戦友
磯からの釣りに拘ったその半生
何とも薩摩隼人な人間である。
私が申す釣りと言う行為は、遊びやスポーツを含む趣味の世界なので人それぞれの楽しみ方があって当然であり、我が国では認められている立派な余暇でもある。
その中でも彼が求めていたもの、それは業界の意図やマスコミの操作と言ったあらゆる利害行為とは縁遠く、天上天下唯我独尊の求道者の道であったように思う。
それは正に、人間の持てる最大の能力を使って対峙する、ある意味究極の魚との戦いである。
それは、フィールドに立脚しており、それをすばやく整理してフィードバックして私のような、愚かな職人にも伝えられる能力を兼ね備えた所謂エキスパートであろう。
-最終章-(磯の作法より抜粋)
屋久島の磯で何気なく放ったルアーを全て持っていかれて呆然としたあの時から、
とにかくデカい魚を釣り上げてみたかった。
デカい魚を釣り上げる技(わざ)と術(すべ)を身に付けたかった。
技術とは「= 道具」ではなく、
技術とは「= 情報」でもなく、
できれば何度もの試行錯誤と経験を経て自分の身体の中に刷り込まれるものでありたいと思った。
だから道具も情報もなるべくシンプルに、必要に足る最小限で挑みたかった。
ベイトかルアーかは大きな問題ではないと思った。
それはただラインの先端に何が付いているか?というだけのこと。
ゲームフッシングか否かの線引きをそこに設けようとするのは日本独特の習慣だと思うが、それは「売る側の理論」だと思う。
主役はあくまでもフィールドに通うアマチュアの釣師であるべきだと先輩から教えられた。
大事なのは何に拘ってワザを磨くかということ。
何らかの制限を設けないとワザは向上しないと思ったからIGFAルールを持ち込んだ。
磯からスタンダップで50キロの魚が獲れるのであれば、
同じタックルで20キロはより簡単に獲れなければならない。
それが「ワザ」だと思う。
同じ理屈で10キロの魚はより容易に、5キロの魚ならほぼ確実に獲れなければウソだろう。
小笠原の磯にはそれを実験して実証できるだけのキャパシティがあった。
偶然でもなくラッキーでもなく、自分のウデで巨大な魚を仕留めたのだと確信できるだけの数は獲ったと自負している。
小笠原への遠征は今回で一旦区切りをつけることにする。
次の遠征の予定は今のところない。
ナイロンラインの30LB、50LBというごく普通のラインシステムであっても磯の大物と十分に渡り合うことができる。
自分がこの釣りを始めるずーっと前から石拳の先輩たちは小笠原の磯で同じことをしていた。
しかしここ10年ほどの間に新素材ラインの登場でゲームフィッシングの世界は激変した。
もしかしたら磯のビッグゲームに於いても新しいスタイルのシステムが確立されるのかもしれない。
UZU新名氏をはじめ、南の海で試行錯誤する磯師の皆さんの今後のご活躍を楽しみにしています。
あれから今まで遠征を続けてこれたのは、 自分に磯の作法を教えてくれた先輩磯師の皆さんのおかげです。
そしてごくたまにしか更新しない記事でも細部までしっかり読んでくれている人がいたことが、ブログを継続する励みになりました。
ありがとうございました。
このブログがこれから磯のビッグゲームを志す人の役に立てればとても嬉しいです。
2013年11月10日 おがさわら丸 船内にて
時が流れるのはとても早く 小笠原と言う地への思いもこれでひと段落。
ひと段落と一言で言えばそれで終わりだが、ひと人生の流れがある。
その流れは誰一人として止められる事はない。
そのようなひとりの人生ではあるけれど、その中のドラマは色褪せそうになっても決して消える事もない。
形あるものも永遠はないが、その道具に吹き込まれた思いは引き継ぐものがいれば決して消える事はない。
歴史に名を残す事が殆ど皆無な釣り人生であっても永遠に忘れてはならないもの。
それは、 出会いと思いなのである。
-出会い-
最初に彼と会った1995年当時からもう18年くらい経つだろうか。
それとと同時に、彼の必要とする竿と言う道具と関わったのも、その時からであったように思う。
その後、後方支援に回った私と彼との付き合いは、良き彼のよき理解者であり、協力者であった事は事実。
また、彼は戦友と言える。
戦友と言うのは、まさに命がけの付き合いという事になる。
この言葉の重みに耐えうる関係が成立してこそ面白い人生なのであろう。
戦友と言えば戦友会とくるのが普通なのか。
私が子供の頃は、まだまだ戦後25年程度だったか、よく呉の街の巷でそのような企画があり 戦闘帽をかぶったおじいさん達が、なぜこのように何時までも仲が良いのかと疑問だった。
その後何年も経ってから戦友の意味が理解できた。
年々私の戦友は、戦友で有り続けるのだが、独り、また一人とリタイヤされて行った。
彼よりも少しばかり年上な私は、尚更の事で人生と言う短い歴史も半分以上を使い切ったと言っても過言ではなかろう。
それは、しがない会社員時代に遡る。
「何かお探しですか?」
「ええ、、磯からの釣りに使えるものをちょっと探しています。」
その仕草は、丁寧であったが武人の匂いがした。
(この男、いい感じのオーラだな。)
内心そう思った。
「この竿なんかどうでしょうか?」
「いやこれは凄いですね。」
「曲げてみますか?」
それから十数年の時が過ぎ、お互い少し歳を取った。
私は、彼が認めたくないと言う、いわゆるおっさんになった。
釣り道具は、めまぐるしく発展して行った。
つまり良くなった。
しかし、そんな事はどうでも良く、今でも初めて会った時を忘れてはいない。
それも昨日の夜の出来事の様に。
ぽっと火が点いてはまたくすぶり、また灯しては消える儚き若者の情念。
当時は、私も若くまだぎらついていた目が少しばかり光っている頃だったかもしれない。
彼のその釣り半生は、まさに武人であった。
違う道を歩んだとしてもその漢振りは変わらないであろう。
自分の立てた誓いと目標、思い、そして決してブレない心。
決して媚びず、他人を追及せず、人を人として認める姿勢は現代の武人であろう。
今思えば、人は生まれて出会う人はそう多くないと言う事。
それを一期一会で受ける。
そしてこれからも彼の成功を祈ると同時に、良き後輩が育つ事を願うばかりである。
そして、彼らが求めるならば、地味に地味を重ねたこの道具作りにも、創作意欲の続く限りこの道具作りに邁進して行きたい。
氾濫する情報社会の末にみたものは、全てが無に帰して行く様で、
地道に積み上げた実戦の重みが得られる切れ味は、決してデジタルでも空想でもない。
こころよりその、人の栄光を称えたい。
2013年11月吉日