南方回帰-その3
闇からの一撃

Fishing from rocks near the shore of the ocean

島の伝説 ‐Legend Island

 遠弥計赤蜂の乱からはや500年程度が過ぎたが、琉球の歴史の一端は、内地の人間はおろか沖縄県人にとっても関心が無い限り忘れつつあるが、彼が八重山にとって英雄であったのは間違い無いようである。
 すでに先住民であった南方文化も今は殆ど残ってはいないと思われる。
島人の話によれば、遺跡品や人骨まで盗掘にあったという事である。


しばらく南方には行っていないこともあるが、この蒸し暑さと、紫外線は相変わらず強烈だとは思ったが、島人の話によれば今年はまだまだそう暑くはないそうとのこと。

ほぼ3年振りの八重山は、内地の我がホームタウンである小さな町よりも整備されて
本州の観光地とそう不便な点は無いが、風情にかけると思うのは私だけであろうか。
 きっと地元民にとって、は便利に超したことはないのであろうから、、、一概に否定はできないものであるが。
そこは、先進国と言われる日本。
今は、何処にも秘境や究極のへき地は存在じない。
ほんの40年前まで、西表-石垣間は焼き玉エンジンの木造船で片道6時間かかったそうで、ランプでの生活がメインだったと先輩からお聞きした。

いつものことながら我々には島の観光は無いが、95%以上の来島者は観光やる気モードの人々でますますトラベラーは増加の一途。
あとは、公共の仕事関係の人か、、、、、。

こと私と言えば、重い腰は相変わらずだがさらに重くなったようで(体重も、、)これは困ったものである。
それでも私を押しだす何かの力で、前を向いてゆっくりと立つ。

 人は、それを歳を取ったというが何歳になっても超えなければならないハードルがあるのでそれが何かは判らないがその時になれば向かう内容も印されるであろう。
踏み入れたるは、己の限界が解らぬ新たなる新境地の気分か。
 凡人の悟るべきは、闘う己自身。
そして、対面するのは魚であって、名誉や競技釣での名声ではない。
そこには、何人なるとも踏み入れることができない境地であって、 あくまでも自然と対峙する己の精神との調和を目指す。
 日頃の運動不足を棚に上げるつもりはないが、やはり自分でも今回は体調調整はうまく行っていなかった。
今風に言えばショアゲーム、、、特にロッキーエリアは不得意の分野にあって、なかなか決意のいる釣りではあるが、そこは愚人の智慧。
御世辞にも「そこに山があるから、、、。」なんては言えない。
 それも磯からの一本釣りと言えばなんのことはない、和製英語で語る必要もなかろう。


そこには、スズキ目サバ科の奴は生態系の頂点に近いところで、君臨、回遊しているのであって、
既に頭の中にもそいつらがゆっくりと回遊しているのであった。
しかもその中で泳いでいるのは巨大にして、 、ゆっくりと、かつ大胆不敵に狙いを定めて餌を探す眼。

 闘う相手とは、一騎打。
飛び道具も火薬も無し、刀一本と己の拳。
  磯からの1本竿にて、勝負。
あくまでも他人の力は借りないスポーツフィッシングを踏せしめるが複数の編成人とて一体化は必須で、他のあらゆるサポートは惜しまず共助しるしまた、助けも借りる。
全員の協力なしにはあり得ないが闘う人は、独りでファイトするスタイルで全員一致の了解、トライ。
どのやり方でも、この手の釣りに共通することは、メンバーは一つにならないと結果は出せないということであろう。
 そういう釣りは、不干渉主義=個人主義が栄華を誇る現代日本にとっては逆境に値する。
故になかなか浸透せず、所謂お手軽では無い。


 マナーとか道徳とかと言う言葉は過去の遺物になりつつあり、お互い不干渉を守る事によってお互いを維持するこの現代日本の社会は、一種の末期的中毒と言えるかも知れない。
これは、日本の現代教育の全てが決して良かったたとは言えない理由の一つになりえるのではないか。
 もちろんそれは、全体主義や帝国主義の反動であったからであろうが、、、、。
そこが、今の世知辛い挨拶さえ忘れてしまった御近所のおかっぱり=ショアゲームとはあきらかに一線を引く。
何時からそのような国になったのか、、、そして近頃の若いものは、、、なんて言葉も死語になりつつあり、シニアクラスの失礼、無礼さもますます目立つようになり、年齢よりもその人個人のレベルになりつつあるのではないかと思ったりするがそれも現代日本の一部なのでいい面を見つめてお茶を濁す。

そこ(釣り場)には、3点ロープも片入れも無い。
 人類の英知の賜物のみにて攻略を立てるは、人間の圧倒的な有利をもたらして、己の肉体のみしか武器を持たない 魚類相手に、人知による攻撃は、彼らに圧倒的有利と即ち死を与え勝利宣言できる。
がしかし、それではあまりにも空しい気がしてならない。 

案外と彼らは、ローカルな硬骨魚類であって、身の周りの友人知人多くは知らない魚種との事。
 知人によっては、価値ある魚とはそれが旨いか高価かだけが判断基準になり、我々のようなタイプの釣人にとってはかなり辛い展開となる。
当然ではあるが、近所の魚屋さんも知らないかもしれない。
本州では流通にさえ乗らない奴らは、ものの本には「水っぽく不味い」とか良く記述されている。
これも検証しなければと思う。
(かなり主観が入るとは思うが即殺〆血抜き、翌日内消費であれば旨味もあって水っぽさもない、内臓には脂肪もあり、腹側にも少し脂肪がある個体もある。)
 Game fisherman にとっては、食味が旨いとかうまくないとか、水産経済上の肉単価などという内容は、二の次、三の次の内容であってそこだけに決して価値を置かない場合が殆ど。
その価値の1番目にくるのは、何と言ってもいかに良い内容のゲームができたかとかいうプロセスとその結果であり、精神的充足感にウエイトを置く事にあると言っても過言ではないかもしれない。
それに納得のいく結果が伴えば、さらに言うことは何も無い。
 もちろん結果として食の恵みに出会えることもあるが。


 しかしながら、趣味での釣り自体を直接飯の種にするなど、既に場末の酒場。
それでは、真の余暇スポーツや紳士のスポーツはすでに抹殺されている。
そこには釣師の師たる言葉は存在しないのではないか、、、?と思ったりするのは私だけではないであろう、恐らく、、、。
皆がそう思わなくなった時点で日本という経済先進国は、釣師 という存在を失ってしまったということに他ならぬ証拠と言われない国にしたいのが希望だ。

恩人と島友人

べスマの友人と落ち合って、お互い疲れきった体を持って中年オヤジ2人。
島にてさらに島人の友人と、、、 計三名。
短くて、長いトリップが始まる。
 島で師匠と久々にお会いする。
恩年63、笑顔のインテリ島人。
小麦に焼けたその肌に白髪のほとんどない黒髪。
御元気そうで何よりだ。
  幾分今年は涼しいと島人は言うが、軟弱化の私には堪える蒸し暑さ。
一刻も早く、ロングパンツにロングスリーブを脱ぎたいところ。

落ち合ったところでRoot Beerをジョッキ3杯は、危険行為?である。

野人F氏は、120%島人べスマであって、ポリネシアンの血を誰も疑わない。
何とも暑苦しそうだが、本人は至って快適。
 コナと変わらないという。
終始笑顔の計4人。
3年ぶりではあるが、おそらく戦友と同じ気分に近いと思うのであった。

それからさらに、、、、。

やっとのことで当日べスマ、サ●〇家に御世話にになること決定。
荷ほどきにて即準備。
しかし、ようやるわ、、、、相変わらず日常品より釣具のほうが多い。

部屋の天井を、早速ホオグロヤモリと思わしきもの、あちこちでテリトリーを徘徊。
ときどきチッチと鳴いては、走り、時々糞も落ちてくる。
 おまけに喧嘩して、どちらかが屋根裏からぽたりと落ちて、畳の上をパタパタと逃げて行く。
別段どうってこと無いいつもの島家の時間。
 蜘蛛に蛾、、これも当たり前特に気にしてはいられない日常。
内地と変わらないのは、自由に使える電気や水道、ライフラインと言われるもの、、、さすがに先進国と頷かざるを得ない。

 リグを整えている間に売店にでも行ってみるが、そこには、必ず居た売店のおばちゃんの姿は無い。
もう亡くなってから2年が経つという。
現役のままその場で倒れたと言う。
少し寂しくもなるが、そこは時の流れ、致し方ない。
島はゆっくりと時が流れてはいるが、必ず変わる。
島の変革も今はラッシュ?のようだ。
売店の担い手も居なくなり、内地の若者が手伝っていたりするが愛想もそっけもないがこれも受け入れるしか方法はなかったりする。


 RYUSEI RIG KAI を早速5本ほど、野人と計10本製作するが、これも真剣に作るのは3年ぶりということか。
なかなか良く考え抜いて作られたこのリグは、師の20年の集大成であろう。
その中には苦労と試行錯誤の末のたどり着いた オアシスの如くに完成の域に達していると言っても過言ではなかろう。 
素晴らしい。
もっと今後進化を遂げるかもしれないがその時は改Uになるのだろうか。

師匠は、釣師としての評価に値する人である、、、。
少なくても我々の中の基準では。
 私のような多種に渡って釣りをするものにとって、少々話は大袈裟に聞こえるかも知れないが 、先駆者の開拓した゛道゛の後に、開通した新幹線にグリーン車で悠々と乗っかるみたいで
師匠が、20年近くかかった路程をわずか5年で相続する機会を得るのも縁とゆかりなのかもしれない。
昨今は、先駆者のことは忘れて、自分がオリジナルという釣り人や自称釣り有名人の中にも多いが、彼のように何処のメディアに乗らない名人は存在するもので釣師と名の付く人には人格も備わってこそと思ったりする。

 RYUSEI号に機材一切を積み込み、出陣。
疲れもかなり蓄積。
 やっとこ、なんとか機材を背負い、移動。
汗がぽたり、ポタリ、やはり暑いものは暑い。このまま体脂肪が燃えてくれればいいのだか、、、。
冬眠するのでもないのに飽食の産物。

幾分北の風か、、、、その冬よりも楽ではある。
前回は約3年前の秋、台風も終盤の時期であったがその時は、ショートタイムでの勝負が多かった。
日程ばかり消化して日も過ぎて行った。
島時間とは異なるスケジュールに幾分残念とも思うがそれがゲストの定め。
 そして牙が1匹。 
19.5kg まずまずで幕引きだったので記せぬままそれから時間が過ぎた。
うれしくもあったがなかなか筆が進まなかったのである。


 いつぞやの北の大地編も記述するつもりではあったがそのまま、、、。
7本はとてもいい結果であったろうになぜかそれを記せぬまま時が流れその時のことも過去の思い出になった。
どうやらそれも、北の果てで結晶化して散ったみたいだ。
 ただ筆不精の結果もあるが、素人文は気の向くまま。
決して文豪のまねごとさえできない。

前釣行と同じRODの野超人と私も同じ、、、と、、いいたいのだが
私は、前回の1363-UM7p Conventional stand up shore13"6"f と新たに導入の1363-UM9p Conventional stand up shore13"6"fの2本で勝負。
いずれも今回はスピンを持参しなかった。 
7pと9pの違いはパワーの違いで調子はまったく同じである。
 F氏のYUU-Specialは、スピン仕様でドロップストラップ(尻手管)付である。

 おやや。
先行者あり。
どうもタマンのリグと3点ロープミーバイリグの2段構え。

一声かけて隣の磯場へ。
隣の狭い座に急遽変更。
それは仕方のないこと。
釣り場は、早いもの優先はおそらく世界共通であろう。
 座は、2人のスペースでいっぱい、いっぱいで、14f弱の竿でCastingもなんとかかんとか。
釣りづらいがこれも致し方なく、感謝して竿を出すしか方向性は見当たらない。
腹をくくって竿を出す。
せっせとリグを結節。
「F野人 Rod hukiは?」
「あっ、、、忘れた、、、」
やはり、、、、不安は的中。
「Light tackle padがあるからまあいいか。」
でなんとなく、解決。不安は無い。
 あれもこれも何も忘れた野人。

夕闇の中潮の音、波の声、そして耳に霞める風。
頬を伝う玉汗、心の静寂と鼓動、消えかけては浮かぶアドレナリン。
お荷物の腰痛と肩痛、膝痛。


 時々おもったように、浮かび上がるワイロンの開発者の笑顔。(故人にはお世話になりました)
それももう心の中でしか見ることができない残影。


人の心の中に見え隠れする、欺瞞と偽り、良心と邪心。
不安と恐怖、そのようなもの、ストレスすべてをこの大洋に擲って、葬り去りたい。

ここにある潮と波がすべてを洗い流して、すべてを風化させたように、心の蟠りまで風化させてほしい。
 クリアーな気持ちでいたいのは、万人の希望であって私が考えても何も名案は浮かばない。
ただそこには、無数の星が都会のその邪悪な靄とは違って、いかなるものにも邪魔されず光を届けている。

そして、時々隣の座のケミホタルが小刻みにお辞儀するのが視界に入ってくるのは避けられない。

「宜しくね。」
島人風には、海神になんて言えば良いか野人氏に聞くのを思いつつも、聞くのを忘れる。
 ただここに立ちて竿を振ることに感謝して竿を振り切るだけ。
野人が海神に祈りを捧げる。

言霊が御霊となって竿に変わっただけ。
そこの先に、万物がある。
その万物の中に牙がターゲットに置かれただけ。
そこには、人と人との争いはなく、トーナメントもあり得ない。
青牙達と我々の空間。
介在する海水。

時々地を踏み込むとそれが音となって2人。
隣座に2人。
ここの他にひとの気配は感じられない。
南の空間。

「ああ、、やっぱり来てしまったね」

「まあね」

「島人でもないのに、来てしまったね(野人は島人)」

「今は観光地になったからね」

「観光ね、、、、」

「ここの何がいいのでしょうかね?」

「スローな時間、癒しだろうね」

「そうでしょうね」

「我々の場合はこれは癒し、、、になるのでしょうか?」

「んんん、、、そうね、、、、、癒しとはまた別の何かかな、、。」
別の何かとはなんだろうか。
そのような訳の解らぬ会話の中に 再び 投入される、、、、RYUSEI改。

その時はいつも突然来る。
なんの予告も無い。
 一瞬の閃光。
確かに生命の躍動感。

己の“生体スイッチ”はまだ切れていないか、即確認、体内やる気スイッチオンのまま。
すっと糸が走る。
いいタイミングでの合わせ。
グンとナイロンの伸びと手元に伝わる生命感。
1363-UM9Pが大きく撓る。
腰を落として戦闘態勢モードまでは、意志と体がうまくいっている。
 パリパリパリッ、、、、。
一呼吸おいてドラグが滑る。
これぞナイロンのいいところ。
 乳酸値ピークのところだが、アドレナリン放出にて、、、、却下。

これだ、これだ、この感覚!
もう忘れかけていたようなこの興奮だが、まだ成長しきれぬ小さき興奮。
腹筋に力を入れる。
腹溜めも効いている。
いい感じだが、久々のパワーに錆び付いた腕や肩がギシギシと油の抜けた機械のようにぎこちない。
が自分では危なげない闘い?
「これは、本命、本命だよ、ガーラじゃ無い!」
「そうみたいだね」と八重山人は通常モード。

沖に向かって奴は一直線。
その先に全身が筋肉の砲弾が、水を切って走る。
ラインの抵抗が無ければ、一気にスピードアップであろう。
 人の壊れかけたボロ肉体は、忘れた野生を呼び覚まし、脳内麻薬はいい感じで効いている様子。
いかん、無酸素運動が、、、効いてる、。(かなり運動不足と思われる)

 ロッド&ドラグ&ラインの抵抗に嫌気がさしたか、疲れたか 方向を変えて岸よりのパターンに変更の牙だが、磯際を横走りは明白、右往左往している牙に合わせてロッドワークであしらう。
少し感覚が戻ってきたか、アドレナリンが効いているのかこちらの中古エンジンはかかって調子はまずまず。(でもどこか不完全燃焼気味か)
12f以下のショートロッドでの溜めならすぐに磯際でラインブレイクの危険性が伴うこのポイントだが、13.6fはここでは良い勝負となる。
 不思議とファイト中はあちこちの痛みもないのははやり脳内麻薬のおかげ?。

「どう、、、浮いた?」と確認を野人にお願いする。
「おう、弱ってきたな」
  野人はすでにランディングマスター。
全く動揺の様子もない。
もちろん信頼はしている。
 まずまずのレギュラーサイズ、、15kgを無事キャッチ。
初日にしてはいい流れ。
「いいねえ、、」
「いい感じですねえ。」


 夜中の睡魔との恐怖の谷間の一撃ほど怖いものは無いが 、まだまだ宵の口ではこちらに部がある筈。
その後野人にも8kgのハマチサイズの子牙があっという間に腹を見せる。
「ああ小さいや、、」
当然8kgサイズではドラグも出ない。

もはやこのサイズは野人の敵では無かった。(睡魔との闘いさえなければ)
  しかし奴らは、ギリギリ精一杯まで戦い続け、そして上がった時はその目だけがきょろきょろと動くのみ。
体色は、少しエメラルドグリーンが入っている気がする。
  彼らはその魚眼で一体何を観ているのだろうか、、、、、、、、。
何も観えてはいないのかもしれないが何かを観ている気がする我々。
彼らに観えるのであろうか。
ただ己の生を表現する最終手段か、、、、、それともさらにその遠くの先に見える、彼らなりの過去の栄光なのか。
 人間でない彼らの意識の向こうには何かあるのか、凡人には分からない。

 2本のランディングで既に夜半をとっくに周り、睡魔も頻繁にお出迎え。

その後は沈黙が、、、迫ってくる。

 


「今日は帰るか、、」
「そうですね、帰りますか、、、」
そう言えば明日も明後日も、、、ずっと、、、過去にも、南国にいるような気がしたが、それもその筈で何百年も島人は島人でその英霊と共に生きる国がここで、ご先祖様が常に生きている島なのである。

島人とその縁者の初日は、いい滑り出しであった。
汗のかき具合もまずまず、それにしても梅雨の南方にしては、涼しい2009年であるがそれでも内地とは異なりアジアの南国には変わりない。

牙の目だけがきょろきょろと、、、。
他の何処も動かない。
うつろな刹那の目。
生きている証。
その脳には、意識があり、その意識で何を思うか。
魚類にはそのことさえ分からないと思ってもみるが彼らは明らかに対峙している生命と本能があるのであろうか。


色素細胞が生きてまだ煌めく青に、、そしてその牙。

活きた色とは、死んだ色とは当たり前の事ではあるが違う。
我々の多くが見るその色は死んだ色。
釣り人は活きた色を知っている。
それも生死ぎりぎりの色。
 そしてはかり知れぬぎりぎりの命まで悟ることができる可能性を持って水面にたつのであった。

翌日
今日という日が過ぎ明日と言う日が訪れる
そんな南国の夕べ

 次の日は師匠と二人。
何年振りの釣りだろうか。
ちょっとだけいい緊張とうれしさ。
師匠の顔も幾分明るい。
しかし師匠にロッド&リールが無い。
「あれ、師匠、昨日買ったリールは持って行かないのですか?」
「今日は、竿出さないから、、、、」
「何でですか?買ったばかりのリールも今日使う為では?」
少し、びっくりした表情で聞いてみる。(新調したリールがPENNであったところも師匠らしい)
「もうイソンボ釣りはしんどい、そろそろ大物は引退したいと思っている」
そう還暦をとっくにすぎた師匠は、淡々と答えた。

それは、私が島に来る前の週のことであった。
 師匠と内地出の若者と2人での出来事であった。
マグロがみたいという若者の申し出に師匠が、
「じゃあいっしょにいきましょう」と いうことでポイントに立った。
 座に入ってから気づいた事は、かつてない失敗であったという。
その日に限って、飲料水を忘れてしまったことにすべての原因があるのであるが、そのこと自体が師匠にとっては汚点であったらしい。
 その日の釣った記憶はすべて飛んでしまい、翌日病院へ、人間ドックにも入って検査したという。
気が付いた時は、家の前に居て、一人で13kgのイソンボを担いできたことのすべてを記憶せず、若者に「これ、誰が釣ったの?」と聞いたという。
それが引退宣言に結び付いた原因である。
 この座で、過去、大物のロウニンを釣った内地の釣人がその場で亡くなったという例もある。
そんなポイント。

師匠はもう何トンも釣ったであろう、その場所で誰も関心の無かったころからこの島で牙と戦ってきた。
 一人で掛け、一人でファイトし、一人でランディング、そして帰路もそれを担いで、4往復ということもあったそうだ。
そのパワーは想像を絶する。
 それが私と同じ歳ぐらいの時であった事を思うと、私はその半分も体力が無いことになろう。

 師匠は、ここまで辿りついた20年の道のりを淡々と私に話してくれた。
私は、師匠に引退前に出会ったことがとても感謝であるし、今ここに一緒に語る機会を与えられた事も感謝であった。
もう5年の付き合いになるが、師匠の口からは、「もう歳をとった」
このような釣(1本勝負の限界)は、もうこの歳にはきつい。
 そう言われるようになった。
肩入れもなく、ロープも張らず、頼れるのは己の竿一本、男である、真の釣師であると思う。
 そして、一人では戦えない時が近づいてきた時、己の引き際と己で悟り、一騎打ちが出来なければ引退すると言う精神は、今のオートマチカルな釣り人にはそうできることではない。
  なのに、あのバッテリー付きの手持ちなんとかコンセプト、らくらくフィッシングは頂けない。
そこになんのゲーム性があるのか理解し難き難問ではあるがそれが今の日本の釣りの主流であることは否めない。
 はるかに師匠よりも年齢が若いのに、大物釣りなんとかとTVで観るは、竿こそなんとかその手に持ってはいるものの、巻きとりパワーの゛電気仕掛けの巻きとり機”の優位性を全面に出したるは完全営業トークであって、 それを釣師の心得と呼べるのであろうか、、とも多くは疑問にさえ思わないメジャー度。

師匠と会話をしながら、その何処か洋上を回遊する奴らを迎え撃つ。


 「ほら来た!」と師匠が言ったと同時にクリッカーが1秒ほど、、、鳴り、その声と同時に合わせのタイミングになる。
息はぴったり。

1363UM9pは、弧を描きクリッカーを入れたままのリールから逆転音。
ガリガリガリというかジジジジ、、、というか。
「休むなよ。」と師匠も落ち着いた声で何度もこの光景に出くわした余裕の様子。

潮に流され、リグは左に流されラインは最初の走りでトータル50m。
左沖方向にまっしぐら。
沖のドロップオフまではまだ30m以上はある。
 いい感じの半円の竿と星。
張りつめたラインとその先の奴。

一気に戦闘モード。
静寂と対話、闇からの一撃。

フォークテイルは高速で水を掻き速度を上げようとするが、それをラインと竿が上手く吸収。
牙、本命、、と疑う余地はない。

「はい、左に走ったよ!」と師匠は適切にアドバイスしてくれる。
牙は左に右に今度は磯際を行ったり来たりして根ギリギリに泳いでいる。

「はいあとは浮くまで我慢するよ。」

はい我慢します と言ったところか、、、、、、、、。

その我慢が結構辛いもので、浮かせるまでひたすら溜めて待つ。
ここの部分だけ師匠がいままで行ってきた事とは、少し勝手が違うのは、我々(野人と私)のやり方だと一人ではランディングできない。
 魚に力がなくなっても波の上下に揺すられてそれだけでも体力消耗。
案外と非効率だが仕方がない。
最低2人の人員が必要となる。


 ボートからだったらと、すぐに想像するが、、とすでにリーダーが入り、ギャフを打っている頃であろうが、危険極まるこの場所では、相手が完全に腹を見せて動かなくなってからでないと、とてもランディングできるものではない。

「もう逝っていますか?」
「ああもうちょっとだね、しかしずっと持つと疲れるだろう、、、。」
「はあ、でも一応ランディングまでは、、、持ってます」
勿論持っていないとロッドは海の中なので持たざるを得ないのであるが、、。

我々は(野人と私)、何度となくこのランディングで失敗して来た。
時には荒波に揉まれて、中々上手くいかなかった。
何度失敗したか。
荒波は強敵であった。
 波に揉まれて外れたイソンボも何匹かいた。

「そろそろ行けるかな、、、。」と師匠はランディング体勢に入る。
歳を感じさせぬ身のこなしは、都会で燻ったものではなく、人間の本来の身のこなしかもしれない。

 18kg弱の魚体は牙の中ではそう大きな方では無いが、やはりそれはそれなりのパワーはある。
ましてや、限定された場所で移動もままならないここでは、それなりにかなりきつい場所である。
 ボートからなら難なく獲れるサイズもここではそんなには甘くはない。
ましてや、百戦錬磨の磯師友人達にはお世辞にも磯は得意とは言えない私にとっては、上出来な、、という結論に至る。

ロッドフキよりも大きな尾鰭。
ツナ類の中では、他の外洋性のツナに比べて遊泳力は劣るとか話にはあるが、やはりそこは、青物の遊泳力であって差し詰め中距離ランナーか、、、、、。

 締まった尾柄部とフォークテイルはそれを物語っている。

「じゃあ野人と交代するか、、」
 鮮血があふれて鰓動脈からどくどくと。
そう言って血抜き腸だししたイソンボをひょいと担いで師匠は行ってしまった。
師匠と野人は従兄で私のそれよりも当然ながら血は濃い。

その日は、夜半を過ぎるまで野人と2人で竿を振り続けたが、それからドラグが咆哮を上げることは無かった。
しかし、 その日も決して悪い日ではなかった。
 誰が獲っても良しは良し。
 星を眺ようとしなくても、一面に溢れる天空の下。
納竿。
撤収は、迅速に、、、限るが案外時間のかかるものである。
そしてまた帰路に向かう。
荷物はカラになったペットボトル分と食糧がカットされるだけ。
あとは、そこに魚があるかないかであるがそれはその時の運であろうか。

三日目の友人
今日は新たなる友人が他の島からやって来た。
いつも陰でいろいろとお世話になってるその友人は野神の友人、そのまた友人が私。
 笑顔の絶えない島人である。

 

 

親切で誠実なおじさんで先輩である。
島人と内地人のハーフということである。
島に来るたび、いつも助けられてきた我々にとっては、欠く事ができない恩人の彼であるがここで会うのは初めてのことであった。
 友人Y氏はこの島が気に入ったみたいであった。
旧家の魅力はまた格別であるそうだ。 
それは、誰にとっても懐かしき子供の頃の我が家にダブって映るのであろうか。
 無論そのような屋敷で育ったものだけがそう思うのか、はたまたそうでなくてもなにか不思議な懐かしさがあると思う。

私はこの琉球の旧家を知らないのに、なぜか懐かしい。
良き流れと雰囲気が同じなのであろう。

天井を眺めるとやはり、ヤモリがちらほらと視野に入り、時々糞が落ちて来る。

それに蚊帳の留め金が柱に付けてある。

のんびりとした空間。


島の持つゆとりと放つ空気。


多くの旅人が欲する時間とは、この時間のことであろうか。

Y氏は、せっせとリグ作りをする私の横で
「ああ、、いいね、、この屋敷」 とお気に入りの様子。
日頃は忙しく日々を送っておられると言うY氏であった。

「Yさん、今日はタマン釣りでもする?」
「いいね、タマン、、、、。他には何が釣れる?」
「ミーバイやバラフエかな、、、、」
「どれくらいあるの?」
「ピンキリですね、、師匠も何度かミーバイやバラフエにやられていましたよ。」
「 全く止りません。」
「、、、、、、、、、、、、、、、、、、、」
「今日は見学で、、、」
「了解です」

Y氏は元ボクサーで、小柄であるが昔とったなんとかは顕在そうである。
また、気さくで笑顔もとても似合う島人である。

Y氏と昨晩までの流れを伝え、今までにない、よい感触も伝えた。
Y氏は、少々疲れ気味。
それも もその筈で前日までかなりの強行軍だったらしい。
 本日は「ゆっくりと御休みください」と言いたいところではあるが、そうも行かない、、と思っている矢先、、南国と梅雨と言わんばかりに 大雨。 
ありきたりの表現で言わせて頂くならば、“バケツをひっくり返す”ほどの大雨。

雨また雨、スコールみたい。

そしてまた止み、また雨。
瓦を打つ音。
あっという間にすべてが濡れる。

昔はこの雨水を溜めて飲んだという。
酸性雨のことも気にならない時代。

屋内から外空を観るが、流れる雲と雲、間に太陽はない。

RYUSEI号に荷物をつぎ込み、期待と不安が隣合わせで同居するあの場所を目指す。

誰も今日あるかもしれない真実を知らずに。

師匠と私、Y氏の3人にて準備する。
しかし師匠の手に今日も竿はない。
差し詰め総監督という感じがぴったりのチーム。
決して息は悪くない。

1時間が経つ
2時間が経つ
そして3時間が過ぎ去り
反応は全く無。
外道のアタリも無い。

何もない。

そして水平線の向こうに見える稲光。
また稲光。
どうも今一、、、なんてY氏。
そうだろう、あまりいい気はしない。

そして北の風が耳を切る。
 「じゃあそろそろ野人と代わるから」
そう言うと相変わらず素早い身のこなしで監督は暗闇に消えていった。

その日は、閃光と風でついにドラグが悲鳴を上げることは無かった。
丸ボーズである。
いつも絶好調という訳には行かないのであった。

いつもいいとは限らない。
1夜にして状況の一変は、長い釣り人生には付き物であろう。
苦労して運んだ水も今日は半分も海に帰して少し身軽にするもこの日は、少し荷物が重かった。(心の荷物もあってか)

闇からの一撃-RAINBOW


オリジナルロッドフキを装着している。リールはSealine SHA USA model

 

 朝からY氏のテンションはまずまずで、やる気は漲っている。
私と言えば、連日の繰り返しであるが、リグをせっせと作り準備するが、何時突然くるか判らない衝撃が闇夜を切り裂いて掻き毟るギターの音色に変わるのが恐ろしいほどであるが、Y氏のどこからか漲る自信に押されるようにして時を待つ。
 昨日と違って雨は無い。
天空は雲が支配して直射日光はないが、やはり蒸しむしと、、、、。
 相変わらず蚊も元気である。

Y氏の気合は、十分で 機材を積み込む。
このテンションは私と野人だけではありえない、よいイノシン酸である。

夕方の中だるみ売店のテンションは、相変わらず無愛想で上がらないが、いつもの菓子パンとお茶を買ってこちらも無愛想に出る。
そこに立つ笑顔のおばちゃんの姿は、何度確認してもいない。

 私、Y氏、野人の3名は、師匠に今日は3人で目的地に向かう事を報告しRYUSEI号はいざ出陣。
師匠のお父さんは恩歳92であるが至って元気。
毎日同じことを聞かれるがそれも愛嬌。
15年近く島で走り続けるRYUSEI号は、あちこちに錆びが浮いて如何にも島らしい。
 その近くを島では過去ほとんど観なかった、観光ワンボックスの新車颯爽と走る。
快適そうであるがそれは島には何故かマッチしないように映って、快適さと商売っ気のにおいがぷんぷんする。

一人当たり、20kg近い機材と竿を背負って座に移動。

風は少し南に傾いているか、心地よいほどに、汗も乾くような感覚。
 梅雨の時期にしては、コンディションは悪くはない。

せっせとリグを組み立てる。
Y氏はタマン狙いで竿を出す。

夕闇の訪れ。

沈む夕日。


波の音、風が耳に纏わり、それが相乗効果なのか、南国の情景。
忘れかけた自然と大地と海。
対峙する時。
海と自己、潮騒と風。
一本の糸で自然と繋がる時、 天と地が交差する 。
 ゛極楽からするすると落ちてくる蜘蛛の糸゛のはずは無いのだが、自然の中の人間がその手に優しく包まれている気分と、荒磯との緊張感の狭間に微妙なバランスで調和がとれつつあり、やっと世俗から解放されつつある心、その間に見え隠れする雑念はやはり凡人。
 釣師の悟りは、単純であり、世俗の雑念は計り知れぬほど複雑に絡み合っている。  

時々、スピニングから吐き出される糸のバラバラという弾ける音と、遠心ブレーキの利いたスプール音は心地よく聞こえるが、明らかに人造な音。
しかし雑踏の中の嫌な雑音とは違ってそれも心地よい。
そしてY氏の根拠はどこにも無いが、恐ろしいほどの自信と確信。

子供の頃、ツリキチ三平ポスターだったか、カタログのカットであったかは忘れてしまったが投げるファントムマグサーボが滑稽に思えたように、今ではDCコントロールの時代?
 当然三平に磯からのガーラやイソンボ編というのはなかった。
マーリン編は存在したが、GT編は無かった。
今あっても引け引けなのは、おやじ世代だろうか。
もう何年も前のことではあるが、平成三平に掲載したらどうなのか、、、、と言ったところ、「三平の夢とイメージが砕ける」とある友人は言ったがその通りだと納得したが話によると最近の三平には最新鋭のリールが搭載されているという。

 海面は時々ざわついたりするが、オオメカマスの出現であったりする。
ムロを放るとすかさず食い付く。
60〜80cmはあろう。
潮がたるむと、 久々にコブシメのアタリもある。

 序盤戦半ば
クリッカーが少し鳴り夜空に消える。

クラッチを入れアワセを入れるとロッドは大きくしなるが、糸は出ない。
「小さいよ、、、ガーラの小さいものかも、、、イソンボの引きにしては弱い」
時々、キュッと突っ込みが入るが、、、寄ってくる。
「どう、魚は?」
野人に確認してもらう。
「イソンボだ!、、、小さい。」
なるほど。
5分も経たないうちに足元まで、左右に、、。
あっさりとランディング、8kgほどのハマチサイズ、、、もはや敵ではない。
 相変らす目だけはぎらぎらしているがまだまだ若すぎて凄味は無いけれど彼も自然の中に立派に生きてきた。
人工ペレットで飼いならされた家畜の如く、隔離され、コストと見合わせさせられ、ストレスを与え続かれた結果の産物とは明らかに違う。

8kgサイズの子牙のヒットによって幸先いい流れ。
益々Y氏の確信は強まったと?思われる。

占星術師-STARGAZER

夜半に近づきつつあるその時は、やはり突然やって来た。
闇からの一撃!

別段気にもしなかったその時は、まさに一撃での上段攻撃、クリーンヒット。
 大技というより、見えない段蹴りのよう。
 「ヒット!」そう言ってからクリッカーがやはり1秒か2秒か、、、、鳴いた。
それまでの流れのとおり、まだまだ気力十分であった私。
幾分余裕と先日までの釣果が、かなりのゆとりを持たせ勝手な判断が頭を擡げて自分ですでに余裕を持ち過ぎていた。
 息を吐いて腹筋に力を入れてフックアップ。
{乗った。} そう心の中で押し図り勝手にサイズまで判断。
 ラインの伸びの計算をしていないうちからサイズを判断したが、あっという間にドラグののテンションを超えてスプールは逆回転。
野人もY氏もまだまだ余裕な私の顔を見て、これまた余裕の見学。
またさらに私の判断は、完全に誤った発言にまで至ったのであった。
「まあまあのサイズだ、、、、」
そう発言したのはいいのだが、どうも逆転は止まらない。
全くポンピングの間を与える暇もなく、溜めるのに精いっぱいとなってしまった。

日米開戦の日がそうっだったのかはわからないが、国が誤ると滅亡に繋がる。
 それが私と魚なだけかなり小さい次元であるが、、、滅亡しなければよいのだか。


少し緊張度が上がる。
「これはちょっと大変かも、、、、」
「いいサイズなんじゃないの?」
 明らかに違う引きと重さ。
圧倒的にパワーが違う。
{これは、ちょっと止まらんな、、、しかし、まだまだブレイクラインまではある?}と勝手に思っていたが、ラインは既にスプール半分近くになっていた。
息が上がり、少々状況は不利。(無酸素エネルギーレッドゾーン、、、という感あり)
正に状況は、戦局拮抗というところか?
 やはり体力低下は如実に表れて息切れと乳酸値を増加 ですでに無酸素運動分は消費尽くしているようだった。

既に余裕はない筈なのに、自分を落ち着かせて好機をうかがうが、手が痺れてきたのでフキを挟んで止まった瞬間にリフト。
重い。(なんとか頭をこちらに向かせたいところ、、、、。)
 竿も簡単には起きないほど、、でゆっくりとリフトに相対してブランクのバット近くからじわじわと起き上がる。
かなり粘っこい重たい寄せ、大物独特の重さとトルク。
ハンドルを1回転。
2回転。
なんとか3回転。
また、出される。
 ドラグテンションは上がっている筈だが、それでもさらに勢い付いてラインはズルズルと出されてしまう。
さらに5m、10mと詰めるより出される方が上になって、ラインは半分以下。
バッキングまであと20mあるだろうか。(頭の中の計算が感覚的になって、、まだなんとかなると思った。)
すでに100m近くは出されていることになる。

  「これは、止まらんな、、、、」
それまで余裕で観ていた両氏も情景に少しづつ呑まれて行った雰囲気に変わる。
力が入らなくなった両腕ではまだ己の腕という自覚はあったが、ロッドを起せず重心を後ろに移動して奴が止まった隙をみて体ごとリフトを試みる。  
10°程度ロッドを起こしてやっと1回、ハンドルを回す。
時間の感覚も良く分らなくなっているか、時間は10分を過ぎていたが尚も奴はまだまだ余力ありそうだ。

キリキリ、、、キリ、、、とまた出される。
さらにスプールは逆回転速度も増しているではないか、、、、。
 コリコリという感覚。
それがネズレであることを乳酸値MAXの頭が認識するには若干のタイムラグ。
ズリズリと、、、、いう感覚がドロップオフの深みに向かう奴の走りをやっと認識した。
 嫌な感触は、増幅して長くなる。
 「くそっ、、擦れてる!」
生命感の間に無機物の抵抗。
いやな予感。

お約束通りの言葉で表すならば、突然ふっと軽くなった。
 ロッドはテンションを失って軽くなった。
絶望と安堵。
狂気と冷静。
痺れる体と落胆の精神。
それぞれが交差と連携して心が飛ぶ。

 また今年も天を仰ぎみた。
占星術には関心ないが満点の星を雲が覆い、今の精神状態と重なる。

最後はラインブレイクの結末。
甘く見過ぎた罰は、やはり己の精神にも心にも矢のように降り注ぐ。

狂気を伝えたラインは先10mはネズレの後、サキイカの如し。

これで全ての力が抜けた。
 ごつごつとした岩場にあおむけになる。

「そうがっかりるすな、次があるさあ、、」
と他人に気遣うY氏の温かいフォローによって我に返る。

帰った精神で言葉にならない唖を吐き捨てる。
「あああああっー切れたくそー!」

落胆の境地。
そして、脱力と緊張。
痺れと麻痺。
相手にとって不足はない、と言いたいところだが
しかし相手にとってこちらが不足であった。

人と人との争いであれば疲労とストレスだけが残るだけだが、相手は魚。
  魚に恨みも遺恨もない。
そこには、まだ見ぬ希望がぶら下がっているが手が届かない。
そしてまた次へのステップとなるであろう。

 ただ自分が不足なだけ。
それで充分。
 戦う相手は人間ではないので魚に対して悔やんでも仕方がない、、と悟る。
事実上の私の戦いは今年も終わった。

ふふん、、といった感で野人は私を見て、「なにやってんのかと思った」と一言。
野人の太っ腹なところは変わらない。

DNA‐海人


 あとは、まだまだやる気十分な野人にバトンタッチ。
野人と言えば一向に気にしないか、マイペース。
にこにこしながら気合のキャスト。
 さすが野人余裕綽々。

すでに“あしたのジョー”になってしまった私とは裏腹に、、、、野人は竿を投入し続ける。

落胆の後の力無い私のあとを何事もなかったようにロッドが振れる。
 事件から30分が経過しただろうか?
「来た!!」 野人は吠える。

ポリネシアンパワーでUM9Pの曲がりをバットまで溜めさせて最初の引きに耐える。
生まれながらの野生の勘かDNAに刻みこまれた先祖伝来の天性か、余裕。

彼の父は、150cm代昔の島人の背丈ではあったが、小舟でカジキやマグロ、イソンボやガーラをその腕一本で捕獲してきた。
生粋の海人である。
 野人曰く、俺以上にタフで怪力の持ち主だったという。
それは、T-シャツに海人と書かなくてもその背中にはくっきりと刻みこまれ、DNAの中に先祖の霊とともにある血筋である。
 そのような、タフな父でも今はこの世にはいないが息子には勘とともに生き続けている。
どう見ても弥生人系の私とは比較にならないようであった。
当然その背中には、海神祭とも書いてはいないけれど、。

しかし、今日の相手はそう簡単ではなかった。
本日の3本目も強烈であった。


 江戸時代では人生を終わる平均の歳ではある野人であるが、そのどっしりとした姿勢と体力は野人という名に相応しい。
ライトパッドは、ボートではその力を十分発揮できるが、しゃがんだ姿勢をある程度強いられる磯場では、かえって扱いずらい。
相手が沖に向かってぐんぐん走っている時は、竿をまっすぐに立てられるので問題はないのだが、左右、下、バンク下を泳ぐ奴らには案外厳しい。

6500EXPから逆転音が鋭く「ジーッッ、、、、。」と鳴る。
耐えては鳴る。 
耐える。
巻く。
寄せる。  
巻く。
鳴る。
野人パワー全開。
巻く。


 10分はとっくに過ぎていた。
野人からは汗が滴って、まさに野生。
息はあがって、しんどそうには観えるが、心にはまだ余裕が見られる。
 私と異なる点は、牙が止まった時の迅速なポンピングで間合いを詰めるペースがとてもいい。
牙もなかなかの猛獣、決して諦めてはいないようだが、野人は顔が幾分必至には見得たが少し余裕の顔がちらほら。
「大きいんしゃない? 20-30kgは確実にあるよ、、、」とかなり、小さく見積もる私。
本当はもっと大きいとは思っていたが、あまり大きく言って“なんだそんなに大きくないじゃないか!”と言われることを恐れて、かなり小さく見積もってしまっている私がそこに居た。

 さらに10分が経過した頃、奴に変化が出てきた。
相変わらずドラグは出るものの、左右に走りを変えて来た。
疲れて来た証拠だろうか。
 野人も少し疲れて来たようで魚とうまい具合に相対している。
後ろからベルトをつかむ私に、彼の疲れが伺える。
珍しく余裕も消えかけ。

奴は、20分程度で奴に変化が表れて寄せに応じるようになった。
ゆっくりと寄ってくる。

「あああそこでは擦れるよ、、。もっと竿を、、、」とY氏もアドバイス。
野人にゆとりがなくなってきたか、我々の適格なアドバイスが彼の正気を呼び覚ましてまた力強く溜めに代わっているようだ。
 左右に走り始めてからも牙は浮こうとしなかった。
ドラグを出し切るパワーも無くなってきたか、でも浮かない。
 幾分野人の膝も少し笑っているように感じた。
さらに5分。
 浮かない、右に走れば竿を左に、左に走れば竿を右に、基本動作を繰り返す。
「まだ浮かないなあ、、、。」
「ロッドを少し起こしてみて?」
そう簡単には浮いてはくれないが足元のバンク下も磯際をゆっくりと右、左。

漆黒の海原に映らない影は、ぐらりと腹を見せた瞬間、反射してその力に陰りを見せた。

船からのゲームであればとっくにゲームセット。
 ファイト時間も半分であろう。
あとは船頭さんのギャフが入るだけ。


 ころりと返って腹を見せた。
グロッキー。

「止った!やっと止ったよ、浮いた浮いた!」
「ああ本当だ、、」とY氏。
磯際で奴が完全に参っていた。
動かない。
波に身を漂わせているだけの状態。
 さあランディングにて交代。

「掛った?」
ギャフを入れなおすこと3度、4度、波はそうないがやはり崖下なかなかうまくはいかない。
「あれ、上がらないぞ、」
「ちょっと待って今行く」
ベイルをフリーにしてロッドを立て置く。
二人がかりでランディング。
「おおデカイぞ」
しかし問題はまだあった。

「おい、ギャフが唇端に掛ってて切れそうだぞ!」Y氏の声が潮騒を割って響く。
野人にも多少の焦りはあるだろうが至って冷静な発言が
「ロープを鰓に通すからロープ!」
 しかし素手で鰓から口は通せない。
「Yさん黄色い小さいギャフ持って来て!」と私。
 しかし、Y氏が持ってきたのはなんとボガグリップのばったもんのエコノリパーであった。
「違う、違う、それじゃあない!」
「どれ?!」
「ああそれでもいいや!」と野人。
野人は器用に口からロープをリパーではさんで抜いた。
「おおお!」
「よし、掛った。あげるぞ!」
「せえの、、、よいしょ」
「せえの、、よいしょ!」
「せいの、よいしょ!」
「やった!!!」
「でかい!!」

 

 

確かに今までのそれとは比較にもならないほどデカかった。

 島人は海人、野人は野神となる。
3人が一体化した心の充足感で満たされて、釣りの最も重要な醍醐味と達成感を分かちあった。
 久々の幸福。
闇夜と潮騒、風と勝利感の中に3人だけが味わう祝福の時。

苦労と挫折、高いハードル、長くて短い人生、蠢く鬱との間に見える一夜の閃光。

それでいいではないか。
「いやあ、ありがとう!」
そう言って野神がイソンボをぽんぽんと叩き検討を称えた。
その眼だけが動いて、我々に語りかけたような気がした。
 ぴくりとも動かず、ただ眼だけが動く。
そしてまだ闘いは終わっていない。
 ブレイクした奴がまだ待っている。

手の届くところにあって到達できない到達点

土佐鋼が鰓を突き刺し、鮮血が溢れる。
活きた証は徐々に流れを止め、自然に還る。

人はまた故郷の地を踏む。

故郷それは、誰もが持つ真実。
過去も未来も飲み込む人生のターニングポイント。
人は必ず歳を取り、必ず死は訪れるがそれを人は決められない。

2010年も再び八重山の自然と神に出会いたい。
海神の島、多くの民族が通り過ぎていった長い歴史。

悠久の歴史と届かぬ未来。

―09南方回帰―タックル
ROD:
MOON 1363−UM9p Yuu‐Special Spin
MOON 1363−UM9p Tungsten Special conventional
MOON 1363−UM7p conventional SIC

LINE:YAMATOYO BIGI 24 80LB ,YOTUAMI DMV 170LB

参加者:八重山の神、師匠、ベスマ野人、島人 最後に私。

2009年梅雨吉日
2016年1月追記

釣紀行(INDEX)

釣竿工房 月