
奪う事ができるのは、それは神だけなのかもしれないが、神はそれを奪う事は決して無いと思ったりもする。
誰でも神の加護を受けたいと思うこころは同じだからである。

そんな気持ちも都会では正月元旦以外は殆ど持ちにくいのかもしれない。
 そこに待ち受けるのは、コンクリートとアスファルトと淀んだ空気の洗礼に継ぐ洗礼であって、
希望が霞み易いのかもしれない。
その生活感には、人間が作り上げたモノだけがさも当たり前の如くに存在していて、自然がそれに勝てていないのが日常であるが、時としてその逆がある。
それが、一番畏怖を失った現代人への最大の恐怖であったりするのか。

 ラインは、何れも長い距離を擦っていた。
PEラインならば即殺だったであろうか?。
未だPEラインの方が全てにおいて強いと信じている人が多いのにはびっくりであるが、事実は事実として受け入れるしか方法はない。
 私は、ラインの伝道師ではないのだから。
何れにせよ、根擦れとの闘いになるのは、この釣りに於いては命題であろう。
ラインメーカーの必死の説明も一般には伝わらないのであろうか。

 -闇の洗礼-
光も自然であれば、闇もまた自然
その合間に朝まずめもあれば黄昏もある。
終わりが闇で光が始まりであればそれはそれで良いのかもしれない。


オカヤドカリは沢山いた。
SYUUに言われて撮影している。

 最終日、その朝の天候は荒れていた。
北東の風もかなり吹いていた。
雨はスコールのように打ちつけたり、また止んだりの繰り返しだった。
単独だとついつい休みになってしまう状況である。
 そんな天候は、矢張り気持ちを削がれる。
それでも、なんとか可能と言う判断で我々は、午後のやや悪天候中のポイントに向かったのである。
 風は昨日のそれよりも吹き付けるようになり、体感温度もかなり低く感じた。
それでも、その先にある希望を掴もうと前に進むしかないのだった。


 波は高かった。
それでも竿を用意している我々。

希望を決して忘れない様にと祈る気持ち。


 竿を出してみるが、反応はない。
波は、大きく、磯にあたっては飛沫を上げる。
時々“ドーン”と打ちつけた波がその飛沫を上げて迫る。
 その波間にアタリがある。


バラフエ君であった。
そして、ちょっと微妙なサイズで大物とも言えないネムリブカとのやり取りも、その波に揉まれに揉まれてのランディングとなるとかなり危険な感じであった。
仮に無事奴を寄せる事が出来たとしても、果たしてランディングできるだろうか?
 昨日のサイズ以上だとランディングを断念と言う事も念頭に入れての釣となりつつあった。
いや、そうならざるを得ない状況であった。

それでも、希望は失わない。

 その悠久なる歴史の中でこの陸が出来て以来、ずっと波があたり続けてきた。
その浸食は、今から数えて何年前からなのだろうか?
また、そのポケット穴は、石が回転して拡がったと言うが、それも一体何年の歳月を有したのであろうか?

 そんな事を考える事もできないばかりか、何時止めどきかを考えるばかりであった。
そうなると、釣り云々ではもうない。
 「うーん、どうするかぁ〜。」

「そろそろ危険ですよ。」

「ここら辺でストップフィッシングかな。」

「そうするかあ。」

そんな会話が続いた後、撤収の判断を下した。

「では、撤収〜!!。」

それからは、できるだけ早い撤収作業に移った。
ここまでくると命あってのものだねと言う事になる。

我々はそそくさと撤収作業に入るが何と言ってもリールクランプ外し作業が結構現場では手間取る。
 これって良い方法な無いものかと思ったりもするが、長いリールの歴史でさほど変わっていないところをみるとこのネジ式がベストなのかもしれない、そう思った。

それから車までの到着は60分程であった。
地獄からの生還と言う感じの我々であった。
横なぶりの雨と風と共に、最終日はこのような結果になってしまったがこれも釣りのうちと理解して組み立てないといけない事である。
 計画に想定外と言う事での言い訳は通じない。
この事くらいは想定内に入れておかないと・・・とは思うのだがやはり、最後はやり切らせてくれ!と言うのが正直な思いだった。
 それはメンバー全員がそうだったと顔には書いてあった。

慌てるもその日の朝、船は出ると言う事を知り、最終便で島を後にする事にした。
 おきまりの在来和牛の焼き肉はそれなりに、胃に負担がかかったものの、それでも美味しかった。
日頃、焼き肉など殆ど口にしなくなった歳にはなったが、1年に一回くらいの御褒美なら許される事なのかもしれない。
あの、美味しい脂身とサクサクとあっさり噛み切れる赤身は、野生では先ずあり得ない筋肉であろうから。
 

帰ってくると幾分暖かいと言う今年の冬ではあるが、とても寒かった。
心も寒くならないようにと思いながら、手荷物で持ち帰ったそばを家族で啜った。

今回、活躍してくれた主力道具達。

 その団欒の果てにあるもの。
趣味という遊びの中で勝負してみる。

闇から闇へ。

光から光へ。

そして、また空を仰ぎてみるも、それは一様に平等だった。
その空は、暗くても明るくても誰でも・・・

皆その下にあるものには平等であった。
そんな、平和は我が人間社会に何時訪れてくれるのであろうか。


      塩の結晶

2015年師走の吉日

終わりに添えて

2015年は、世界情勢はますます複雑で、平和な国はそう多くはないと考えさせられた。

また、国境が違えば文化も考え方も違う。
だからといって、海水も空気の流れにも国境はないので、影響を受けてくるのは当然の事である。
そう遠くない未来に於いては心を一つにして問題解決をして行かなければ我々に未来はないと思った。


 たかが、その一瞬の遊び、釣りと言う趣味さえできない日が来ないように。
小さな我々の遠征も終わった。
2016年は一体どのような年になるのか。
どうせ早く過ぎ去ってしまう1年ならば、その内容だけは何とか濃くしてゆきたいと思うこのごろである。

2016年元旦

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