楽園の終焉
END OF PARADISE


釣人はあまり寄りつかない有名なビーチ

過去と現実

 過去には皆誰と言わず若く、老いた自分の姿をそう想像する事はないだろう。
人はそれを後で理解する。
若気の至りと言ったりもするが、自分自身が若者の時はあまりそうも思わないのである。
角がとれると言われる歳になっても、何時までもとげとげしい人もいる。
 しかし、現実は確実に現実であって過去でも空想でもない。
しかも皆それを受け入れなくてはならなくなるのである。
 どうせ短い人生なら如何に生きるかが問題になってくる。
たとえあの世が無かったとしても、それはそれでいいではないか?

むしろあった時の事を考えて、 無理に自分を下げる必要もない。
 だれも一度死んで観てくることもできないし、取り返しもつく人はいない。
確かめたいなら死んでみるしかないのだ。

神々の島 最後の楽園

GODS ISLAND LAST PARADISE

神々の島とか最後の楽園とか
そう言われて過去に旧D社のTV番組で観たバリはとても美しく、世界基準での映像をクリアして、釣り場も良く、文化も渦巻いて流れて、いいとこどりであった。
 釣り人はそこに最後の希望を託す・・・・いや託したくもなる。
ふと今思えば、
その構成はやはり人の意思によって作られたものであり、あくまでもドキュメンタリータッチでは描きようがないのであろう。
 夢を持ってもらう事は大事だが、作り上げられたものは、現実の前には砂上の城郭でしかないようだ。
むしろ何日もの遠征をわずか25分程度で仕上げなければならないのは、幸か不幸かバラエティの無駄なひっぱりよりはすっきりしているほうかも知れなかった。
(すっきりせざるを得なかったのでしょうが)

秋も早々の頃、Y氏の「メッキ釣れています!」
「昨日爆釣でした。」
の情報を得て我が弟子ワルガキ共を従えて(実際はせがまれて)いざ出陣した。
 ライズは観えるがエバ(ロウニン幼魚)君達の食い気はどうなのか?
適当にライトタックルを持ちそれを彼らに渡す。
 彼ら直弟子達に表層をゆっくりと引いてくるように指示すると、暫く経ってから
「ああ、来た!」
 と声の方向を観ると、ああ・・子弟共の56-UM0xp(ロッド)は満月になっていた。
別段3Lbラインをけたたましく出してゆく訳でもなく、近年ジャンク化したカーディナルが壊れる程のパワーがある訳もなく、今流行の極小ジグヘッドにケミカルフレーバー400倍とかいうスクリューテイルを丸呑みしたエバ(メッキ=ロウニンアジの子供)が横走りしてそのボディ全体に水の抵抗を受けて尾柄部をバタつかせて最後の抵抗を試みている。
 案外と今でもこれが、死滅回遊魚の稚魚だという事に気が付かない釣り人多いのは意外であった。
どうもこの魚とGTという言葉は、連動していない様である。

 ロウニンアジは、アジ科最大の種でジャイアントトレバリーと呼ばれその昔はローカル兼マイナーな魚種であり、勿論我が国の水産上重要魚種リストには入っていないと思う。
もし30年以上も前に釣対象魚としてもメジャーであれば、“ツリキチ三平”にも登場したであろうし、開高健氏の筆の一躍を担ったであろう。
(三平 三平=ミヒラ サンペイは、どんなGTフィッシングをしただろう。 石鯛編でもえらい事になっていたのに・・磯編とボート編に分かれてやはりリールはPENNなのであろうか。開高先生ならどうなっていただろうか?やはりAmbassador7000にナイロン30LbラインにABUのZOOM RODなのか。)
事実は、そのどちらのネタになることは無かったし、ひょっとすると候補に挙がっていたかも?と思う事すら皆無であったのかもしれない。
今開高先生が御存命であればどうだったのであろうか?
それだけロウニンアジ釣りは、過去にはマイナーな釣りであったのだろうと理解するのは容易であり、当時GTという言葉の釣りは日本には存在しなかったと思う。
 現在では、どうやらコアな釣り人の間ではメジャーらしいが、時々釣雑誌を読む輩にはその言葉だけは知っているかもしれない。

 ある私の先輩は、過去に「ああガーラ、ヒラアジなんて誰でも釣れた、なんのテクも要らない簡単な魚。」そう言っておられた。
1970年代の環太平洋エリアは手つがずだったに違いないし、その先輩のおっしゃる通り、入れ食いだったかもしれない。
がその頃ロウニンアジという名前はおろか、マコガレイの30cmオーバーが目標であった私には、全くお金持ちの大人の釣りの世界の話で想像もつかなかった。
 「ぼくらの釣り入門」にも記載されていなかったし、その後の“ルアー釣り入門”を購入するも、その疑似餌で釣る入門書には、バスを中心とした淡水の釣りがメインで最後の数ページが海でも釣れるという 内容であったと記憶している。
 これも今思えば、海(SW)のほうが対象魚が膨大なのに、当時はまだマイナーな存在だったように記憶している。
今から(2010年)30年以上も前に観たTV釣り番組で当時使用していたタックルは、グラスのスピンキャストロッドにまだUSA製だった頃のZEBCOのスピンキャストリール、ナイロンに直結のスプーンというもので
それを防波堤から投げて70cm程度のスズキを釣る、という構成は斬新であったし、是非真似したいと心から思ったものであった。
 この衝撃はいまでも脳裏に焼き付いている。

 高知の良きアドバイサーであるO師匠は、20年位前、あと数本残っていた丹吉の手打ウルワ針を私にプレゼントして下さった。
現在からすれば、クラッシクな部類に入ってしまうかもしれないが、O師匠は1970年代にトカラ磯通いをされた強兵である。
当時の道具は尖閣とか・・・・リールはPENN SENATORしか無かった時代でありそのヘビーな道具で指しで勝負したらしい。
 「ケツが踏ん張っても、踏ん張っても浮いて来て、このまま海に落ちそうなギリギリのファイトで、もう命がけよう!」とO師匠は当時私にお話ししてくれた。
師匠は、30年以上も前の1970〜1980年代前半に、既に一騎打ちで30kg以上のガーラとガチンコファイトをしていたのである。
そのウルワ針が何処に仕舞ってしまったのかどうしても分からない。
人の記憶は、褪せていくものか。
O師匠はもうトカラでヒラアジ(浪人鯵)を狙う事もなくなったが、その話は私の脳裏の中で風化しかけては、またふっと思い出してしまうのであった。


 現在、日本の釣道具類は、世界最高水準であり、
浪人鯵という名は、ヒラアジとかロウニンとか言われるよりもGTと呼ばれる様になった。
しかし、このGTという呼び名は少々厄介で釣りをしない人への“GT釣り”という言葉は、全く通じない言葉になったりすることがままある。
 「それってなに?」
「ロウニンアジといいます。」
「なんだアジか・・・・。」
「はい・・・・アジですがちょっと巨大です。」
「大きいアジね・・・・・・・。」
「・・・・・・・・。」
ああ釣りとは、なんてマイナーなスポーツなのであろうか。

過去の残影と克服

自国に於ける20年前(1980年初頭)のSWルアーの道具類は、まだまだ現在ほど確立されておらず、今ほど細分化されていなかったと記憶している。
30年前ならばソルトウォータースピンニングリールは、確実にPENN SPINFISHERの名がまだまだ最右翼でその550SS〜850SSという機種が最高峰?であったように思えるが、それから日本製黄金時代の幕開けに移行しつつあり、
20年前では国産リールがかなり優勢になって来た頃だったかもしれない。
 その頃から、所謂“舶来品”という言葉も死語となり、多くの海外老舗メーカーも栄枯盛衰を歩み自国での生産を打ち切るか、倒産か身売りかを迫られつつ時であったように思う。
1970年代後半から1980年代前半のあの国産ルアーのバッタ度(コピー品)は、今でもしばしば語り草になるほどだった。
 もう残影すらないオリムピック社のルアーはHEDDONを始めコピーっぽいのが多数あったし、旧D社も似たりよったりでS社に関してはルアーはこの2社には到底及ばなかった。
RYOBIもまだバスリールとかを頑張り始めたレベルだった。(懐かしい俳もおられるであろうキャスプロ5000Vとか言うバスリールがTVのCMで放映されていた。)

それからまた10年以上も経ってからのバブル時代の終わりの頃、日本の南国の冬。
それは小さな出来事であったろうが私の人生の転換期でもあったであろうその時の会話。
F師匠:「おまえノットを作ってみろ。」
若者:「ビミニツイストでもいいですか?」
師匠:「なんでもいいからやってみろ。」
若者:「はい。」
若者:「できました。」
師匠:「なんだこりゃ、これじゃダメだ。」
人生には否定はつきものであり、当然20年前の私もそれを受け入れなければ道はなかった。

次のテスト。

師匠:「なげてみろ。」

若者:「はい・・・。」

緊張は最大であり、もうそこから逃げたくもなった。
何故今自分がそこにいて、そのような事をしているのか、あるいは自分のしようとしている事がなんなのか、もうどうでも良くなりつつあった気もした。
2〜3kgの巨メッキ(ロウニンの幼魚)が湾内をところ狭しとスイマーの後ろをじゃれつく。
もう魚の事などどうでもよく、背水の陣では、未熟な若者が考える思考はただ今あるこの現実から脱却したい。
それだけだった。
まだまだGT Fishingが一部のマイナーな釣りであったと思う頃の事であった。

「大物をやるには、おまえあと2ランク腕を上げて来い!」

その言葉を最後に現実には私はその程度と理解した。
シーバスの延長での考えでは無かったつもりであったがそのロウニンアジという魚は、まったく実践を伴わない若者にとっては未知数であった。
 当時の師匠の釣りは、パワーファイトで、まだまだロウニンアジをルアーで釣るという事が一部のマニアの中のジャンルであり、何故そこの真っただ中に自分が立たされていたのか。
それさえも見失ってしまうほど寂れた南国は、やさしくは映らなかったのである。
そしてその気候以上に寒さを覚えた記憶がある。

最初頃の師匠の道具はナイロン30LbにPENN 650ssだったか6500ssだったか。
そのナイロンで20kg overのGTをぐいぐい上げる師匠の雄姿は、これからのGTという釣りの牽引役にはぴったりのオーラに満ちていた。

それから更に20年が過ぎて私も親父と言われるようになり、子供達からはメタボ親父とか呼ばれるようになった。

年々年を追う毎に記録ラッシュは、次々に更新されるようになり、非公式ならば80kg台に届くようにさえなった。
 道具の進歩は、完全に道糸12号という細さでIGFAの規格をはるかに超えるスペックとなった。
スピンウインチ釣法にまでエスカレートし、もはや勝てば官軍。
戦にルールはあれど、最終的には結果勝てば良しとなるのは、どの戦争でも有りとなってしまう。
 それが毒ガスであろうと、細菌兵器であろうと、原爆であろうと“勝ったもの勝ち”それが戦争と言われ、戦勝国と言われるならば
釣りに於いてもルールがなくなれば、何でもありの釣ったもの勝ち なのであろうか。

 また、近年は、日本人でもシステム(仕掛け作り)も満足にできない輩が気軽に遠征に行ける環境になり、すべてガイド任せという事も多々あると聞く。
通常、北米等では、ガイドシステムがしっかりしていて、コアアングラーでなくても気軽に釣を楽しむことができる。
流石に スポーツ、レジャー大国ならではなので、チャーターする人でさえもすべてメイト任せ、という事実であり、メイトやガイドは嫌な顔一つ見せずに全てをこなしてくれる。
勿論すべては、究極のチップ制という事もあるがそれはそれでサービス業の極みであろう。

経験のみが事実と観える


 長男は、5歳の頃、自分の背丈より小さい魚は小さいと言った。
46cmのイワナを目にして、言った言葉である。
僅か5歳の経験値はいと小さき事実であるのと同様に、その後何年経ってもその経験がなければ世界は広いという事実も解らぬまま歳をとってしまう。

残影を断ち切る為には、克服が必要なのであろう。

人生はその繰り返し。

それを脱出したものに与えられる称号は何といったであろうか?

小さな人間の考えなど地球の塵にも満たない大きさ。

それでもまた人は考える。

そしてまた、出て行くのである。

神々の起源

そこは、旅行ガイドには“最後の楽園”と書いてある。

“神々の住む島”とも書いてある。

過去には大東亜共栄圏になりつつあった事もあった。

その長き歴史にあっても今でもまだ途上の島で有ることには間違いなさそうだ。

貧富の差や格差は、まだまだ2010年の我が国と比較してもあまりにも大きすぎる。

そしてバリビンドゥーがこのバリを支えているのは、事実であろう。

そこに他民族が異文化を押しつける意味も見出せないほど寛容にも見える。

神々の住む島とか楽園とかとても良い響きは、綺麗好きな日本人から見れば、既に言葉の一人歩きで
私には雑踏と排気ガス、ゴミと腐臭が漂い、乞食、もの売り、ポン引きと、訳のわからぬ日本語を並べて勧誘する親父。
「ちょっと、フジヤマ、ヨシワラ、キノコ、味の素。」
全く持って知ってる日本語を並べて、いるが意図するところは理解できる。
この親父にほいほいとついて行く日本人は、全くの馬鹿か同等の人であろう。

ゴミというゴミはそこここらとも分別もなく散乱し、神々は寛容なのか、呆れているのか、解らないがこれが現実で、年端も行かぬ子供達の物乞いやベビーをその胸に抱いたまま物乞いする若い母親。
そこを、刺青と肌を露出した白人達が素通りする。
一見したところ、彼らにこの地を敬う気など毛頭ない雰囲気であって、日本人観光客の中にもそのような気もない人々が観察できる。
彼らの中にはバリの神々の守護はないのかもしれないが、それも許そうとするバリ人と環境と神々。

 我々の進行方向に白人の妊婦が、黒のタンクトップで近づいてきた。
その大きなお腹の部分には、それいっぱいにしどろおどろしい骸骨のプリントがしてあった。
少なからず我が国では、そんな妊婦さんを見たことが無かったので若干想定外ではあったが、それも小さな現実として受け入れる事にした。
でもその時とっさに思った事は、
「この生まれてくる子は骸骨好きになるのだろうか?」
という事であった。

 これが楽園と言うならば私は、行きたくない。
先進国の金持ちだけが行く所が楽園ならば、それが最後の楽園と言えるのか。

D社やS社だけの責任とは決して言えないが、番組の構成上から仕方ないので、それを非難する理由もなく、
綺麗で美しく、明るく、澄んだ、その大地と海と文化は、かなり偏った見方からできたものであり、それは釣り番組でも釣り雑誌でも語られる事はなく、観光ガイドでも語られる事は殆どない。
過去の悠久の歴史にバリが最後の楽園だったとしたら今は、2010年の楽園は終焉であろう。

ただそのほほ笑みと合掌の心は、単なるビジネスだけではないかもしれない、本質は神々が宿るところかもしれない。

それだけバリの神は寛容で偉大ですべてを受け入れる器があると言えるのかもしれない。

浪人と侍 

浪人とはことバンクによれば
ろう‐にん 〔ラウ‐〕 【浪人】
[名](スル)
1 古代、本籍地を離れ、他国を流浪している者。浮浪人。
2 (「牢人」とも書く)中世・近世、主家を自ら去ったり、あるいは失ったりした武士。江戸時代には幕府の大名取りつぶし政策などにより著しく増加し、政治・社会問題となった。浪士。
3 入学試験や入社試験に不合格となり、入学や就職ができないでいる人。また、職を失って、きまった職のない人。「一年―して志望校を目ざす」

送迎車が朝のラッシュを縫うようにかき分けて、高速の蟻達が蠢くように走るバイクはものすごい数である。
 港に近づくと産廃とゴミの集積場が観える。全くのNG風景であるがこれも現実。
それは、まさにガーベージマウンテン(ゴミ山)。
気勢を削がれる。
そして若干の脱力感が襲う。

運転手が送迎車を降りようとするとドアを開けてくれた。
けだるい暑さと湿気が我々を出迎えてくれる。
「うう、暑い。」
成田の朝は摂氏10℃。
11月初旬の千葉にしては少々肌寒いと感じたが、 ここは雨季の30℃以上の朝。
当然紫外線は強い。
「キャプテンお願いします!」
 短くて長いトリップが始まる。

T氏とI氏はやる気満々。

揺れるボートでストレッチを始める。

我はと言うと、疼く肩と手首の痛みは増すばかりで、頸椎から来ている痛みと強張りは更に人のやる気を削いでいく。
 ストレッチしてみてもそれはジリジリとしたこの太陽の光と同じく、一向に治まる気配はないのであった。
私にはこれが更に憂鬱な精神をさらに陰鬱にさせる。
 ここのスコールのようにはいかなく、長い秋雨のようだ。

いきなりボートが減速する。
海を見るとまたまたゴミが潮で集まって邪魔をする。
 コンビニ袋っぽいのはこの海で釣りたくない。

暫く揺られて、朝一の一級ポイントに着く。
さあ投げて。

それぞれ思いを込めて意気込みのキャスティング。
 その場に居ても心はバラバラ。
当然気合いの入れ具合もそれぞれで、余裕の無い様だが、熱意という言葉に転換してしまった。
 しかし、最も重要なのは、その日頃の日本で抱えてしまった悪い運気まで投げてしまわないと、これはえらいことになりそうだ。
S社の高級スピニングリールからまたまた何度も高級8本撚りの高分子ポリエチレンでできたブレイディッドライン(PE)が勢いよく低い呻きを上げて放出してゆく。
思い思いに泡を吐いたり、飛沫を上げたり、ヒラウチしたりと疑似餌達(LURE)は、大海原の中の塵のようなちっぽけな存在=アングラーの操作指令によってそれなりの動きで身もだえしながら、その水中で待ち受けているであろうと思われるロウニンを誘いだす事に全てをかけている模様。
所謂“おとり”という罠に是非はめてみたいとそれぞれ願をかける。
けれども、何度投げてみても、持てる気を吐いてみても、そうこちらの罠にはやすやすとは引っ掛かってくれない初日の現状は、初日という余裕とか肩慣らしとかいう名目でなんとかその場の状況を前向きにとらえようと皆さん必至であったようにおもえる。
暗雲立ち込めたり。
それでも諦めてはそれで終わり。
なんの意味もない。
己の自制心を失って自棄もおこせない。
羽目も外せない。
そして、釣り人はまた諦めない心を毎度のことながら反復練習する。
諦めない心と一言でいえば簡単だが、人の心はいつも折れることとのせめぎ合いなのであって、それはまさしく「考える葦」なのかもしれない。
 いくら考えてみても、いくら操作してみても、根性と気合でロッドを振ってもいつも同じ答えがかえってくるとは言えないのが釣りの予測のつかないところであり、面白さでもあったりする。
がやはり何らかのアクションがないとそれはそれで忍耐化して辛いものとなってしまう。
 あっという間に1ラウンド終了。
軒並み、持てる技はある程度出し切ってはみたものの、相手の防御は完璧なのか半分お手上げ。
 ちらりとCapt.の様子を偏光グラス越しに伺ってみるも、その髭を蓄えた風貌からは想像もつかないほど渋い様子。

彼の顔をみて更に現実を受け入れなければならない状況ではあった。

むなしく、ポップ音が潮騒にかき消されるほどに、気合もかき消してゆく。

その日のお弁当は日本食であるがその味は釣果にコートされて味も伝わらない。
 「まあ初日だから。」
と気休めに皆で気持ちを共有する。
良きも悪きも戦友といったところか。
今のところ幸い脱落者はいないようで、希望はまだまだ感じ取られた。
午後の中だるみを払拭すべく、若手将校たちは艦砲射撃を続ける。
かつての私の祖父達が傾倒していた巨砲主義は、今は形を変えて健全なスポーツで活きて?いるのか?

その日は最後までヤツは姿を現せる事なく終わった。

「ありがとうCapt.また明日お願いします。」
キャプテンは冴えていない顔を最大限に笑顔に変えて手を振った。
 その晩のビールは美味しかったかどうかは聞いていないが、コーヒーで済ませた私はコーヒーだけは旨かったように思えたが、気分は若干ブルーだった。
何をここまで来て考えているのか。
 未来の日本人の言葉には「旅の恥はかき捨てよ。改め旅の恥も持参しろ。」が適切なのではないだろうか。
クル-もプロの心は持ち合わせていて、客の不振に同じく浮かばれない表情で港を後にした。

しかし、我々はここで諦める訳にはいかなかった。

ああ大戦中でなくて良かった。
ご先祖様達はそこを死守するように言われていたのには、頭が下がるのであった。
 彼ら英霊の躯の上を我々は踏み台にして経済大国にまでのし上がったのだろうか。

 

辛い過去からの脱出をして60年以上が経った我々の祖国は、2010年迷い人の集まり国家にも見えてくるようになった。

 

 

 眠れない日の朝とコーヒー・・・その果てに

早々に目覚めるが朝はホテルのナシゴレンにバリコーヒー。
 相変わらず床が変わると寝られない大和人。
2杯ほどバリコーヒーを飲むと底に粉が溜まる。
これが3杯目となると泥が溜まったようになるのがちょっと辛いかも。
でもそのような事は気にしないのが現地風。
見た目にはとても濃いように感じるが飲んでみると案外あっさりとしているのが、アメリカのあのコーヒーの不味さより数段上の味がした。(アメリカのスタンダードなコーヒーの表現は薄い漢方薬?が適切な表現かもしれない。)
 お米の味もそれはそれで美味しく、いい感じ。長粒米であるが私には気にならないばかりか、逆にこれがいいという仲間もいたほど。
日本のお米は、ものすごく美味しいと私は思うが日本の短粒米は、ある面特殊な部類に入ると思えた。
 独特の香りと甘いテイスト。
そしてバリのコーヒーと朝のすがすがしさ。
 これが日中も続いてくれれば良いのだが。
その果てに観えるものは・・・・何だろうか・・・・・。

我々のチャーター車は、昨日と同じルートでバイクの混雑をかいくぐって、汚い港に向かう。

相変わらず我らは気合十分な感じ。
親父だけは、これを中途半端に流す。
車を降りてまたボートに向かう。
お粗末な浮桟橋。
そして、お決まりの飛散するゴミ。

バイクは半端ではない交通量とボリュームである。 

その昔この浮桟橋程度で船酔いする後輩の釣り人がいたのを思い出し、彼の顔が目に浮かんでしまう。

船外機2機がけのエンジン音と波。
ゆらり揺られて目的地まで。
人の心も毎日揺さぶられてくたびれて。
 都会の人ゴミにも悪酔いしそうになって。
渋谷の街も新宿の街も私には冷たく、釣具屋までも冷たい気がして。
さらに鼻持ちならぬエキスパート風の接客に更に疲れて。
東京駅のデパ地下で買い物してビジネス笑顔を頂く。
 それでも笑顔は、笑顔である。
バリ人の笑顔は無理がないように感じるのはバリヒンドゥーの力なのか。
 それでも彼らにも辛い現実はあるのであろう。

先鋒隊の射撃は、衰えるどころかブンブンと音を立ててポイントに。
執拗に攻め立てる。
 スラッグを巻き取って、ポッピング。
疑似餌はポカポカ、カポカポ、というよりは、早いテンポでストップアンドゴーでジャーク音を立てる。

後衛部隊は、幾分ゆったりと。


私は適当と。


H氏はひやひやと。

いつ吹くかも解らない気運との狭間に泳ぐ我々。


 恐らくこのメンバーの中で最も活きた心地がしないであろうH氏。
彼は、私の一回り後輩にあたるが、キャプテンと同じく、最も「魚よ出てくれ!」と心の叫びをシャウトしている人間であった。
 しかし、彼の祈りや念願も虚しく、ルアーは打ちこんではまたボートに返ってくるのであった。
さらに、追い打ちの冗談を交えてH氏をさらに窮地に追い詰めて行く私であった。

時々ちらりと後輩Hの様子を偏光グラス越しに観てみるが、弥生人系の彼の表情は、水木しげる風のタッチのサラリーマンの顔になっていた。
 その額から流れる汗は、暑さと冷や汗とこれは大変な辛さであろう。
彼のこころの乳酸値もややピーク気味であったろう。
 私は、彼を慰める言葉もかけようとするがそれは、嫌みな親父トークにしか聞こえなかったのかもしれない。
先輩風など吹かす予定は、毛頭ないのであるが結果そのようになったのかもしれない。
しかし、 その事は未だ彼に聞いていない。

雨季の空。
蒸し暑い。
暑いと言っても仕方がない。
濁った水に浮かんだゴミ。
それにマングローブ林。

ボートはサービスでドリンクフリー。

クーラーボックスの選択枝は、ダノンの水かアメリカが開発した世界中にある炭酸飲料。
コーラーかスプライト。
 当然ながら、伊藤園はないし、サントリーも無い。
ポカリスウェットは輸入品で高価なので予算オーバー。

親父とW先生とでコーラを飲む。

一応H君にも渡す。
勿論砂糖大盛り入り。

 


そして、また我々は、執拗にドーナツ岩を攻める。

攻めあぐんでいる先鋒隊からアクションがある。
後方からのぞいてみると。
「ヒット!」
T氏の過去のGTロッドが曲がっている。
S社の超高級スピニングリールの仕事も上々みたいである。
不備はない。
いきなり船上のテンションは浮上。
船上が急に慌ただしくなり、バトルになった模様。

急死に一生スペシャル。
(最初にそう思ったのはおそらくH氏であろう。)

クル-が跳ね起きて、速攻でネットを準備。
彼の静から動の動きはお見事である。
彼の先祖は忍者か。

難なくネットイン。

一気に皆ハイテンション。
歓声もあがる。
15kg〜位のGTではあるが、この状況での1本は1本。
無からの有は、貴重で初物は初物。
気分もいい。
笑顔の記念撮影も早々にリリース。
万歳三唱。
一気に祝福の嵐。
これだから釣りはやめられない。

しかしその後、笑顔は再び誰にも戻る事はなかった。
T氏の貴重な1本となった。
揺れるボートの中は幾分軽くはなったが、現実には既に前半戦は終了したのであった。
H氏の肩の荷は減ったみたいであったが、こころから喜ぶところにはまだ少し遠い所にあるみたいだ。
 彼の心境はいかばかりか。
しかし、それは仕方のない事であって、確信の無い私のフォローはあまり効き目はないようだった。

“釣れない時の特効薬ください”。
あれば皆飲んだと思う。

それでは釣自体もとても面白くなくなるだろうが。

私以上に眠れない夜を過ごしたのはH氏に違いなかった。
そんなことも忘れるほどに、私の部屋のバスはお湯が壊れたままで、いくら蛇口を捻っても水しか出てこなかった。
 しかし、別段腹も立たなかった。
風邪をひいたみたいだがそれもこの島では、簡単に受け入れてしまう。
これもバリの神様のいたずらかもしれない。
 

罪と罰 神々のきまぐれ

 3日目の朝もナシゴレンと言いたいところだがなぜかヌードルにした。
硬めの麺が胃にやさしくなさそうだが、それはそれで旨かった。
基本の味付けはナシゴレンとそう変わりはなかったが。
 それに、何故かまたバリコーヒー。
全くコーヒーに関心ないというより飲めないI先生とは対照的に私とT氏は旨いといいながら 2杯ほど飲むとすっかり出発時間。
それでも私は、三杯目を注いでそれも飲もうとしたが、飲みきる前に移動となった。
席を立つまで飲み続けたが。

移動。
通勤並みの当たり前のような気がした。
丁度通勤ラッシュのようだ。

先に車を降り、眼の前のゴミを踏まずにそこから1歩踏み出し、沖のほうを眺める。
 第一歩をゴミの上は御免である。
しかし如何に自分が気をつけようとも、突然に向こうから災難がやってくる場合も多々ある。

それは、 なんの前振りもなく興った。

「あああっ!平野さんゴメン!」
「えっ?」
一瞬何が起こったか解らなかった。
が次の瞬間生温かい飛沫が私の足首から脹脛にかけて噴射塗布されているではないか?
 それはGHQ気どりで先に降りた私のすぐ横に舞い降りて、第一歩を袋入りのクリーム状のものを踏んだT氏が速攻で詫びをいれた瞬間だった。
横にいた運転手は、お客の手前笑うに笑えずただ必至に苦笑するのであった。
 T氏も一瞬死を覚悟したのかもしれない。
その昔ほんの150年くらいならば・・・・。
「そこへ直れ!」
と一蹴りされて一刀両断。
首を跳ねられていただろう・・・・・・・・。
とI氏のご意見。(ごもっとも)
 ああ侍の時代で無くて良かった。
当然ながらそれがなんであったか確認は取っていない。
そのものが腐っての腐臭であれば絶対に確認したくなかったからだ。
 ボートでなくて丘でリバースはNGである。
これで運が付いたと皆から祝福されて、ボートに乗り込んだ。
 ボートに乗ってすかさずこれまたゴミが浮かぶ少々濁った海水をバケツに汲み一気にその物体Xを洗い流した。
あの瞬間を一刻も早く払拭したかったが、次に目に浮かんだのはその姿を観た若いドライバーの必至の苦笑であった。
お客の前では絶対に大笑いなどできない苦しい立場、しかし笑いは押さえられない。
 しかしサービス業のプロ根性で、なんとかここを上手く切り抜けなければ・・・という心境なのだろうか。
翌日他の理由という事であるが、彼は職を失ったらしい。(飲酒寝坊の常習犯だったという事らしい。)
 彼は暫く無職という、最も厳しい現実を突き付けられた結果となった。
まだまだ20代前半なのでやり直す事はできるだろう。

 荷物はキャプテン自らも運んでくれて、なんだか少し悪い気もした。
日本では、絶対に船頭さんが荷物を運ぶという事はまずよほどの事がない限りないだろう。

ゆらりゆられて90分。

ちょっと横幅の狭い感じのこのボート。
もう少しワイドならばなあ。


さあ、勝負開始か。

 少々不調気味の体も脂肪が少し落ちてきて幾分動きやすくなった気がする。

激流の中に白波サラシ。
潮の干満とチョークに絞られた地形により、流れはとても早く、しかも底の地形も入り組んでいるらしく、複雑な流れを形成している。
 この流れはいい感じであるが、ミニ鳴門状態。
白波を立ててぶつかりあい、サラシと流芯、ヒラキと巻き上げ。
小粒な渦。
海が活きている。


ここには淀んだ水は無く。


透明度の高い活きた水。

偏光を通して海底がぼんやりと映る。

前衛のキャスト1投目。


「ヒット!」
歓声もあがる。
 いきなりのいいカーブを放ってその先には明らかに生命感ある引き。
KVG(ロッド)がいい仕事しながらI氏の操作に答えている。


船内は一気にテンション浮上。
 辺りの船は、二漕程。 付近を流している。
一艇は、日本人らしく釣り人は2人。
一艇は、少し遠くだがこれも日本人と思われる。
入れ替わりで地元連中なのかどうか判らないがもう一艇。

お互いに魚の出るところは判っているのか、それぞれがいい間合いを保ちつつ流す。
それにちりちりと暑い日差しがupf50の日焼止防御皮膚を上から照りつくす。
  I氏のKVGは、彼の操作通りにいい仕事をしている。
ツインスピン(リール)の誤作動もない。
とても観ていて心配はない。
 ただ一人だけ、心の中でひたすらにキャッチを願う人がいる。
それは、勿論本人I氏であるが、それを節に願うのはH氏だった。
(私も勿論同じ気持ちではあるが、恐らくH氏のドキドキ感の半分以下であろう。)


MOON862-TCDH-KVGとその先にいる浪人者
すばらしい引きの浪人様

KVGとツインスピンがいい仕事しながら、とても良いペースで距離を詰めて行く姿を観て オーナー氏の勝利は目前と感じた。
クルー達もそう思ったに違いない。
透明度の良い水中から幾分銀色のグアニン反射。
 徐々に銀影は大きくなる。
「リーダー、リーダー。」
クル-がリーダ-をよこせと2度ほど合図を送る。
 水面に浮かぶGTは20kg前後。
完全に浮いた。
ピシャ。
 反転して勢いよくシルバーが底に向かって行く。
「あっ!」
 皆から声が上がる。
水面でバレてしまった。


水柱を立て反転 下降しようとするロウニンアジ
この後急速に潜って行った。

 リーダーインしたのでこれは獲った事になる。
とは言ったものの、その魚を画像に残す事が出来なかった。
 若干の残念。
しかし、ここは本日のここのポイントでの一投目。
 誰もがこの日の幸先のよさと、彼に運勢の波が来ていることを我々おっさん達は、ほぼ確信していた。
それから、快進撃が始まろうとしていたが、運勢とか気運とかは、波があってその最大限(ピーク)は誰も予測できない。
 後から思う事は、あの時が最大の波だったね。
と思う事が多々あって今回もT氏がそれを後で細かく分析して語ってくれた。
それを腕組みしながら聞きつつ、私はうなずくのであった。


人は一人では生きられない。


自分の気の波さえも解らない。

自分の事なのに。

自分自身の事も全く解らずにいる我々。
なんといと小さきものか。

少しだけ自分の良心に聞いてみたりもする。

 後の後悔先に立たず。
昔からそう言われるのは、それなりの現実の現象なのであろう。

それからしばらくは、彼に運勢は傾いていたと思われる。


 彼の投達点は、丁度痒いところに手が届くキャスト。
流れる如くのラインスラッグ(糸フケ)の回収。
流れに乗せながらのジャークアクション。
とてもリズミカルなストップ&ゴー。
 いい感じ・・・とても・・・出そうな感じ。
あとは魚だけ・・・。
 その後彼のヒットは続くが、それは大型のスマと同じく中大型のカスミアジであった。

ロッドはその都度いいカーブを描くが、もはや敵ではなかった。

 その運勢の中で、T氏が動いた。
流れはT-氏に移りつつあった。


神々の気まぐれ。


T氏は休む事なく、ルアーを投げ続ける。
淡々と投げては巻きまた投げる。
 汗も滴る。
その時であった。

「ああっ!!ヒット・・バレタ! …ああっ!・・・。」
ロッドが弧を描き、ドラグが鳴る。


S社の最高スピンのドラグはとてもスムースである。
立て続けのバイト(捕食)。
何と最初の一撃で喰い損ないでフックアップに至らず、
更に 追い食いで針掛かりしたのである。
もう彼の快進撃はもう止まらないようだった。


上手くバランスを取るT-氏と浪人鯵


魚は勿論、Speed&Powerful。
相手にとって不足はない。
そうあっさりとは浮かない。

魚にとっては命懸け。

 彼のロッドは、もはや誰もが忘れて振り帰られることもなくなってしまったあの竿。
しかしいい竿には変わりない。
それを彼が再び表舞台に押し上げて命あるところへ誘う。
それにリールは、最新型のスピニング。  堂々の30kg overはお見事。
彼の釣り運は止まらない。
彼のスレンダーなボディから筋肉がバネとなって連動する。
道具にも落ち度はないが・・・。
と・・思いきや、 いきなりバットキャップが落ちたのには少々びっくりした。
 T氏の話によると、コロコロ・・ポッチャン。
だったらしい。
このような事はそうないが彼の運勢はそこで終わった訳では無かったのは良かった。

T-氏は結局その日は2本、この3日間でトータル3本キャッチの良果だった。
本日の2本はいずれも1990年代当時のアベレージとすればかなり大きい部類に入ると思う。


それほど見事に丸々と太った魚体であった。
T−氏にも実感はあったと思われる。
T−さん次は、通算30本目のマーリンですか?

 

 

神々のいたずら


神々が居る島で、神々に翻弄されるのだろうか。

船の流すコースは流れに添って、船は舳先からポイントの射程に入る。

今日は最終日の彼らに任せよう。
私とH氏はその一言で一致したがずっと眺めても仕方ないので後方から投げて観る。
しかし、やはりいいコースは外れてしまうのは僅かなストレスにもつながりそうであるが、性懲りもなくまたキャストする。

時に思う事は、一人でのチャータ-はとても良い気がするが、案外と状況の把握が難しい上に、何よりも気持ちのモチベーション維持には幾分諦めが早くなりがちであるので
良い仲間はやはり必要になってくる。

おっさんチームは、後方で見物を基本としつつ投げては、水を飲みまた投げる。
 ダノンのカップウォーターは180mmくらいしか入っていないので、時々それを指で開けては喉を潤す。
陽射は上々。
 そして日頃は、殆どこの歳になって飲む事がなくなったコカコーラ―とスプライトの瓶を栓抜きで開ける。
幼少の頃とても美味しく感じたあの甘い味となんとも刺激的であった炭酸が喉を刺激するあの感覚。
ポシュゥ・・というあの音を懐かしく聞き、瓶口を口に運ぶのである。
 栓抜きが必要な事は、現在の日本ではあまりない。

 白粉の如く日焼け止めを塗りたくるが、汗と一緒に目に入って来てこれが結構痛いのであった。
これってなんとかならないものか。
それと整髪料が汗で溶けて目にしみるという事は、ないだろうか。
私は過去にそのような事が何度かあったので頭から真水で洗いたい気持ちになる。

激流のすぐ脇を絶妙なタイミングでCapt.が流しているのが一目瞭然。
 上手い。
その一言しかない。

暫くキャストを5人で繰り返すが、反応は全くなくなった。
 それでもキャストは止めない。
いや止められないのだ。
潮の微妙な動きに敏感なのか魚もぱったりと出ない。
 ただスプライトと水が消費されるだけ。
そしてコカコーラのローテーション。
頭には、“イエモン”でも“おーい”でもいいからそのようなものも欲しいと思ったりもする。

潮に流して操船しておくと、あるところで船が回転を始める。
キャプテンは上手く反転させると、そこで目前に視界が広がった。
 暗闇からの脱出とも牢獄からの解放とも言える視界はお見事という感じであった。
海原に怒涛の如く流れる潮と渦と波。
その流れの中のサラシの泡が気配と期待を打ちあげる。

S社の安物限定ペンシル185F(と言っても3600円を安物とは言えないのが本音。)が高級ペンシルの間に分け入ってアクションする。
 それが流芯を少しターンした頃、突然の捕食(バイト!)


トラベル73が一気にギュン!とバットまで撓る。
空かさず、腰の捻りを入れる。
バットまで入れ込む。
 クル―の声と共にキャプテンの「いいサイズ!」との御声がする。
彼は決して大きい声は出さない。
静かなるプロの声であって、煽りもしないが、冷静である。
そこはUSAのCapt.とは異なる、アジアな感じ。

 キリキリときしみ音をたててS社製(日本国内では売られる事もない見捨てられた)14000は、キリキリと歯ぎしりを立るが如くに糸が出てゆく。
トラベル73GLは一気にその粘り腰を活かしてその先の疑似餌を加えた奴をねじ伏せにかかるが、それは“柔よく剛を制す”。
首を振る奴に答えてゆっくりと締めにかかる。
“剛良く柔を断つ”と言わんばかりの浪人者の切れの良い太刀は、必至である形相と思われ、流れの中に突っ込む。
テンションは高め、決して伸されることもなく、バット部分までひん曲がるが、更に腰を興すとゆっくりと竿が起きてくる。
空かさずリールイン。
 キャプテンが絶妙なスピードで上手く根から剥がす様に操船する。
それがまた重いのであったが、伸される訳にはいかないのは、釣り人のプライドなのか。
あくまでも太刀打ち勝負であった。
 釣竿による釣りの基本はのべ竿である。(歴史的に)
リールのないのべ竿で伸される事は糸が切れて魚が逃げて行く事が想像される。
それで勝負は終わり。
 リールの高性能ドラグのみに頼り、竿の性能を使わない釣り方が一部行われているようではあるが、それはウインチのみの漁と変わらないのではなかろうか?。

魚が下に下にと伸してくる。

 Capt.は魚の方向を細かく観ながら船を上手く廻してくれる。(うーん、プロです。)
ここからがこの魚の重いところ。
魚は、横になって踏ん張りを効かせているころであるがスプリンター系のアジ科の魚。
なかなか奴も“しんどい”ところであろう。
勿論こちらも“しんどさ”はピークではあるが流石に重い。
下に入ってからの浪人者は重いのだ。
H氏の5分経過のアナウンスが入る。
時間が勝負では無いけれど、この僅か5分でも乳酸値は更に上がり、無酸素運動はもう限界にきて、息が上がり始めている。
 空気を取り込んでは、吐き、体温も上がる。
艫の場所では、フットポンピングも使えない。
 締めが利いたか奴は少しずつではあるが明らかにリールインされて行く。
ショートポンプ、リールインして間合いを詰めて行く。
魚とて一気にもうダッシュした後の更なる運動は、相当堪えている筈で徐々に絞り込まれたドラグ値限界までそう到達することも徐々になくなってはきた。

73BGをかなり絞り込んで行くGT

「リーダー。」
キャプテンが言う。
「でかい!。」とありきたりではあるがそういう時はそのような言葉しか出ないのであるが、皆その言葉を口々に言うのであった。
空かさずクルーがリーダーをとりにかかる。
二人がかりでランディング、ネットイン。
流石は彼らもプロである。
 確かにそれはT-氏のものより一回りと半以上大きかった。
浪人鯵としては、大型の前側には入っているサイズ。
分厚い筋肉。
「カンパチみたい。」とい言われて確かにそう思った。
皆口々に「でかい!」とか「すごい!」とか、“最小の動きで最大の効率”とか言われ放題。(単なるいいとこ取り・・・・とも。)

当人は息もあがり、そうかっこよくも無く淡々と写真を取ってから、二人がかりで浪人者を抱えて神の待つ海へと放ってやる。
 ありがとう!と素直に感謝する。
碧い海の中に息づく自然の鼓動と神々が住む海。
 ここで一番かっこ悪いのは少々疲れ気味の日本の親父かもしれない。
かっこ悪くても良いではないか。
この時はそう思えた。

丸々と太ったロウニンの帰って行くその先には、回復を待つ前に、さらに大いなる頂点=鱶が口を開けて待っているのかもしれない。
 格好の餌食。
食物連鎖の途中に若干の想定外の異変があり、それが人間の介入であって末路はあの軟骨魚類が襲うのであろうか・・。
彼が運よく海原を遊泳することを祈る。
そして今でもその威風堂々の浪人者であることを願うのであった。

 

同胞たちの休息

同胞とはまず信じるところから始まるのであり、それは絆という言葉にやがて変わって行くものであろうか。
それは、単なる希望かもしれないがそうあって欲しいと願う。
一生の間に人は、何人と親友や同胞と呼ばれる間柄になれるのであろうか。
それは鼻持ちならない小金持ちになるよりも難しい事なのかもしれない。

 

そこには、H氏の推奨で連れて行ってくれた日本料理屋があった。

国の食事は国で食べるのが一番であって、決して外の国で日本料理に期待してはならないのが鉄則であるのだが、なぜか行ってしまう。
ただし、そのオーナーが日本人であるかどうかは重要である。
 その日本語は怪しい文字や表現はないか、オーナーはお決まりの中国人なのではないだろうか?
これだけ日本食がインターナショナルになった今現在、見極めには、なかなか注意を要する。

このバリでも注意は必要ではあるがそこはH氏推薦のものであるので外さないのはほぼ確実だろう。
(彼の味覚が確かなものであれば。)

店主御勧めのグルーパーやフエフキは、癖もなく、鮮度も上々、味付けも良く、日本とそう変わらない。
いや外した店は日本にもある。
そういう面ではここの日本料理は美味しいほうである。
その味加減も上々で素材の味が生きている。
 地元のバリ人は店員以外はいない感じであり、ここが地元価格で無いのは良く解った。
所謂お金のある人が来る和食屋さんという感じであろうか。
 ビールとウーロン茶で祝杯。
お疲れ様といいつつ、来年の抱負となった。
 しかし、この貝とエビはあの淀んだ水の中で育ったものだろうか?
この疑問は、全員共通一致の疑問であった。

彼の味覚はどうやら間違ってはいなかったようである。


2日目のレストランで、恐怖のグラミーフライ。
痩せて更にととても不味かった。
少しケミカルな味もしたような・・・・。
単なる話のネタと割り切ったところも見受けられた。
はっきり言わせてもらえれば、とても美味しいとは言えない。


仲間というのはいいものである。
 それは、幸せも苦労も共に共有することができるからで幸福も分けられる訳であり、苦労も分割できる利点がある。
問題は、その仲間の質がどうあるかにもよるが・・我々は少なくてもこのツアー中紳士でいた事は言うまでもない。
それが海外にでるものの日本人として恥ずかしくない態度であると思う。
 先進国面したお金持ちが目下のものを召使の如く扱うのには、いつかしっぺ返しをされるのではないか?そう思えるのだ。
海外に出るとあらゆる差別はまだまだ生き続けていると思える。
この差別はまだまだ世界中の常識である事は、日頃あまり語られる事はないだろう。

次の日先発隊の2名は夜中の飛行機であの殺伐とした故郷日本に帰るのであった。
彼らの夢は、また近い未来に実現するであろう。
夢は大きい方が良いというが、現実に訪れる事を願う。
いつか実現しようとすれば気運もそちらに流れて行くと思うこの別れであった。
また日本で会おう。
現地時間の夜10:00時お迎えが来て彼ら一陣は帰国路についた。
この冴えない先進国での成功を祈る。

脱藩者の行方


現地の釣り人。四万十川でも似た人を良く見かけた。
案外、ゴミは多く浮いている。
生活ゴミ満載に近い。

通常脱藩して浪人者となれば行方もしらず、武士とは名ばかりの位置でしかない、その立場はなかなか辛いものであろうが、脱藩となればその一族まで辛いものとなったらしいがその実際は解らない。
ただその浪人者の一人が歴史を変えた脱藩者もいたのも事実。

 親父組2人と親父候補(もう半分親父)のH氏といつものホテルで毎朝のナシゴレン。それなりに油も効いてくるので、麺にしたが同じ味で少し甘くおいしいのであるが流石に5日間続けるとバリコーヒーが主体になって来る。
それも普通のティーカップに注ぐ為、3杯くらいは常になる。
 隣のオレンジジュースは果汁10%程度の昔良く飲んだ味。
日本で飲むと不味く感じるこの味もこの国では美味く感じたりするのは不思議である。

出迎えの運転手は解雇になってしまったので今日は違う。
Capt..の表情は少し晴れた様子でいつもの笑顔にも重みはないように伺える。
テンションも親父組らしく、落ち着いて少し静か。


 浪人を追って揺られる。船は前後左右に揺られて急に減速して大波を越えてさらにまた加速。
ふとH氏が気になり彼の方向をみると、やはり元気は少しなさそうに感じ水木しげるのマンガに出てきそうな魂の抜かれたサラリーマン風になっていた。
“よほど気付かれしているのかな”
まだまだプレッシャーの中にあり、疲れもピークなのであろうか。

ここのポイントがベストなのかボートは計3隻。
 流す位置は若干違えどもそれぞれがそれぞれでの思うところがあるのだろう。

さて本日は、舳で投げる人がいない。
さあ、じゃあ投げるか・・・。
 親父達が浪人を狙う。
今日はリアルベイト130gを主力に投げる。
相変わらずS社のリールは秀作であるが色気も素っ気もない。
そればかりか、SFアニメから出てきたようなデザインは親父には受け入れ難いものがありそうだ。
 高級8本撚りのラインは、その細さからは想像もできないほどの強度。
これが近年のライトタックルの歴史を変えたと言っても過言ではない。
 そのラインに合わせたロッド、リール。
そして最上を誇るS社のスピニングリール。(どうも好きにはなれないけれど選択枝はそうないのが現実である。)

肩が軋み首は痛み腕は痺れる、情けないが仕方がない。
腰が痛むがこれも仕方がない。
手首も痛むがこれも仕方がない。
 すべてとは言わないが若気の至りの結果である。
肩と首は職業病に近いとは思うが。

「潮が良くなります。 」とCapt.が小さい声でいう。
いい磯場に切り立った磯がうまく流れを小さく絞り、激流を呼ぶ。
碧白潮流は青龍となって、川の激流の如し。
 リアルベイト(疑似餌)は、激流の潮騒にかき消されて着水音はボートまでは伝わらなく、白に揉み消されそうになるが、ラインスラッグを回収してその行方を確認する。
BG73Travel rod に最初のジャークを入れると擬似餌は激流を噛んでヒラヒラとヒラ打つ。
太陽光を僅かに反射して、波に揉まれながらも目視可能。

キャストしてはアクション、またキャスト、その繰り返し。
その繰り返しの作業ではあるが 暫くすると釣り人の勘というか第六感というか、海中から漂ってくるなみなみならぬ生命感だけが感じられるようになる。
 これだから釣りは辞めることができない己の野生を呼び起こす。
「オオキイ、いいサイズ!」とCapt.が小さく叫ぶ。
「アワセテ!」
ロッドがキュンと曲がる。
腰を溜めて一回、二回ほどアワセを入れてやる。
一気にロッドはバットまで撓るとたまらず我慢していたリールからギギィ・・・ともジャーとも解らぬ悲鳴を上げて奴の首振りと同調しきれた筈のロッドの撓りと同時に音を立てていった。
緩すぎれば糸はどんどん出ていって根ズレを起こしてブレイクするし、ドラグを締めすぎると今度は高切れやアワセ切れ、あるいは、ロッドの破損に繋がる。
 丁度良い勝負どころが必要であるが、この魚の時は8kg前後であった。
かなりのドラグテンションではあるが糸も簡単に出して行く。
 竿がギュンと撓る度にギ―、ギ―とリールが音を立ててまたラインがでる。
 しばしその悲鳴を聞いてはみるものの潮音にかき消されつつもラインローラーのキリキリという音ははっきりと耳元まで届き、根まで持って行かれないところで止まってくれるのを願うと同時にもう少しドラグを締めにかかる。
魚が船より遠い時はラインとロッドの角度は鈍角になるのでそれに合わせてロッドを立てる事ができるのでバットのパワーを最大限に使って魚にプレッシャーを与え続ける。
 糸を少し出しつつも止まる気配を見せ、止まった瞬間にポンピングをかける、根際のファイトはライン切れを防ぐためにも早急に回収したいところ。
そこでCapt.が根から剥がす(水深のあるより安全な場所)為にゆっくりとゴスタン(後進)をかけて行くがそれがやはり絶妙なタイミングで息をアングラーにぴったりと合わせてくれる。
プロだな・・・何度も感心する。
 日本にも優秀な遊魚船の船頭さんは多々いるが、このペースで常にアングラーに 合わせた操船をするCapt.はなかなかめぐりあわせが少ない。
自国に於いては、多人数乗船で多くの仕掛けをボトムに立てながら上手く操船する技術は、世界一と思われるが、魚が掛ってからのサポートとなると全くノーサポートという場合もあり困惑する。

乳酸値はかなり増したと思われ、痛めたまま一向に回復の兆しの見えない右肩筋肉が、悲鳴を上げて、あの何度か経験しためりめりと筋肉が剥がれるような感覚と痛みは耐えがたいものではあるが
戦闘態勢にある体内の影響でアドネナリンの引き起こす興奮と、脳内モルヒネ?風の痛覚を感じにくくさせる機能の御蔭で(はたまたバリの神々のおかげで?)ファイト中の痛みはあまりない。


じわじわと(後進)ゴスタンが効いてくるがその間のハイプレッシャーでロッドを溜めるので精一杯であるがCapt.は、それも良く観ていてできるだけアングラーの負担を最小限に抑えるように後進を微妙にかけて行く。
 ここで今一部のアングラーの間で行われてる、ロッドを寝かして伸した状態で後進をかける方法を行えば、ロッドワークしながらよりも楽に魚を寄せ獲る事で自体は楽になるし、アングラーの負担もさらに軽減されるがそれは、ウインチ釣法とまったくなんの違いも無いのであくまでもロッドで戦う方向性に変わりはないのであった。

ゴスタンと共に圧し掛かる重量感。
水流と魚の抵抗で水圧を受けてロッドがさらにバット上まで曲がり、首振りを上手く吸収しながらも 隙あらばリカバリ-(復元)しようとする。
じわじわと復元し始めるとその間合いをショートポンピングでリールインして行く。
ショートポンプは1リフト1回転のリールイン。
 グワリと竿先が起きてくると2回転程度のリフトをするがボート下に来てからの重みは更に脚腰の筋力を使う。
言葉ではそう表現程度であるが本人は至って辛くここが勝負どころとなる。

丁度ボート下攻防の中盤、いやなサラサラというか、コリコリという感触がPEラインを通して感じる。
“やばい、擦ってる”
ここでラインブレイクする訳にはいかない。
 懸命にリフトにかかるがドラグ摘みを絞り竿の限界を伺いながら判断し、少しづつテンションを上げて行く。
暫くして、ふっとこりこり感が無くなる。
“よし、回避”
しかしながら、奴も最後まで諦めようとはしなかった。
魚も限界まで走り続け、底棚をキープしようと最後の抵抗に至るがこの時間は最初のダッシュを凌いでから3分、5分、7分と過ぎて行った。

どうやっても辛いものは辛く、“しんどさ”に代わりはないが、魚ももう勢いよくドラグを出すことはなくなった。
 竿をめいいっぱい曲げる事が最大運動となってくる。
エネルギー不足と運動不足の膝が笑いそうになるのを感じる。
 その針から(苦しみ)からなんとか逃げようと浪人者は必死の抵抗を続けるが、奴も(私も)筋肉中の乳酸値はほぼ最大に引き上げられている頃である。
誰でも今置かれている苦痛や苦しみ、心の闇から逃げたいと思っている。それは浪人者だけの話に留まらない。

暴虐的ともいえるロウニンアジの引きは、そのピーク時は果てしなく続きそうに見えるが、重くのしかかってくるテンションとは裏腹に起承転結の解りやすい魚らしく、潔い魚であるかのように少しずつ、少しずつではあるが浮いてくる。

H氏が「ビルダーさんガンバ!」と船酔いで気持悪そうな顔から最大限に励ますように一言声をかけてくれた。
 彼にしてみては最大限の応援だったかもしれない。

ふと横を観るとダイビング船が我々の様子を見学していた。
ダイビング船のキャプテンとこちらのキャプテンとでなにやら大声で話していたが現地の言葉に理解出来なかったが
恐らく、なにが掛ったのかという質問にロウニンアジのいいサイズという会話であったと推測できる。
暫くの間、その船は、我々のボートの回りを廻りながら見学をしていたが、一向に上がる気配のない様子に諦めたか、元々ダイバーには関心が無かったのか、すっと居なくなってしまった。

10分以上が経過したと思われる頃、不具合な腰が限界に近いような気がした。
ほぼ直下のファイトはまさに骨が折れるという表現がぴったりであるかのように苦痛に満ちている。
それでもアングラーはショートポンプで間合いを詰めるいや釣人の性で詰めざるを得ないのである。

一体この状態が何時まで続くのであろうか。
魚との間合いはもう15mくらいではないだろうか?
 とすればあともう少しの辛抱となるが。
しかし、もしこのテンションであと10分踏ん張らないと行けない、という事であれば一体己の体力は持ち堪えることができるのであろうか?
咄嗟に思い浮かんだ言葉は、
「HさんHARNESSを出して来て!Reel Restと・・・・・。」
状況判断としてはベターと思われた。
船はヒットポイントよりかなり下流に流されてそれに潮がぶつかって大きく揺れる。
それが魚をよりいっそう重く感じさせるのであった。

もたもたしながらもHがハーネスを掛けてくれたが、セット完了の時間には、魚は先ほどまでの横に貼りつくような引きとトルクは感じられなくなり、すいすいとリフトアップするとすいすいと上ってきた。
H氏が隣ででかいでかいと連発してくれて、クル―は2人掛りの体制にバタバタと機敏に準備をし始めた。

「リ-ダー!」とCapt.が叫ぶと一人が手際良くリーダーを掴み一人がその大タモを魚頭に向ける。もう最中は殆ど動けない状態であり、それはあのサットウ(アブラソコムツ)の往生際の悪さとはまったく正反対でもうどうにでもしろと言わんばかりの往生際の良さ。
H氏の気分優れない顔からも、よほどの大きさなのか目が輝きに代わっているのは流石に釣人だと思った。
無事ネットインして皆興奮の坩堝にはあったが、本人は安心したとたんに笑顔もそこそこに、うまく表現できなかったのである。
これが欧米なら歓喜乱舞系か、日本人でも最近はそういう人も見かけるが。


バイト後のターンではこのパターンのフッキングが多いが、魚を浮かせるにはこの針掛かり位置では
アングラーが、なかなかかなり辛いパターンに思える。
ルアーは、やはりリアルベイト130 サンマカラー

 二人がかりでも一発目ではボートに上げられず、2回、3回目でようやくボートに入れることができた。
空かさずクルーおよびキャプテンと友人達に感謝。
心の中でバリの神々にも感謝をした。
お見事のお言葉をH氏から頂いて、ようやく彼の肩の荷が降りたと認識できた。
  ここでアングラーは勿論ゲストではあるが、感謝の念は決して忘れてはならないと思う。
良い仕事をしてくれた人への感謝の念は、最低限のマナーであると痛感したのであった。
この小さな出来事が今回の最大限の収穫であったかもしれない。


 迅速にフックを外す事は最も重要であるが、バーブレス(カエシ無)とは言えど素手では外せないし、魚へのダメージも大きい


お互いにこの感謝するという事ができるようになれば、現在のあらゆるいざこざは無くなるのではないか?そう思ったりする。
狭い釣業界のプチ有名人のエゴの張り合いのつきあいほど疲れる事はないのである。


今回の最大の浪人者老成魚の風格ロッドはBG73-GLTRAVEL73 3pcs
昨今の魚眼レンズ撮影はしていない。
魚を無理やり膝前で立てると、腹部の負担もかなり大きくなると思われる

過去にあの歴史を動かした脱藩者は、最後には切り殺されてしまったが、彼は今でも歴史の中心人物として名を残しているのは事実である。
この老成魚の鰓骸は、まったくもって動いていないほど、疲労困憊、瀕死の状態に近かったがクルーの最大限の努力によって海へ帰っていった。
 その後、彼が生き延びられたかどうかは定かではない。
またまた鱶の餌になったかもしれないし、絶命したかもしれない。
 海に帰すことに意味がある、ともいう人も過去にいたがそれは、それで海に帰すことだけに意味を見出した人の意見で、同じ帰すならば原状復帰に近いところまで面倒をみるのが筋であろう。
所詮ゲームとは言えど狩猟スポーツ故に、この老成浪人鯵の運命は、リスクを負って海原に放てられた。

バリではロウニンアジは列記とした貴重な食料であり、ごちそうであるのは間違いない事でそれは誰も否定できない事実。
それを捻じ曲げてリリースすることが偉いなどとは決して言える訳でもなく、それは、先進国の恵まれた環境にある人間のたわごとなのかもしれない。
元来、釣りという行為は狩猟行為なわけであって、それが豊かさと共に文化とかスポーツという言葉に換えられて続いているだけなのかもしれない。
  問題は、いまある問題や課題から目を反らすことなく、向き合って常に改善されていくことにあるのではなかろうか。
もし、本当の意味での環境保護まで考えているならばあらゆる総合的な打開策が必要となると言えるだろう。

試練の果てに
試練は乗り越える為にあると言う事らしい


激流に挑む魚神さんと筆者

それでも確実に次ぎの朝は来る訳で、体調管理も考えて早目に宿に帰る事を考えて明日の強行スケジュールに備えた。
これが早朝でないのが救いであるがその理由は、まだまだこの海域も100%安全という事ではない事情があるようだ。
 朝も何故にかナシゴレンを彼は選択したので私もそれにした。
若干遅れ気味に出発したのであるが他の船は既に出払ったらしい。
オーナーの出迎えでそれを知った。

いつも気になるので、H氏の表情を伺って観るが、少し青白い顔をしていた。
体調は今一優れない様子であるが、これから興るであろう拷問に近い試練が待ち受けていようとは、本人も薄々感じていた事だろう。
その事がさらに彼の期待と不安と恐怖を増殖させているのだろうか。
全ては、その顔に表れているようだった。

ボートは、波を蹴って前後に揺れて進んでいる時には案外皆酔わない傾向にあるが、ローリングや三角波っぽい不規則な揺れには弱い。
 「さあポイントだ。」
「最後だから頑張るか。」という問いかけにも辛うじて答える程度まで彼のテンションは落ちていた。
 それから彼は上と下からのチャム状態(巻き餌状態)にかなりの苦痛を感じていたに違いない。
照りつける太陽は、どんどん水分を奪って行くが、こう上下と出し続けていては、脱水症状になりかねない。
心配しつつも、彼の様子を案じてみるが、時々水はゆっくりと口に入れている様子だった。

この日はボート3隻のプレッシャーに先行きは若干見えないようであるが、来たからには竿を出すしかない。
しかし、ミヨシに立つのは、何処を見渡しても私一人だった。
腹を決めて舳先で頑張る事に決めた。

何故か最終日の本日は、皆リアルベイト130gをセットしていたのであるが、今までの実績から言っても当然の選択と見えた。
勿論3日目の25kg程度のGTは、中国製120gペンシルで上げたのであるがそれを使う気にはならなかった。
そのルアーはGTの一噛みで深い傷を負ってしまい、何時でも浸水状態にあった。

30分が過ぎてCapt.が「まだ今日の潮は動いていない。」
「もうちょっとで・・。」
それはプロの意見なのでその時合を待つことにするが、気を抜かずにキャストを続けた。

しかし、今日も陽射はとても厳しく強いものであった。
白泡の流れの流芯からひらきにでる流れに乗せてペンシルをジャークしてヒラ打ち(フラッシング)させる。
11時を回ったところで潮が動きだしたかに見えた。

水柱を立ててズンと重みが加わる。
いつもCapt.が次に言う事は決まっていた。
「アワセテ!」
勢いよくドラグが滑って糸が出て行った。
とても元気の良い奴だ。
 ガツガツという引きと、それにあわせてジッ、ジーと迫力の無いドラグ音を出しているが、昨日の巨アジの後にさらにもう一本立て続けに上げた後よりも、本日1本目なので疲れは無い。
脚と腰は少し筋肉痛気味ではあるが。

若い奴程元気がいい。
そんな1匹であるが、H氏曰く、P国ではなかなか最大サイズに近いサイズであるというお言葉を貰い受けて、この魚をリリースした。

勢いよく海中に潜って行った。
彼ならきっと生き延びるかもしれない。

「さあ、先生の出番だよ。」
「ぅぅぅ・・・はい。」と聞こえたがそれは、本人は“はい”とだけ言ったのかもしれないが確かに小さなうめき声を聞いた。
地獄からの呻きにならなければ良いと思ったが。
 さあ、1投目。

なんと、いきなりのヒット。
とても辛そう。
いきなりのバイトは心臓に悪いらしい。
どんな体調にあろうとも、奴は容赦無い。
というよりも、彼にとっては全力が当たり前。
人間の体調どころかこちらは命懸けの事である。

とても辛い、しかし最も贅沢な環境にあって、飴と鞭を同時に味わっているかの如く、幸と不幸の瀬戸際か、それともただ単に今ここにいる事に後悔しているのか彼にしか解らなかった。
しかし、興奮状態というのは大したものであの脱水症状に近い条件でファイトをしている。
 祖父達は、そんな状況の何十倍の苦痛の中で現場を死守していたのであろう。

その後、彼は水分という水分を出し切りながらも、なんとかやりきった。
体調万全であれば4本以上キャッチしたに違いない。
うち1本は、擬似餌丸飲みによるラインブレイクなのでこれはどの道ラインブレイクした可能性大ではあるが。
1本上げる度に彼は、嬉しい顔よりもさらに“ゲゲゲのなんとか”になりつつあった。

最終日は、それに相応しくかどうかは解らないが4本の魚を上げることができた。
バイトでは6を数える。
 うち外道は、やはりスマで4kgくらいあった。
ざっと20〜25〜20〜33kg前後といったところだろうか。

ふらふらになりながらもH氏とその仲間達は、帰港した。
運転手の迎えまでは少し早かったが、その間の約30分は灼熱の太陽とゴミの腐臭と蝿の多さに参ったがそれも仕方ない気がした。
1970年代の私が育ったその昔もそういえばゴミは今ほど分別されておらず、現在よりもゴミの日の集積場は腐臭が漂っていた。
 それももう35年以上も前の話である。

日本は、やはり世界でも珍しいくらいに綺麗好きのようであり、2010年時点のアジアでは、お隣の大国に苦慮しながらも先進国の面目を保っている。

 


まさに“死亡遊戯”状態であげた量型ロウニンアジ成魚の風格と水木プロダクション最有力候補。

バタバタと余韻に耽る余裕も全くなく、帰国の準備と後始末に入った。
少ししょっぱい感じのする水道水でリールも洗う。
あわてて水しか出ないシャワーで塩と汗も流す。(ホテルのボイラーは最後まで直る事は無かった。)
 既にその日は、帰国日なのであった。
荷物を速攻で纏めてなんとかかんとか。
いつもここが辛い所でもあったりする。
ひたすら帰り支度の夜。
と言っても釣具が大半であるが。

夜中の空港で、帰りの便を待つ。
忍者と私と魚神さんの3人。
何とも言えない虚ろな我々と雑多な空港。
椅子らしい椅子は既に占拠され、壊れている椅子だけが空いていて、思わず誰もが一回は座ってみるが、直ぐに諦める。
何時になったら修理してくれるのだろうか。
ここからすべてがインターナショナルプライスであって、現地の趣は既に欠如していた。

2010年も終わりを迎える頃の我々のトリップは終わったがまた、神々に逢える日を楽しみにしている。
その時にまだバリに神々が住んでおられたらの話ではあるが。
我が国にもまだ住んでおられる事を心から望む。

2010年12月吉日

忍者の夢(ハットリくんの向こうから)
FISH NAVI BROGから編集


孤高の男の孤独と現実の先に観えるものは・・・・・・・・・・・・それから訪れる幸せなのであろうか。

10月になりインドネシアも雨季に入り、GTフィッシングにおいて本格的にシーズン到来しました。これから多くのお客様を迎えるだろう(そうあって欲しい・・・・)前に、バリ島調査を行いました。
今回調査に携わって頂いたのは、H、W、T、I氏の4名様、各分野のスペシャリスト達の力を借りて、ライブ(or)デッドベイト、フライ、まで、あらゆる釣法でバリ島の可能性を見出す事が目的でありました。現地で様々なデータが取れ、多くの情報を共有できた事、何よりも参加頂いた皆さんには感謝に尽きません(本当にありがとうございました)。

さて、そのバリ島GTフィッシングを代表する激流ポイントが、バリ島からボートを走らす事90分、ペニダ島の真裏(東端)にある“バトゥアバ(Batu Abah)”にあり。世界にも希に見る激流ポイントで、ここには大型GTが潜んでおり、このポイントの虜になったアングラーは数知れない。この激流が形成されるのは3つの要素があり、1つは、バリ島は赤道直下に位置する事、新月・満月(大潮まわり)になると月の引力がバリ島に大きく働きかけ干満差・潮周りをより激しくし、それに対して【雨季】と【乾季】の季節風が関係する。雨季(10〜4月)は西風(インド洋からの湿った暖風)が吹き水温が高くなりGTが好調となり、逆に乾季(5〜9月)は東風(冬のオーストラリアからの乾いた風)が吹くので水温が20度ぐらいまで下がりGTが不調になります(観光としては最高に良いが・・)。よって、このような干満の差、季節風によるウネリ、複雑な地形が、独特の激流を作り出している。ツアーとしては身近なバリ島ではありますが、“フィッシング”としての攻め方は異例中の異例、教科書通りにはいかず、誰に何が起こるのか分からないのがバリの最大の魅力であります。

今回はいろいろな釣法をもっての調査で、前半は風の影響でバトゥアバに行けず、逆ルートからアクセスを試みるも高波で断念、風裏になるレンボガン島周辺を探ることとなった。とにかく可能性のあるポイントをいろいろ攻めるも、船長のバチョが「潮が全く動かない」とのタメ息が海の不調さを物語る。ここ2日でキャッチできたのはTさんの1本のみ、ツアーを提供する側としては、胃が痛〜くなる前半でありました。後半(3日間)になると海況が良くなり、やっとバトゥアバに行ける事ができました。開始早々GT祭りが始まり、頑張れば頑張るだけGTは応えてくれました。「40(歳)を超えたオッサンに〜」とビルダーさんの嘆きもむなしく、容赦なくGTがルアーに襲ってくれて、私としてはホッと一安心。最終的には計14本のGTが上がりました。


忍者が獲られたグッドサイズの砲弾ボディの浪人鯵
このようなまるっこいボディが特徴のエリアであろうか。

ハットリくん二の巻
忍者というよりはあの感じが良い
それは勿論NINJAではない


ちょっとカッコ悪い親父と昔とった杵柄の末路
その先に何をみるのか

ビルダーが釣った今ツアーの最大魚となります。これだけの大サイズなので驚きものですが、実はこれは“マルチピース(3本つなぎ)”のロッドで上げられたものです。通常トラウト、シーバス、サーモンであれば、市販品のマルチピースが売られておりますね。

でもGTロッドでは殆ど見た事がないと思います。理由は簡単、GTフィッシングでは耐えられないからです。

実際100g以上の重いルアー投げ、バイト時の衝撃、その後の急降下トルクに耐えながら、最終的にはそれをリフティングする・・・・そんなタフな状況を余儀なく強いられます。

更にマルチピースにする事で、本数に比例して壊れる要素が増え、当時の技術ではもう限界!という事でGTフィッシングにおいては最終的に1ピースが主流となっております。
ここではじめて本題に入ります。

遠征に行った事がある方はご存知かもしれませんが、基本的にロッドは免責扱い(壊れても航空会社は責任をもちません)になります。

当然我々は厳重梱包をするわけですが、渡航するお国柄(or航空会社によって)、平気で荷物が届かなかったり、破損していたり、というのもしばしばあります。

まして最近は荷物の個数制限(増える分は有料化)、サイズ制限、などがより厳しくなりつつあります。特にヨーロッパでは、壊れる、届かない事は日常茶飯時である為、機内に持込めるマルチピースは多くの需要があるようです。

ビルダーさんも昔から多くの遠征をこなす中、そんな事例を直で経験し、長い年月をかけて強力なブランクを開発され、その救世主が、GTロッドのマルチピース(トラベルロッド)でありました。

今回のロッドは80ポンドクラスのブランクを採用した3本継ぎ。

コンパクトにすると80cmほどになり機内に持込めるので、万一メインロッドに何かあっても、これを予備として(もちろんメインとしても)使う事ができるのです。

バリの場合は、フィールド的にも、相手のサイズにも不足なし!という事でのお試しでした。今後、コモドやアロールなど辺鄙(へんぴ)なところに行けば、不測の事態を想定して(実際、過去にもありました)。

 

 

機内に持込めるロッドがあると安心できますね。

 

BG73-GLTRAVEL73 3pcsトリプルラップ仕様とロウニンアジ。
GTを始めTUNA、TARPONと世界の魚と渡り合う為のトラベルマルチピースロッド。

あなたの夢の手助けをきっとしてくれるでしょう。

 

甲賀者の襲来


ウブドの観光お決まり名所らしい

バリ島フィッシングツアー中、ホテル〜港にかけて車を走らせると、4〜5件ぐらいの小さい釣具屋さんを目にします。・・・・・・・という事でバリ島の釣具屋めぐりをしてみました。

バリ製のGTポッパー(殆どアデ製ですが)、多少の怪しいリール(コピー物)、DAIWAっぽいメーカー?はありましたが(笑)、ダイワやシマノ製品が置いている高級コーナーもあったりして、案外まともだったのが逆に期待ハズレでちょっと残念。ただエギ(餌木)類がやけに豊富でキレイな仕上がりなので良い仕事をしているな〜と関心しました。

バリ島でもイカ釣りが盛んみたいです。

午前中は釣具屋巡りをして、昼はウブド村に癒されに、後半は雑貨屋めぐり(買物)ができます。ツアーで休憩日を設けた場合は是非ご利用ください。

本当は半加工された貝など、ルアーの原料的なものが仕入れられたらな〜と探しましたが、その様なお店はありませんでした。後々調べてみると、原料はジャワ島などで獲って、ある程度加工したものがバリ島に渡るとの事でした。

釣人により気に入って頂くツアーを目指す為に、まだまだ改良は必要です。

 

 

 

 


35kg弱程度の ロウニンアジ成魚の顎と歯。
これだけの顎と筋肉であれば ウッドルアーは弾痕のような傷ができる。
アジ科でこの歯は流石に凄い。上顎側の歯は確認する時間もなくリリースされた。


プラスチックルアーは一撃で以上の通り。 疑似餌は消耗品である。
消耗品にもそのランクの差はある。

使用参考タックル
MOON-862-TCDH-KVG 30-80Lb
MOON-GTH 80Lb

MOON-BG73-GL TRAVEL 3pcs 80Lb
MOON-BG73-SG TRAVEL 3pcs 80Lb


トラベル73 3pcs フルカスタムトリプルラップ仕様  2010年当時では、恐らく最強であったであろう。

2011年元旦 楽園の復活を願って。

楽園の終焉シリーズ
楽園とパラダイス
天国とヘブン
どうやらその区別があるらしいが、詳細は私には解らない。

このシリーズもお陰さまで3部プラス1部の4部構成となりました。
時の流れるのはとても早く感じ、あっと言う間にほぼ5年が過ぎ去りました。
一人生10年といいますが、勝手に思えば30代からの人生はその前より数倍早く感じます。
 第一次バリGTブームは、90年代でした。
釣人もほぼ100%に近い人が日本人と聞きましたが、今(2016年)は、地元のローカルアングラーも増え、インドネシア本島からもここへ来ると聞く。
 また、オーストラリアからひじょうに近い事もあり、オージーアングラーも多くなった。
今や、日本人のお家芸とまで言われたGTゲームは、インターナショナルで増え続け、現在も更に加速している。
逆に日本のGTアングラーは、かなり減っていると思われる。
それだけ世界は、狭くなってきている。

  次回が、何時訪れるのかは忍者くんとの秘密二する事にしました。

2016年1月10日追記

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